5/3-6に行ってきた四国一周旅行シリーズも8回目です。
5/5の朝に松山から特急「宇和海」で宇和島へやってきて、宇和島で乗り換えたのは「海洋堂ホビートレイン」でした。この列車で江川崎まで乗車して、江川崎での2時間弱は町の中をぶらぶら。美味しい「四万十バーガー」と「鮎の塩焼き」を食べたりと地の物を楽しんで、次の列車へ乗るべく江川崎駅へと戻りました。
江川崎駅は前回も書いたのですが、以前は有人駅だった場所が現在は無人駅になっています。駅舎にはちゃんとした待合室があり、かつて切符を販売していたことがわかる閉められた窓口もあり、改札には有人改札の構造が残っています。トイレは隣の観光案内所にあって、予土線の列車はトイレが無い物ですから、ここでちゃんと済ませておかないといけません。そうでないと、トイレに行きたいと思っても降りてしまえば2~3時間は列車が無いのですから。
ここから乗車するのは「清流しまんと号」です。この愛称はトロッコ車両の愛称で、以前はこの江川崎から土佐大正まで乗車できたのですけど、なぜか窪川方面の列車の乗車区間は十川から土佐大正までに短縮されてしまいました(宇和島方面の列車は現在も土佐大正から江川崎まで乗車可能)。トロッコは今や唯一となったトラ45000形によるトロッコ列車。元は無蓋貨車だったのを改造した物です。昭和59(1984)年から運行している、国鉄・JRのトロッコ列車の元祖にあたります。十川までと、土佐大正から先は牽引車にもなっているキハ54形の車内に乗車することになります。
江川崎駅に戻ると、「サイクルトレインにゃんよ号」のラッピングをしたライトバンがいた
江川崎駅の駅舎内。左に自動券売機があるが、かつては有人駅であったのが一目で分かる構造
地元のコミュニティバスだろうか。ボンネット風に作られたバスがやってきて、奥の駐車場へ入っていった
江川崎駅の駅名標。隣の駅が・・・
キハ54形がトラ45000形を牽引し、姿を現した
キハ54形の扉部分にはアンパンマンのチーズのシールが貼られている
キハ54形の車内。21m級気動車ながら、トイレ無しのロングシート。シート部にはいくつか仕切りがある。江川崎では「サイクルトレイン」だと思って自転車を積み込もうとして断られる一幕もあった。「サイクルトレインにゃんよ号」は列車指定、区間指定で有り、どの列車にもそのまま乗せて良いとはなっていないのだが、JR四国も参加者への周知不足なのだろう。結局、自転車を折りたたんで乗せていたかな
先ほどまでいた広見川に白鷺の姿が見えた。川の水がきれいだ
お隣の駅「半家」駅。「はげ」と読む。車内で解説された地元の観光案内の方いわく、平家の隠れ里であるために、平らの字を半にしたのが由来だとか
車内から見る美しき四万十川の風景
外川駅では後方に連結されたトラ45000形152462に乗り換えます。トラ45000形ですが、先頭に小さくコが付けられていて(これは荷物によって重量制限が違うことを示す付号)、副部長や私は昔からコトラと呼んでいます。私が飯田線に通い始めた頃は、飯田線の「トロッコファミリー号」もこのコトラを連結していたので、当時中部天竜から豊川までの長区間をこのトロッコに乗って通ったこともありました。その後「トロッコファミリー号」はトロッコがオハ17形に変わり、やがては全車廃車されました。今や、「トロッコ」と言うと気動車改造や客車改造の物が多くなりましたが、元々は遊んでいる貨車の有効活用であったのです。副部長はその「トロッコファミリー」以来というコトラへの乗車、副部長Jr.と火事さんは初乗車、私としては11年前に同じ列車に乗って以来の乗車でした。
外川駅で乗り換える。十川は四万十川の両岸にかけて鯉のぼりの橋が出来る有名な場所
四万十川にかかる鯉のぼり
列車が発車すると、その鯉のぼりを横に見ながら走った
トンネルに入る。車内は電球の光のみで暗くなりトロッコらしい雰囲気に
車窓に流れる四万十川
反対側は民家があることも
土佐昭和駅に到着。トイレに行かれた方がいて、ここで予定よりも停車時間がかかってしまう。まあ、ダイヤに余裕があるから良かったろうけど。予土線では乗車前にトイレは済ませておきましょう
沈下橋が見える。川底が鉄道の鉄橋から分かるほど、浅くて水がきれいだ
美しい四万十川の景色をトロッコから堪能する。窓越しじゃなくて直に風景を見て、列車で走る風を感じて、美しい景色と澄んだ空気を味わう、これぞトロッコ列車の醍醐味。日本でも有数の景色の美しさを誇る予土線に、国鉄が初めてトロッコ列車を走らせたのも納得できる。走行中は橋の上などで何度か止まってくれる
土佐大正駅に到着し、トロッコから再びキハ54形へ移る。トロッコはこの日満席だった
土佐大正駅の駅名標。昭和、大正はありますけど、明治と平成はありません
土佐大正からはキハ54形に戻って、ここから窪川へと向かいます。途中の川奥信号所では先に乗ってきた「海洋堂ホビートレイン」とすれ違いに。この信号所から若井駅を経由して窪川駅に至る区間はJR四国ではなく土佐くろしお鉄道になります。このため、青春18きっぷ等では、別途土佐くろしお鉄道の運賃(若井ー窪川)も払わないといけません。列車は窪川へ到着し、ここで乗り継ぎとなる特急「あしずり」を待つために、しばらく休憩となりました。待ち時間を設けずに普通列車に乗ることもできたんですが、火事さんが特急の方が良いとのご指定でしたので。
川奥信号所で「海洋堂ホビートレイン」とすれ違い
窪川駅に到着
跨線橋から見下ろしたトロッコ列車
こちらは土讃線の普通列車1000形
留置線にいたキハ32形
後方から見たトラ45000形。この後、キハ54形が機廻しして、戻りの行程は再度キハ54形が先頭に立つ
車輪の辺り。一軸車である
元が貨車なので、積層板バネ。乗り心地はとても悪い。が、トロッコとはそういう物である
留置中のキハ54形の横を、土佐くろしお鉄道からの特急「南風」がやってくる
窪川駅に停車した2000形特急「南風」
左側が土佐くろしお鉄道の普通列車TKT8000形。JR四国の1000形と一見すると似たような感じではあるが、併結は出来ない
窪川駅の駅舎。手前がJRで奥が土佐くろしお鉄道
土佐くろしお鉄道の窪川駅
JR側にあった鉄道開通記念碑と帰国記念碑
JR側のホームから見る土佐くろしお鉄道の窪川駅
土佐くろしお鉄道の窪川駅駅名標
TKT8000形が到着
N2000系を先頭にした特急「あしずり」で中村へと向かう
窪川からは、土佐くろしお鉄道中村・宿毛線へと入ります。以下、次回。
5/5の朝に松山から特急「宇和海」で宇和島へやってきて、宇和島で乗り換えたのは「海洋堂ホビートレイン」でした。この列車で江川崎まで乗車して、江川崎での2時間弱は町の中をぶらぶら。美味しい「四万十バーガー」と「鮎の塩焼き」を食べたりと地の物を楽しんで、次の列車へ乗るべく江川崎駅へと戻りました。
江川崎駅は前回も書いたのですが、以前は有人駅だった場所が現在は無人駅になっています。駅舎にはちゃんとした待合室があり、かつて切符を販売していたことがわかる閉められた窓口もあり、改札には有人改札の構造が残っています。トイレは隣の観光案内所にあって、予土線の列車はトイレが無い物ですから、ここでちゃんと済ませておかないといけません。そうでないと、トイレに行きたいと思っても降りてしまえば2~3時間は列車が無いのですから。
ここから乗車するのは「清流しまんと号」です。この愛称はトロッコ車両の愛称で、以前はこの江川崎から土佐大正まで乗車できたのですけど、なぜか窪川方面の列車の乗車区間は十川から土佐大正までに短縮されてしまいました(宇和島方面の列車は現在も土佐大正から江川崎まで乗車可能)。トロッコは今や唯一となったトラ45000形によるトロッコ列車。元は無蓋貨車だったのを改造した物です。昭和59(1984)年から運行している、国鉄・JRのトロッコ列車の元祖にあたります。十川までと、土佐大正から先は牽引車にもなっているキハ54形の車内に乗車することになります。
江川崎駅に戻ると、「サイクルトレインにゃんよ号」のラッピングをしたライトバンがいた
江川崎駅の駅舎内。左に自動券売機があるが、かつては有人駅であったのが一目で分かる構造
地元のコミュニティバスだろうか。ボンネット風に作られたバスがやってきて、奥の駐車場へ入っていった
江川崎駅の駅名標。隣の駅が・・・
キハ54形がトラ45000形を牽引し、姿を現した
キハ54形の扉部分にはアンパンマンのチーズのシールが貼られている
キハ54形の車内。21m級気動車ながら、トイレ無しのロングシート。シート部にはいくつか仕切りがある。江川崎では「サイクルトレイン」だと思って自転車を積み込もうとして断られる一幕もあった。「サイクルトレインにゃんよ号」は列車指定、区間指定で有り、どの列車にもそのまま乗せて良いとはなっていないのだが、JR四国も参加者への周知不足なのだろう。結局、自転車を折りたたんで乗せていたかな
先ほどまでいた広見川に白鷺の姿が見えた。川の水がきれいだ
お隣の駅「半家」駅。「はげ」と読む。車内で解説された地元の観光案内の方いわく、平家の隠れ里であるために、平らの字を半にしたのが由来だとか
車内から見る美しき四万十川の風景
外川駅では後方に連結されたトラ45000形152462に乗り換えます。トラ45000形ですが、先頭に小さくコが付けられていて(これは荷物によって重量制限が違うことを示す付号)、副部長や私は昔からコトラと呼んでいます。私が飯田線に通い始めた頃は、飯田線の「トロッコファミリー号」もこのコトラを連結していたので、当時中部天竜から豊川までの長区間をこのトロッコに乗って通ったこともありました。その後「トロッコファミリー号」はトロッコがオハ17形に変わり、やがては全車廃車されました。今や、「トロッコ」と言うと気動車改造や客車改造の物が多くなりましたが、元々は遊んでいる貨車の有効活用であったのです。副部長はその「トロッコファミリー」以来というコトラへの乗車、副部長Jr.と火事さんは初乗車、私としては11年前に同じ列車に乗って以来の乗車でした。
外川駅で乗り換える。十川は四万十川の両岸にかけて鯉のぼりの橋が出来る有名な場所
四万十川にかかる鯉のぼり
列車が発車すると、その鯉のぼりを横に見ながら走った
トンネルに入る。車内は電球の光のみで暗くなりトロッコらしい雰囲気に
車窓に流れる四万十川
反対側は民家があることも
土佐昭和駅に到着。トイレに行かれた方がいて、ここで予定よりも停車時間がかかってしまう。まあ、ダイヤに余裕があるから良かったろうけど。予土線では乗車前にトイレは済ませておきましょう
沈下橋が見える。川底が鉄道の鉄橋から分かるほど、浅くて水がきれいだ
美しい四万十川の景色をトロッコから堪能する。窓越しじゃなくて直に風景を見て、列車で走る風を感じて、美しい景色と澄んだ空気を味わう、これぞトロッコ列車の醍醐味。日本でも有数の景色の美しさを誇る予土線に、国鉄が初めてトロッコ列車を走らせたのも納得できる。走行中は橋の上などで何度か止まってくれる
土佐大正駅に到着し、トロッコから再びキハ54形へ移る。トロッコはこの日満席だった
土佐大正駅の駅名標。昭和、大正はありますけど、明治と平成はありません
土佐大正からはキハ54形に戻って、ここから窪川へと向かいます。途中の川奥信号所では先に乗ってきた「海洋堂ホビートレイン」とすれ違いに。この信号所から若井駅を経由して窪川駅に至る区間はJR四国ではなく土佐くろしお鉄道になります。このため、青春18きっぷ等では、別途土佐くろしお鉄道の運賃(若井ー窪川)も払わないといけません。列車は窪川へ到着し、ここで乗り継ぎとなる特急「あしずり」を待つために、しばらく休憩となりました。待ち時間を設けずに普通列車に乗ることもできたんですが、火事さんが特急の方が良いとのご指定でしたので。
川奥信号所で「海洋堂ホビートレイン」とすれ違い
窪川駅に到着
跨線橋から見下ろしたトロッコ列車
こちらは土讃線の普通列車1000形
留置線にいたキハ32形
後方から見たトラ45000形。この後、キハ54形が機廻しして、戻りの行程は再度キハ54形が先頭に立つ
車輪の辺り。一軸車である
元が貨車なので、積層板バネ。乗り心地はとても悪い。が、トロッコとはそういう物である
留置中のキハ54形の横を、土佐くろしお鉄道からの特急「南風」がやってくる
窪川駅に停車した2000形特急「南風」
左側が土佐くろしお鉄道の普通列車TKT8000形。JR四国の1000形と一見すると似たような感じではあるが、併結は出来ない
窪川駅の駅舎。手前がJRで奥が土佐くろしお鉄道
土佐くろしお鉄道の窪川駅
JR側にあった鉄道開通記念碑と帰国記念碑
JR側のホームから見る土佐くろしお鉄道の窪川駅
土佐くろしお鉄道の窪川駅駅名標
TKT8000形が到着
N2000系を先頭にした特急「あしずり」で中村へと向かう
窪川からは、土佐くろしお鉄道中村・宿毛線へと入ります。以下、次回。
爽快でしょうね。
赤い屋根はセンスないので、いっそ無蓋でも良いのに(笑)
赤い屋根は派手ですけど、いかにも遊園地的なイメージを持たせているんで、この車両にはちょうど良いかなと思います。
ちなみに、屋根は鉄道旅客車両の構造上、あるべきになります。国土交通省の定める「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」ってのがありまして、旅客車に不燃性を求めているんですが、この規則になる前にあった「普通鉄道構造規則」はもろに屋根の項目があって、旅客車に屋根があるのが前提だったので。今は屋根の規程は省令上は無いんですけどね。実際には、無いと落ち葉や虫などの自然の落下物で車内が汚れるので、小雨レベルなら走らせるためにも必要でしょう。