車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 大阪府熊取町

2023年02月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・大阪府

大阪府泉南郡熊取町(くまとりちょう)は大阪府の南部、泉南地域に位置し関西国際空港のある泉佐野市の東隣に位置しています。地名の由来は諸説あるようですが、個人的には『神功皇后』「羽白熊鷲(はじろくまわし)」を討ち取った場所から名付けられた伝説に一票(笑)。国勢調査による人口は、大阪府内の市町村で34番目、町村では最大の人口を誇ります。「町の花:ヒマワリ」「町の木:梅」「町の鳥:メジロ」を制定。

キャッチフレーズは「みんなが主役”やすらぎと健康文化の町”」

明治22年(1889)、町村制の施行により、日根郡熊取村が発足。

1896年、郡の統廃合により日根郡が泉南郡となる。

1951年、熊取村が町制を施行、泉南郡熊取町となる。

マンホールには、町のキャラクター「ジャンプ君」と「町の花:ヒマワリ」がデザインされています。(熊取駅付近・遊歩道に設置)

熊取町下水道課展示マンホール

池田市マンホールサミット展示蓋

雨水マンホール。ジャンプ君とヒマワリの花の取り合わせですが、ジャンプ君のポーズが変わりました。

鴻池水未来センター展示蓋(汚水)

昭和26年11月3日制定の町章は「「マ」の形をあしらった花びらが9で「クマ=熊」を「リ」の形のおしべが10で「トリ=取」を表現しています。そして全体のデザインは町の花であるひまわりをモチーフとし、パワフルに飛躍する熊取の姿を象徴させています。」公式HPより

熊取町のマスコット・キャラクター『ジャンプ君』。熊取にちなんで“熊”をモチーフとしてデザインしています。 元気で明るいジャンプ君が、文字どおり未来に向かって大きく“ジャンプ”する姿を表しています。

町の鳥「メジロ」をモチーフにしたマスコットキャラクターの『メジーナちゃん』。町の花「ひまわり」の帽子と、町の木「梅」の花のポシェットがトレードマークの元気な女の子です。

泉州地方ではほとんどの地域で「だんじり祭り」が開催されます。熊取町では、毎年体育の日の前々日、前日に当たる、土曜日、日曜日の2日間に行われ、町内11地区のだんじりが熊取町内で曳行されます。1日目の午後に大森神社への「宮入」が行なわれ、2日目には氏子地区が中心となって熊取駅前をパレードするとか。一度くらいは無理してでも見たいと思うのですが、なんせ二人とも人混みは苦手だし・・・。

撮影日:2009年6月13日&2015年10月8日&2018年12月18日

 

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大阪府熊取町のマンホールカード

2023年02月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・大阪府

2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。

「熊取町」のマンホールカードは、「駅下にぎわい館」でいただけます。

1997年に設置開始されたマンホールには「ジャンプ君」と「町の花:ひまわり」がデザインされています。

「昭和63年度からの公共下水道事業着手より、デザインマンホール蓋に熊取町のマスコットキャラクター「ジャンプ君」とシンボルフラワー「ひまわり」を採用しています。 夏の強い太陽にも負けず雄々しく育つ「ひまわり」の中から飛び出す「ジャンプ君」により、熊取町の明日に躍進する姿を表しています。 元気で明るい「ジャンプ君」のマンホール蓋をみなさんでぜひ探してみて下さい。 また、マンホール蓋にはデザインされていませんが、シンボルバードのメジロの「メジーナちゃん」とともに、”ふたりでクマ♡トリ”としたマスコットキャラクターが活躍しています。」

座標軸マンホール

配布先で頂いたパンフレット

訪問日:2018年12月17日

 

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春日神社(田尻えびす) in 大阪府田尻町吉見

2023年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

田尻町吉見に鎮座される「春日神社」。御祭神は『武甕槌命・経津主命・天兒屋根命(あめのこやねのみこと)・比女神』

由緒「宝亀年間(770年~781年),『吉見小佐治』の来住して、この地を開発して一村をなしたる時、その祖・春日大明神を勧請せしものなりという」田尻町HPより

一の鳥居前より神域を守護されるのは、がっちりと太ましい四肢で踏ん張る、丹後に近い浪花系の狛犬さん一対。阿形さんが・・・笑ってはる。

参道突き当りに鎮座される「境内社:若宮神社」、御祭神は天児屋根尊の御子神である『天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)』

境内に建立されていた「日露戦争出征者の碑」

二代目となる石の御神馬像。初代御神馬は太平洋戦争中に「供出」ではなく、持ち去られたとありましたが、そのあたりの事情は不明。

境外に建立されていた「吉見地区:櫓」新築の記念碑。御例祭は10月9日・10日で、10日には櫓宮入式が挙行されます。

碑の近くに掲示されていた新築櫓の写真。何とも晴れがましく美しい姿。

境内の周囲に掲げられた沢山の御神燈。明日からの二日間、この境内は祭りの熱気に包まれた氏子の方たちで賑わいます。

参拝日:2015年10月8日

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御神名一口メモ

天兒屋根命(あめのこやねのみこと)』、岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となった。

 

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田尻歴史館・愛らんどハウス in 大阪府田尻町吉見

2023年02月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

大阪府田尻町吉見に残る歴史的建造物「田尻歴史館」、愛称は「愛らんどハウス」。1996年に国の登録有形文化財に登録され、2005年には大阪府の有形文化財に指定。また2007年には近代化産業遺産として認定。洋館の二階部分と、隣接した2階建の和館は一般展示されており、内部の見学が可能。歴史的建造物のファンならずとも一度は訊ねてみたい場所です。

明治・大正期の実業家で、関西の紡績業界の中心人物であり「綿の王」と呼ばれた実業家『谷口房蔵氏(万延2年(1861)~昭和4年(1929))』。泉南郡田尻村に生まれ、大阪に出て綿布商を創業。以来綿紡績業につくし、大阪合同紡績、和泉紡績社長などを務め、関西紡績業界の重鎮として活躍した人物。

その谷口房蔵氏が生まれ故郷に谷口綿布工場(後に吉見紡織株式会社)を設立。その工場の向かいに彼の別邸を持つ事で派生する「所得税」の納付。それによって田尻町に貢献しようとしたと伝えられています。

この別邸は大正11年(1922)に建てられ、研修・宿泊施設としても用いられてきました。昭和3年(1928)の谷口の没後、民間会社や個人の所有を経て、1993年に田尻町が保有するところとなり、一般公開される事となりました。

敷地内には洋館に並んで日常生活を送るための和館、茶室や土蔵3棟が配されています。洋館部分は煉瓦造2階建て、至るところに使用されているステンドグラス、明るい色のタイル貼りの外壁、ドイツのユーゲントシュティールの影響を窺わせるこのスタイルは、大正期の西洋館の特徴をよく表しています。

また、インテリアの草花をモチーフとしたステンドグラスはアメリカ流の乳濁したガラスが特徴で、欄間や食器棚にまで多用されており、特に2階踊り場部分に施されたステンドグラスは神秘的ともいえる美しさ。

二階へと通じる階段の幾何学的な造形美

設備として印象的だったのは、洗面台に設けられた二つのカラン。この当時、個人の別宅で普通にカランをひねるとお湯が使えるというのは、相当に贅沢な設備だったと思われます。

和館部分は木造2階建て、一見普通の造りに見えますがこれがまた中々どうして(^^;)。

ガラス越しの日差しを受けて、穏やかに枝を広げる綿の実の投げ入れ。左右の障子戸はどんなに贅を凝らしたカーテンよりも慎ましく雅に見えます。

大胆な構図の欄間彫刻。明り取りの障子戸から差し込む光の優雅さ。

和室の縁から直接行ける茶室

綺麗で素晴らしいものを見ると、心がとっても贅沢な気分になれます。今日は少しだけお金持ちの気分を味わえました(笑)

洋館と向かい合うように造作された日本庭園。振り向いた門の向こうに赤い煉瓦の美しい建物が見えます。

一見あるがままに見えて、計算され尽くした木々や庭石の配置。深呼吸をするにはもってこいの空間ですね。

敷地内の一画にあった十三重塔。特にこれに関しての記載は見当たりませんでした。

訪問日:2015年10月8日

 

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ご当地マンホール in 大阪府田尻町

2023年02月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・大阪府

大阪府泉南郡田尻町(たじりちょう)は大阪府泉南地域にあり、大阪湾に面した町です。沖合に浮かぶ関西国際空港中央部を擁しており、町面積の3分の2を占める空港からの税収が町財政を支え、地方交付税不交付団体の自治体として知られています。「町の花:コスモス」「市の木:松」「町の鳥:スズメ」「町の魚:ガッチョ」「町の昆虫:蝶々」を制定。

また明治10年代から、岸和田市・田尻町でタマネギ栽培が研究・奨励されるようになり、田尻町は日本で最も早い時期からタマネギ栽培がはじまった地域の一つとして知られます。

大正2年、『今井佐治平、大門久三郎、道浦吉平』の三氏を「泉州玉葱栽培の祖」とし、玉ねぎ栽培の功績を讃えるため建てられた全国でも珍しい「玉ねぎの碑」

キャッチフレーズは「ひとが輝き、安心、温もり、魅力あるまち・たじり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、日根郡田尻村が発足。

1896年、日根郡が泉南郡となる。

1953年、田尻村が町制を施行、泉南郡田尻町となる。

マンホールには、明治10年代から栽培が始まった町の特産品「泉州タマネギ」をモチーフにしたキャラクター「玉水ちゃん(たまみちゃん)」が描かれています。

鴻池水未来センター展示マンホール

雨水マンホール

明治22年(1889)制定の町章は、町製施行に際し村章を引き継いだもので「田尻町の中央部を流れる田尻川をはさみ、吉見、嘉祥寺の田園が整然と並んでいる姿を象徴しています。」公式HPより

田尻町マスコットキャラクター『たじりっち』。たじり盛り上げ隊:隊長として世界へ飛び出し、田尻町のいいトコロをいっぱいPRしたい!と日夜頑張っています。

撮影日:2009年6月13日&2015年10月8日

 

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大阪府田尻町のマンホールカード

2023年02月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・大阪府

2020年6月15日、第12弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。

「田尻町」のマンホールカードは、平日「田尻町役場 別館」、土日「田尻町立公民館」でいただけます。

2020年に設置開始されたマンホールには「たじりっち」と「大阪湾」がデザインされています。

裏面には上記マンホールと、「田尻町全景」と「田尻スカイブリッジ」の写真とデザインの由来が書かれています。

「田尻130年を記念して2019(令和元)年に制作したデザインマンホール蓋です。 中央に泉州玉ねぎの栽培の発祥地とされる本町のマスコットキャラクター「たじりっち」。 「たじりっち」が明るく元気に飛び出してくるイメージを表現しています。 背景は、「たじりっち」の大好きなマーブルビーチから見る大阪湾で、田尻漁港マリーナを出発したヨットとランドマークの田尻スカイブリッジが描かれています。 青い空には、関西国際空港を飛び立つ飛行機と白い雲。 空港島の中央約3分の1は町域です。 田尻町から多くの人の夢と希望を乗せて、飛行機は世界各地へと旅立ちます。」

「たじりっち」シール

 

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泉佐野市内巡り in 大阪府泉佐野市

2023年02月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

目的地に向かう折々に見かける素敵な景色、と言っても車中から見かけるものは、大概の場合指をくわえて見送るだけなのですが・・(^^;) 

日根神社参拝の折に見かけた立派な塀。そこに大層大きな木の化石が幾つも並べられています。最初は庭石を並べてるのかと思ったのですが、近寄ってそれが全部化石だとわかって、何というか・・とりあえず凄いです(((((^_^;)

泉佐野市本町にある「旧新川家(にいがわけ)住宅」。もとは18世紀末から同地で醤油業を営んでいた住宅で、泉佐野市の指定文化財となっています。

入母屋造本瓦葺の町家建築ですが、木割が太く豪壮な農家風の部分もあり、邸内には江戸・明治期の商いや生活の様子を伝える展示がされ、町屋の暮しぶりを間近に見ることができます。

このお宅は、きっとタバコを販売していたお宅でしょうね。壁の中央部の丸いふくらみがショーウインドウ。ほら上に「TABACCO」の文字が。

泉佐野市上之郷にある小さな児童公園の一画に残る「茅渟宮(ちぬのみや)址」。茅渟宮とは上之郷にあった古代の宮・・・。それと思って探さなければ見つからない程ささやかで、実際に車に乗ったままだった私たちは、二度も行き過ぎてしまいました。

それは5世紀中頃の話、『允恭天皇』は皇后の妹姫である『衣通姫(そとおりひめ)』を愛していましたが、皇后の嫉妬を避ける為、天皇は姫を都から茅渟宮に移しました。遊猟と言っては姫のもとへ通う天皇でしたが、皇后の怒りからそれもできなくなった時、衣通姫は【とこしへに 君もあへやも  いさな取り  海の浜藻の  寄る時々を(海の浜藻が波のままに岸辺へ近寄り漂うように、まれにしかお会いしておりません)】と詠いました。

宮の跡には、この歌を万葉漢字で記した石碑が建つのみ。古代のこの場所がどんなだったかわかりませんが、決して華やかな地ではなかったでしょう。皇后の怒りにふれて、好きな女を1人寂しくほうっておくなんて・・・男らしくない。それ以前に、妻の妹に手を出した時点で両方を納得させられない天皇って、情けない(笑)(その当時、妻の身内を愛人にするのはごく普通)

市内を走っているとき偶然目に付いたこのお宅、とても立派な鏝絵が施されています。本当は車から降りて、もう少し大きく鏝絵を写したかったのですが、よそ様のお宅なので・・・・。

泉佐野市南中樫井町、ここに慶長20年(1615)に発生した大坂夏の陣「樫井古戦場跡」の碑があります。

大坂冬の陣で堀をすべて埋められてしまった豊臣家が、江戸幕府に対して決行した最後の抵抗。樫井の戦いは、それを鎮圧する為に行われた大阪夏の陣の一つで、樫井の合戦で幕が開きました。結局この戦いによって、豊臣家(羽柴家)は滅ぼされ、徳川による「江戸幕府」が開闢(かいびゃく)しました。

樫井古戦場跡がある場所は明治大橋の北詰に位置します。「明治大橋」と刻まれたこの石柱、おそらく先代のものでしょう

訪問日:2015年10月8日

 

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春日神社 in 大阪府泉佐野市春日町

2023年02月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

大阪府泉佐野市春日町に鎮座される「春日神社」。御祭神は『健甕槌神(たけみかづちのかみ)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、天押雲根命(あめのおしくものみこと)、齋主命(経津主神(ふつぬしのかみ)、姫大御神 』

「光仁天皇の宝亀年中、『坂上刈田丸』が奈良の春日神を勧請したのが起源とされ、『豊臣秀吉』の根来攻めで一旦消失しましたが、その後再建され、佐野の総社とされました。明治5年に村社となり、明治41年~42年の神社合祀の際には、佐野町域にあった大小29の神社がここに合祀されました。」由緒より

鳥居の内より神域を守護されるのは、『石工・行兵衛』天保10年(1840)建立の狛犬さん一対。阪神大震災の影響なのか、阿形さんのお顔が・・・・。

拝殿の屋根、留め蓋の獅子たちは元気一杯。頑張りすぎて疲れた風情の阿形さんが今回のツボ(笑)

境内社「赤手拭稲荷神社」。御祭神は『大山祇命、倉稲魂命』。朱の鳥居の前より神域を守護されるのは、嘉永2年(1849)建立の狛犬さん一対。アップの画像がないのが解せない・・・

祈願絵馬は御神紋「三つ藤巴」『黒田官兵衛』の家紋に使われていた事から「黒田藤」とも呼ばれます・・これはご亭主殿の受け売り(笑)

御神木

駐車場の植え込みに隠れるように置かれていた先代さん。どちらも相方の阿形さんを失って、いまにも泣き出しそうな顔が切ない・・・。

御朱印を頂く予定だったのですが、時間的に遅かったのか境内にも社務所にも人の気配がありません。探し回って時間ばかりを無駄にし、結果、境内をゆっくり見る事も無く慌ただしい参拝で終わりました。

参拝日:2015年10月8日

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御神名一口メモ

『天押雲根命(あめのおしくものみこと)』、天児屋根命と比売神との御子神。高天原より天津水(天忍石長井水)を持ち還り、皇孫に奉った神。

『齋主命(いつきぬしのかみ)=(経津主神)』香取神宮の御祭神。国譲りの際、『建御雷神』と共に出雲国に天降った神。

 

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願成就寺:慈眼院(じげんいん) in 大阪府泉佐野市日根野

2023年02月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

大阪府泉佐野市日根野にある真言宗御室派の寺院「大悲山 願成就寺 慈眼院(じげんいん)」『薬師如来』を本尊とします。

 

「天武天皇2年(673)、天皇の勅願寺として、また日根神社の神宮寺として「井堰山:願成就寺無辺光院」の名で『覚豪阿闍梨』により開創。奈良時代の天平年間(729~ 749)に『聖武天皇』の勅願寺となり、弘仁6年(815)、『空海(弘法大師)』によって金堂、多宝塔をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。南北朝の正平8年(1353)に戦火を受けて焼失。その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興。天正13年(1585)、羽柴秀吉の紀州征伐の兵火を受け、金堂、多宝塔を除いた全山が焼失。慶長7年(1602)、豊臣秀頼によって伽藍の再興が始められ、堂宇が建立された。明治時代の神仏分離により、無辺光院及び諸塔頭は廃絶。慈眼院のみが残された」

 文永8年(1271)建立の国宝「多宝塔」、高さ約10m。国宝・重文指定で屋外にある木造多宝塔の中では日本最小。「石山寺多宝塔」・「金剛三昧院多宝塔」と共に日本三名塔の一つ。初層内部には大日如来坐像(府指定有形文化財)が安置されます。

方3間、単層、寄棟造、本瓦葺の金堂は毘沙門堂、または一願薬師堂とも呼ばれ、重要文化財の指定。内陣に「杮(こけら)経(笹塔婆)」が保管されています。

金堂貫の彫刻。一般的には獅子や像、獏が良く知られているのですが・・

一見すると「像」に見えますが、耳も鼻も牙も・・・そのすべてが菊花によって構成されているのです。花びらの繊細さが見事に生かされた貫彫刻。いやぁ~、良い物を見せて頂きました(⌒∇⌒)

振り向いた龍に何か話しかける風情の人物。初めて目にした構図なので、何からとられた題材か不明。

最後は屋根の上から邪気を払う鬼瓦二種。特別変わった顔ではありませんが、それでも中々の迫力で境内を見下ろしています。

「日根神社」四の鳥居近くに「慈眼院の姥桜」と刻まれた碑。傍らの説明によれば「この桜は彼岸桜の一種で推定400年の老樹」とあり、大阪府の天然記念物に指定されています。

参拝日:2015年10月8日

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一口メモ

「杮(こけら)経」、杉、桧、槙などの木材を幅1㎝、長さ30㎝くらいの大きさに薄くけずり、その表裏に経文などを書写したもの。平安時代末期から江戸時代に多く作られた。頭部が山型に削られていることが多く、「笹塔婆(ささとうば)」ともよばれる。

 

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日根神社:摂社 in 大阪府泉佐野市日根野

2023年02月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

日根神社には、多くの神社が摂社、末社として合祀されています。これは明治政府の「神社合祀令」によるもので、日根野村の集落毎にあった神社は「日根神社」とは別に、神職を持たず「宮座」が神社の行事を行っています。

旧日根野村字溝口に鎮座されていた、式内社「比賣(ひめ)神社」。日根神社創建の起源となった『日の神:天照大御神』『根の神:素戔嗚尊』が祀られます。

「古くは『溝口大明神』とも称され、清和天皇の貞観元年(859)に官社に列格。日根神社に遷された頃は本殿と向かい合うように建ち『下の御前』と呼ばれていた。」

「この本殿の創建年代は明らかでないが延喜式内社の日根郡十座のうちに列し、溝口大明神といわれる。一間社春日造で装飾部には桃山時代より江戸末に渉る様式もあるが、身舎には割材が多く使用されていて各部の面も大きく頭貫に木鼻のない点水平の繋虹梁を使用しているなど、また内陣境の扉の引分装置など変った手法が見られる。建立は室町時初期を下るものでないと推察される。」現地説明版より

鳥居の内より神域を守護されるのは、思慮深そうな顔立ちの浪花タイプの狛犬さん一対。こうして並べると、阿形さんの話を熱心に聞いている吽形さん。聞いてもらえるのがうれしくて話が終わらない阿形さんと言った感じ(笑)

旧日根野村井川(ゆかわ)沿いに鎮座されていた「丹生神社(野々宮)」。御祭神は『丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、丹生高野御子大神(にうつたかのみこのおおかみ)=(狩場明神)』

「天平30年、和歌山県かつらぎ町上天野にある元官幣大社「丹生都毘売神社(天野大社)」よりの勧請」。

鳥居の前より神域を守護されるのは、文久年間建立の浪花タイプの狛犬さん一対。考え深そうな吽形さんと、対照的な阿形さんのおおらかな笑顔。お似合いの一対。

旧日根野村字野口に鎮座されていた「野口恵比須神社」。御祭神は『事代主尊』。由緒は不詳ですが「天保11年遷宮、以降恵毘須宮を改称、明治41年現在地に丹生神社へ三神合祀される。」とあります。

鳥居前より神域を守護されるのは、浪花タイプの狛犬さん一対。含み笑いをしているような吽形さんの口元がとてもニヒルで(笑)。対する阿形さんは典型的な大阪のおっちゃんタイプ。笑い方も「ガハハッ!」と豪快(笑)

旧俵屋村に鎮座されていた「岡前神社」。御祭神は『須佐之男命』

鳥居の内より神域を守護されるのは、上半身がっちり鍛えてます系の浪速タイプの狛犬さん一対。立派な角を持つ吽形さん、歯医者さんお墨付きの立派な歯をむき出して「い~~~~っ」。思わず顔が後ろに引いてしまった阿形さん(^^;) 中々の迷コンビ。

旧日根野村字辻花に鎮座されていた「赤之宮」。御祭神は『丹生都比売命』。前面に鉄柵が立てられていた為、狛犬さんの画像は諦めました(^^;)

参拝日:2015年10月8日

明日は境内に隣接する元神宮寺「慈眼院」の紹介です。

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御祭神一口メモ

『丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)』。別名「稚日女尊(わかひるめのみこと)」。『天照大御神』の妹神。機殿 ( はたどの ) で神服を織る。

『丹生高野御子大神(にうつたかのみこのおおかみ)』。別名「狩場明神」。丹生都比売大神」の子。狩人に化身して弘法大師の前に現れ、高野山へと導いた神。

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