
11/1-3で北東北を旅行してきた話の続きです。
11/1の朝から新幹線「はやぶさ」、485系「ジパング」、701系、キハ110系「POKÈMON with YOUトレイン」を乗り継いで、気仙沼へとたどり着きました。
気仙沼港近くの屋台村で昼食を取り、気仙沼駅に戻ってからしばらく観光案内所で雨を避け、次は大船渡線BRTへ乗り継ぎます。
2011年3月の東日本大震災で大きく傷ついた三陸沿岸。前回の写真からはあまり分かりませんでしたが、気仙沼港のあたりも建物が無くなった跡がわかる状態で、傷跡は今も多く残っています。今回はさらに、最大の津波被災地の1つである陸前高田を抜け、盛へと向かいます。
大船渡線は元々一ノ関から盛までレールが繋がっていて、12年前の夏に一度通り抜けたことがあります。その時のことはもうあまり覚えていなくて、昔の景色がどうだったかということは正直分かりません。被災地の今を見てきたということで、今後訪れる方の参考になればと思います。

気仙沼駅前観光案内所にある大船渡線BRTのバス停

盛からやってきたBRT。基本的には普通のバスです。もっとも、BRT用に新造された物でしょうから、周辺を走っているバスよりは新しいかも知れませんが。ラッピングキャラクターは、気仙沼市の「海の子 ホヤぼーや」です

バスは一旦、奥へ行きました。なお、手前にあるゲートは、気仙沼線BRT用駅ホームへの入口です

時間になってBRTバスに乗り込みます

荷物があるので、最後方席に乗り込みました。かなりの混雑でして、半分くらいの乗客は盛へ抜けていきました

車内広告のスペースには地元のお子様方の塗り絵を展示

バスはまず港側へ。前回お見せできませんでしたが、港近くは建物もまばらで、空き地が多数。津波で流されたんでしょう

海岸から少し離れますが、このあたりも造成途中の場所が多いです

少し進んで、鹿折唐桑あたりでは築堤がありました。これは、元は大船渡線の線路だったのでは?
大船渡線BRTで気をつけておきたいのは、旧駅のうち上鹿折駅はどのバスも行きません。また、気仙沼から陸前矢作へ行く場合は、一度陸前高田で降りて、盛から来る陸前矢作行きのバスに乗り換える必要があります。つまり、バスは盛ー気仙沼の便と、盛ー陸前矢作の便があり、陸前高田辺りでルートが異なるのです。一方で、線路からはほど遠かった奇跡の一本松近くを通ります。

陸前高田が近づいてきた。車内から見た奇跡の一本松。現在は「樹木」ではなく「モニュメント」として残されている

廃墟が残る。この辺りの海岸沿いは建物はほとんど無く、あっても廃墟であることが多い





これはなんだ?っと驚いた陸前高田の風景。道路橋ではない、こんなでかいガス管の橋を作るとも思えない。まして、作るような施設も無い。後で調べてわかったけど、これは堤防を作るための土を運ぶ巨大なベルトコンベアだった



奇跡の一本松の辺りは、先ほどの巨大なベルトコンベアと、いくつかの仮設商店やわずかな建物以外はほとんど何も無い。草ボウボウの空き地と重機と土ばかりの風景

やがてバスは坂を上っていく。海は下の方に。坂を上るとそれなりに民家が現れる。そして、ここまでバスは一般道を走っていて、高田病院付近に至ってはかなり狭い道も走っていた

脇ノ沢近くでようやくBRT専用道に入る。線路だった場所を潰し、バス専用道路としたのだ。しばらく山の風景


小友駅。バス停ではあるが、BRTなので駅なのだ

バス専用道ではあるが、元々踏みきりだった場所は交差点となる。一応、間違えて一般車が入らないように、交差点では色を変えているが

BRT専用道を走る。後方の席なので、ちょっと前方は撮りにくい

また海の見える場所に

陸前矢作行きのバスと行き違いに。専用道は元々単線の大船渡線を潰して作っているため、バスが行き違い出来る場所は限られる

細浦駅

この細浦駅は鉄道時代のホーム跡が残っていた

海岸沿いはやはり建物が少ない

養殖筏が見える。この辺りだと牡蠣だろうか?とんと水産業に疎いので分からない

だいぶ進んできました。やはり海沿いは建物が限られる

下船渡駅




下船渡駅を過ぎたところで、バス専用道も一旦終わりです

大船渡プラザホテル。海沿いに有り、震災の時はたいへんだったと聞いている

すぐ近くは大船渡のバス停。元の駅舎の姿は無かったです。こちらは駅舎と反対側ですが

大船渡駅を過ぎるとまたバス専用道に

盛駅が近づいてきました。隣に三陸鉄道南リアス線の線路が現れました

三陸鉄道南リアス線の車両です

こちらは岩手開発鉄道の貨車





盛駅に到着しました。やはり気仙沼同様に、ホームの線路が無くなって、嵩上げされた道路になっていました

駅名標が寂しく感じます

改札口。ウルトラマンみたいなキャラクターは秋田新幹線のキャラだったっけ?

JR側の盛駅

参考までに、2012年7月に撮影した盛駅
盛に到着後は、三陸鉄道南リアス線へ乗り換えます。
以下、次回
11/1の朝から新幹線「はやぶさ」、485系「ジパング」、701系、キハ110系「POKÈMON with YOUトレイン」を乗り継いで、気仙沼へとたどり着きました。
気仙沼港近くの屋台村で昼食を取り、気仙沼駅に戻ってからしばらく観光案内所で雨を避け、次は大船渡線BRTへ乗り継ぎます。
2011年3月の東日本大震災で大きく傷ついた三陸沿岸。前回の写真からはあまり分かりませんでしたが、気仙沼港のあたりも建物が無くなった跡がわかる状態で、傷跡は今も多く残っています。今回はさらに、最大の津波被災地の1つである陸前高田を抜け、盛へと向かいます。
大船渡線は元々一ノ関から盛までレールが繋がっていて、12年前の夏に一度通り抜けたことがあります。その時のことはもうあまり覚えていなくて、昔の景色がどうだったかということは正直分かりません。被災地の今を見てきたということで、今後訪れる方の参考になればと思います。

気仙沼駅前観光案内所にある大船渡線BRTのバス停

盛からやってきたBRT。基本的には普通のバスです。もっとも、BRT用に新造された物でしょうから、周辺を走っているバスよりは新しいかも知れませんが。ラッピングキャラクターは、気仙沼市の「海の子 ホヤぼーや」です

バスは一旦、奥へ行きました。なお、手前にあるゲートは、気仙沼線BRT用駅ホームへの入口です

時間になってBRTバスに乗り込みます

荷物があるので、最後方席に乗り込みました。かなりの混雑でして、半分くらいの乗客は盛へ抜けていきました

車内広告のスペースには地元のお子様方の塗り絵を展示

バスはまず港側へ。前回お見せできませんでしたが、港近くは建物もまばらで、空き地が多数。津波で流されたんでしょう

海岸から少し離れますが、このあたりも造成途中の場所が多いです

少し進んで、鹿折唐桑あたりでは築堤がありました。これは、元は大船渡線の線路だったのでは?
大船渡線BRTで気をつけておきたいのは、旧駅のうち上鹿折駅はどのバスも行きません。また、気仙沼から陸前矢作へ行く場合は、一度陸前高田で降りて、盛から来る陸前矢作行きのバスに乗り換える必要があります。つまり、バスは盛ー気仙沼の便と、盛ー陸前矢作の便があり、陸前高田辺りでルートが異なるのです。一方で、線路からはほど遠かった奇跡の一本松近くを通ります。

陸前高田が近づいてきた。車内から見た奇跡の一本松。現在は「樹木」ではなく「モニュメント」として残されている

廃墟が残る。この辺りの海岸沿いは建物はほとんど無く、あっても廃墟であることが多い





これはなんだ?っと驚いた陸前高田の風景。道路橋ではない、こんなでかいガス管の橋を作るとも思えない。まして、作るような施設も無い。後で調べてわかったけど、これは堤防を作るための土を運ぶ巨大なベルトコンベアだった



奇跡の一本松の辺りは、先ほどの巨大なベルトコンベアと、いくつかの仮設商店やわずかな建物以外はほとんど何も無い。草ボウボウの空き地と重機と土ばかりの風景

やがてバスは坂を上っていく。海は下の方に。坂を上るとそれなりに民家が現れる。そして、ここまでバスは一般道を走っていて、高田病院付近に至ってはかなり狭い道も走っていた

脇ノ沢近くでようやくBRT専用道に入る。線路だった場所を潰し、バス専用道路としたのだ。しばらく山の風景


小友駅。バス停ではあるが、BRTなので駅なのだ

バス専用道ではあるが、元々踏みきりだった場所は交差点となる。一応、間違えて一般車が入らないように、交差点では色を変えているが

BRT専用道を走る。後方の席なので、ちょっと前方は撮りにくい

また海の見える場所に

陸前矢作行きのバスと行き違いに。専用道は元々単線の大船渡線を潰して作っているため、バスが行き違い出来る場所は限られる

細浦駅

この細浦駅は鉄道時代のホーム跡が残っていた

海岸沿いはやはり建物が少ない

養殖筏が見える。この辺りだと牡蠣だろうか?とんと水産業に疎いので分からない

だいぶ進んできました。やはり海沿いは建物が限られる

下船渡駅




下船渡駅を過ぎたところで、バス専用道も一旦終わりです

大船渡プラザホテル。海沿いに有り、震災の時はたいへんだったと聞いている

すぐ近くは大船渡のバス停。元の駅舎の姿は無かったです。こちらは駅舎と反対側ですが

大船渡駅を過ぎるとまたバス専用道に

盛駅が近づいてきました。隣に三陸鉄道南リアス線の線路が現れました

三陸鉄道南リアス線の車両です

こちらは岩手開発鉄道の貨車





盛駅に到着しました。やはり気仙沼同様に、ホームの線路が無くなって、嵩上げされた道路になっていました

駅名標が寂しく感じます

改札口。ウルトラマンみたいなキャラクターは秋田新幹線のキャラだったっけ?

JR側の盛駅

参考までに、2012年7月に撮影した盛駅
盛に到着後は、三陸鉄道南リアス線へ乗り換えます。
以下、次回
旅に出たときの写真が多過ぎて、自分のブログに記事にしていくスピードが追いつかないのですが、東北、三陸の各線がまさにその状態です。
ブログに載せるときに、あのときはこうだった、このときはどうだったと、旅の記憶を反芻して楽しんでいるのですが、三陸は少し苦い気持ちになりそうです。
BRTになった区間、せめても列車よりも便数が増えて利便性が増していれば良いのですが…
将来の鉄道での復旧はどうなるのか、本当に地元のためになるのは、どのような形なのか、民営企業にどこまで責任があるのか、、、見守っていきたいと思います。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
いつもありがとうございます。私も最近記事掲載のスピードが追いついておらず、1ヶ月以上遅れて書くようになっています。BRTの本数と、震災前の本数を調べてみました。
気仙沼ー盛の震災前の列車本数:下り1日10本、上り1日9本
BRTの気仙沼ー盛のバス本数:下り12本、上り11本
BRTの陸前矢作ー盛のバス本数:下り13本、上り15本
その他区間便:下り6本、上り6本
バスの輸送力がキハ40系よりも小さいことを考慮してか、運行本数は明らかに増えていました。