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降って来るもの

写真と散文とぽえむ

心訓抄・ⅩCⅠ

2017-10-25 22:00:22 | 心訓抄

                   XCⅠ「時間」

 

思いの他に時間が有り過ぎると

かえって、どうも

上手く遣り繰りできないようなのだ

 思い通りの時間に

 思い通りに時間を使って

 思い通りに事が運ぶ、筈なのに

大概は怠け心がそれを蝕んで

僅かになった残り時間に翻弄される

 愚か者になる

 

人生と揶揄される僕の持ち時間も

その様な経過を辿って

 既に潤沢ではない

 

時限爆弾の、起爆装置が作動して

時刻がやがてZEROで止まる迄に

 命の智慧を結集して

やり残しの無念も、限りなくゼロに近付けたい

 

ヒト属共通項の

生きたい願望や欲望を

 残滓のように抱えるとしても・・

*10/25 22:00:22 万甫

 

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心訓抄・ⅩC

2017-10-25 05:20:20 | 心訓抄

                   XC「道具」

 

penとmemo帳を持って歩けば

”犬も歩けば・・”のように

確かに何某かと触れ合う

 

そのことに意味が有る無しは

多分、受け止める各自が

持ち合わせる器量によって違ってくるけれど

各々が用意するリトマス紙で

様々な反応を起こすけれど・・

 

確かに道具を持って歩けば

僕は棒に当たって

何某かのmonoは工作できる 

*10/25 05:30  

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心訓抄・LXXXⅨ

2017-10-23 19:36:44 | 心訓抄

                   LXXXⅨ「中毒」

 

書きたいけれど、書くことがない

或いは

書く事が有るけど、書けない

そんなことが、間々ある

 

詩人なんかじゃない

essayistには成れそうもない

ましてや、novelistになどとは、トンデモナイ!!

 

せいぜいモーゼの十戒を上手く真似て

己への訓示を搾り出すぐらいが

 関の山の器なのだ

 

それでも

読み書きから距離を置いた日常は

 考えられない

どうやら、腰痛の他に

活字中毒も患っている

*10/23 19:36

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心訓抄・LXXXⅧ

2017-10-23 05:22:05 | 心訓抄

                LXXXⅧ「ITO」

 

僕は何時でも書くことに拘ってきた

writerで在り続けることを望んできたのだ

 僕が生存を主張できる

それが唯一の手段のように・・

 

青春と呼称される門を潜って

その時節から

 龍之介のクモの糸のように

透明でか細く脆い幻のようなitoに縋り付いて

或いは必死で手繰り寄せて

自分の曼陀羅の部分を織って来たのだ

 

幸いなことに

幾本もの色彩を持ったitoにも巡り逢いながら

 此の儘、多分

僕はwriterとして

periodまで辿り着けるだろう

 

唯一に邂逅した幸せな一人のMANとして・・

*10/23 05:35

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心訓抄・LXXXⅦ

2017-10-22 22:17:17 | 心訓抄

               LXXXⅦ「bell」

 

カラダの何処かで

突然、bellが鳴る

 その響きが

ココロの音叉で共鳴する

to

指先が言葉を紡ぎ始める

 

僕の”sinkun”のどれもが

その様な成り立ちを孕んで産まれる

 濃淡の陣痛を伴った

一回限りの出産のように・・

*10/22 22:26

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心訓抄・LXXXⅥ

2017-10-22 07:20:08 | 心訓抄

                LXXXⅥ「夢現のmelody」

 

                     「意思」

 

全ては中途半端だとomou

それ故、まだ

少しは伸び代が有るのだと

慰める

 

極めることなど

到底無理だとomoeru

それ故、そこに

挑もうとする意思が残される

 

全ては不確かで不完全だとomou

それ故、幾らか付け入る隙があって

それ故、僕の

生き甲斐も辛うじて保たれる

                    「浸潤」

 

眠りを妨げる回路に

 僕は意を決して

絶縁テープを巻き付ける

けれど

思うようには防げない

 そいつには

遮断できる明確な形が無いのだ

分厚さを易々と擦り抜けて

耳元に浸潤しては

 kotoba掛けをしてゆく

 

僕は寝不足でしょぼつく目を抉じ開けて

昔からの取り決めのように

 それをメモ帳に筆記してゆく

何と滑稽な、執筆者の実態・・

                        「旅人」

 

本当に、yumeとututuを往来している

夢現の溢路を

行ったり来たり、出掛けたり戻ったり

それも、活き活きと弾んで

 

拾うものはすべて懐に入れ

捨てるものはすべて無に渡し

 僕は軽やかな身なりで

たった一夜の一刻の

mugen旅行の旅人になるのだ

                     「時折」

 

降って湧いた、たった一言に

反応するリトマスのように

僕の何処かで

変色し、起立する部分がある

 

何時でも、平穏と無縁に

深奥で渦巻く部分が

時折

全体を覆ってしまうのだ

 

部分と全体などと

区分けできない領域で

僕はボクの間に間を過ごし

時折

疲れ果てて生還する

*10/22 07:20:07 万甫

 

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心訓抄・LXXXⅤ

2017-10-22 05:01:16 | 心訓抄

                   LXXXⅤ「機会」

 

苦しみと無縁の

有りのmamaを有りのママで

面白いように生み出せる

機会がある

 考えるのは

ただmamaかママか儘か?

そんな些細にだけ

神経を持ち出せばいいだけの

軽やかで愉しく

 面白いように言葉が連なってゆく

夜明け前の驟雨が

心地よいwaltzに聴こえるような

 僕の時間割の中の幾分がある

*10/22 05:00

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心訓抄・LXXXⅣ

2017-10-22 04:34:38 | 心訓抄

                LXXXⅣ「過程」

 

少しの時間

導火線を這いあがった言霊が

花火のように

華やかに無を穿つ展開も有る

 

それは壮大な一つのeventだから

何時も!!

というわけにはいかないけれど

僕の”ものごと”の誕生過程には

さまざまな順列や知恵の輪や迷路やらが

複雑怪奇に絡まっている

*10/22 04:34

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心訓抄・LXXXⅢ

2017-10-22 03:55:00 | 心訓抄

                  LXXXⅢ「異質」

 

意思に反比例して

二時や三時前や

気の早い新聞配達員より早い

四時前に目覚めてしまっているようなTOKIは

 それはそれで

一回のchanceだと捉えることにして

沈黙のしじまを愉しむのだ

暗黒の無に

洞穴のように半円の明かりを灯し

完全無欠の執筆時間に充てる

 

tokiとして

そんな異質から

自分でも驚くばかりの

秀作や傑作に出合うことも有る

*10/22 04:06:04

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心訓抄・LXXXⅡ

2017-10-21 20:32:22 | 心訓抄

                  LXXXⅡ「傍観」

 

内容物を出し切ってしまうと

そこから

新しい意欲が芽生えてくるように

 

書くべきものを嘔吐してしまうと

無味無臭の空間に

言葉の種が蒔かれる

 

あとはただ黙って傍観者になる

 気付いたときに水をやり

偶に肥やしを施して・・

*10/21 20:32:20

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