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地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

雑魚寝のない避難所を

2025年04月15日 | ひとりごと


 4月12日(土)の朝日新聞「時時刻刻」は、まさに「我が意を得たり」の記事だった。見出しは「雑魚寝のない避難所を」だ。

 私は自治体の職員として、一度だけだが「避難所」でお世話をしたことがある。その時は雑魚寝で、食事は「パン」をご用意した記憶がある。それは、もう50年近くも以前のこと。

 その時と比べて、未だ体育館や公民館などの床などでの「雑魚寝避難」は、ほとんど変わっていない。朝日の記事では、避難所に避難された方々は「『我慢、忍耐、辛抱』を強いられる」と指摘している。

 そして、記事の中で、避難所・避難生活学会常任理事の根本昌弘さんが「災害用のベッド設置は、清潔なトイレ、そして暖かい食事とともに避難所生活の質を高めるために不可欠」と指摘している。私もまったく同じ思いだ。まさに、避難所の「三種の神器」と言えよう。

 とりわけ、何としても解決してほしいのが「雑魚寝」だ。一日も早く、ダンボールベッドor簡易ベッドを整えてほしいと願う。

 記事では、「床との距離を空けるベッドは、床に付着した病原菌や、ほこりの吸引によるせきなどの飛沫による感染症への罹患防止に役立つ」とのこと。

 しかし、このベッド備蓄は、南海トラフの被害を想定すると11人に1台どまりとなっているとのこと。一刻も早く、国が必要な指針を作り、自治体と力を合わせて整備してほしいと頃から願う。

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孤立死2万人余にショック

2025年04月13日 | ひとりごと


 「死後8日以上が経過して発見された『孤立死』した人は2万1856人」、内閣府が一昨日・11日に発表した数字に、少なからずショックを受けた。

 今年初めて内閣府が発表した「孤立死」者数は、「自宅で死亡した1人暮らしの人で、死後8日以上経過して発見され、生前に社会的に孤立していたとみられる人を『孤立死した人』と位置づけ」ている。

 なので「孤立死」でなく、一人ぽっちで亡くなられた「孤独死」の数を加えると、もっと多い数字がカウントされることは間違いない。

 「誰一人取り残さない」、「一人ぽっちにさせない」、そんな世の中とするため、今みんなの力を合わせようではないか。

 先にも読んだ菅野久美子著『孤独死大国』(2024年発行、双葉文庫)を改めて読み返そうと思う。

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退職代行サービスが存在

2025年04月05日 | ひとりごと


 新年度になって、もう一週間近くが経過した、。過日テレビを見ていたら、「退職代行サービス」を活用しての退職が増加しているという。

 テレビでは、その事業所が新入職員の退職の連絡をしたのが、4月1日に3人、2日に6人、3日に18人と増加しているという。

 「代行サービス」という存在を知らなかったし、自分自身で連絡しないで退職するなんて信じられない思い。その理由としては、「聞いていたより給料が安い」等に加えて、「休日出勤があるなんて聞いていなかった」というのもあった。にしても、ほんの数日で退職するなんてという思い。

 私は自分自身の非才故、一度も転職などは考えなかった。ま、新しく何かをするという勇気もなかったのだが。そして同時に、お礼の意味でもお世話になった事業所で定年を迎えるのが当たり前と思って働いてきた。

 今、テレビを見ていても、転職サイトの広告が、とても多く流されている。今はそんな時代なのだろう。何だかな、という思い。

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「孤独死する現役世代」

2025年03月04日 | ひとりごと


 少しだけ以前だが、朝日新聞に「孤独死する現役世代」が短期連載された。その「上」(2025年2月23日付、一面トップ記事)の見出しは、「42歳の死 一年気づかれず」「無職 独身 通帳残高は百数十円」。遺体が発見されたのは、死亡から1年以上が経ったとみられる23年10月。

 その記事の中で、「孤独死の実態把握の一環として、警視庁は昨年、自宅で死亡した一人暮らしの人の全国的な統計を初めて公表した。1月~6月は3万7227人。生産年齢人口(15~64歳)の『現役世代』が23.7%(8826人)を占め、高齢者に限った問題ではない実態が浮かんだ」とある。

 今の異常な物価高、不安定雇用、そして社会保障の切り下げなどで、健康を害したら「はい、それまでよ」という社会となっている。まさに今、「生きるのがやっと」の日々を過ごされている方は少なくないと思う。そうした方々に、政治がしっかりと向き合って光をあて、人間らしく生きられるようにしてほしい。「誰も、孤独死をしてはならない、させてはならない」と考える。

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2月22日は猫の日

2025年02月22日 | ひとりごと


 今日・2月22日は「にゃんにゃん」、猫の日だそうだ。語呂合わせだ。

 ところで、一昨日・2月20日は「歌舞伎の日」として制定されている。その理由としては、「1607年(慶長12年)のこの日、出雲阿国(いずもの おくに)が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて『かぶき踊り』を披露した」ことがあげられている。

 さて、世の中、今日から三連休。明日・23日は天皇誕生日だそうだ(そうだ、なんて、戦前なら不敬罪もの)。正直、あまり意識になかった。私的には、天皇誕生日は4月29日。

 今の世の中、三連休を作るため、「成人の日」なども動かすので、なにがなんだかわからい。祝日には制定した理由があるのだから、勝手に動かさないでほしい。「連休づくり」には、「有給休暇」を取りやすくすることで対応してほしい。

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人生の完成期をどう過ごす

2025年02月19日 | ひとりごと


 昨日久しぶりに外出した。先週の水曜日以来のこと。とりあえず車のエンジンをかけ、少しだけ買い物。

 今回の嘔吐下痢以前は、毎日のように通っていたスタバへは行かなかった。少しだけ思うところがあり、残り少ない我が人生の完成期(=終末期)をどう過ごすかを考え、我が暮らしを変えようと考えている。

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「塀の上を歩く」日々

2025年01月28日 | ひとりごと


 アリストテレスの言葉だそうだが、「塀の上を歩く」という言葉がある。「塀のこちら側(刑務所の敷地内)に落ちるか、塀のあちら側(敷地の外)に落ちるか、どっちともつかない危ない状態」を意味する。

 近年の私の人生も、まさに「塀の上を歩く」気分。朝、生きて目覚められるか、不安な思いで眠る。生きて目覚められたら、無神論者であるが、神に感謝する。

 そんな思いで、毎日を過ごしている。同じような思いで暮らされている方々も少なくないと思う。そんなみなさんにも、今日がいい日でありますように。当然、私にとっても。そして、全てのみなさんにとっても、今日がいい日であるようにと願う。そんな朝。

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生者必滅会者定離世の習い

2025年01月25日 | ひとりごと


 「生者必滅(しょうじゃひつめつ)、会者定離(えしゃじょうり)は世の習い」とは平家物語の一説。

 この世に生けるもの、死は避けられない。かく言う私は、近く永久の旅立ちをすることとなるであろう。格別やりたいことがあるわけではない我が身だが、子や孫たち、そして「歌舞伎・観る会」のことなどを考えると、もう少しだけ生きていたいと思う。

 そんな中、私が市役所人生で最もお世話になったお一人であり、多くのご指導いただいた菱川元助役の訃報に接した(ご逝去は昨年6月)。私はその方との出会いがあればこそ、ともあれはまともな職員として働くことができたと考えている。深く、深く、感謝している。心からのご冥福をお祈りする。

 さて、私はパートナーを家族だけで見送ったことから、私もそうすることと決めている。「家族だけの見送り」は彼女の意志ではあるが、申し訳なく、切なく辛いものがあった。そんなこともあり、すべての方のご葬儀にも、参列しないことを決めている。失礼をお許しいただきたい。

 また、私もパートナー同様に死んでも誰にも知らせず、家族だけで見送ってくれるよう子どもたちに言っている。私の訃報を聞いたら、ひと時、私のことを思い出していただけたら幸いである。

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ジジババである自覚がない

2024年12月19日 | ひとりごと


 このところ、ずいぶんと寒く、布団からなかか出られない。でも、太陽が輝くと、ホント、暖かくなる。太陽はスゴイ。

 ところで過日、ネットで「年下とばかりいる大人はジジババである自覚がなくてキツい」との文章に出会った。「なるほど、その通り」と恥じ入った。

 私の様な年齢になると、当然出会う人のほとんどは、年下。「年下の女の子」だ。そんな若い人たちと話していると、自分が年寄りなのを忘れてしまう。

 若い時の様な気分で、あれこれとしようと思ってしまう。しかし、しかし、年齢ゆえにできないことがずいぶんと多い。

 自分自身が「年寄り」であることをしっりと自覚し、しかし、気分は若く生きなければと思う朝。

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恥を知れ、怒り心頭

2024年12月12日 | ひとりごと


 「起訴状などによると、被告は検事正在職中の2018年9月、大阪市内の官舎で酒に酔って抵抗できない状態の女性に性的暴行をしたとしている」事件。一度は起訴事実を認めたが、被告は一転して「無罪」を主張した。

 泥酔した女性を宿舎に連れ込み、性加害。法と秩序を守る検察トップのすることか。そして、一度は認めておきながら、一転「同意」と無罪を主張。性被害者の大きな壁となる「同意」を、検察トップが持ち出すか。「恥を知りなさい」と私は言いたい。怒り心頭。

 それに引き換え被害者は、「法廷で当時の状況を尋問される可能性もあるが「『過酷だが私は検事。真相を明らかにするため、しっかり証言したい』」。ここに、真に検察の姿を見る。辛いだろうが、頑張って欲しい。心からのエールを送る。

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