7月3日(金)
『ゴーギャン展』(東京国立近代美術館、7/3~9/23)を見て来た。
ゴーギャン自身が最高傑作と語った「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」が初めて日本に上陸した。この絵は、ゴーギャンが自殺を決意して描いた、遺言ともいえる作品だ。
授業でずっとゴッホを鑑賞してきた。「ゴッホと言えばゴーギャン」と言うくらい、ゴッホにとっては唯一無二のライバルであり、先輩でありルームメイトだった。
ゴッホにとってのゴーギャンと過ごしたアルル時代の2年間は、けして良いことばかりではなかっただろうけれどあの2年間に描かれた絵が、一番輝いて見える。
ゴッホの耳きり事件で終止符が打たれた二人の生活は、その後、大きく変わる。
ゴッホはますます精神を病み、自ら入院する。(私は死ぬまで正気だったと信じているが)
後にタヒチに渡って、自分の本当に描きたい世界とモチーフに出会ったゴーギャンも、悲しい死を迎えることになる。
私はどうしてもゴッホに思い入れがあるせいか、ゴーギャンにとってのアルル時代が、一過性のもののような、『青春の1ページ』的な印象なのが寂しい。
ただ、二人は遠く離れていても、文通をしていたらしいとか、死期を悟って、タヒチには咲いていないひまわりの絵をゴッホに捧ぐと題して描いていたのが救いだ。
今回の展覧会は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」がメインと言うことで、アルル時代の絵は2枚ほどしかなかった。
でも、タヒチに渡ったゴーギャンが何を求め、フランスで挫折し、失意の末、再びタヒチに渡り、愛娘の死に絶望し、自殺を図るなど、彼の大作を描くに至るまでの彼の心の旅の一片を見た気がした。
ただ、この彼の生涯を授業で扱うとなると難しい。
妻子を捨ててタヒチに渡ったゴーギャンは、30歳の年下の13歳の娘テハアマナを現地妻とし、彼女をモデルに何枚もの作品を書いている。フランスに一時帰国後、再びタヒチに戻った後も、14歳の妻を二人も迎えている。
去年ピカソの鑑賞をしたとき、ピカソの女性遍歴には中学生はかなり反発をしていた。
ゴーギャンにとってもテハアマナたちは『ミューズ』だったのかもしれないが、それを中学生に説明するのは難しいかな。
もしかして、私自身がそういうのを受け付けないからか・・・。
私が鑑賞授業をするときは、単なる作品として紹介すると言うよりは、その作家の生涯を紹介し、その作品が描かれた時代背景や、作者の意図も紹介している。
まずは、先入観なしで、作品そのものと対峙させて、何か感じるものがあったり、生徒が自分から興味を持ったら、
「実はね、こういう人生を送った人なんだよ、これはその中のこういう時代に描かれたものなんです。詳しいことを知りたかったら、こういう本に詳しく書いてあるから読んでみてね」
と、すべては語らずに、生徒に託してしまうと言う方法もあるかなぁ・・・。
私的にはゴーギャンの絵は大好きなので、ぜひ、絵を紹介し、鑑賞させたいのだが・・・。
今回本邦初公開の「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」の実物を日本で見られるという幸運を味わわせるためにも、これは取り組むしかないか。
『ゴーギャン展』(東京国立近代美術館、7/3~9/23)を見て来た。
ゴーギャン自身が最高傑作と語った「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」が初めて日本に上陸した。この絵は、ゴーギャンが自殺を決意して描いた、遺言ともいえる作品だ。
授業でずっとゴッホを鑑賞してきた。「ゴッホと言えばゴーギャン」と言うくらい、ゴッホにとっては唯一無二のライバルであり、先輩でありルームメイトだった。
ゴッホにとってのゴーギャンと過ごしたアルル時代の2年間は、けして良いことばかりではなかっただろうけれどあの2年間に描かれた絵が、一番輝いて見える。
ゴッホの耳きり事件で終止符が打たれた二人の生活は、その後、大きく変わる。
ゴッホはますます精神を病み、自ら入院する。(私は死ぬまで正気だったと信じているが)
後にタヒチに渡って、自分の本当に描きたい世界とモチーフに出会ったゴーギャンも、悲しい死を迎えることになる。
私はどうしてもゴッホに思い入れがあるせいか、ゴーギャンにとってのアルル時代が、一過性のもののような、『青春の1ページ』的な印象なのが寂しい。
ただ、二人は遠く離れていても、文通をしていたらしいとか、死期を悟って、タヒチには咲いていないひまわりの絵をゴッホに捧ぐと題して描いていたのが救いだ。
今回の展覧会は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」がメインと言うことで、アルル時代の絵は2枚ほどしかなかった。
でも、タヒチに渡ったゴーギャンが何を求め、フランスで挫折し、失意の末、再びタヒチに渡り、愛娘の死に絶望し、自殺を図るなど、彼の大作を描くに至るまでの彼の心の旅の一片を見た気がした。
ただ、この彼の生涯を授業で扱うとなると難しい。
妻子を捨ててタヒチに渡ったゴーギャンは、30歳の年下の13歳の娘テハアマナを現地妻とし、彼女をモデルに何枚もの作品を書いている。フランスに一時帰国後、再びタヒチに戻った後も、14歳の妻を二人も迎えている。
去年ピカソの鑑賞をしたとき、ピカソの女性遍歴には中学生はかなり反発をしていた。
ゴーギャンにとってもテハアマナたちは『ミューズ』だったのかもしれないが、それを中学生に説明するのは難しいかな。
もしかして、私自身がそういうのを受け付けないからか・・・。
私が鑑賞授業をするときは、単なる作品として紹介すると言うよりは、その作家の生涯を紹介し、その作品が描かれた時代背景や、作者の意図も紹介している。
まずは、先入観なしで、作品そのものと対峙させて、何か感じるものがあったり、生徒が自分から興味を持ったら、
「実はね、こういう人生を送った人なんだよ、これはその中のこういう時代に描かれたものなんです。詳しいことを知りたかったら、こういう本に詳しく書いてあるから読んでみてね」
と、すべては語らずに、生徒に託してしまうと言う方法もあるかなぁ・・・。
私的にはゴーギャンの絵は大好きなので、ぜひ、絵を紹介し、鑑賞させたいのだが・・・。
今回本邦初公開の「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」の実物を日本で見られるという幸運を味わわせるためにも、これは取り組むしかないか。