地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

体重が減った

2013年05月31日 | 身辺雑記

このところ連日畑作業を夜9時前まで頑張っている、体重も減ってラッキーだ

 このところ畑作業を頑張っている。昨日は15時過ぎから実質5時間くらいは頑張った。今日も、16時過ぎから21時前まで頑張った。体重もそれなりに減った。そんな畑作業を夕方から暗くなるまで楽しみ、日中は様々な所用をこなす日々だ。

 今日は、私には珍しくミュージアム巡りとなった。まずは、天神山文化プラザで開催中の「人ひと会展」に行った。私が親しくさせていただいている方が出品されておられるので、やはり魅せていただかねばと行った。その方の作品は4点、温和な中にも毅然とした心根が表れていた。なんて、ね。

 この「人ひと会展」の出展者は案内状で数えると64名の方のお名前があった。昨日も感じたことだが、みなさん様々な形で自己実現をされている。素敵なことだ。私には、私には趣味と言えるものがない。それが切ない。その後、オリエント美術館とシティミュージアムへとはしごした。それはまた明日にでも書かせていただく。

 そんな今日は、「クリスビー・クリーム」でひとときを過ごした。これまでミスドが多かったが、最近は時々楽しませてもらっている。

 

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新聞の変革

2013年05月31日 | 読書

 

「新聞の変革に日本の民主主義が試されている」、この指摘を心から受け止めた

 あの3・11東日本大震災を巡っての報道を巡って、日本のマスコミはさながら「大本営発表」を報じる様に酷似していると思ったのは私だけだろうか。あの東電原発事故直後の政府や東電の発表する記事を鵜呑みにして、国民の前に流し続けたマスコミ各社。そして、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測された大気中濃度および被ばく線量などの数値を時の政府が隠蔽した件でも、日本のマスコミは報じなかった。今、多くの新聞記事を、「眉唾」しながら読んでいる。

 そんな時、霧が晴れたかのように「新聞(及び新聞記者)のあり方」について、すっきりとさせてくれたのがマーティン・ファクラー著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉社刊)だ。洋画は観ない、翻訳物であれ洋書は読まない私が、この本だけは読まないと思った。ま、著者が日本人でないだけで、日本語の本なので格別言うこともないのだが。著者であるマーティン・ファクラー・ニューヨークタイムス日本支社長の「新聞の変革に日本の民主主義が試されている」との指摘を、心から受け止めたいと思う。今の日本の新聞を考えるために最適であると、私はオススメする。是非ともご一読を、とまず先にオススメする。

 

 

 「ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく。(中略)権力に近づきすぎたジャーナリズムのことを、アメリカでは『アクセス・ジャーナリズム』と呼ぶ。(中略)日本の記者クラブが生み出す一連の報道は、私から見るとまさしくアクセス・ジャーナリズムそのものだ。当局や大企業との距離を詰めれば詰めるほど、記者クラブメディアでは高い評価がなされる。取材対象と身内のように仲の良い関係を築いた者ほど、『情報が取れる記者』として会社組織から評価される」。日本独特の悪しき組織「記者クラブ」等のあり方についての指摘に、新聞各社(=マスコミ各社)は、真摯に耳を傾けて欲しいと願う。

 「ジャーナリストはサラリーマンではない 専門職であるべき」「世の中を疑い、権力を疑うジャーナリストは組織から距離を保った一匹狼であるべき」との指摘に共鳴する。そこには、私が憧れかつなりたくてたまらなかった新聞記者の姿があった。

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水彩画展

2013年05月31日 | 展覧会・講演会

 

「後藤敏江 水彩画展」に行った、心優しさに溢れた花々にひととき見惚れた

 「植物に見とれて描いた作品です。植物ってふしぎ。見れば見るほどもっと観たくなります。いつも『花は花らしく、葉っぱは葉っぱらしく』、『植物それぞれの持ち味を描き出したい』と願って描きます」(後藤敏恵)。

 昨日の朝友人のブログで見て、早速昨日、旭東病院情報コーナー「健康の駅」で開催中の「後藤敏江 水彩画展」に行った。後藤さんとは最近はお目にかかる機会もほとんどないが、以前は「山田洋次フェスティバル」をご一緒に取り組んだり、その他様々なステージでご一緒をさせていただいたことがある。

 その頃からとても素敵な水彩画が描かれておられ、毎年いただく年賀状にもいつも素敵な絵が添えられている。しかし、こうした展覧会を開くなど、本格的に絵と向かい合っておられることは知らなかった。

 みなさん、各々ご自身を開花されておられる。素晴らしい。お花を題材とした絵はどれも、後藤さんのお人柄そのままに、優しさに溢れていた。ひととき見惚れた。(昨日のフェイスブックに投稿したものを手直しした。乞う、ご了解)

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お疲れモード

2013年05月30日 | 野菜づくり

 

二日連続の畑作業でさすがに今日はお疲れモード、明日は全てを植えられる予定

 今朝はとうとう、このブログの朝の更新ができなかった。フェイスブックは、どうにか更新できた。日本ハムの大谷ではないが、二刀流は大変に難しい。FBについてのお勉強を少しだけしてみたので、またブログだけの生活に戻ろうと思ったりもする。

 さて、我がお野菜づくりライフだが、最近タマネギを抜きエンドウなども終わったので、今はずいぶんと空き地ができた。いただいているキューリやトマト、花オクラ等々を植えなければと、昨日から畑作業を頑張っている。今日は15時過ぎから短時間の夕飯を挟んで、21時前まで頑張った。明日、再度お水をたっぷりと入れて、苗や種を植えたらとりあえずは終了だ。それにしても、さすがに今日は疲れた。

 ところで、このお野菜づくりライフを通して、実感していることがある。スーパーなどで販売されているお野菜は、なんであんなにお安い料金なのかということをつくづく思う。様々な商品は、原材料費や人件費などの原価を元に料金設定がされるが、農業生産物・お野菜はとてもではないが生産原価が反映されていないように思う。

 例えば私の場合だが、もちろん猫の額程の家庭菜園ということではあるが、私は農薬は使わないが、土づくりのために発酵牛糞などを必要とし菜種油かすも使う。また、三ツ目等の「農機具」も必要とするし、そして何より苗(トマトやキューリなどは接ぎ木のものでなければ連作障害で育たない)や種も買わないといけない。楽しくはあるが、結構お金はかかる。

 もちろん消費者の側とすれば、安いのが嬉しい。しかし、育てるのに大変なリスクを必要とする農薬を使わないことを前提としなくとも、農産物を育てるのは大変な手間暇を必要とし、それなりの価格となることは理解しなければならないと考える。ずいぶんと悩ましい問題なのだが。

 そんなことを思いつつ、明日は頑張って苗を植えようと思う。それにしても、今日足腰はパンバン、畑作業は本当に疲れる。柔くはない。

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頑張れ

2013年05月29日 | 食べ物

 

今月の月刊「タウン情報」誌に掲載された畠瀬本店、今日はランチを楽しんだ

 今月号の月刊「タウン情報おかやま」の表紙には、大きく「カフェに行こう」と大書されている。「今回は、読者の8割を占める女性の方に向けて『カフェ特集』を展開します。続々新店がオープンし、岡山のカフェシーンはまだまだ盛り上がりを見せています。読者が最も気にするここ1年内にオープンしたNEWフェイスのカフェはもちろん、眺めがよくお出かけ気分を味わえる郊外型のカフェや『え!こんなところに』と驚かされるような場所に位置するカフェ、フードやアルコールメニューを取り揃え使い勝手バツグンな夜カフェなど、シチュエーション別にカフェを50件紹介しています」(PRより)。

 その50件のカフェの中に、今日ランチを楽しんだ畠瀬本店食品部も1ページ全部が使われて、とてもステキな感じで紹介されている。素晴らしい。ただ「この人に会いに行こう」のページには、紹介されたカフェのオーナーやスタッフ12人が名前入れで写真入りで掲載されているが、その中に畠瀬本店の店主さんは入っていなかった。店主さんファンとしては、いささか悔しい。

 そんな月刊「タウン情報」で紹介されたためか、今日も満席の賑わいだった。自分のお気に入りのお店が賑わうのは、我がことのように嬉しい。頑張れ、畠瀬本店食品部。頑張れ、畠瀬本店店主・輝子さん。

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生あるうちに

2013年05月29日 | 映画・テレビ

 

映画「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」、冤罪は絶対に許されない!

 昨日は映画を観に行った。観た映画は「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」、実写部分も入っている映画だ。この映画の原作本は、東海テレビ取材班編『名張毒ぶどう酒事件死刑囚の半世紀』(岩波書店刊)であり、過日読んでいた。この本には「奥西勝が犯人でないことは明白」と書いている。

 検察側の「証拠」なるものを一つ一つ崩していき、、再審請求を何度も出し続けるものの、「請求棄却」の不当な判決が出され続ける。今や、「犯人とする証拠は何一つなく、不当な取り調べで強制された自白のみ」という状況となっている。そうした過程を、カメラは熱い思いで回され、明らかにしていく。それでも、まだ最新の道は開かれていない。

 仲代達矢が演じた、死刑囚・奥西勝さんはもう86歳。絶対に獄中死させてはならない。生きている内に、無罪の判決を出させ、殺人犯&死刑囚の汚名をそそがなければと思う。そして同時に、今後一人も冤罪で苦しむ人を出してはならない、強く思った。

 ともすれば「再現映画」と揶揄される、この映画「約束」に、出演された仲代達矢さんと樹木希林さん、そしてこの映画を製作した東海テレビのクルー、加えて上映して観る機会を私たちに保障してくれた「シネマクレール」に心からの敬意と感謝を表す。

 重ねて書くが、「名張毒ぶどう酒事件」は冤罪だと私も考えている。本人のみならず家族を途端に苦しみに陥れる冤罪、決してあってはならないことだ。映画の中の、奥西勝と特別面会人の語った「しぶとく、しぶとく、生き抜きましょう」と言う言葉が心を打った。この世の中、いろんなことがあるが、「抗い」かつ「しぶとく、しぶとく」生きていきたいと思う。今朝になってもまだ、冤罪への怒りが収まらない。

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切なく辛い

2013年05月28日 | ひとりごと

「最後にお腹いっぱい食べさせられなくて、ごめんね」、何故餓死せざるを得ない

 もう何度、こんな切なく辛く悲しいことが起こるのだろうと、怒りに満ちる。今朝の新聞で報道されているが、またまた餓死するという悲惨なことが起こっている。今話題の維新派・橋下さんが市長をしている大阪市でのことだ。

 餓死したと思われる母子の部屋のガスも電気も止められ、室内には食べものはなく食塩のみ。預金口座の残金は十数円のみ。室内には「最後にお腹いっぱい食べさせられなくて、ごめんね」のメモが残っていたとのことだ。どうしてこんな状態に陥らざるを得なかったのか。何故生活保護などのセーフティーネットは機能しなかったのか。悲しみとともに、怒りが湧いている。

 その一方で、今朝の新聞には、国会議員の資産が公表されている記事を見て驚く。株を保有している議員の、持ち株の含み資産がいくら増加したかを報道しており、保有株の時価総額がトップの鳩山邦夫議員は、株価の上昇率70%で約60億円の「含み益」を生み出したとのことだ。衆議院議員の1/3が上場株を保有していて、147億円と突出する鳩山議員を除く、議員の平均保有額は2970万円とのことだ。こうした議員たちが、今の円高、株価上昇政策を後押しするのは当然と言えよう。

 しかし、しかだ。私は貧しく暮らしており、一度も株など買ったこともない。多くの国民はそうした状態なのでは考える。世帯所得の真ん中の人の半分に満たない所得(125万円以下)の人の割合「相対的貧困率」は、「子どもの場合、最新の数値は15・7%。7人に1人が貧困となり、先進国の中では高い部類に入る。1人親に限ると5割強で、先進国で最悪水準』」という報道もある。先の母子も、このフレームの中に入っていたと思われる。

 我が国の憲法25条は、「『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と規定して生存権を保障している。そして、それを生活保護法で具体的に実施、生活に窮する国民には生活保護費を国が支給している」筈である。

 なのに、28歳の母親が3歳の我が子に餓死を余儀なくさせ、「最後にお腹いっぱい食べさせられなくて、ごめんね」とのメモを残して自身も餓死する。こんな国であって良いのだろうか。こうした実態がある中でも、生活保護法や憲法を「改正」するという。どこか間違っていないだろうか。

 一人一人が裕福でなくとも、笑顔で輝いて心豊かに暮らせる社会を保障するのは政治の責任だと思う。国民の暮らし、生きづらさに政治の光を当てて、「餓死」等という言葉が新聞に登場するのはこれを最後として欲しいところから願う。何としても切ない。

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連れて行って

2013年05月28日 | 食べ物

 

一ヶ月も間隔が空いた「たのたの庵」のランチ、今度は是非夜飲みに行きたい

 昨日「中国地方が梅雨入りしたとみられる」と気象庁が発表がした。平年よりも11日も早い梅雨入りだ。梅雨明けも、早くなりそうだ。近年、春と秋の期間がとても短くなっている。四季折々の美しさが楽しめ国は、もうどこかへ行ってしまっているかのようだ。少しだけというか、相当に切ない。

 ところで、このところこのブログとともにフェイスブックなるものに挑戦してみている。ブログを更新すると、それがフェイスブックに反映させる機能があるらしいが、私にはまだ設定できないでいる。それ故今朝の話題は、フェイスブックとかぶるがお許しを。

 それは昨日は、久しぶりに麦酒バー「たのたの庵」でランチとした話題だ。「たのたの庵」は麦酒バーであり、夜、吉備土手下麦酒の生を飲みながら、料理に舌鼓を打つのが嬉しい。だが、いかんせん我が家からは遠く、なかなかその機会に恵まれない。吉備土手の麦酒も美味しいし、「たのたの畑」の自家製のお野菜も格別美味しい。夜行きたい、と強く思うのだが・・・。

 

 夜は難しく、いきおい「たのたの庵」では、ランチを楽しむということになる。それにしても前回行ったのは4月16日なので、一ヶ月以上も間隔が空いてしまった。ホント、久しぶりだ。

 相変わらずとても魅力的な庵主さんと語らいながら、楽しむ「野菜の玉手箱ランチ」は格別だった。そして「挽き立て・入れ立て」の「幸せの珈琲」を飲むと、心が温かくなる。文字通り、幸せなひとときだ。

 その「たのたの庵」はお天気にも恵まれたGWなど、ずいぶんと賑わったようで、最近少しだけ落ち着き「やっとGWが終わった感じ」だそうだ。今「たのたの庵」は、ランチも夜も完全予約制なので予約してから行かれることをオススメする。私も梅雨が明けたら、夜飲みにいければと願うのだが・・・。いつもお願いするのだが、“だれか私を連れて行って”。

 

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天使のパン

2013年05月27日 | 読書

  

宇佐美総子著『幸せはこぶ 天使のパン』を読んだ、幸せのお裾分けをもらった

 「古都・鎌倉の山の上。静かな住宅街に1軒の小さなパン屋がある。夫婦二人三脚で営むパン屋には、ショーケースも看板もない。あるのは、小さな家庭用オーブンで焼き上げる、シンプルなパン。だが全国からのオーダーは後を絶たず、順番待ちは3年にもなる。ある者は愛する家族のため、ある者は病と闘いながら、パンがやって来る日を、じっと心待ちにしている。人々の幸せと生きる勇気を届けるそのパンは、いつしか“天使のパン”と呼ばれるようになった」(『幸せはこぶ 天使のパン』カバー裏より)

 幸せな結婚生活、そして念願の競輪選手となり自宅も新築した直後に、レースで転倒。「落車による頸髄の損傷、頭部を強打。中心性頸髄損傷。今後24時間から48時間が山。命が助かってもこのまま身体が動かず、一生、寝たきりになるかも」と、救急車で運ばれた病院の医師の説明を受ける。

 その後、他の病院での診察で、脳にも深刻なダメージがあることが判明。「前頭葉、側頭葉、脳幹、脳梁付近の血流障害が認められる」として、「高次脳機能障害」の診断が下る。それでもリハビリを猛烈に頑張り、歩くまでになった。まさに、奇跡を起こしている。

 

 それでも、足には麻痺が残り、時には猛烈な頭痛に悩まされる。そうした中でも、3時間かけて1個のパンを焼く。注文した人のことを思い浮かべながら、一つ一つていねいに。ある時期には注文数4000個、順番待ちは3年にもなったという。

 そのパンの焼き手は、「僕にとって、パンは生きがいです。僕のパンを待っている人がいる。喜んでくれる人がいる。それが、僕の生きる力です」(『幸せはこぶ 天使のパン』多以良泉己からみなさんへ、より)と、多以良泉己さんは書いている。

 その泉己(みずき)さんを支えるパートナーの宇佐美総子さんの目は優しい。本書は、泉己さんが念願の競輪選手となり、その後レース中の事故で懸命のリハビリで「寝たきり」どころか歩けるまでに回復し、リハビリの一環で始めたパン作りがマスコミなどの報道で知られるところとなり、今では「幸せのパン」と呼ばれるようになった経過を綴っている。大いに励まされた。

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大切な時間

2013年05月27日 | 身辺雑記

 

年齢を重ねると世間が狭くなる、親しくしている方々との会話の時間が嬉しい

 このところ、少しだけフェイスブックに挑戦してみている。ただ、その管理はパソコンで行っている。その一方で、「歌舞伎・観る会」のフェイスブックの管理もしているが、こちらはipadで行っている。すると、フェイスブックとブログの使い分けというか、各々の強みが見えてもきた。また、パソコンとタブレット型端末との使い分けについても、各々の特徴も少しだけ見えてきた。その内、整理をしてみたいと思っている。

 そんなこともあり、最近ブログに費やせる時間がとてもタイトになってきている。それ故、読んだ本の感想などが書けないでいる。スルーする本も少なくないが、メモしておきたいと思う本も、これまた少なくない。また、いずれ書かせていただこうと思っている。

 さて、昨日はお野菜づくりを通じて、様々に交流が広がり、かつ深まっていると書いた。しかしその一方で、加齢に伴って、次第に世間は狭くなっていく。それ故、意識的に世間を狭めない、孤立しない努力が必要となる。

 それだけに、様々な世界で頑張っておられる方々との「語らい」の時間は、とても貴重で楽しい。格別の話題を用意しなくとも、みなさん一家言を持っておられる方々なので、会話は弾む。昨日も広榮堂藤原店で、2時間以上も250円のコーヒーいっぱいで語らった(焼きたての調布をつけると350円となる)。

 こうした時間をいつで持てるのだろうか時々不安にもなるが、不確定の先のことを考えても仕方がないので、「もう、そろそろ」の声が上がらない限り、私としては続くことを願っている。

 

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