車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧御津町(たつの市)

2023年10月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧揖保郡御津町(みつちょう)は兵庫県の南西部に位置した町です。姫路市、相生市、龍野市、揖保川町に隣接。播磨灘に面する室津地区は、奈良時代の僧侶、行基が開いたとされる「摂播五泊の港町」として約1300年の歴史を持ち、江戸時代には栄華を極めた宿場町として栄えてきました。町域の東は瀬戸内海国立公園に属し、関西随一の遠浅海岸である新舞子浜が広がり、その西には「ひと目2万本」といわれる綾部山梅林は、海の見える梅林として知られ、眼下に小豆島、淡路島が広がり、遠く四国までを一望する事ができます。「町の木:山桃」「町の花:梅」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖東郡御津村・室津村が発足。

1896年、郡制の施行のため、揖東郡、揖西郡の区域をもって揖保郡となる。

1947年、御津村が町制を施行し、揖保郡御津町となる。

1951年、室津村と合併、改めて揖保郡御津町が発足。

2005年、龍野市・揖保郡揖保川町・新宮町と合併し、たつの市御津町となりました。

マンホールには、図案化した町章と「町の木:山桃」「町の花:梅」、「瀬戸内海の波」が描かれています。

1991年4月1日制定の町章は、「 「ツ」を図案化したものを、三つ組み合わ せ、ミツ を現している。 (中央の「Y」は、上へ向かって広がりを示 し、将来への飛躍を現す。)」合併協議会資料より(町章は1991年より以前から使用されていたようです。)

 

撮影日:2005年5月8日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧揖保川町(たつの市)

2023年10月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧揖保郡揖保川町(いぼがわちょう)は兵庫県南西部、西播磨地区に位置した町です。相生市、龍野市、御津町に隣接。町域の東端を揖保川が流れ、川沿いにはいくつもの醤油会社が軒を連ねています。町名は、清流:揖保川に由来。国道2号と山陽自動車道、JR山陽本線が横断し、交通アクセスの結節利便性により播磨工業地帯のベッドタウンとして、宅地開発が進められました。「町の木:キンモクセイ」「町の花:サルビア」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖西郡半田村・神部村・河内村が発足。

1896年、郡制の施行のため、揖東郡、揖西郡の区域をもって揖保郡となる。

1951年、半田村・神部村・河内村が合併、揖保郡揖保川町が発足。

2005年、龍野市・揖保郡新宮町・御津町と合併、たつの市揖保川町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の木:キンモクセイ」と「町の花:サルビア」が描かれています。

昭和41年7月4日制定の町章は「揖保川の「イボ川」の三字を組み合わせて 図案化したもの。 (「ボ」の両翼を飛鳥の羽にかたどり町勢の 飛躍発展の姿を象徴し、円は円満を現 す。) 」合併協議会資料より

撮影日:2008年5月2日&2010年5月8日

 

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龍野城と城下散策 in 兵庫県たつの市

2023年10月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

たつの市龍野町上霞城(かみかじょう)、江戸時代、脇坂藩5万3000石の城下町として栄えた龍野城下。寛文12年(1672)『脇坂安政(わきざか やすまさ)』によって「鶏籠山(けいろうざん)」の山麓に陣屋形式の城郭:龍野城が再建。脇坂家による治世は脇坂十代、明治四年の廃城年まで続きました。

昭和54年に本丸御殿をはじめ、白亜の城壁などが復元。本丸隅櫓(すみやぐら)の奥には、鶏籠山山頂の龍野古城への登山道もあり、城址ファンには人気のスポットとなっています。

再建された「本丸御殿」。江戸時代も中期になってからの築城であった為、いわゆる天守のあるお城ではなく、大唐破風造りの玄関に、入母屋造平屋建の御殿造り。どちらかと言えば陣屋に近い形式の築城です。

当時を偲ぶ資料や現在残る数点の古図に基づき再建された旨、案内に記されています。

砂紋(さもん)が美しい「枯山水(かれさんすい)」の中庭 。庭園ガイドによれば「枯山水」とは、水を使わずに山水の趣を表した庭園のことで、配置された岩、白砂の表面に描き出された「砂紋」にも、それぞれに意味があるそうです

格天井や欄間などに細工が施された「龍野城本丸御殿上段の間」

本丸御殿の襖絵「龍煌々志」は、たつの市出身の画家 『出口龍憲氏』より昭和59年に寄贈されたものだそうです。背景が素晴らしいと一緒に収まる人物までカッコよく見えるから不思議(爆笑)

【 朧銀の 水のめぐりて 初ざくら 】加藤 三七子

復元された埋(うずみ)門

霞城館前に移築された市指定史跡「家老門」「龍野町上霞城(かみかじょう)に所在するこの門は、龍野藩の家老屋敷の門と伝えられ、高さ約4.9m、屋根幅約5.4m、支柱と控柱の4本からなっている。支柱の上に渡された幅広の冠木(かぶき)は縦に置き、重みのある門の姿を強調しており、当時の面影を残している。たつの市HPより

「霞城館」矢野勘治氏が晩年を過ごした自宅を利用して作られたもので、龍野が生んだ現代の文化人『矢野 勘治・三木 操・内海 信之・三木 清』ら4氏に関する文献や資料が一堂にそろえられています。とは言っても、私が知っているのは「嗚呼玉杯に花うけて」を作詞した『矢野 勘治』と「赤とんぼ」の作詞者『三木 操(三木 露風)』だけ(-_-;)

明治22年に龍野で生まれた三木露風。その生家は現在も残されており、明治の風情が残された屋敷の内部を見学できます。

揖保川の疎水沿いに並ぶ白壁の醤油蔵、石垣、柳・・・。細い路地の両側に立ち並ぶ情緒ある街並みは「播磨の小京都」と呼ばれ、観光客に人気のスポットとして定着しています。

揖保川の疎水に沿って建つ「松龍山:如来寺」は、脇坂家の菩提所として藩主・家中の位牌が安置されています。たまたま参拝の為に立ち寄った境内に見かけた三木露風の筆塚。傍らの「露風筆塚並歌碑由来記」に【 松風の 清きみ山にひびきけり 心澄むらん月明らけく 】の歌。

訪問日:2008年8月14日

 

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龍野醤油資料館 in 兵庫県たつの市龍野町

2023年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

日本人の食生活に欠かすことの出来ない調味料「醤油」。たつの市龍野町は醤油の主たる産地の一つとして知られており、一度は目にし、耳にしたことのある醬油メーカーが軒を並べています。

龍野町大手に建つレンガ造りの「龍野醤油資料館」「昭和7年に建てられた元ヒガシマル醤油本社社屋を利用し、全国初の醤油資料館として昭和54年11月に開館しました。建物は2008年に国登録有形文化財に登録され、木造建築ですが外観はレンガ造り風のルネッサンス様式を呈しています。」公式HPより

資料館は一応「有料」で金額は10円!! 一応形式的に徴収されているとかで、申し訳なさそうに話してくださる係りの方。本当にそれで良いのかと、こちらの方が恐縮(^^;)

館内は「帳場」「圧搾場」「仕込蔵」「麹室」等々、醤油づくりの工程に沿った展示がなされており、どの展示も非常に興味深い内容。

「帳場」。明治時代の醤油蔵の帳場を再現したもので、主に番頭さんが帳面を付けたり支払いをしていたところです。受付の方のご厚意で記念撮影💗

「ボイラー」

「地釜」「井戸地下水」揖保川の水は全国まれにみる鉄分の少ない軟水。龍野地方が全国でも有数の淡口醤油の名醸地となった理由の一つです。

「麦炒り場」。小麦は炒ってから挽きわりやすくして、でんぷんを麹菌が分解しやすいように変化させます。淡口醤油では炒る程度を幾分弱くして、色が淡くなるようにします。

「麹室」。混ぜ合わせた大豆・小麦に種麹を植え付け、この煉瓦室の中で麹菌を育成させます。

「米洗機」、淡口醤油の大きな特徴は米を使うことで、米を蒸して米麹を作り、甘酒にしたものが加えられます。

「樽造場」、樽を作るために使われていたカンナや大槌、焼印など、様々な道具が展示されています。

昭和17年3月5日、淺井醤油と菊一醤油造合資会社の合併により、龍野醤油株式会社設立。昭和24年に現在のヒガシマルブランドに商標を変更。

昭和39年にヒガシマル醤油株式会社に社名が変更。その後もあらゆる商品が開発され、家庭に無くてはならない商品として定着しました。

既に関西では絶大な人気を誇っていたと思われる宝塚歌劇。お醤油の購入で「花組による源氏物語」のチケットが当たる抽選券をプレゼント・・という販促もされていたようです。

「パナマ運河開通記念の博覧会に浅井醤油(名)が醤油を出品して名誉(優秀賞)を受ける」と説明が添えられています。

細部まで忠実に再現された、模型による醤油造りの作業工程

真夏の気温で蒸された体を包み込むような館内の涼しさ・・これで冷房を使っていないという事に驚かされます。受付まで戻ってふっと見えた表の景色。半円の窓と格子の向こうにある太陽の日差しは、まるで別世界です。

資料館から歩いてすぐの場所に、先々代ヒガシマル醤油本社として使用された別館があります。後に、龍野醤油協同組合本館として使用されたそうで、本来なら見学可能だったのですが・・残念ながらこちらの方は休館となっており、門の外から外観を垣間見ただけ。

野田、銚子、坂出、小豆島、等々・・醤油の主たる産地の中の一つに数えられる龍野。通りには醤油蔵が並び、それぞれのメーカーが丹精込めて日々の食卓に欠かせない「醤油」を作り続けています。それにしても流石は醤油の町。まさか「しょうゆ・もろみ」の自動販売機とは、思わず財布を取り出してしまったではないですか(笑)

訪問日:2008年8月14日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧龍野市(たつの市)

2023年10月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧龍野市(たつのし)は兵庫県南西部、西播磨地域に位置した町です。市の中央部を流れる清流揖保川と原生林・鶏籠山など緑豊かな自然にいだかれ、脇坂藩5万3千石の城下町として発展してきました。姫路市、相生市、太子町、揖保川町、新宮町に隣接。町域を流れる揖保川の伏流水に恵まれ【淡口醤油発祥の地】【手延素麺・揖保乃糸】の産地として、また「童謡:赤とんぼの里」として童謡による文化振興の試みが成されています。龍野の由来は「播磨国風土記」に野見宿禰が揖保郡で没した際、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだという故事から「立野」と呼ばれ、それが「龍野」に変化した」・・古の故事に裏打ちされた歴史ある名前であった事が伺えます。「市の木:カシ」「市の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖西郡龍野町・揖保村(いぼむら)・小宅村・布施村・平井村・桑原村、揖東郡神岡村が発足。

1896年、郡制の施行のため、揖東郡、揖西郡の区域をもって揖保郡となる。

1909年、平井村・布施村・桑原村が合併、揖保郡揖西村(いっさいむら)が発足

1948年、揖保郡龍野町と小宅村が合併、改めて龍野町が発足。

1951年、龍野町、揖西村・揖保村・神岡村・誉田村が合併。市制を施行し龍野市が発足。

2005年、揖保郡揖保川町・新宮町・御津町と合併、たつの市となりました。

マンホールには市章を中心に、市のシンボル:赤とんぼ」がデザインされています。

昭和26年4月1日制定の町章は「昔「立野」とよばれていたことから「立」をとり、旧藩主脇坂公の定紋、輪違いを組み合 わせたもの 」合併協議会資料より

中央に大きくトンボが描かれた枡蓋。「龍下協」の文字は、おそらく龍野下水道協会とか何かの略称ではと思われますが、ネット上にヒットしません。

市章等はありませんが、全体に赤とんぼがデザインされたコンクリート製の側溝蓋。

外周に二か所、内側に一か所「タツノ」と刻まれたマンホール、用途は不明です。「うすくち龍野醤油資料館」の敷地内に設置。

「うすくち龍野醤油資料館」

撮影日:2008年8月14日&2019年9月17日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県たつの市

2023年10月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

たつの市は兵庫県の西南部、西播磨地域に位置します。2005年10月1日、龍野市・揖保郡新宮町・揖保川町・御津町が合併して発足しました。宍粟市、相生市、姫路市、佐用町、上郡町、太子町に隣接。市域は南北に長く、北側は山地が広がり、南は瀬戸内海に面し、南北に貫く形で揖保川が流れ、自然環境に恵まれた地域です。市の中心部龍野町には武家屋敷や白壁の土蔵が今も残っており、龍野藩5万3千石の城下町の面影から「播磨の小京都」と呼ばれています。「市の木:梅」「市の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「自然と歴史と先端科学技術が調和し一人ひとりが輝くまち」

マンホールにはたつの市イメージキャラクター『赤とんぼくん・あかねちゃん』がデザインされています。

『赤とんぼくん・あかねちゃん』はたつの市内の揖保川流域、水のきれいなところに住んでいます。二人のお仕事はたつの市内をPRすることです。

2005年10月1日制定の市章は「たつの市の頭文字「T」​を図案化したもの。 光豊かな太陽と、実りの大地、揖保川から湧き立つ清風を、​赤・緑・青の3色で描き、自然に恵まれた市域と未来への飛翔を表現する。」公式HPより。

「西播水」はたつの市揖保川地域・御津地域と相生市に安全でおいしい水を給水する「西播磨水道企業団」の略称。

撮影日:2019年9月17日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「たつの市」のマンホールカードは、「龍野城本丸御殿」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「赤とんぼくん・あかねちゃん」がデザインされています。

「たつの市のマスコットキャラクターである「赤とんぼくん・あかねちゃん」がデザインされたマンホール蓋です。 たつの市は童謡「赤とんぼ」の作詞者である三木露風の生まれ故郷であることから、昭和59年に「童謡の里宣言」を行い童謡の里づくりを進めています。 市内には赤とんぼをモチーフとしたデザインが各所で見受けられ、平成21年にはたつの市のマスコットキャラクターとして「赤とんぼくん」が登場しました。 また、平成27年には赤とんぼくんのガールフレンドとして「あかねちゃん」が新たに加わり、2人はイベント等においてたつの市のPRを行っています。」

訪問日:2018年12月14日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧南光町(佐用町)

2023年10月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧佐用郡南光町(なんこうちょう)は兵庫県南西部の西播磨地区に位置した町です。千種川中流域に沿った南北に細長い町で、宍粟市、上郡町、佐用町、上月町、三日月町に隣接。町名は「船越山南光坊:瑠璃寺」に由来。本州最大級のひまわり畑を誇り、「ひまわりの郷」として知られています。「町の木:杉」「町の花:桔梗」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、佐用郡徳久村、中安村、宍粟郡三河村が発足。

1955年、徳久村、中安村、三河村が合併、佐用郡南光町が発足。

2005年、佐用郡佐用町、三日月町、上月町と合併、新・佐用町となりました。

マンホールには、デザイン化された町章の中に、ひまわりの花が大きく一輪描かれています。(179号線沿いの旧町域。)

昭和43年5月制定の町章は、「南光町の「な」の図案化で、波頭は千種川を象り、円形にして、円満、融和と全体を飛鳥の形にして町の飛躍発展を現すものである。」合併協議会資料より

町では、特産の「ひまわり」を利用した町おこしが盛んに行われており、「道の駅:平福宿場町」では、特に「ひまわり油」やそれを用いた「ひまわりドレッシング」などが販売されています。カレー好きなご亭主殿のリクエストで「ひまわりビーフカレー」を購入。カレーも!苦手な私、論評はできません(笑)

撮影日:2010年8月8日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧上月町(佐用町)

2023年10月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧佐用郡上月町(こうづきちょう)は兵庫県南西部に位置し、岡山県と境を接していた町です。上郡町、佐用町、南光町、県を跨いで岡山県備前市、美作市と隣接。町域には、赤松氏の一族である『上月次郎景盛』が14世紀頃に築いたと伝えられる「上月城址」がありましたが、現在は土塁と曲輪跡が残るのみとなりました。「町の木:モクセイ」「町の花:花菖蒲」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により佐用郡幕山村・西庄村・久崎村が発足。赤穂郡赤松村が発足。

1940年、久崎村が町制を施行、佐用郡久崎町が発足。

1955年、佐用郡久崎町が、赤穂郡赤松村小赤松、大酒、旭日字抜位を編入。

1955年、佐用郡西庄村と幕山村が合併、佐用郡上月町が発足。

1958年、佐用郡上月町と久崎町が合併、新たに上月町が発足。

2005年、佐用郡佐用町、南光町、三日月町と合併し、新・佐用町となりました。

マンホールには、「町の花:花しょうぶ」と、町内の河川で見られる「ホタル」が描かれています。(179号線沿い上月郵便局付近)

昭和43年4月制定の町章は「頭文字の「こ」を円に図案化し、中央に月を白で抜き出して「上月町」を表現、太いところは波頭として町の躍進と発展を、円は円満・平和を象徴している。」合併協議会資料より


 

撮影日:2010年8月8日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧三日月町(佐用町)

2023年10月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧佐用郡三日月町(みかづきちょう)は兵庫県南西部の西播磨地方に位置した町です。宍粟市、新宮町、上郡町、南光町に隣接。江戸時代当初は池田家姫路藩の領地でしたが、平福藩立藩後にその領地となり、後に山崎藩領、天領等を経て元禄10年(1697)に三日月藩が立藩。1万5千石の城下町として森家9代170年の治世の後、維新を迎え、三日月県、姫路県(飾磨県)を経て兵庫県の所属となりました。「町の木:モミジ」「町の花:菊」を制定。

旧キャッチフレーズは「自然と科学の出会うまち〜三日月」

明治22年(1889)、町村制の施行により佐用郡三日月村・大広村が発足。

1934年、三日月村が町制を施行、佐用郡三日月町となる。

1955年、佐用郡三日月町と大広村が合併、新・三日月町が発足。

2005年、佐用町、南光町、上月町と合併、(新)佐用町が発足。佐用町三日月となりました。

マンホールには、三日月藩が演武場として造成した史跡「三方里山公園」が描かれています。(撮影:179号線沿いの旧町域。)

昭和28年、新制三日月町制定に継承された町章は「町の名にちなんで三日月を図案化したもの」です。

撮影日:2010年8月8日

 

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佐用都比賣(さよひめ)神社 in 兵庫県佐用町

2023年10月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

佐用町本位田に鎮座される「佐用都比賣(さよひめ)神社」。式内社「佐用都比賣神社」に比定される古社で、主祭神は『大己貴命』の妃であり、この地方開拓の祖神とされる『狭依毘売命(さよりひめのみこと)』

「仁明天皇嘉祥二年(850)「播磨国佐用郡佐用津姫神社預官社」とあり、また「播磨国風土記」の讃容(さよ)郡の項には、出雲から来られた伊和大神と玉津日女命の夫婦神が当地の領有を競った時、玉津日女命が生きた鹿の腹を裂き、その血に稲を蒔いて一夜で苗を出させた事から、伊和大神は「汝妹は五月夜(さよ)に植えつるかも」と言って去っていった。これにより、五月夜の郡、讃容郡と名付けられ、玉津日女命を賛用都比賣命と名付けたと云う。」

ナビにいれて訪問したのですが、このナビがまたとんでもなく見当違いの場所を教えてくれた為、迷うこと二度・三度😭・・・やっと出会った方に道を尋ね、何とか無事に参拝する事が出来ました。

でも、こんなに立派な備前焼の狛犬さんに遇えたのですから、粘った甲斐がありました。焼き物の狛犬さんがおいでになる寺社は、亭主殿が特に気に入って参拝するのですが私にとっては、故郷の焼き物という意味合いも合って、出会うのが嬉しい存在なのです。それにしても写す位置の関係で阿形さん・・物凄く上から目線😅

拝殿の前にて神域を守護されるのは、こぶりの出雲丹後系の狛犬さん一対。一見、怖い印象を与えるアーモンドアイも、風化の洗礼を受けどことなく優しげに笑っているようです。

御神紋の「九曜紋」の腹掛けも眩しい御神馬、あれ?でも拝殿の献灯には蔦の紋が・・・どっちが正解なのか??。御神馬と並んで奉納された「戦利兵器」。今でも幾つかの寺社や公共の建築物などに見ることができます。

もう少し、本殿や末社・境内社などきちんと画像に収めて置けばよかったのですが、この当時はおそらく、狛犬さんが主目的だったのでしょう。手元のフォルダにはそれが如実に現されています😅

参拝日:2010年8月8日

 

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