車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

観福寺(かんぷくじ) in 千葉県香取市

2019年11月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

香取市牧野に境内を構える真言宗豊山派の寺院「妙光山:観福寺(かんぷくじ)」『聖観世音菩薩』を本尊とします。

江戸時代には、末寺五十三カ寺をもつ「中本山」として、厄除大師信仰の中心的存在にあり、現在は「川崎大師」「西新井大師」とともに「日本厄除三大師」の一つと称されています。

寺伝によれば、開基は寛平2年(890)、『尊海僧正』によるものと伝えられています。 北総の名刹と仰がれる「本堂」は文化8年(1811)に「鐘眞和尚」が再建したと伝えられ、「本堂」内には、国重要文化財に指定されている 「銅造懸仏」4点が安置。 元々は「香取神宮」の本地仏でしたが、神仏分離令に伴う廃仏毀釈により当寺に安置されました。

本堂に向かい合う位置には、元禄年間に「春海和尚」が建立したと伝わる「観音堂」があります。 ここには『平将門』の守護仏とされる平安時代後期作の「聖観世音菩薩像」が安置されています。

「観音堂」の貫彫刻に施された獅子と獏ですが、特に獅子はいろんな意味で一見の価値あり。 これまで色んな獅子彫刻を見ましたが、こんなに楽しそうに大口を開けている獅子は初めて😊。

吽形さん、大口こそ開けていませんが「ニンマリ」😆

文政12年(1829)に『秀珍和尚』が建立した「大師堂」。内陣には「弘法大師像」を安置。

向背の龍、貫の獅子・麒麟の彫刻はいずれも迫力があり、それなりの名工の作と思われます。

文化15年(1818)、『快恵和尚』によって再建された「不動堂」には、身丈5尺の「不動明王像」が安置。

「不動堂」の向かいには、1995年に『量賢和尚』が建立した、この境内では一番新しい「毘沙門堂」があります。

「毘沙門堂」の左側には文化8年(1811)に建立された「袴腰付鐘楼堂」

その「鐘楼堂」の脇を過ぎると「伊能家代々の墓所」があり、そこに、市指定史跡「伊能忠敬の墓」があります。 画像右側は、江戸後期から明治時代の国学者「伊能穎則(ひでのり)の墓」、こちらは県指定史跡。

「不動堂」の前には『伊能式部』の句碑【暖を  ふり敷く物の 朧月】

寛政4年(1792)に佐原下仲町に生まれた『宮沢江月』句碑は、安政5年(1858)の建立。【はつ鶏の  地に下るまで 明けにけり】

参拝日:2019年3月15日

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水郷佐原:山車会館 in 千葉県香取市佐原

2019年11月09日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

佐原の「八坂神社」境内に建つ「水郷佐原山車会館」。実際の祭りに参加できなくても充分にお祭りの雰囲気を堪能できる施設です。 会館内の一階では、実際に佐原の大祭で曳き廻される山車も展示されており、記念撮影もOKとの事😍! 記念写真用に用意された祭半てんに袖を通し、提灯を掲げたら心はウキウキ、気分はすっかり大祭に繰り出す氏子。

館内に展示されているのは、実際に祭りに使われる山車なので迂闊に近寄れない雰囲気ですが、それでも緻密な山車彫刻に目が釘付け、足はじりじりと山車の近くに。 そうして改めて見る天幕の下の欄間彫刻や方立彫刻、二つの扉にも見事な細工があり、もうため息しか出ません。

「下高欄」の彫刻は見事な阿吽の唐獅子牡丹

おや!!こんな所にも天邪鬼。何にでも反発する天邪鬼さんは、重い物を支えるにはぴったりの逸材・・って、誰が思いついたんでしょう😅

二階にあがると、ガラス越しですが、先ほどの山車の、大人形の全体像を見る事ができます。 つまり二階の高さからでやっと正面に見える・・という巨大さなのです。秋祭りの山車は「上宿区:源義経」、入り口に近すぎて見え辛かったので、これは嬉しい!

夏祭りの山車は冒頭で紹介した「上仲町区:太田道灌」、秋、夏いずれも、一年ごとに交代されるとありました。 よくお祭の写真などで、自宅やビルの高い場所から山車の行列を見ている場面がありますが・・ 優越感にも似たあの感じが、まさかここで味わえるなんて😍 とにかくその凄さは圧巻。

二階展示室には「佐原囃子」の演奏に使われる、沢山の笛や太鼓、皷等が展示されています。

祭囃子の笛の音というのは、何故か心を浮き立たせ、それでいて不思議な郷愁を誘います。 とは言え、私の田舎ではそんな洒落た祭りの風景と言うのは無くて、どんなに遡っても記憶の欠片もありません😓

さて、この展示室で一番の魅力は、日本芸術史屈指の名工が手がけた、関東彫りの山車彫刻の数々! 「扇の的の那須与一」、ガラスケースの中ですが、こんなに間近にその細部にわたるまでじっくり見る事ができるなんてもう感激😍

祭りの最中には決して見る事ができない、祭りの後ではなおさら見られない、山車彫刻の細部。 手を伸ばせば触れられそうな目の前に展開される「江戸優り」の数々に、只々、感嘆のため息。 特に「方立」の彫刻は、いずれも歴史的に有名な一場面が絵画よりも鮮やかに刻まれています。

上下二つに分けないとその緻密さが表現できないので、とりあえず並べました。 この図柄が何を表しているのか説明できればカッコ良いのですが、生憎と無知なもので😓

松も梅も生き生きと、その細かい松葉の先に至るまで精巧に刻まれた、二つの「方立彫刻」。

鎧姿の武将は『上杉謙信』かな?・・木札に何を書き付けているのでしょう?・・・と言うか、ちゃんと書いてあるのが凄い。 対になった武将は多分『武田信玄』、虎の前立ての兜を身につけ、采配を手に戦の成り行きを見守っています。

上新町の大天上の額には「南方刀美社」の文字を取り囲むように、生き生きと躍動する龍の姿。ちなみに「南方刀美社」とは『諏訪南方神』を祭る神社らしい、と言う所までは読めた気がします。

本当は欄間彫刻とか、他の地域の山車額とか、紹介したい画像は一杯なのですが際限ありません。 という事で三階企画展示室に移動して、佐原の大祭の象徴ともいえる「日本一の大人形」を・・ああ、本物の大人形が、本当に目の前に・・・手を伸ばせば届く場所で一緒に並ぶ事もできるのです。
まるで今にも動き出しそうな・・まさに生き人形という言葉がぴったりで、むしろ怖いくらい。

【山車の最上部に飾り付けられる大人形(身の丈約5メートル)の多くは、日本神話や歴史上の人物を題材にしており、明治・大正・昭和を代表する名だたる人形師の手によって作製された作品であり、貴重な文化遺産となっています。】パンフレットより

そしてガラスケースの中に飾られているのは、佐原で最古と言われる大人形「関戸郷:猿田彦」

館内には歴代の「佐原大祭」の観光用ポスターも展示されていて、とても興味深く拝見しました。 これは桃太郎の山車人形が使われたポスター、写真ではなくイラストなのはこれ一枚だけです。外にも素敵なポスターがありましたが、ここは故郷贔屓を発揮して「桃太郎」一押し😊

何もかもが素晴らしく、見るもの、目に入るもの全てに感動して、デジカメを向けて・・・と、喉がカラカラになるほど興奮し、叶う事なら実際にこの目でじかに大祭を見たいと思い・・大祭の様子の写真を見た瞬間、「これは・・・とても無理だわ😥」「ああ、無理だね~😓」 大人形だから、きっと遠くからでも見えるでしょうがこの人の波は、ひたすらに恐怖😱。

関東三大祭りの一つ「佐原の大祭」は、2016年12月にユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。

訪問日:2019年3月15日

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八坂神社 in 千葉県香取市佐原

2019年11月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

香取市佐原に鎮座される「八坂神社」。御祭神は『素戔嗚尊』。佐原の大祭(祇園祭)で知られます。 当初一の鳥居:正面は浜宿側にありましたが、明治初年の社殿改造の際に、現在の八日市場側に鳥居を増設。

その為、神社には二つの正門が存在し、上が「浜宿口」、こちらが「八日市場口」と呼ばれます。 どちらも正門である為、一年ごとに正門が交代するという、とても珍しい慣例がある神社です。

由緒に【古く佐原諏訪山近傍の天王台に創建、天和年間に現在地へ遷座し佐原・本宿の総鎮守となりました。今も諏訪上字天王宮に「八坂神社:奥宮」が鎮座されています】

参拝の際、拝殿の鈴緒の色が薄青色なのがちょっと気になりましたが、この色には何か意味があるのでしょうか? これまでの神社ではほぼ何処も紅白、もしくは白だったように記憶しています。

拝殿前より神域を守護されるのは、阿吽共にとても姿の良い構えタイプの狛犬さん一対。 台座に、明治廿八年建立、石工:白鳥と刻まれていますが、この形、もろに二人の好み。

阿形さんが真っ直ぐに前方を見ているのに対し、吽形さんは低く構えて下を凝視。 この姿勢はいわゆる「獅子の子落とし」の構図に使われるのですが、仔狛はいませんでした。

境内の一画には『悠仁親王殿下』御誕生記念植樹の高野槙が健やかに育っています。こうして見るとずいぶんと高くなりました。正当な男系男子の皇位継承者であられる『悠仁親王殿下』に、神の加護のありますように!!
ある一時期を境に皇室に不信感しか持てなくなった私にとって、その存在は「光」そのものなのです。

「八坂神社」の境内には、沢山の境内社が祀られており、中でも別個に本殿を持つのが「境内末社:水天宮」、船運安全、子育て守護の神が祀られます。

「境内社:豊川稲荷神社」は、愛知県の曹洞宗寺院「豊川閣妙厳寺」からの勧請。

「境内末社:琴平神社」、いわゆる「金比羅さん」の事で、海上安全の神が祀られます。

「境内末社:三峰神社」、境内案内にいわく、盗難除けの神様が祀られているそうです。

これも一応境内社になるのか・・注連縄が掛けられた碑に「大山阿夫利神社」の刻。

「火伏之神」と刻まれた碑、火伏せは関西なら「愛宕神社」ですが、関東は「秋葉神社」かな?  「神敬奉公」と刻まれた碑。意味はそのまま「神を敬い一身をささげて公の為に尽くすこと」。

境内の歌碑は『楫取魚彦』が明和6年(1769)47歳の時、夫人:雅木と大和へ旅した折のもの。

【入日さす 豊旗雲は わがこふる  よしのの山や 越て来つらむ】

「八坂神社」の例大祭「佐原の大祭」は、7月の本宿祇園祭と、10月の新宿秋祭りの総称。 お祭大好きな二人ですが、流石にここまで来るには往復で二日がかり・・・😥  でも大丈夫!!そんな私たちの為に!(観光客の為です)、祭りの雰囲気に浸れる場所がすぐ側にありました。

公式ページである程度の予備知識はありましたが、実際に見るとその迫力に圧倒されます。 明日は境内に隣接する「水郷佐原山車会館」の館内の色々を紹介します。

参拝日:2019年3月15日

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水郷の町・佐原~其の四 in 千葉県香取市

2019年11月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

佐原の町歩き紹介もいよいよラスト、さて、町歩きでのちょっとしたお楽しみは、足元に見つけた碑、頭上に見つけた趣向を凝らした街灯・・・等々。ここ小野川の岸辺にもそんな楽しい仕掛けが沢山あり、野次馬的好奇心を満たしてくれます。 まずは開運橋近くに建立されていた歌碑、「香取四家集」の中の躬国集からとったもの。

【 常陸なる かしまが埼を見わたせば  帯ばかりにぞ 霞そめける 】

次は共栄橋付近に建立された漢詩碑、論書二十首の中の一つで、書を書く心構えを表しています。

「字是居心後(字は是れ心後に居り)意要在筆前(意は筆前に存るを要す)揮亳無阻滞(揮亳して阻滞無くんば) 巨細自然圓(巨細自然に円になり)」

こちらは特に誰かの作品とも明記されておらず、佐原の町並みの為に建立されたものと思われます。【ゆかりなつかし 伊能忠敬の地図のふるさと 水の郷】

そうそう、そう言えば小野川の川岸に、何故か白鳥のボートがぽつんと係留されていました。 で、ボートの後ろには二羽の白鳥、まさか仲間と間違えたとは思えませんが😅・・・・でも何か笑える。

舟運が盛んだった頃に作られた川岸の陸上施設「だし」。今は殆ど役目を終えた「だし」に、思い思いの趣向で「お雛様」が飾られています。「さわら雛めぐり」の趣向の一つらしく、舟めぐりの人たちにはとても好評のようです。

お雛様のお家もそれぞれに趣向が凝らされていて、どれも同じでないのが又素敵。 縦長だったり横長だったり、お雛様の数も姿もまちまちで、ついつい覗き込んでしまいます。

町の活性化を願って、地元商店の「おかみさん」を中心に構成された「佐原おかみさん会」。春の「佐原雛巡り」や「五月人形巡り」では、お店に伝わるお人形たちが一般公開されます。 この「だし」を使った雛人形の展示も、「佐原おかみさん会」の方たちのアイデアなのです。

今度は頭の上に目をやって、柳並木に設置された街灯に取り付けられたレリーフをじっくりと鑑賞。これらのレリーフは「佐原の大祭」で引き出される豪華絢爛な山車の、一番上に置かれる大人形を影絵風に製作したもの。一番最初は、天の浮き橋から天沼矛で海をかき回し、国産み・神産みをされた「伊弉那岐尊」

続いて、天孫・瓊瓊杵尊の曽孫で、橿原宮にて即位し日本を建国したとされる「神武天皇」。「神武天皇」が持つ杖の先にいるのは、熊野国から大和国への道案内をしたとされる三本足の「八咫烏」

「香取神宮」の祭神でもある「経津主命」は、剣を神格化した神とも言われており、それゆえに背に剣を持ちます。

町内に住む人達の手によって制作される稲藁細工の作り物「鷹」、これが実際の写真などで見ると、結構な迫力なんです。

釣竿を持った漁師風の若者の前にいるのは大きな海亀・・とくれば答えは簡単、「浦島太郎」

柳の枝に飛びつこうとする蛙、それを見守る「小野道風」、これも分かりやすい大人形。

さて、最期の二枚がどうしても分かりません(^^;)、もしかしたらスサノオの大蛇退治かな? それにしては大蛇の頭部らしきものが、某映画の怪獣映画みたいで今一つピンとこない😓

もう一つは・・?大人の女性と男の子の組み合わせで歴史的な人物・・う~~~ん何だろう? もしかしたら家光と乳母の春日の局??有りそうな気もします。

ちなみこのレリーフを調べる為に「佐原の大祭」のページを見て、祀りそのものにすっかり魅了。明日は2019年の再訪で入館を果たした「佐原の大祭」の資料が満載の「水郷佐原山車会館」です。

訪問日:2014年5月18日&2019年3月15日

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水郷の町・佐原~其の三 in 千葉県香取市

2019年11月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

其の二に続く佐原の町歩き、川風に揺れる柳が影を落とす小野川、その両側に並ぶ商家の町並みはまた格別の景色です。

白壁土蔵の建物「夢時庵(ムージャン)」は、明治34年の町家を改装したフレンチレストラン。 偏食過ぎる私は、フレンチもドイツもイタリアンも、ついでに中国もエスニックも、特に韓国なんて完全NG😓 でも建物は本当に素敵なんです。

お店の前の川沿いに、沢山の焼き物の瓶が積み上げられているのを発見、付近には何とも香ばしい香り・・

創業は寛政12年(1800)5月、江戸時代より醤油の醸造をしていた「正上」さん。店舗は天保3年(1832)、土蔵は明治初期の建築で、戦後は佃煮の製造販売を主とし、現在は10代目だそうです。

歴史を感じるお店の中で試食させて頂いた「美味しい醤油で作る美味しい佃煮」。一緒に出されたお茶にとってもマッチして、ついつい財布の紐も緩みます。

今回で二度目の町歩きは、川を挟んで二人別々のそぞろ歩き😊、川向こうに見る建物も、とっても良い雰囲気。昔懐かしいガラスの大戸には、ご亭主殿いわく、「東海」の文字が書かれていたそうです。もちろん難癖に利用される東海とは全く無関係。

懐かしい佇まいの家の前には、ちょっと懐かしい赤い郵便ポスト、さり気なく絵になっています。 これだけの構えのお屋敷なのだからきっと由緒もあるのでしょうが、その辺は全然不明です。

川向こうに見えるのは「ワーズワース 佐原店」、佐原では有名なイタリアンレストランです。 でも残念ながら、先述したようにイタリアンも、メキシカンも、スペインも・・・以下略😅

小野川沿いに建つ「木の下旅館」。元は船宿で創業は明治34年(1901)、建物はその時に建てられました。 こんな場所でのんびりくつろいで、夕刻の川沿いを浴衣姿に下駄の音を鳴らしてそぞろ歩く・・想像しただけで顔がにやけてしまいそうですが、それはまたいつか・・多分、ず~~っと先のお楽しみ。

で、こちらは2019年に再び見た「木の下旅館」。紺の暖簾がなくなって、随分雰囲気が変わっていました。

寛政6年(1794)創業の「旧油惣商店」。寛政10年(1798)築の土蔵は、佐原で最古とも言われています。 奈良漬け業者として、明治から昭和戦前までアメリカへ「奈良漬」を輸出していたそうですが・・  アメリカ人に奈良漬??と思ったけど、多分、戦前に移住していた日本人向けでしょうね。

「小江戸さわら舟めぐり」の船が、ゆらゆらと水郷を行き交う川岸、まるっと風景画の世界。 ここからでは聞こえませんが、時折起こる笑い声の理由はきっと船頭さんの洒脱な話術でしょうね。

どこかのお店で見かけた、とっても素敵な紙人形・・こんな船もさっき見た水郷を通ったかもしれません。 花嫁さんの前に積み上げられた米俵が、嫁ぐ娘を思う親心を思わせて、なぜか胸が熱くなりました。

訪問日:2014年5月18日&2019年3月15日

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水郷の町・佐原~其の二 in 千葉県香取市

2019年11月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

昨日に引き続いての佐原、流石に素敵な町歩きは、なんだかんだと障害物はあるものの、画像はかなりの数になります。

ここで、ちょっと面白い手法で、昨日紹介した「福新呉服店」をもう一度紹介してみましょう。 ガラス越しに覗けば、着物地で作られた小物や巾着がテーブル一杯に広げられています。

お隣の「蕎麦処:小堀屋本店」、蕎麦好きのご亭主殿には蕎麦が運ばれるのが待ち遠しいです。 なんて・・😅 実はこのお店、本物そっくりに再現されたミニチュアの町屋。

もちろん手を触れるのは禁止、写真を撮る為にそ~~~と伸ばした手がぷるぷると震えます。

ここは佐原の魅力を発信する「佐原町並み交流館」。お言葉に甘えて厚かましく、係りの方の素敵な法被をお借りしての記念写真。 法被の後ろに描かれているのは「日本図」と「大日本沿海輿地全図」を完成させた『伊能忠敬』の有名なイラスト。

忠敬は、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。 小野川に面した旧宅の正面には「だし」と呼ばれる広い荷揚げ場があり、往時の繁栄ぶりを物語っています。

実は2014年に訪問した際は、東日本大震災の復旧工事中だった為、見学が出来ませんでした。あの頃は町中の色んな場所に災害の爪あとがあり、随分と切ない気持ちになったものです。

という事で、今回はしっかりと店舗から、炊事場、書院、土蔵・・その他諸々を見てきました。何よりも綺麗に復興された様子を目の当たりに出来たことが嬉しくて、本当に喜んだものです。 まずは店舗の奥の主屋、寛政5年(1793)、忠敬が48歳のときに自らの設計によって建てたものです。

室内には、忠敬が測量で用いた「中象限儀」「測量方の旗」のレプリカも展示されています。

主屋の東にある二階建の土蔵は、観音開きの戸が広まる以前の引き戸形式の戸だそうで、比較的珍しいものだそうです。

敷地内には「この一歩から」と刻まれた「測量の日:記念碑」『伊能忠敬』の銅像がありました。

忠敬が寛政3年(1791)に作った「忠敬家訓書」の碑。

第一 仮にも偽りをせず、孝弟忠信にして正直たるべし。
第二 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓異見あらば急度相用堅く守るべし。
第三 徳敬謙譲とて言語進退を寛裕に諸事謙り敬み少も人と争論など成すべからず。

旧宅に隣接する「伊能忠敬記念館」では、測量に使用された各種計測器具や、彼が残した業績が映像た資料と共に数多く展示されています。

忠敬旧宅の近くに、日本の音景色100選に選定された「小野川の樋(とゆ)橋」、別名「ジャージャー橋」があります。 名前の由来は見てのとおりで、橋につけられた「樋」から流れ落ちる水の音から。

そうそう、小野川の「忠敬橋」の欄干は、伊能忠敬愛用の「測量道具:象限儀(しょうげんぎ)」。 流石にここまで徹底されるとむしろ楽しく、他にもないかと探してみたくなります。

場所は変わりますが、佐原公園には、忠敬翁没後100年を記念し今から100年前に建立された銅像があります。夕暮れ間近に訪ねたこの銅像が、旧佐原も含めて、香取市での最後の立ち寄り地になりましたが、それは別の話。佐原の町歩き、まだまだ続きます。

訪問日:2014年5月18日&2019年3月15日

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水郷の町・佐原~其の一 in 千葉県香取市

2019年11月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

利根川水運の中継基地として栄えた佐原には、今も江戸情緒あふれる古い町並みが残っています。 緑の影を落とす柳が小野川の川風に吹かれる様は、まさに「北総の小江戸」、そして「水郷の町」です。

そもそも「国重要伝統的建造物群保存地区」と聞いただけで、訪問先に決定してしまう私。 まれにもの凄く「外れ😩!」な地区もありますが 、大抵は来て良かったと思える場所です。 今回も多分にもれず「来てよかった素晴らしい町」をじっくりと散策し、堪能しました。 何しろ2014年と2019年、二度に渡って町歩きを決めた位ですから、惚れ込みも格別なのです。

町並みは、佐原が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた木造町家建築。 明治の大火の後に建てられた重厚な蔵造りの店舗建築、洋風建築などから構成されています。

行ったり来たりを楽しんだ佐原の町並み、あまりにもウロウロし過ぎて、どの建物が何のお店だったのか、殆ど覚えていません。それでも僅かな記憶と、香取市のHPを参考にお気に入りの建物をピックアップしてみました。

駐車場に車を入れて最初に遭遇するのが、大正3年(1914)に建てられた「旧三菱銀行佐原支店」。イギリスから輸入した煉瓦造二階建ての洋館で、県内でも有数の洋風建築として知られます。

さぁ、次は「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と唄われた商家町へと歩を進めます。 土蔵造りの佇まいに、不思議なほどマッチした「癒し雑貨つきのうさぎ らぱん」の「うさぎ」。法被姿で旗指物を持っているのは「忠敬うさぎ」。そしてサングラスが何故か似合う白ウサギ😅

「中村屋乾物店」、明治25年(1892)に佐原を襲った大火直後に建築されたもの。その為か、建物は当時最高の技術を駆使した防火構造で、壁の厚さは約45cmもあるそうです。 先の「らぱん」とよく似た店構えですが、こちらの建物は県指定有形文化財となっています。

小野川にかかる「忠敬橋」をそのまま進むと、右手に黒土蔵造りの「十三里屋(旧正文堂書店)」。明治13年(1880)の建築で、二階窓の土塗の開き戸と、登り龍、下り龍を配した看板が特徴です。

お店の前を通ったら懐かしい甘い匂い・・「十三里屋」はお芋屋さん😊。暖簾には、山積みの「十三里芋」をのせて水郷をいく船・・この太鼓暖簾のデザイン、とても洒落てます。

ちなみに、2014年に佐原を訪問した時の「正文堂書店」の画像。これから見ると、まるで別物。

天明2年(1782)創業の「蕎麦処:小堀屋本店」。現在の建物は、明治25年(1892)の建築。 表のガラス戸は、明治35年(1902)に旧佐原市で初めて使われたと言う事・・アップで写しておくんだった😣

こちらは文化元年(1804)創業、佐原で八代目の老舗「福新呉服店」。建物は明治28年(1895)築です。 佐原の商家の典型的なつくりのこのお店で、ご亭主殿は素敵な藍染めのTシャツを購入しました。

「福新呉服店」の店内には古い節句人形が飾られており、自由に見学させていただけます。 これは五月端午の節句に飾られた「加藤清正の虎退治」。男の子は強く逞しくあるようにとの願いがこめられています。

柳に飛びつこうと頑張る蛙の姿に、努力する事を悟ったという「小野道風青柳硯」の一場面。 珍しい人形ですが、実は外にも「弁慶の引き摺り鐘」など、変わった人形が幾つもありました。

もう一つ、おそらく結納か何かで一緒に飾られたと思われる「高砂」、共に白髪の・・・ですね。

そこから引き換えして、香取街道と小野川沿いの道が交差する角に建てられた「中村屋商店」。 明治7年頃より、代々荒物・雑貨・畳を商ってきたそうで、店舗は安政2年(1855)の建築。

まだまだ続く佐原の町歩き、明日は「小野川」沿いに残された美しい町並みを紹介します。

訪問日:2014年5月18日&2019年3月15日

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ご当地マンホール in 千葉県旧佐原市(香取市)

2019年11月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧佐原市(さわらし)は千葉県北東部、成田国際空港から15km圏に位置した市です。香取郡:神崎町、大栄町、栗源町、小見川町に、また県を跨いで茨城県:潮来市、稲敷市 、神栖市に隣接。古くから水郷の町として栄え、市街地の小野川沿いには小江戸と称される当時の町並みが残されており、観光名所としても知られています、また『伊能忠敬』の養子婿先の地である事から、地図の町としても有名。 古代から「香取神宮」が鎮座していたことでも知られ、祭礼に使う「浅原(さわら)」を造っていた事が地名の由来とも云われます。「市の木:ポプラ」「市の花:アヤメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、香取郡佐原町・香取村・東大戸村・本新島村・相根村・瑞穂村・新島村・津宮村・大倉村が発足。

1890年、香取郡相根村が香西村に改称。

1897年、香取村が町制を施行、香取郡香取町となる。

1899年、東大戸村と本新島村(野間谷原、飯島、川尻、大戸新田地区と石納、飯島の各一部)と合併、改めて東大戸村が発足。

1951年、香取郡佐原町・香取町・東大戸村・香西村が合併、佐原市が発足。

1955年、香取郡瑞穂村・新島村・津宮村・大倉村が佐原市に編入。

2006年、香取郡小見川町、山田町、栗源町と合併、香取市となりました。

マンホールに描かれているのは「水郷佐原の原風景」と「市の花・アヤメ」。(二種類のカラーマンホールは「佐原浄化センター」に展示)

昭和26年(1951)10月15日制定の市章は「「サワラ」の「サ」の字を産業の「サ」に通じさせ、利根のさざなみと釣の水郷をあしらい、水と魚の和をもって将来の繁栄と観光佐原を表現したものである。」合併協議会資料より 

上水道関連は「仕切弁・制水弁・空気弁・消火栓」。

「道の駅:水の郷さわら」の、農産物PRキャラクターとして誕生した『ふつぬしさま』。 香取神宮の祭神「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」をモチーフにしたキャラだそうです。ちなみに キャラクターの作成に関しては、香取神宮の神官から認定してもらったそうです。

同じく、水の郷さわらのPRキャラクターで「さつまいも」をイメージした、『カトリーヌ・いもこ』。「いもこ」は理解できますが、何故「カトリーヌ」なのか・・・・もしや!!フランス系の芋!!んな訳はなく😓、かとりでカトリーヌ、ええ、勿論わかってます!
ちなみに「道の駅かとり」のスタンプは、香取の特産品「さつまいも」で出来ています😊

撮影日:2014年5月18日&2019年3月15日

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2014年5月の千葉県への車泊旅では「道の駅・水の郷さわら」にて車中泊をさせていただきました。お土産やら夕食用のあれこれやらと買いすぎてしまい、食べきるのが大変でした😅

翌朝、利根川の川岸で愛らしい姿を見せてくれた白鳥の親子、手を出すと近寄ってきてくれた可愛い雛たち・・今も懐かしく思い出されます。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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ご当地マンホールと・かくれ卵塔 in 千葉県旧栗源町(香取市)

2019年11月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧香取郡栗源町(くりもとまち)は千葉県北東部に位置した町です。佐原市、香取郡大栄町、小見川町、山田町、多古町に隣接。成田空港から車で20分ほどのところに位置する人口5千人程の小さな町ですが、大正14年に設立された「栗山電灯株式会社」によって、他地域に先駆けて 大正15年4月には大部分の家に電灯が取り行けられました。特産品として、サツマイモの品種である「ベニコマチ」が有名で、毎年開催される栗源ふるさとまつりでは日本一の焼き芋広場が大好評です。「町の木:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により香取郡栗源村が発足。

大正13年(1924)、栗源村が町制を施行、香取郡栗源町となる。

2006年、佐原市、香取郡小見川町、山田町と合併、香取市となりました。

独自のマンホールはありませんが、唯一、町章のついた消火栓を見つけました。

 昭和47年1月1日制定の町章は「本町の地形を図形化し、町勢の発展と輝かしい未来に向かって羽ばたく姿を表している。」合併協議会資料より

くりもと紅小町の郷PRキャラクター『くりちゃん』。ベニコマチと栗をイメージして、町制施行70周年記念事業の一環として誕生しました。

ご当地マンホールと呼ぶにはあまりにも中身の無い栗源町。と言っても無い物は無い。「道の駅くりもと」付近をぶらついていたら「かくれ卵塔(らんとう)」の案内を発見。
僧侶の墓塔「無縫塔(むほうとう)」を、「卵塔」と呼ぶ事も有ると言いますが、それかな? 史跡と言うからには「歴史・学術上価値の高いもの」の筈、では一体誰のものだろうか?

興味半分で来てみましたが、古い石碑が並べられているだけ・・まぁ史跡だし・・・・って、意味不明ですね😅
中央に一つ、細い石を幾つも針金で束ねて、卵のようにしたしたものが有りますが、あれのことか? 傍らのやたら長い説明を読むと、確かに「史跡・かくれ卵塔」で間違いないようです。

要約すると【日蓮宗の宗派のひとつ「不受不施派」のお坊さん『日講』は、幕政批判を展開した罪で流罪になってしまいます。しかし『日講』はその地で「一萬部読経」なる行を成就。その記念に日講の弟子たちの手によって石塔群が建てられました。だがその石塔群は当時の為政者の知る事となり、石塔は打ち砕かれ土中に埋めらました。明治になり、信徒らによって掘り出され組み合わされたのが、今に見る「かくれ卵塔」です。】

撮影日:2014年5月17日

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「不受不施(ふじゅふせ)」、法華経を信仰しない者から施しを受けない、施しをしない。

「一萬部読経」、法華経の題目を一萬遍唱える唱題修行。

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ご当地マンホール in 千葉県旧山田町(香取市)

2019年11月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧香取郡山田町(やまだまち)は千葉県の北東部に位置した町です。匝瑳市・旭市・香取郡小見川町・栗源町・多古町・東庄町に隣接。町域は利根川下流域の水田地帯と下総台地の林地畑作地帯が広がる田園風景の中にあって、丘陵地の間に樹枝状に入り組んだ谷津田が特徴。田畑、山林に恵まれた純農村地帯で有る事から山田町と命名されました。「町の木:モクセイ」「町の花:山百合」を制定。

旧キャッチフレーズは「ありのままの自然とおいしい空気のあるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、香取郡府馬(ふま)村・八都(やつ)村、山倉村が発足。

1925年、府馬村が町制を施行、香取郡府馬町となる。

1954年、香取郡府馬町、八都村、山倉村が合併、香取郡山田町が発足。

2006年、佐原市、香取郡栗源町、小見川町と合併、香取市となりました。

集排マンホールには、中央に「町の花:山百合」周囲に「町の木:モクセイ」が描かれています。(佐原浄化センターに展示)

昭和37年6月1日制定の町章は「山の形、田の字を図案化し、円型にまとめ、融和と団結を象徴する。」合併協議会資料より 

上水道関連の蓋には町章付きはありませんが、自治体名が書かれた「空気弁」。

他は小見川町でも見た「○の中に「小」の文字」がある「制水弁 空気弁 消火栓」。

山田町で7月後半に開催される「真夏のサンタ・フェスティバル」。由来は山田の重箱読み(さんた)とサンタを掛けた洒落だそうですが・・くれぐれも熱中症にはご注意を😅

撮影日:2019年3月13日

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