「ゆふいん文化・記録映画祭」、今年も新たな出会いと発見・学びと感動が
昨日の朝、とりあえずと湯布院に行き、「ゆふいん文化・記録映画祭」に参加していることを報告した。28日から三日間湯布院に滞在した。一昨年は集中豪雨で、宿に帰れなくなり、他のお宿に宿泊するという緊急事態も発生した。
それが、梅雨入りしている中での開催なのに、今年は一度も雨が降らなかった。ありがたいことだ。そんなお天気にも恵まれ、毎年の恒例行事ではあるが、朝から夜まで文化・記録映画漬けで時間を過ごした。今年もたくさなの出会いと発見、学びと感動があった。疲れたが、元気ももらって帰岡した。
すこしだけ、疲れてはいたものの夜の会議にも出席した。「ゆふいん文化・記録映画祭」の報告は、明日以降にさせていただく。
プロ野球で、連続試合出場を途切れさせないため、故障した選手が、代打で出場する場合がある。今年、巨人軍の坂本選手は代走で出たが、それは出場とは認められず、坂本選手の連続試合出場は途切れた。
今朝は、そんな感じだ。ともあれ、毎日更新を途切れさせないため、とりあえずアップする。
今、湯布院に来ている。ゆふいん文化記録映画祭への参加。もう、恒例行事だ。その報告は帰ってから。
「劇団おぼんろ」公演「パダラマ・ジュグラマ」、その迫力に圧倒され感動した
昨日は末原拓馬さん率いる「劇団おぼんろ」の公演「パダラマ・ジュグラマ」を観に行った。2時30分を超える舞台は休憩もなく、5人の俳優さんたちは動き回る。ルネスホールの空間を思いっきり使った舞台づくりで、演劇そして物語の面白さに引き込まれた。その迫力に圧倒された。もの凄い舞台だった。やはり、舞台はいい。感動した。
この公演は、今日も12時と17時の二回公演がある。絶対にお見逃しのないように。
昨日は午後から雨の予報なので畑作業を頑張った、畑では今たくさん収穫中だ
昨日は午後から雨の予報なので、午前中は畑作業を頑張った。昨日は新たにネギ等を植えたりもした。そして、去年苗でも種でも育たなかったアシタバも植えた。今度こそ、育つようにと願う。そして、昨日は四角豆の手をした。大きく育って、たくさん楽しませて欲しいと願う。
さて今、我が畑ではカボチャやスイカが玉を太らせており、トマトも枝豆ももう少しで収穫だ。キューリやなすびは、食べるのが追いつかない状態。昨日の朝の野菜ジュースから、自家製のお野菜はオオバに加えてモロヘイヤも加わった。
ところで、ニンジンを育てたのだが、抜いた後柔らかくなってしまう。なんでだろうと思う。誰か教えて。そんないろんなことがあるが、やはり畑作業は楽しい。雨が降ることを想定して水もやらないで苗を植えたが、昨晩から降ってくれた。私は雨はあまり好きではないが、畑には雨は嬉しい。楽しきかな畑作業、だ。
「映画『望郷の鐘 ~満蒙開拓団の落日~』製作上映委員会・おかやま」結成
もう一週間も前のことだが、現代プロダクション・山田火砂子監督の最新作である「映画『望郷の鐘 ~満蒙開拓団の落日~』」の「製作上映委員会・おかやま」の結成会が参加され、私も参加した。
私は北朝鮮からの引き揚げ者であり、両親に連れられて帰国でき幸運にも残留孤児とはならなかった身であり、今回の映画のテーマと無関係ではない。加えて、前々日には山田火砂子監督から直接お電話もいただいており、参加させていただいた。
この「結成総会」では、冒頭に中国残留孤児訴訟元原告団長の高杉久治さんが、「中国残留孤児として生きて」と題してお話しになり、最近学ばれている二胡の演奏もしていただいた。
それを受けて、呼びかけ人を代表して歴史学者の岸本康嘉さん(高杉久治さんの「生きてきた道」等を書いた著書『大地の青春』『大地の叫び』なとがある)が、中国残留孤児問題について、詳しく語っていただいた。
そして、実行委員長には中国残留孤児訴訟の弁護を担当もされた弁護士の則武透さんが就任された。則武弁護士は、その裁判のこと等もお話になり、何としてもこの映画の製作と県内での上映を成功させようと訴えられた。
今回の「製作上映委員会・おかやま」は、先の中国残留孤児訴訟と同じように、少なくない弁護士の先生方や岡山市内の日中友好協会の両組織の役員が加わるなど、超党派での役員構成が実現している。幅広い取り組みの中で、当面は一枚1000円の「製作協力券」を20口(一口100枚)の普及を急ぎたいと考えている。ご協力をよろしくお願いする。
そして、この映画「望郷の鐘 ~満蒙開拓団の落日~」の完成披露試写会は、12月9日(火)の昼・夜、岡山市民会館で開催することも決定している。今から日程を調整して、是非とも観て欲しい。
『〇(ゼロ)葬 -あっさり死ぬ』には恐れ入った、葬儀も遺骨も不要と提唱
最近の「読書ルーム」で読んだ本に、島田裕巳著『〇(ゼロ)葬 -あっさり死ぬ』(集英社刊)がある。久しぶりに以前の職場で働いている後輩などに会うと、必ず「今、何を!」と聞かれる。
その場合には、「シュウカツ中」と応えるようにしている。相手が怪訝な顔をすると、「どこかいい働き口があれば、お世話ください」と続ける。
ま、本当のところは「就活中」ではなく、「終活中」なのだが。私は、死んだ際には「誰にも知らせず(後日挨拶状を送ってもらう)、葬儀も戒名も不要」と家族には言ってある。そのことには、今からお詫びをさせていただく。
その意味では、厳密には「終活中」ではないのかもしれない。そんな私が、この『〇(ゼロ)葬』には、「恐れ入りました」と深く頭を下げた。葬儀不要どころか、遺骨も不要ときた。まさに「あっさり死ぬ」だ。
「生きている時を一生懸命に生き、死ねば無に帰す」、納得した。
久しぶりに友人とプチマリエで語らいランチ、ステキな時間を過ごした
近年、次第に夜外出するのが億劫になっている。それ故、夜の会はほとんど顔を出さないようにしている。と言っても、義理と人情が絡む中で、やむを得ず参加することもなくはない。
そんな中で、先週から友人とのランチや夜の飲み会が続いた。まずはランチだが、このところ友人とランチをする機会が少なくなかった。もちろん、一人ランチもある。
さて、22日はニニキネ、23日はたのたの庵、そして24日はプチマリエと続いた。24日のプチマリエのランチは久しぶりで楽しんだが、前夜からカメラに不具合があり、写真がない。
せっかくのステキなプチマリエのランチ(当然デザートも)の写真を投稿できないことが悔しい。ともあれ、友人とのひとときの語らいを楽しんだ。ステキな時間だった。
「朝日高校昭和29年卒業生60周年記念 講演とピアノコンサートの会」
先週から、私にしては珍しく夜の会も続いて、いささかハードな日程となった。それ故、いくつかの行事に参加したり、ランチや飲み会も楽しんだ。今、ふり返ってみると、ずいぶんと日記代わりのこのブログにアップしていないことに気付く。ま、日記代わりとは言え、あったことの全てを書いているわけではないが。
さて、昨日は「岡山朝日高校二九会」主催の「朝日高校昭和29年卒業生60周年記念 講演とピアノコンサートの会」に参加させていただいた。とってもステキな会で、現役の高校生たちも参加していて、広いシンフォニーホールは3階まで超満員。
内容は、JT生命誌研究館館長の中村桂子さん(理学博士)の「知と感動:生命誌 -小さな生きものたちに学ぶ-」と題する講演。そしてピアニスト・中村紘子さんのピアノコンサート。ご縁をいただいている方にチケットをお世話いただいて、当日を楽しみにしていた。
お目当ては、演奏を聞くのは何度目かの中村紘子さんのピアノ。昨日もショパンに酔いしれた。しかし、中村桂子さんのとても優しい語り口での講演にも感動した。ステキな時間を過ごすことができた。
それにしても、「朝日高校二九会」は40周年で五木寛之氏の講演会を、そして50周年では養老孟司氏の講演会を開催されている。素晴らしい活動だ。敬服した。
NPO法人バンクオブアーツ岡山の定時総会、役員は退任したが委員で残った
ルネスホールの指定管理者となっている「NPO法人バンクオブアーツ岡山」の「定時総会・例会」が、もう少しだけ時間が流れたが、23日の夜に開催された。監事である私も参加し、理事会や総会の席では、監査報告もさせていただいた。
ところで、ルネスホールの運営は、多くの方にホールを利用していただき順調に推移している。また、今年の総会では「10周年特別委員会」も設置され、理事長も交代するなどする中で新たな前進も開始した。
さて、私はこれまで理事を2期4年、監事を1期2年務めさせていただいたが、今年の総会を機に退任させていただいた。ただ、「空間創造委員会」の委員長のお役はいただいており、もう2年頑張りたいと考えている。
そんな総会終了後の懇親会では、もう恒例となっている「荒木雄一郎と楽しい仲間たち」のパフォーマンスを楽しんだ。82歳の荒木さんの若々しい歌声に元気をもらった。
また荒木さんを敬愛し20年来のボーイフレンドと公言される田淵泰子さんのいつもながらのステキなMCにも魅了された。とても、ステキな時間となった。にしても、ルネスホールはステキなホールだ。
河野實著『マコは生きた! ミコとの別れから50年』、どう生きたかを読んだ
読書ルームで、最近読んだ本は、河野實著『マコは生きた! ミコとの別れから50年』(展望社)。ミコとマコ、と言っても知らないことは少なくないだろう。何しろ、もう50年前のことなのだから。
当時大学生だったマコ・河野實と骨肉腫に冒されて21年の生涯を閉じたミコ・大島みち子の3年間の文通を一冊の本としたのが愛と死をみつめて『』(大和書房刊、1963年12月刊)。
この『愛と死をみつめて』は大ベストセラーとなり、テレビや映画、そしてレコードにもなった。映画は吉永小百合と浜田光夫が出演し大ヒット。そして青山和子が歌った「愛と死をみつめて」は日本レコード大賞を受賞した。まさに1964(昭和39年)は、「愛と死をみつめて」で明け暮れしたと言っても過言ではない。
そんな「有名人」となったマコ・河野實はどう生きたのかが、この『マコは生きた! ミコとの別れから50年』に書かれている。ミコと出会う前の少年期からも書かれていて、河野實という人間の自分史となっている。どのように生きたかは、この本を読んで確認して欲しい。
私はこの河野實さんの生きてきた道を読みながら、ある時突然に有名になった人間がその後を生きるのは大変なことだと思う。そして今、そのことを思うのは若いAKB48のメンバーたちのその後だ。今は頂点だが芸能界で生き残れるのは、ほんの一握り。しっかりと、生きて欲しいと今から願う。