まさに春到来を思わせる暖かい日、今日も「畠瀬本店」で温かい気持ちになった
今日はとても暖かく、最高気温は20度近くもあったようで、やっと春本番到来という感じだ。今日こそは後楽園の標準木の桜が咲く、つまり開花宣言があると思っていたのだが、今日の山陽新聞夕刊にはそのことは載っていなかった。しかし、夕方のニュースでは、「午後4時に桜の便りが届いた」と報じていた。やっと桜の季節となった。今年は「重苦しい気分」を払拭して、ひとときでも桜見物を楽しみたいものだ。。
さて、そんな暖かい今日のランチは、「畠瀬本店」とした。私は予約をして行った。今日のお店は予約なしの方がずいぶんと多く、すぐに満席となった。開店直後に来店された方でもお席は用意されたものの、お食事が出てくるのには30分待ちといった感じだった。
そんな中で、「今日で転勤なのでどうしても食べたい」と12時過ぎに来店され、「5分で食べコーヒーを飲む」と言われて、ご常連の方が店外で待たれていた。まさに、そんな方々に愛されている「畠瀬本店」だ。
ところで今日は3月31日。5年前の今日、私は定年退職した。花束をもらい、職場を後にした。それからもう5年が経過した。早いものだ。たくさんの方々に支えていただいて、何とか無事に定年退職を迎えることができたことを思い出すと、少しだけ感傷的な気持ちになったりもした。
暖かい今日、温かい気持ちが触れあう「畠瀬本店」で、素敵な時間を過ごすことができた。すぐ南にある源吉兆庵の満開のしだれ桜が、とても美しかった。
城下公会堂で開催された「ジャズライブ」、藤原清登のベースに魅了された
今日の最高気温は16度との予報。これまで朝晩はめっきり冷え込み、昼間でも寒い日があったが、やっと春到来という感じだ。この冬は一度も風邪を引かないで過ごすことができた。インフルエンザの予防注射をしたせいだろうか。嬉しい。
それにしても、早いものでもう3月末。官公庁では年度末、明日からは県議と岡山市議選挙が告示される。時間の流れの速さを感じずにはいられない。そして今日には、岡山でも桜の開花宣言があるだろう。
さて昨夜は、藤原清登さんのベースを楽しんだ。これまで何度目かその演奏を聴かせていただいたが、久しぶりであることだけは確かだ。
そして、昨夜の「ジャズライブ」は「城下公会堂」を会場としており、とても狭い空間で、まさに目の前での演奏であり、たっぷりと楽しむことができた。
ベースを弾く手の動き、自身で口ずさみながらリズムを奏で、額には流れる汗。それに加えて、若手ピアニストの今井真一朗のピアノ演奏の靴音が重なってくる。まさにライブならでは、しかも狭い空間でだけ味わえる演奏だった。
少しの休憩を挟んでの2時間、心ゆくまで藤原清登のベースを楽しむことができた。ジャズライブに魅了された素敵な夜を過ごすことができた。感謝だ。
旧日銀を活かす第二弾である「金庫棟」が完成、今日記念式典が開催された
1922(大正11)年に建設された「日本銀行岡山支店本店」。設計は当時の銀行建築の第一人者だった長野宇平治。2005(平成17)、「大正期の優れた歴史的建造物を公正に残していくため、岡山の文化・芸術の創造的拠点『ルネスホール』」として生まれ変わった。
そして今日、旧日銀を活かす第二弾である「金庫棟」が完成し、岡山県知事も出席されたその記念式典が開催され私も参加させていただいた。
さて今回の「金庫棟」、地下に金庫を生かしての「スタジオ」、一階が「ギャラリー」、そして二階が「芸術・文化活動 ワークルーム」となっている。強大な金庫の扉が威風堂々と、来場者を迎え入れる。「さすが日銀の金庫」という感じだ。
私が格別気に入ったのが、地下の「スタジオ」で地元岡山の木をふんだんに使って、とても素敵に設計されている。是非ともたくさんの方々に利用されることを、私も「ルネスホール」の委託管理を引き受けている「バンク・オブ・アーツ」の一員として心よりお願いする。
これまでのホールに加えて、これだけ素晴らしい「金庫棟」スペースが完成することにより、よりいっそう「岡山の文化・芸術の創造的拠点」となったと言える。
残るは旧日銀を活かす第三弾の「レストラン棟」の完成である。「金庫棟」が完成して、これで素敵な「レストラン」があればと、多くの方が思ったことだろう。
第一弾のホール完成に4億5千万円、そして今回の「金庫棟」に2億4千万の費用が投じられて整備されてきたが、最後の「レストラン棟」はそんな大きな費用負担ではない。一日も早い「レストラン棟」の完成を待ち侘びる。
これまで「ルネスホール」は、とてもたくさんの方々に利用されてきた。今日の「金庫棟」完成を機に、さらにたくさんの方々が愛し利用していただくことを心から願う。
佐川光晴の二作、西村賢太の作品では感じなかった暗さであり後味の悪さ
芥川賞を受賞した西村賢太と坪田譲治文学賞を受賞した佐川光晴の著書を、結構読み続けている。西村賢太については、もう何度か書いたので、今日は佐川光晴について書きたい。
佐川光晴著の二冊を最近読んだ。『縮んだ愛』(2002年、講談社刊)と『とうさんは、大丈夫』(2010年、講談社刊)の二冊だ。この本を読んで、山田洋次監督の『映画館(こや)がはねて』(1984年刊、講談社刊)の一節を思い出した。
「映画館(こや)がはねて(閉館)、青空を仰ぎながら家路につく観客の胸が幸福な気分でつつまれ、さっき観た一場面を思い返して、おもわず一人笑いをしてしまうような作品(をつくりたい)」というものだ。そんな映画を私は観たいと思う。
さて、佐川光晴さんとは「坪田譲治文学賞」の授賞式でお会いさせていただき、授賞式後の「トークショー」で、ご自身の文学について語られるのを聞かせてもいただいた。外観も含めて、スポーツ系ののりで語り口も爽やか、とても明るい方という印象だった。
しかし、作品に関しては、坪田賞受賞作『おれのおばさん』(集英社刊)にはずいぶんと共感したが、今回読んだ二作は陰鬱で正直後味が悪かった。自己破滅型の西村賢太の作品では感じなかった暗さであり後味の悪さだ。
選ばれている主人公の養護学級を担当する教師、そして児童相談所の職員。どちらも私の問題意識にあう設定だ。ただ、内容的には私の心に残るものではなかった。小説は書き手の問題意識、書きたいことで、その世界は構成される。当然なことだが、改めて実感した。
私は基本的にはスリラーは一切読まない。映画は日本映画しか観ないように、もうずいぶんと長く日本文学しか読まない暮らしが続いている。
そうした中で、映画でも文学でも、心が温かくなるようなそんな作品に出会いたいと願っている。
「時間リッチ自由人」の身、昨日は午後の時間を「エスプリ」で過ごした
このところは外食が続いたが、今日はランチの約束はなく、自宅でお昼を楽しんだ。ただ、午後から「エスプリ」で過ごした。
「コーヒーに上用饅頭がよく似合う」と、このお店は上用が用意されている。昨日お願いすると「週末限定」だった。やむなく、ケーキセットとした。
このお店はコーヒーは美味しいものの、「店内で喫煙が可」が玉に瑕だ。その意味では、やはり「畠瀬本店のカフェタイム」が私には心地よい。ただ、自宅から歩いていける範囲が嬉しいのだが、お茶しに行くには、さすがに少し遠い。
それにしても、田舎に住むのはなかなかに不便がある。以前は「年齢を重ねたら田舎に住む」だったが、今は「年を取ると街中に住む」と変わってきている。
私も街中に住みたいが、「懐具合」が許さない。豊かにあるのは時間のみだ。「あかれんがクラブ」のある方が、「ハナショー」の自己紹介で「時間リッチ自由人」と書かれていた。私はこれまで「毎日が日曜日の身」と書いてきたが、これからはその方のものを借用して「時間リッチ自由人」と名乗ろうと考えている。ゴメンナサイ、乞うご了解を。
福島第一原発事故の先行きが見えないことへの恐怖と怒りに震える
大震災のことは書くまいと思うのだが、連日の報道やテレビを見ていると、様々なことを思ってしまう。今回の大震災に大きく深刻な陰を落としているのは、何より原発問題だ。地震と津波による被害だけでも戦後最大規模だが、それに加えて福島第一原発事故による被害の大きさと先行きが見えないことへの恐怖が、私たちに今深くのしかかっている。
昨日、「福島第1原発1~3号機のタービン建屋外にある『トレンチ』と呼ばれるトンネル状の穴の中に水がたまり、極めて高い放射線量が検出された」、「敷地内の土壌から毒性の強い放射性物質のプルトニウムが検出された」と各々発表された。
さらには、原発10㌔圏内の遺体が放射線量が多くて収容を断念したとの記事もある。また福島第1原発から北西約40キロの福島県飯舘村で、採取した雑草1キログラム当たりから、過去最高値の放射性セシウムが検出されている。
また、30年以上前から有機栽培にこだわったキャベツ農家の方が、自死(=自殺)されてもいる。こうした原発に関する深刻が事態がたくさん起こっている。心配なことは山ほどある。恐怖と怒りで心が震える。
しかしこうした中で、食事は1日2回(朝にはビスケット30枚程度と小さな野菜ジュース1本、夜は非常用のレトルトご飯と缶詰一つ)、夜は雑魚寝という極めて劣悪な環境の中で頑張っていただいている約400人の作業員の方々には心から感謝と敬意を表す。
こうした東日本大震災について、サンデー毎日は「臨時増刊号」を、もう既に発刊している。今月・4月号の「月刊プラザ」でも、表紙には「頑張れ東日本」と書かれていた。
全編写真で構成されたサンデー毎日「臨時増刊号」を読んで、地震&津波の恐ろしさを改めて実感した。しかしこの臨時増刊では、「計画停電は4月末まで続く可能性もある」と書かれており、原発事故が牙をむくのは、この臨時増刊発刊以降となる。
ともあれ、未曾有の危機に見舞われている日本と国民生活、みんなで力を合わせて乗り切りたいものだ。その意味では、何としてもまずは原発をくい止めて欲しいと願う。この「大震災」については、今後も心はいつも被災者の方々にそり沿っていたいと思うが、思いの文章化は当分はしないこととする。
久しぶりに「たのたの庵」でのランチとした、昨日もたくさんのお客で賑わっていた
一昨日までの寒さが少しだけ和らぎ、昨日は昼間は太陽が顔を出していると心地よかった。明後日には18度、翌4月1日には20度になるとの予報もあり、桜も一気に開花することだろう。待ちかねた季節、春到来だ。
そんな昨日は、久しぶりで「たのたの庵」でランチとした。土曜日に開催された「吉備土手下麦酒の翁と語り飲む会」は、たくさんの方で賑わったようだ。一昨日にお邪魔した「おおもり農園」さんにお話も聞いていたので、その話題となった。高円寺でのお店づくりの写真も魅せていただきながら、お話も弾んだ。まだ30歳前の若いご夫婦が、お店の内装も全て手づくりで頑張られている姿に感動した。
そのお店で販売する「高円寺麦酒」づくりに、吉備土手の翁がはるばる駆けつけられ、ご指導されたようだ。先にもご紹介したが「愛宕梨の麦酒」のラベルに書かれた、翁の「ものづくり」への深い「愛情」を感じる。ホント、素敵な方だ。みなさんも、ぜひとも吉備土手下麦酒を愛飲されることをお勧めする。
それにしても、最近の「たのたの庵」のお昼の賑わいはすごい。次第にファンが増えていき、リピーターが定着しているのだろう。私はいつも開店の時間(12時)に行くようにしているので予約しないで行くのだが、これからは予約が必要なのかな思っている。
それでも、素敵なお店が賑わうのはとても嬉しい。ただ、私的には我が家からはずいぶんと遠く、夜飲み行けないのが悔しい。「誰か私を、夜に飲みに連れて行って」だ。
磯村健太郎著『ルポ 仏教 貧困・自殺に挑む』で、「無財の7施」を知った
私は「無神論者」だ。「困った時には神様にお願いする」以外には、神も仏も信じない。格別に、「断固として」ということでもないのだが。
ともあれそうした中で、今日の格差社会で「貧困スパイラル」に落ち込んだ方々や自死(=自殺)者が連続して年間3万人を超えてる現状に対して、宗教あるいは宗教者は、いったいどのように考えているのかは、興味のあるところだ。
そんな問題意識で、磯村健太郎著『ルポ 仏教 貧困・自殺に挑む』(2011年2月、岩波書店刊)を読んだ。この本は、書名に「挑む」が入っているように、「貧困・自殺」に挑んでいる宗教者の活動が取り上げられている。少しだけ安心したが、そんな寺社や宗教者は一部ではないかとの思いもないではない。
ともあれそんな中で、本の中に書かれている「無財の7施」という考え方に目がとまった。現在の日本国民に求められている「心」ではないだろうか。
*目施(げんせ) …慈しみに満ちた優しいまなざしで接すること
*和顔施(わがんせ) …おだやかな表情やほほえみで接すること
*愛語施(あいごせ) …優しい言葉、思いやりのあることばをかけること
*身施(しんせ) …みずからのからだを使って、奉仕すること
*心施(しんせ) …人のためにこころを配ること
*床座施(しょうざせ) …自分の席や場所、地位をゆずること
*房舎施(ぼうしゃせ) …休める場所を提供すること
「後ろめたさ」を払拭して、「腹をくくって」日常を大切にして生きていこう
「被災者の身になって、各地の人たちが哀悼の意を表してくれることはうれしいが、日本全体が元気になることで、東北も元気になれる。被災地以外の人たちは後ろめたさを感じずに、経済活動や行事を遠慮せずにやってほしい。被災者も、とがめることはないはず。『萎縮しないで』というのが願いです」。
昨日の朝日新聞に載った、村井宮城県知事の言葉だ。大震災以降、いつも「後ろめたさ」が常に私の心につきまとい、「萎縮」している自分がいる。何かをしていても、常に「被災された方々は」と頭に浮かぶ。
しかし、今大切なことは被災者の方々のために「できることをする」一方で、与えられている「日常」をしっかりと過ごしていくことだと思っている。
三谷幸喜さんは、自身が脚本を書いた「舞台『国民の映画』の公演を継続して開催する」際に、「腹をくくる」という言葉を使われた。
私も腹をくくって日常を大切にして生きていこうと思う。宮城県知事の言葉に背中を押された。
「踊会」の30周年記念公演、歌謡舞踊の美しい「お蔦」に見とれた
福祉施設などへ慰問を続けられている「踊会」が30周年を迎えて、今日三丁目劇場で記念大会が開催された。
私が親しくさせていただいている方のパートナーがご出演とのことで、私も行かせていただいた。その方とは時たまだが、私もお話しさせていただく機会がある。とても素敵な方であり、友人への義理というよりも、その方の歌謡舞踊が見たいという思いが強かった。
さて、会場入り口にはさすがに30周年であり、たくさんの花束が贈られていた。何も持参しなかったことを、深く恥じ入った。申し訳ない、ゴメンナサイです。
今日の記念公演は、「唄と踊り」がずいぶんと長く続くので、これまた申し訳ないが、その方の踊り「お蔦」を見た後に、失礼した。日頃も美しいが、いつも以上に美しい「お蔦」であった。
こうした方々が慰問に訪れていただけると「老人ホーム」等のみなさんは、ひととき癒されるだろうと思った。暖かい気持ちで頑張られている「踊会」のみなさんに、心からの拍手を送った。
(いつものことながら、ピンぼけ写真であることをお許し願う)