みやしたの気まぐれblog

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懐かしい鉄道写真 その1(2004年3月13日〜3月27日)

2020-01-11 01:39:56 | 懐かし列車写真
年末で12月まで旅行記が追いついて来たので、ちょっと違うこともしたいなと思い、6年ぶりに懐かしい列車写真シリーズを掲載します。
今回の写真は、以前のシリーズのラストだった2004年3月6日を踏まえて、それ以降の写真で。タイトルの通り、2004年3月13日〜3月27日に撮影して、現在では見ることができなくなった車両や駅の写真を公開します。

2004年の春に、当時大きな鉄道ニュースが2つありました。1つは2004年4月1日から営団地下鉄が東京メトロ(東京地下鉄)に変更となること。
もう1つは、2004年3月31日に名鉄三河線の西中金〜猿投間、碧南〜吉良吉田間廃止に伴う気動車運行終了でした。
ということで、これに合わせて撮影した写真が中心になります。



営団7000系。現在では塗装も変わり制御装置も更新されて、主に副都心線運用になっています。当時は全て10連で、西武池袋線、東武東上線へ乗り入れていました。すでに営団マークは取り外されています。新線池袋は、現在の副都心線池袋駅のことですね


営団06系。千代田線の増発に伴う増備車として1編成だけ製造された電車。同時期に製造した07系とほぼ同じ仕様です。千代田線の16000系車種統一化に伴い、6000系よりも早く2015年に廃車されてしまいました




営団赤塚、営団成増駅の駅名標など。東京メトロになって、地下鉄赤塚、地下鉄成増となりました。もともと東武東上線の下赤塚、成増駅に程近い場所なので、区別するために付けられていた営団の文字でした


営団02系のU LINERラッピング車。当時見られた車内広告を一社だけで行うAD Trainの一種です。現在は丸の内線含めて、このような一社広告社があっても編成を区別することは少なくなっていますね


営団6000系。当時は千代田線の大半がこの電車でした。東京メトロへの切り替え前に、営団マークはすでに取り外されています。2018年に最後の編成が引退しましたが、まだ訓練車が新木場に残っています。


京王6000系新塗装。京王初の20m級通勤型電車として登場した6000系は、当時の車両にしては珍しい、前面の貫通扉を境に左右の窓サイズが違う車両でした。2011年に全廃されています。


西武6000系未更新車。現在でも新宿線でオリジナルスタイルの車両が残っていますが、池袋線では前面が白く塗られた更新車のみとなっており、地下鉄を走る未更新車の姿は過去のものになっています。


JR東日本203系。国鉄が製造した数少ないアルミ合金製の通勤型電車。国鉄赤字で、止むを得ず千代田線直通に投入した103系1000番台などを置き換えるために1982年に投入されました。201系のシステムでアルミ合金ということで、国鉄にとってはとても高い通勤電車だったと思われます。2011年に後継のE233系2000番台に置き換えられて引退。現在はフィリピンで客車扱い、インドネシアで電車運行しているものがあります


JR東海の115系。JR各社の中でも在来線の規模が比較的小さいJR東海では、豊富な資金力もあって、最も早く国鉄車の置き換えが進みました。写真は東海道本線の静岡で撮影しており、運用の都合で、勾配用の115系が勾配の少ない東海道本線で動くこともよくありました。2007年に運行終了し、この時から東海道本線ロングシート地獄が始まりました。


JR東海の117系。名古屋地区の新快速用に投入された117系ですが、JR化後に投入された311系、313系によって次第に居場所がなくなり、晩年は豊橋で昼寝していることも多かったですね。2013年に313系に置き換えが完了して消滅しています。リニア・鉄道館に保存されていた3両も、1両を残して解体されてしまいました。


名鉄キハ20形。名鉄八百津線へのキハ10形投入から始まった閑散路線の電化解除による非電化化の中で、キハ10形の置き換え用に投入された車両。外観はキハ10形に似ていたが、車体長を12.5mから15.5mへ延長し、一軸車からボギー車へ変更。より鉄道車両らしくなった。2004年3月31日で非電化区間が廃止されたため運用を失い、ミャンマーに渡っている




名鉄キハ30形。名鉄非電化区間用気動車の最終形。16m級の軽快気動車で、この手の軽快気動車には珍しく中央に扉を持つ3扉車。2004年3月31日の非電化区間廃止で運用を失い、キハ20形と共にミャンマーへ渡っている。日本での活躍は1995年の製造からわずかに9年ほどであった。


名鉄モ510形。元は1926年に製造された美濃電気軌道セミボ510形で、名鉄に引き継がれて2005年3月31日の軌道線全廃まで2両が現役で残り続けた。最後の2両はいずれも保存されており、1両は谷汲駅後、1両は2019年になって以前保存場所からJR岐阜駅前に移されている。この他にも保存車がある。



名鉄モ570形。名鉄岐阜市内線で活躍していた1950年代製造の旧式な路面電車。名鉄らしい真っ赤な車両だったが、古いこともあって2005年3月の軌道線全廃後は譲渡先もなく、全車解体されている


名鉄モ590形。1957年に製造された岐阜市内線・美濃町線向けの路面電車。5両が製造されたが、2005年3月の軌道線全廃後は2両が土佐電気鉄道に渡り、主に桟橋線で活躍しているので、高知駅で姿をよく見る。残る3両は廃車されたが、1両は美濃駅跡で保存されている


名鉄モ600形(2代)。1970年に製造された電車で、複電圧に対応し、美濃町線・田神線・各務原線を運行した。独特な細身の形状から「馬面電車」とも呼ばれた。2005年3月の軌道線全廃後は1両が美濃駅跡に保存されている。


名鉄モ780形。1997年に登場した名鉄岐阜市内線・揖斐線向けの路面電車。名鉄の路面電車の中でも最後期の製造にあたり、2005年3月の軌道線全廃後は豊橋鉄道東田本線に移籍。以降、豊橋鉄道東田本線の主力車両となっている


名鉄モ800形。2000年に登場した部分低床構造の超低床電車。2001年に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。製造からわずか5年足らずで全線廃止されたため、3両製造されたうちの2両は福井鉄道、1両は豊橋鉄道に渡って活躍。その後福井鉄道では連接車に統一することとなったため、3両とも豊橋鉄道に集まることになった。すでに名鉄時代よりも譲渡先での方が長い活躍となっている。


名鉄モ870形。元札幌市電A830形で、名鉄は大手私鉄としては珍しく他事業者からの譲渡車両が多い会社だが、その中でも唯一の北海道からの移籍車。あいにくすれ違いに1枚撮っただけだった。札幌市電時代に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。美濃駅跡にカットボディが残っている。



名鉄モ880形。1980年に登場した名鉄美濃町線・田神線向けの連接車で、各務原線乗り入れの複電圧対応車。写真上は当時の名鉄には珍しい広告塗装車。2005年3月の軌道線全廃後は福井鉄道に渡り、福井鉄道の主力車両の1つとなっている


名鉄6600系。1978年に登場した車両で、名鉄の本線用通勤電車、6000系の瀬戸線バージョン。当時の名鉄の通勤電車には珍しく白い大きめのスカートを取り付けており、6000系とは前面の印象が少し異なる。2013年までに全車が4000系に置き換えられて引退。廃車されている。


名鉄6750系。瀬戸専用の電車で、1次車(写真右)が1986年、2次車(写真左)が1990年から製造された。すでに世の中では界磁チョッパ制御、界磁添加励磁制御、電機子チョッパ制御などからVVVFインバータ制御への移行が始まる時期だったにも関わらず、旧型車の足回りを再利用して車体だけ更新したので、吊りかけ駆動車であった。2011年までに全車が4000系に置き換えられて引退。廃車されている。


名鉄7000系。言わずと知れた名鉄の名車「パノラマカー」。1961年に登場し、1962年には鉄道友の会より第5回ブルーリボン賞受賞。名鉄の看板車両として活躍したが、老朽化により2009年に全廃されている。中京競馬場と名鉄の舞木検査場に保存車がある。



名鉄1000・1200系の旧塗装。車両更新と塗装変更でこの姿も過去のものになってしまいました。この塗装の方がかっこいいと思うんですがね・・・




名鉄7700系。7000系「パノラマカー」の車内構造をベースにした通勤用電車。2扉車の2両編成(一部4両編成もあったが)ということで、この時期は閑散路線である三河線で活躍していた。7000系の引退後も2010年まで残存したが、6000系に置き換えられて引退している


西中金駅。名鉄三河線の当時の北側終点。猿投〜西中島は閑散区間として非電化になっていた。2004年3月31日で廃止。


新関駅。1999年の名鉄美濃町線の短縮化後、元々はこの駅から美濃駅まで延びていた線路がなくなり、代わりに長良川鉄道関駅への線路がひかれた。しかしそれも2005年3月31日で廃止され、この駅も廃止となった。


長良川鉄道ナガラ1形。1986年の長良川鉄道が国鉄越美南線からの切り替えた時に製造されたレールバス。富士重工業製のLE-Carシリーズの軽快気動車で、樽見鉄道のハイモ230-300形と同等の車両だが、貫通扉がないのでよりバスっぽい。2009年までに老朽化で順次廃車され、最後の1両は長良川鉄道ではなく、樽見鉄道に渡って2014年に廃車されている。


名古屋市交通局5000形。1980年に登場した東山線向け電車で、アルミ合金製車体の電機子チョッパ制御車。2015年までに後継のN1000形に置き換えられて全廃。一部の車両はアルゼンチンに渡り、ブエノスアイレスの地下鉄として走っている。


JR東日本485系「やまなみ」。485系の足回りを利用して車体を新製したジョイフルトレイン。高崎支社の管轄で団体臨時列車などに使用されたが、中間車2両はその後「リゾートやまどり」に転用。戦闘車2両は、「ジパング」に転用され、「やまなみ」としては姿を消している。


EF63形。信越本線の碓井峠廃止で用途を失ったEF63形は、碓井鉄道文化むらや軽井沢駅にて動体保存/静態保存されたが、丸山変電所跡に保存されていた車両が盗難被害などにあったため、横川駅構内に移動して留置されていた。この11号機は、その後鉄道文化むらの動態保存機になっている。


1983年に国鉄が12系を改造して製造した御座敷列車。JR化あとの1999年まで活躍し、廃車後1両は鉄道文化むらに保存されている。この当時は、横川駅の側線で留置されていた。


上田交通7200系。元東急7200系で、この当時は黄緑色のテープが貼られていた。のちに上田電鉄となって濃紺とベージュのラインに変更されている。当時の上田交通は全てこの電車で運行されていた。2018年に最後の編成が引退。一部は豊橋鉄道に譲渡され、また製造会社であった東急車両製造(現在の総合車両製作所)にも譲渡されている。

年始に書き始めたものの、結局作業量が多くなって結構時間がかかりました。
次回は旅行記に戻りますので、また気が向いた時に第2回をやりたいと思います。

<過去のシリーズ>
懐かしい列車写真 デジカメ版
懐かしい列車写真 デジカメ版その1
懐かしい列車写真 デジカメ版その2
懐かしい列車写真 デジカメ版その3
懐かしい列車写真 デジカメ版その4
懐かしい列車写真 デジカメ版その5
懐かしい列車写真 デジカメ版その6
懐かしい列車写真 デジカメ版その7
懐かしい列車写真 デジカメ版その8
懐かしい列車写真 デジカメ版その9
懐かしい列車写真 デジカメ版その10
懐かしい列車写真 デジカメ版その11
懐かしい列車写真 デジカメ版その12
懐かしい列車写真 デジカメ版その13
懐かしい列車写真 デジカメ版その14
懐かしい列車写真 デジカメ版その15
懐かしい列車写真 デジカメ版その16
懐かしい列車写真 デジカメ版その17
懐かしい列車写真 デジカメ版その18
懐かしい列車写真 デジカメ版その19
懐かしい列車写真 デジカメ版その20

懐かしの列車写真 フイルム版
懐かしの列車の写真(フイルム版) その1
懐かしの列車の写真(フイルム版) その2
懐かしの列車の写真(フイルム版) その3
懐かしの列車の写真(フイルム版) その4
懐かしの列車の写真(フイルム版) その5
懐かしの列車の写真(フイルム版) その6
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2 コメント

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Re:Unknown (みやした)
2020-07-07 22:39:38
こんばんは。
岐阜の600V線は、名鉄としても赤字で手放したかったわけですから、岐阜市で引き継ぐ体力が無かった以上、廃止はやむを得なかったでしょう。
その代わりに、中心部の道路が広がり、連接バスも運行されています。岐阜市内中心部自体は空洞化が叫ばれていますが、これはどこの地方都市でも一緒ですから。
6750系(1990年の吊り掛け電車)の登場は、名鉄の消耗具合を如実に表していたと思います。
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Unknown (風旅記)
2020-07-07 02:16:09
こんばんは。
貴重なお写真の数々ですね。殆ど乗ったことがありませんが、中でも名鉄の600V路線には一度でも訪ねてみたかったと思っています。決して人のいない地域ではないと思いますが、車中心の生活の根付いた地域ゆえ、路面電車を残す発想は生まれなかったのだろうと残念に思います。
吊り掛け電車に路面電車、閑散線区には気動車、名鉄は今の比ではなく楽しい鉄道会社だったのでしょうね。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
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