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「ソーランinワンズモール」本番

2004-02-21 09:43:00 | 徒然なるままに
2月15日(日)

今日は、いよいよ今年最初の大きなイベント「ソーランinワンズモール」本番だ。
朝から雲一つない快晴、日差しも春のように暖かだ。
集合場所にフェイスペイントをしたやる気満々の皆が集まってきた。

大漁旗を先頭に、建物の後ろの通用口まで移動し、チェックを受け、入店。
控え室で、ストレッチ、立ち位置確認、諸注意・約束事の確認をし、いざ、イベント会場へ。

すでに何人かのお客さんが待ち構えていて、みんなちょっと緊張気味。
でも、終始、本当にスムーズに段取りよく進んでいった。
ここで私としてはまたまた反省。
やはり、本番通りのリハーサルって大事だと思った。
アバウトで進行表を書いていてので、あまりにも本番がスムーズに行き、私も早口だったせいか、時間がかなり余ってしまった。
それぞれの所要時間の読みが甘かった。
でも、トラブルが起きたわけでもなく、遅れているよりはまし。
そこは臨機応変、台本にはなかったPRをしてみたり何とか時間いっぱいを使って午前の部を終えることができた。

踊りの方は、みんな緊張はしていたが、気合い充分、乱舞の時もいい笑顔で踊りまくっていた。
たくさんの拍手をもらって大満足の顔で控室に帰ってきた。

午後の部は私は美術館の仕事のため、参加は出来なかった。
娘やみんなの話では、午前の部以上のお客さんが集まって、午前中に一度踊ってみたので、場所にもなれたのか、間隔の取り方、移動のしかたも上手くいって、みんなのびのび踊れていたそうだ。
ただ、午前の部とプログラムが変更になっていたので、打ち合わせでは分かっていたものの、本番になったら頭の中が真っ白になってちょっと戸惑ったという反省も。
それにつけても、リハーサルって大切だと思った。

亡き義父の命日

2004-02-21 09:14:00 | 徒然なるままに
2月14日(土)

今日は、亡き義父の命日。
遺影にお花と好物の甘納豆をお供えした。

遺影は、私達の結婚式の時の「父のあいさつ」のときのもの。
一言一言かみ締めるようにあいさつしてくださったことが、昨日のように思え、あの時の義父の言葉を思い出しながら頑張ってきた。

子ども達におじいちゃんの記憶はない。
今年で13回忌。
当時長男は3歳、長女は5日後に1歳を迎えるという時だった。
10人の孫のうち、おじいちゃんに抱っこやおんぶしてもらったのは、長男だけである。

長男や、長女の誕生を心から待ち望み、喜んでくれた義父。
私のことを、嫁としてではなく、娘のように思ってくださった義父。
東北の男特有の無口で、一徹だった義父。
子煩悩で、我が子たちにはかなり厳しかったらしいが、孫には面白いおじいちゃんだった。

人の死には、2種類あると思う。
肉体の死と、魂の死。
前者は、この世に生を受けた生きとし生ける者全てにおとずれる「死」だ。
後者は、遺伝子として残ることもあるだろうが、個体としての魂は「記憶」として残るのだと思う。
作品などで千年経っても、その人の存在が語り次がれ、認められ、受け継がれていく人もあるだろう。
でも、多くの人の場合は、近親者の記憶の中に残り、やがて「忘却」という第2の「死」を迎える。
「お盆」「お彼岸」「・・・忌」など、法事の時に関係者が集まり故人を偲ぶというのは、とても素敵な風習だと思う。
先祖を敬う気持ちというのは、自分のルーツを知り、「命のバトンタッチ」を担っていく自覚を持つためにも必要な教えだと思う。

おじいちゃんはこの世にはいない。
でも、子ども達が小さい頃から居間に飾ってある写真を見ながら、時々おじいちゃんの話を聞かせてきた。
だから、子ども達の中には、会うこともは話すこと出来ないけど、「天国」に住んでいて、いつも自分たちのことを見守ってくれている。という感覚は持っていると思う。
私達の中では、義父は64歳のままで今でも生き続けている。

お彼岸に子ども達と帰省し、お墓参りに行く。
たくさんのお詫びと感謝と、初孫の高校合格を告げに・・・。

明日本番

2004-02-21 08:29:00 | 徒然なるままに
2月14日(土)

午前中は、小学校の体育館で、明日のソーランの本番のリハーサルをした。
反省としては、かなり以前から準備してきたにもかかわらず、当日のフォーメーションが、今日になってもきちんと決まらなかったことだ。
頭の中で考えていた立ち位置と、実際その位置に立たせてみたのとでは、ずい分違ったものになった。
実際、リハーサルになっても、全員が揃うことはない。
まして、実際に踊る場所でのリハーサルはもちろん、立ち位置の確認をすることも出来ない。
今までのイベントの多くは、列ごとに並んでの基本の隊形移動が分かっていれば、何とかぶっつけ本番でも対応はできた。
だが、今度は、3方を囲まれての円形舞台である。
「コの字」にするか、直径を長くした列ごとに踊るか、円周に沿った隊形移動にするか、乱舞は全員で踊るか・・・。
子ども達は、何度も立ち居地を変られ、とてもこのまま本番を迎えるには不安が残るリハーサルになってしまった。

ここに至るまでは、いろんな行き違いがあって、上手くコミュニケーションが取れていなかったり、風邪でなかなか練習に揃わなかったりということもあったが、いいわけはともかく明日が本番である。
夜、メンバーに最終的な立ち位置表を作ってもらって、Faxで送ってもらった。
後は、みんなを信じて、とにかく元気に踊りまくろう!

「出来るようになったよ」発表会~2年生・授業参観~

2004-02-21 08:08:00 | 徒然なるままに
2月13日(金)

午前中は人形劇の練習。
前回に引き続き、風邪その他で参加者が少なかった。
今日は、あまんじゃくの声の代役をやった。
この頃、ソーランで声がつぶれてダミ声状態なので、ちょうど良かったかも。
ただ、劇中の機織の歌は、私が歌うと東北訛にこぶしが回って民謡調になってしまい、どうも笑うシーンではないのに笑いを取ってしまっていた。
でも、久し振りに声だけでも役者としての練習ができて、楽しかった。

午後からは、小学校の学習参観。
2年生のテーマは、「出来るようになったよ発表会」
こどもたちは音読、書き取り、計算、九九、縄跳び、跳び箱、独楽回しなど、それぞれ、グループに分かれて得意技を披露してくれた。
娘のグループは、縄跳びで、あや飛びなど、前振り、交差飛びに挑戦。疲れを知らないその飛び方は、いつの間にあんなに飛べるようになっていたのだろう、と驚いた。
他の子達も、一生懸命練習をしたのだろう。中には緊張して練習通りに行かなかった子もいたようだが、みんなで、「がんばれ!」と声援を送っていた。
子ども達は、発表が終わったら、一人一人「お母さんへの感謝状」を読んでくれた。

この1ヵ月近く、2年生の生活科では「私の生まれた頃・小さい頃調べ」に取り組んできた。
生まれたときの体重・身長調べ、名前の由来、生まれたときのエピソードや小さい頃の思い出話などを家族に取材し、アルバムからお気に入りの写真を選んで持っていった。
教室の後ろの壁には、可愛い写真や、子ども達が調べたことを一生懸命書き込んである紙が一面に張られていた。
この授業の中には「性教育」も多少入っていて、命の尊さ、神秘性についても子どもたちは学んでいる。それが、「お母さんへの感謝状」になった。
どの子も、書き出しが、
「お母さん、私を生んでくれたありがとう。」
と言う言葉で始まり、それを聞いただけで、グッと来てしまう。
「おなかの中で、いっぱい蹴っ飛ばしちゃってごめんなさい」
「いつも熱を出して心配かけてごめんなさい」
「夜中に何回もミルクを飲んで、寝不足にしちゃってごめんなさい」
もう、涙涙・・・である。
それからたくさんの「ありがとう」の中に、
「お父さんと結婚してくれてありがとう」
と言うのがあって、子ども達が家族の絆についても深く大切に感じてくれていることが分かり、本当に癒される想いだった。

「親の心子知らず、子の心親知らず」
この子たちも、やがて思春期・反抗期を迎え、親子の壮絶な「バトル」を繰り広げるようになっていくのだろう。
でも、8歳の時に、自分がどうやって生まれてきたのか、自分が生まれたときどうだったのか、どんな風に育って来たのかを知ると知らないとでは、思春期・反抗期のあらわれ方はずい分違ってくると思う。
ただ、昨今の悲しい事件を聞くにつけ、世界中の誰もが娘のクラスの子ども達のように、幸せな生い立ちを経験してきているとは限らない。
子ども達は、自分の置かれている境遇を知ると同時に、「世界がもしも100人の村だったら」と言うことも学んでいかなければならない。

8歳までは、親の手元で育ってきた。
でも、これからは、多くの人の手で育ててもらっていくのだ。
礼儀、ルール・マナーを守ること、思いやりの心、感謝の気持ち、助け合いの精神・・・。
それを理解し、身に付くには、まず親が見本を見せていかなくては。
「人の子もわが子」
人様にわが子を育ててもらうと言うことは、自分も、人様の子を育てると言うこと。
あいさつはもちろん、良い行いは褒め、悪いことをしているときは叱り、泣いている時は慰め、元気のないときは励まし、わが子同様に心配したり・・・。
「おかげさま」「おたがいさま」
そういう言葉が何の抵抗もなく交わされる子育てネットワークが、いじめのない、豊かな子ども時代を作っていくのだと思う。

発表会の最後は、クラス全員による「大縄跳び」
午前中の体育で飛んだ50回を更新しようと頑張るが、狭い教室でやったのもあり、28回が最高だった。
でも、誰も失敗した子を責めず、へとへとになりながらも、みんなで心ひとつに励まし合い、自分の順番をちゃんとこなそうといっしょうけんめい挑戦する姿は感動的だった。

とても癒され、元気をもらえた素敵な授業参観だった。