車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

玉作湯(たまつくりゆ)神社~其の二 in 島根県松江市玉湯町

2018年07月21日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

「玉作湯神社」の境内にはいくつかの境内社が鎮座されています。古よりこのに鎮座される「湯姫大明神社」。御祭神は『湯姫(ゆひめ)大明神』。傍らには湯姫の神が宿ると伝えられる「御神木:ゆひめ椿」

朱の鳥居の先、石段の上に鎮座されるのは「境内社:稲荷神社」。御祭神は『稲倉魂命』

石段の上より神域を守護されるのは、全体的に丸い印象の出雲構え狛犬さん一対。時折境内を包み込むような光が差し込む瞬間があるのですが、吽形さんのこの一枚もそんな一瞬だったと記憶しています。

社殿後方、崖を細長く刳り抜いた祠には、小さな陶器のお狐様が沢山奉納されています。人々の願いを見守るように神域を守護されるのは「享和三年(1803)癸亥三月」建立の神狐さん一対。

稲荷の社に並ぶように鎮座されるのは、画像左より「境内社:素鵞記加羅志(そがきからし)神社」。御祭神は『素盞鳴尊』。中央「福徳神社」には『大國主命』。画像右「澤玉神社」には『猿田彦命』が祀られます。

玉造部の祖神とされる『玉祖命(たまのおやのみこと)』をご祭神とする「境外社:玉宮神社」

石段の上より神域を守護されるのは、人懐こそうな笑顔で出迎えてくれる出雲構えの狛犬さん一対。苔に覆われた姿が長い時間を物語ります。

「玉宮神社」社殿に奉納されていた「湯山」額と「古歌」。碑文【湧き出でる 湯山の主の 神湯こそ 病を癒す 恵みなりけり】

「湯山遙拝殿」。御神祭は『湯山主命』。別名を『大己貴神(大名持神)』。 神社宮山に続く玉造要害山は往昔:湯山と称し、その谷を湯谷(ゆがたに)と云いました。

参拝日:2013年5月27日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉作湯(たまつくりゆ)神社~其の一 in 島根県松江市玉湯町

2018年07月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市玉湯町玉造に鎮座される式内社「玉作湯(たまつくりゆ)神社」。御祭神は『櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)・大名持神(おおなもちのかみ)・少彦名神』。合祀神に『五十猛神(いたけるのかみ)』

【玉作湯神社は、奈良時代の「出雲国風土記」に記された古い神社であり、式内社でもあります。 玉作りの神『櫛明玉命』、国造りと温泉療法の神『大名持命(大国主命)』、温泉守護の神 『少彦名命』の3神を祀っています。 神社境内は、国指定史跡出雲玉作跡(宮ノ上地区)の一画に当たり、花仙山周辺は最古の玉作り遺跡で、弥生時代末から玉作りが行われていました。 江戸時代には、「湯姫大明神」「湯松大明神」とも呼ばれ、藩主の崇敬が厚く、隣接する玉造御茶屋(松江藩の静養施設)に松江藩主が訪れる際には、必ず玉作湯神社に参詣しています。藩主からも神社へ品々の寄進もあり、それらは現在でも玉作湯神社に大切に保管されています。 明治以降、天皇即位の式典に際しては、ここで作られた瑪瑙(メノウ)・碧玉(ヘキギョク)製品が献上されていました。】(境内由緒より)

「大正十一年十月 史跡保存地:神陵之社」碑と並び、二の鳥居。その先に続く長い石段

石段途中にある「玉作湯神社 出雲玉作跡出土品収蔵庫」。ここには昭和44年から46年に花仙山近くで発見された遺跡の出土品が収蔵されています。また出土した「碧玉(へきぎょく)・瑪瑙(めのう)」などの玉材は、昭和52年(1977)6月11日、国重要文化財の指定を受けました。

収蔵庫を守護されるように並ぶ出雲構えの狛犬さん一対。何時頃の時代か不明ですが、この頃の出雲構えさんは、総じて優しく穏やかな顔立ち。

石段の先、境内入口より神域を守護されるのは、やはり穏やかで優しい顔立ちの出雲狛犬さん一対。阿形さんは玉作湯神社のガイドブックによれば「珍しい親子の狛犬(すくすく狛犬)」だそうですが・・親子狛犬って・・玉湯町では珍しいのかしら?(^^;)。

親狛の温もりを確かめるように手を添えながら、大きな毬を抱く仔狛さんの仕草がとにかく可愛い!

拝殿内にはこれまで参拝した神社では一度も見たことの無い、切妻造りの別拝殿があり、こうして内側だけを見ると、まるで拝殿全体が覆屋のように見えます。

時には一時間待ちもあるという「御神石:願い石」への参拝。この時は20分待ち・・(^^;)。 社伝に【太古の昔から、この願い石は玉作湯神社に存在し、玉造の祖先神「櫛明玉命」の御霊が宿る石「御神石」と言い伝えられる。】とあり、『櫛明玉神』は、この湧き水で「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を洗い清めたと伝えられています。

「御仮殿建立の御座」

「玉作湯神社」、もう少し続きます。

参拝日:2013年5月27日

------------------------00----------------------

御神名一口メモ

『櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)』、玉造部(たまつくりべ)の祖神。

『五十猛神(いたけるのかみ)』。素戔男尊の御子。樹木の種を撒いた木の神。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉造温泉:足湯巡りの町歩き in 島根県松江市玉湯町

2018年07月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市玉湯町玉造にある「玉造(たまつくり)温泉」の玄関口「玉造温泉駅」。駅舎は昭和10年に建築された木造一部鉄骨平屋建てですが、その後二度の大規模改修が行われています。
青緑色の鋼板葺の屋根は、玉湯町に鎮座する「玉作湯神社」をイメージしたものだそうです。

「枕草子」にも登場する「玉造温泉」。平安の昔より三名泉とされ、規模、歴史ともに島根県随一。 兵庫の「城崎温泉」、鳥取の「皆生温泉・三朝温泉」と共に山陰を代表する温泉地といわれています。

奈良時代開湯といわれる古湯は、少彦名命が発見したと伝えられ、『出雲国風土記』抄にもその記載がある神の湯として知られています。また江戸時代には松江藩藩主の静養の地となり、「湯之介」と呼ばれる温泉を管理する役職も設けられていたといいます。
玉造の名は、この地が、青瑪瑙を使った玉造を生業とした人々の集落であった事に由来し、三種の神器の一つ「八尺瓊(やさかに)勾玉」もここで造られたと言われています。こんな説明をいまさら述べなくても、観光協会のページにいけばもっと詳しく書かれています(笑)

二年前はマンホールだけの為に立ち寄り、入り口だけ見て回れ右した「玉造温泉」。リベンジ(笑)の今日はとにかく楽しみます。
「湯薬師広場」にある源泉湧き出し口の「たらい湯」は、42度を超える熱めのお湯。 美肌の湯として知られる玉造温泉の源泉で、その効果は化粧水にもなっているほどのお墨付き。
無料で持ち帰る事もできますが生憎と旅の途中だし、ここはぶっつけ本番で腕の美肌をゲット。(今度来る時は化粧水の空きボトルを・・・)

玉湯川の畔には岩を積み上げたような湯口があり、その下で足湯を楽しむことが出来ます。ちなみにここのお湯の温度は65度、決して!面白がって湯口に手をつけたりしてはいけません。

とりあえず腕部分の美肌はゲットできた筈なので、足の美肌もゲットすべく川の足湯にとっぷり σ(´∀`*)。五月の陽気の中での足湯は流石に暑く、流れる汗を拭きながら、この後、更に姫神の足湯へ。(笑)

美肌になると有名な「玉造温泉」ですが、実は恋の霊験あらたかなパワースポットとしても有名。 川の足湯の近く、玉湯川の真ん中に、勾玉型の小島があり穴の部分に青い石が置かれています。
実はこれ本物の「瑪瑙(めのう)」!、聞いてしまうと素通りできず、しっかり触ってきました。 といっても今更恋の霊験は必要ないのですが(笑)

「幸せ青めのう」と名づけられた石に触ると、理由は不明ですが(笑)幸せになれるのだそうです。 こんなところでいい年した大人が二人、嬉しがって石に触っている時点で充分幸せな気もします。

「玉作湯神社」の参道へと続く朱塗りの宮橋は、別名「恋叶橋」と名づけられた撮影スポット。 「この橋から神社の鳥居が入るように写真を撮ると恋が叶う」という口コミから生まれた場所だそうです。
カメラ台まで用意されていては、今更と笑われようと、立ち位置を決めて二人で仲良く(*^^*)

恋人のいない貴方(って、誰?)の為には、恋がやってくるという素敵なスポットもあります。 玉湯川沿いに建つ「湯閼伽(ゆあか)の井戸」は、別名 「恋来井戸」と呼ばれています。東屋の中で売られている鯉の餌をまいて、鯉が来れば恋が来る・・・・・!#○`ε´)=○)゚O゚)☆

暑い暑いと言いつつ楽しんだ「姫神広場の足湯」。そうそう、ここにはとても美しい姫神様の像があります。 実はこの玉造温泉の姫神様は、何と「玉作湯神社」の御祭神『湯姫大明神』なのです。

ブロンズ像つながりで、玉湯川沿いにある幾つかのオブジェから、他の姫神も紹介しましょう。 こちらは【大国主命の妻問い神話】に登場する『沼河比売(ぬながわひめ)』。随分と老けて見えるのは、そう見る私が悪いのか、それとも「せんと君」そっくりの顔の所為か(^^;)

勾玉橋のたもとにあるブロンズ像は【佐太大神誕生神話】に登場する『支佐加比売(きさかひめ)』。理由は不明ですが(笑)弓を持って立ち尽くす姫の足元には、産着にくるまれた『佐太大神』の姿もあります。
岩の上からワニを見るのは、【恋山神話】に登場する『玉日女命(タマヒメノミコト)』

他にもたくさんあるのですが、とりあえずこれくらいで(^^;)。 歩きだした足元に見つけたのは「玉造温泉元湯跡」のプレート。ここに元湯があったのは何時の事だったのでしょう。

玉湯町にある考古遺跡「出雲玉作跡」は、宮垣地区の保存と公開を目的として整備された公園。 遺跡からの出土品は「玉作湯神社」に隣接する「出雲玉作資料館」にて、保存&公開がなされています。

花仙山の麓に位置する公園内には、復元された竪穴式住居、玉作工房跡などが点在し、のんびりと古代の歴史に浸ることが出来る場所となっています。
茅葺の竪穴式住居の中から見上げた公園。ゆったりと寛げる緑の芝生、その全域が国の史跡に指定されています。

訪問日:2013年5月27日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 島根県旧玉湯町(松江市)

2018年07月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡玉湯町(たまゆちょう)は島根県の北東に位置し、古湯「玉造温泉」で知られていた町です。温泉街近くの「花仙山」からは良質の青瑪瑙が今も採掘され、「勾玉の里」とも呼ばれています。「町の木:桜」「町の花:花仙椿」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により意宇郡玉造村・湯町村が発足。

1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1905年、八束郡玉造村、湯町村が合併、八束郡玉湯村が発足。

1959年、玉湯村が町制を施行、八束郡玉湯町となります。

2005年、旧松江市・鹿島町・島根町・美保関町・八雲村・宍道町・八束町と合併、松江市玉湯町となりました。

マンホールには、玉湯町で今も作られている「勾玉(まがたま)・管玉」が描かれています。

玉造温泉街の中心、玉湯川に架けられた「勾玉橋」は、撮影スポットとしても有名でパンフレットなどにもよく登場します。

もう一種類のマンホールには「竪穴式住居」と、それを取り巻くように「勾玉の首飾り」が描かれています。

「出雲玉作史跡公園」には復元された「竪穴式住居」が展示されており、自由に見学できます。

昭和54年6月制定の町章は「玉(勾玉)を中央にして外郭に湯(ユ)を湾曲させ、町民の融和と団結を表し、併せて町勢の発展向上を単純明解に図案化したものです。」旧公式HPより

玉造温泉公式キャラクター『しじみジョージ・しじみシスターズ』。ステキなカップルの頭は「シジミ」・・・帽子じゃなくて、頭です(笑)

同じく玉造温泉公式キャラクター『玉ニャン』。でも今は単純に『玉』で活躍中(笑) 多分、熊本県玉名市のマスコットが『タマにゃん』なので、混同しないように縮めてしまったのでしょう。

撮影日:2011年5月18日&2013年5月27日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須儀(すぎ)神社 in 島根県松江市美保関町

2018年07月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市美保関町菅浦に鎮座される「須儀(すぎ)神社」。御祭神は『猿田比古神・応神天皇』
合祀神『伊弉諾尊・速玉男神・事解男神・天忍穂耳尊・天忍穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命(元 新宮神社御祭神)』。

由緒に【創立年代は詳らかにあらざるものの、風土記に嶋根郡の「須義社」に比定されるとある。「雲陽誌」菅浦の頁には「神畑明神」と記されており、その頃、西の「稲倉明神」の末社に連なっていた為、同期の棟札を確認できた。明治四十年同村内の「新宮神社」を合祀、これが上の宮と思われ、現在の社地は下の宮と見る向きが強い。】

鳥居脇にて神域を守護されるのは、あまり見慣れない・・古い時代の出雲系の狛犬さんでしょうか? たまたま美保関に行く為に通りかかってお見掛けした神社ですが、こんなに素敵な狛犬さんに出会えるなんて(〃∇〃)

真横に向き合わせると何故か勝手にセリフが浮かんでくる・・(^^;) これはもう一種の病気。あっ!!でも言っておきますが、どの狛犬さんでもと言う訳ではありませんからね!(笑)

境内は大谷川の西岸に位置し、北側に鳥居が設けられ、社殿は東向に鎮座しています。

山裾に面した境内には『須佐之男命』を祀る「境内社:素鵞社」『豊受比売大神』を祀る「秋葉神社」

「忠魂碑」は菅浦地区の御英霊の御霊を鎮めるために建立されたものでしょう。 このような碑に向かい合うとき、私たちはただ頭を下げ現状の平凡な幸せに感謝を捧げるだけです。

参拝日:2011年5月19日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美保関灯台と青石畳通りin松江市美保関町

2018年07月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

波一つ無い穏やかな日本海、晴天であればその向こうに隠岐諸島が望めるという地蔵崎。 島根半島の東端に位置する地蔵埼の岬上には山陰最古と言われる美保関灯台が立っています。

明治31年(1898)、フランス人技師の設計、片江の石工『寺本常太郎』によって一等灯台地蔵崎灯台として施工。海抜73mの岩上にあり、高さ14m。当時の光度は6万7,500カンデラ。昭和10年(1935)に、灯台名を美保関灯台と改め、現在の光度は46万カンデラ。

初点灯された当時のままの白色円筒形造りで「世界の歴史的灯台100選」に、2007年には灯台として初めて国の有形文化財に指定されました。

更に「美保関灯台:吏員退息所(りいんたいそくしょ)主屋」「倉庫・便所・石塀」も併せて登録有形文化財に登録。灯台守の宿舎だった赤い屋根の建物は「美保関灯台ビュッフェ」として営業されています。

私たちが行った日はとても営業中とは思えないほど閑散と・・改めて確認したところ、今回も週に一度の定休日に行き当たったようで・・素敵なシュチエーションでのコーヒータイムを期待していたのに・・(-"-)

ところで・・旧吏員退息所の玄関上部にある彫刻、どう見ても〒マークに見えて仕方有りません。・・謎です(^^;)

美保関灯台を後にして美保神社へと引き返したあと、ほんの少しだけ青石畳通りを散策。 海から切り出された石畳の通りは、雨に濡れると石が青く光ることから「青石畳通り」と呼ばれています。

江戸時代、北前船航路の中継基地として、また、西日本でも有数の歓楽街として栄えた美保関町。 かっては多くの遊郭が軒を連ね、人口の四分の一を遊女が占めた時代もあったといいます。

狭い通路の片側に建つ「国登録有形文化財:旅館美保館」。細い路地の向かいからでは、どうしても全体は写せません(笑)

美保神社から、仏谷寺までを結ぶ500メートルの参道、私たちが歩いたのはほんの100メートルほど。 もう少し時間が有ればゆっくりお店を覗いたりとかも出来たのでしょうが、何しろ駆け足の旅。今から思えば随分ともったいないスケジュールだったと後悔しています(-_-;)

美保関への行き帰りに見かけた「男女(めおと)岩」。行と帰りではこんなに違って見えたのかとビックリ。それにしても「夫婦」では無く、「男女」とは・・・(^_^;)

訪問日:2011年5月19日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美保(みほ)神社~其の二 in 島根県松江市美保関町

2018年07月16日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

「神跡 美保之埼」の碑

美保神社の飛地境内、日本海を望む美保碕に向かって建つ鳥居。

鳥居額には「地之御前・沖之御前」。鳥居の先、眼下にわずかに見える岩礁が「地の御前(ちのごぜん)」。はるか沖合い4k先には1200万年前に隆起してできた「沖の御前(おきのごぜん)」があります。

『事代主命』が鯛釣りをしていたとされる「沖之御前」。美保神社の絵馬には『事代主命』が吊り上げた鯛が、稲穂を咥えて勢いよく跳ねています。 鯛が咥えている稲穂は『三穂津姫命(みほつひめのみこと)』が大国主の后神となられる時、高天原から持って降りられたもので、稲作を中津国に広めたと謂われます。

絵馬が登場したところで改めて美保神社の境内。鳥居の右手、玉垣の中に鎮座される境内社四社「宮御前社」。御祭神は『埴安姫命(はにやすひめのみこと)』。「宮荒神社」。御祭神は『奥津比売命・奥津彦神・土之御祖神』。「船霊社」。御祭神は『天鳥船神(あまのとりふねのかみ)』。「稲荷社」。御祭神は『倉稲魂神』

玉垣の内、社の左右より神域を守護されるのは笏谷石狛犬さん一対。

回廊右端の石段。右手前の玉垣には「御霊石」

石段下左右より神域を守護されるのは出雲構えの狛犬さん一対。

上半身だけになられた出雲構えの阿形さん。

「御神竹」

境内社、社名御祭神共に不明

社の向かって右手に奉納された石灯籠の笠の上、子狛を傍らに抱く出雲構えの狛犬さん。阿吽の一対では無いかと、ご亭主殿、周りを探索しましたがどうやら親子で阿吽に仕上げたようです。それにしても・・感動(〃∇〃)

美保神社には国譲りにちなんだ「蒼柴垣神事」「諸手船(もろたぶね)神事」の二つの祭礼がそれぞれ四月と十一月に執り行われます。この絵は、美保の神域に入る道筋にあった「諸手船神事」の様子を描いたもので、『大国主命』が国譲りの是非を問う為に『事代主命』に諸手船で使者を送った故事にちなんだものと云われています。

参拝日:2011年5月19日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美保(みほ)神社~其の一 in 島根県松江市美保関町

2018年07月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市美保関町に鎮座される「式内社:美保(みほ)神社」。事代主神系えびす社3千余社の総本社とされます。(同じくえびす社の総本社とされる兵庫県の「西宮神社」は、蛭子神系のえびすを祭神とします。)
右殿に御祭神『事代主神』、左殿に御祭神『三穂津姫命(大国主神の后神)』

二の鳥居の内より神域を守護されるのは、目に玉を嵌め込んだ「嘉永三年(1850)六月吉日建立」出雲丹後の狛犬さん一対。 何と言うか・・上から目線の阿形さん。心外だと真一文字に口を引き結ぶ吽形さん(笑)

狛犬さんの目が異様に大きく見えるのは、多分玉が嵌めこまれているからだと思われますが、石工の技術力と、それを成させる奉納者の財力を感じずにはいられない見事な一対。

由緒【創建の由緒は不詳であるが、延喜式神名帳では小社に列する。8世紀に編纂された「出雲国風土記」の神社台帳に記載される古社であり、『大穴持命(大国主神)』と『奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)』の間に生まれた『御穂須須美命』が、美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は『御穂須須美命』のみであったのが、記紀神話の影響により『事代主神』と『三穂津姫命』とされたものとみられる。】

現在の本殿は文化10年(1813)の造営。大社造の左右二殿連棟の特殊な形式は「美保造」、または「比翼大社造」ともいわれ、国の重要文化財に指定されています。

この日は、2010年に起きた山陰豪雪による補修の為に、拝殿の周囲は足場が組まれた状態。 これほどの由緒ある社でさえ、平成になって起こった災害の輪からは逃れられなかったようです。

拝観するには残念ですが、参拝には支障なく、拝殿前を守護する備前焼の獅子さんにもお会いできました。刻まれた奉納年は「文政十三年(1830)正月吉日」。備前焼の獅子狛犬も随分と沢山見てきましたが、本当に良いお顔をされています。眉をしかめた阿形さん、キリリと開き直る吽形さん。

ほら、こうして向い合せると、しっかりと会話の内容が聞き取れる程・・って、もしかして聞こえてるのは私だけ?(ーー゛);

更に奥の本殿前左右には木製の神殿狛犬さん。ピントが今一つだった阿形さん。吽形さんは置かれた場所が良かったみたいで、上目遣いのお顔がくっきり。阿形さんの怖いお顔に比べて、随分と可愛らしいお顔(〃∇〃)

工事中という事もあり、境内に祀られる他のお社などへの参拝は殆ど出来ませんでしたが、それでも幾つかの境内社には参拝できました。明日は日本海に面して建つ境外摂社と併せて境内の紹介です。

参拝日:2011年5月19日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 島根県旧美保関町(松江市)

2018年07月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧八束郡美保関町(みほのせきちょう)は島根半島の中央から東端にかけて位置した町です。漁業と観光の町として知られており、釣りの名所としても有名です。町域には『恵比寿様』の総本宮「美保神社」が鎮座され、山陰最古の石造灯台や、男女(めおと)岩、港町に敷き詰めた「青石畳通り」など、多くの見所を擁しています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、島根郡美保関村・千酌村・片江村・森山村が発足。

1896年、郡制の施行により、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。

1924年、美保関村が町制を施行、八束郡美保関町となります。

1955年、八束郡千酌村・片江村・森山村と合併、改めて美保関町が発足。

2005年、旧松江市・鹿島町・島根町・八雲村・玉湯町・宍道町・八束町と合併、松江市美保関町となりました。

マンホールには、「関の五本松」「美保関灯台」美保湾を跳ねる「鯛」と町章がデザインされています。

マンホールに描かれた「美保関灯台」。

釣りの名所としても知られる美保関。美保湾を飛び跳ねる「鯛」と町章がデザインされています。

美保関町菅浦地区も同じデザインですが、こちらは自治体章が松江市に変わっています。 

笹子地区

森山地区

福浦地区

「福浦港」

旧千酌(ちくみ)地区のマンホールには「美保湾をいく魚釣り漁船」と、「大山」がデザインされています。

波一つ無い穏やかな千酌の漁港、初夏の日差しの下でまどろむ数艘の漁船。

万原地区のマンホールには「大山」「美保関総合運動公園」と町章がデザインされています。

七類(しちるい)地区のマンホールには「七類港から発着する隠岐行きのフェリー」がデザインされています。

昭和32年(1957)5月31日制定の町章は「「美」を図案化したもので、合併前の四町村(美保関町、千酌村、片江村、森山村)を結び、円満団結と飛躍を表します。」

撮影日:2011年5月19日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加賀(かが)神社 in 島根県松江市島根町

2018年07月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市島根町加賀に鎮座される「加賀(かが)神社」。別名「潜戸(くけど)大明神」。御祭神は『佐太大神』の生母『枳佐加比売命(きさがいひめのみこと)』。配神『伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・猿田彦命』

【「延喜式神名帳」に「加賀神社」の記載がある古社で、当初は「加賀の潜戸(くけど)」の中に祀られていたが、のちに現在地に遷座したとされる。「出雲風土記鈔」では「窟戸大明神」とし、「雲陽誌」では「潜戸大明神」とし、御祭神は『伊弉諾尊・伊弉冊尊』としています。】

隋神門の前、左右より神域を守護されるのは「寛政六年(1794)九月吉日建立」。平ったい頭とびり口の愛らしい顔立ち(笑)。丈夫そうな前歯を噛み締める吽形さん。形としては京都南部の古い寺社に見られる狛犬さんに似ています。

隋神門の軒には右手でグワッシと毬をつかむ獅子の彫刻。でもこれ遠目で見ると腕枕をしてくつろぐ姿勢に見えます (^_^;)。おや、波に乗って美味しそうなお魚も。

隋神門の先より神域を守護されるのは出雲構えの狛犬さん一対。「昭和五十五年十月吉日 石工・須田 益在」の刻。こういう狛犬さんに出会うと出雲の石工さんの矜持を感じます。

拝殿には、出雲風土記鈔に記された「潜門祠」「潜石太神宮」の二つの社額。

「東神社」に祀られるのは『天児屋根命・外二神』「日御碕神社」には『天照大神』

石段下左右より神域を守護されるのは出雲構え型の狛犬さん一対。もう随分長いことこの地で頑張ってこられたんですね。

「西神社」には『天忍穂耳命・外七神』「恵比須神社」には『大国主命・事代主命』

こちらの神域を守護されるのも同じく出雲構えの狛犬さん。どれくらいの時間が流れて行ったのか。この地でずっと大切に御祭神を護ってこられた神獣さんたち。どの子たちも愛おしく可愛い。

東参道入り口より神域を守護される出雲構えの狛犬さん一対。

境内の奥。柔らかな草に包まれるように神域を見守る出雲丹後狛犬の先代さん。

参拝日:2011年5月19日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする