千種川水系の佐用川、かって水運で賑わった佐用川と平行して続く旧街道沿いの石垣上に、連子窓と千本格子を持つ古い家並みが続きます。街道を一歩内側に入ると独特の景観を見せる川座敷と赤茶色の土蔵群が建ち並ぶ一画。「平福の川端風景」として、観光案内などでも数多く取り上げられ、一度は来たいと思っていた場所です。
真夏の日差しを受けて山々は濃い緑に、夏の青空に浮かぶ雲は白く輝いています。美しい風景と言うものは、春夏秋冬、どのような季節でも絵になるもので、たまたま二年後の春、同じ場所に立ち寄り、少し遠目から写した画像があるのですが、柔らかな桜の一群が山々を彩り、空の色も霞んで・・・それがまた、何とも美しいのです。
佐用川沿いに点在する土蔵や川座敷が川面に移りこむ姿は、絶好の被写体。
この時も、かなりの人が三脚を構えて、日差しが写るのを待っていました。
私たちにとっても、そんな写真は魅力ですが、そこまでの時間は割けません(^^;)
と言うことで、紹介できるのは特別素晴らしいショットではなく、普通に美しい川端の写真です(笑)
川端の画像が続きましたが、街道沿いの風景だって決して負けては居ません。卯建のあがる町並、かっては船屋敷があったと思われる倉庫、贅を尽くした門構え・・・歴史的な町並と言うのは、其処に居るだけで心をワクワクさせてくれます。
この屋敷は主を失ってどれほど経つのでしょうか?蔦に覆われかけた中二階の卯建に美しい鏝絵を見つけた時は、思わず心の中で歓声をあげました(笑)
江戸時代初期に築かれた利神城の城下町は、 一国一城令による利神城廃城のため城下町としての歴史はわずか30年と短かく、その後は陣屋や鳥取藩本陣が置かれる事となります。
その結果、この平福の地は、因幡街道最大の宿場町として発展をとげる事になるのです。また高瀬舟が坂越から千種川を遡って、佐用川の地へ海産物などを運び入れたことで商業が隆盛。佐用川沿い1.2km、300戸余りの家の約8割が、屋号のつく商人の町となりました。
地区の中ほどに建つ三年醤油の「たつ乃屋醤油本店」も、そうした商家の一つでしょうか。母屋のならびに建つ白漆喰の蔵の壁には「倉 曳 船」の文字がうっすらと読み取れます。
こちらの門は、1997年に鳥取藩の本陣跡に整備されたもので、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物です。白壁の門や回廊形式の塀が設けられています。
陣屋門の向こう、満開の桜に包まれるようにひっそりと鎮座されるのは「金刀比羅神社」。二年間の時を経て桜に包まれた姿もその時と変わる事無く、静かにそこに佇んでいます。
こちらの神域で御祭神の守護をされていた狛犬さんのユニークで愛らしいこと。初めて見つけた時は思わず顔を見合わせてガッツポーズをしたものです(笑)
佐用川に架かる橋を渡ると「平福駅」、おや!!折りよく電車「気動車」が入ってくる気配。急げばホームの電車「気動車」間に合うかも(*^^*)
訪問日:2010年8月8日&2012年4月14日