みやしたの気まぐれblog

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冬の北東北の旅 その7「三陸鉄道北リアス線で宮古へ」

2011-02-04 23:31:02 | 乗り鉄
久慈で昼食を済ませた後は三陸鉄道北リアス線へ乗り換えです。
三陸鉄道は赤字国鉄線を引き継いだ初の第三セクターで、久慈~宮古を結ぶ北リアス線と、釜石~盛を結ぶ南リアス線があり、中間にJR山田線を挟む形になっています。開業当初は黒字も出ていたんですが、徐々に乗客が減少し、現在は赤字状態。今回も乗車した列車は乗車区間によっては私以外に乗客1人ということもありました。

三陸鉄道久慈駅構内には、鉄道むすめのポスターや色紙が

三陸鉄道36-2100形の「さんりくしおさい」と、36-200形の一般型

こちらは現在使用されていない36-500形。事故廃車の代替で製造されたが、製造年次が新しい割に使用されなくなってしまった

三陸鉄道36-100形の一般型塗装

三陸鉄道36-2100形「さんりくしおさい」。この時期の車内は炬燵になっているが、平日のこの日は団臨用の回送だった

指定席の表示。ただ、私の乗車した列車では回送扱いで、どうも途中で切り離して団体運用になったようだ

三陸鉄道36-200形の車内。セミクロスシートだ

北リアス線は内陸を走るところも多く、山間部のような風景も多い。またトンネルの数もかなり多い

途中何度か列車とすれ違う。ただ、対向列車も1両だけだ

途中、海辺のかなり高い橋の上も通る。このような場所では、観光も兼ねてゆっくりと走行する

海の反対側は川

これはまた別の入り江。それにしても海がきれいだ

途中、何らかの自動車道の建設中の所を見たが、この道路ができあがれば北リアス線の廃止理由ができてしまうのだろうか

水門の上にあった建物は36形の標準塗装を模していた

宮古へ到着。久慈と違って、JRとはホームが繋がっていない。ただ、線路は繋がっているので、直通列車の運転もある

宮古駅に到着後は山田線へ乗り換え。山田線は盛岡から宮古経由で釜石を結ぶ路線ですが、基本的に宮古で運用が分断されていて、宮古~釜石の区間については釜石線との関わりの方が強くなっています。以前は、キハ58形やキハ52形が多数運行されており、JR東日本では比較的末期まで急行型気動車とキハ20系が残っていた路線でした。現在は、全列車がキハ110系、キハ100形による運行となっています。
宮古駅では久慈よりも長い時間待つことに。1時間少々あったのですが、なにせ宮古の観光地として有名な場所(浄土ヶ浜とか)は駅から離れているし、久慈で食事したからお腹も空いていないし、やることなくて困りました。結局、駅の中で携帯ゲームして時間潰すくらいしかなかったしなあ。

三陸鉄道の宮古駅。現在は命名権売買により、「アイフルホーム宮古」駅である

JRの宮古駅

これは岩泉線の代行バス。岩泉線は昨年夏に押角~岩手大川で土砂崩れがあり、現在代行バスで輸送している

宮古駅のホーム

宮古駅停車中のキハ110系。本来は宮古発岩泉行きの列車なのだが、茂市止まり。代行バスの輸送力が小さいため、茂市までは列車も平行して運行される

宮古駅の岩泉線代行バス案内

宮古駅待合室の大漁旗

宮古~釜石の列車はキハ100形が多い。キハ100形は16m級の気動車で、キハ110系の1種だが、比較的輸送量の少ない路線に投入されている

乗車したキハ110系。ちょっとレアな150番台。盛岡~宮古はキハ110系のみが運用されている

留置線のキハ110系。100番台は水郡線からの転属車

宮古で時間を潰し終え、キハ110系に乗車していよいよ盛岡へ戻ります。
次回でこの旅行記も最終回です。
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