7月17日(金)
ついに、40代最後の日を迎えてしまった
10代最後の日も、20代最後に日も、30代最後の日も、それぞれに思うところはあったけれど、今日はまた格別な思いがある・・・。
来年で半世紀生きたことになるのだが、今までの半生を振り返ると、まあ、結構波乱万丈の人生をよくまあ、明るく元気にやってこれたなあと思う。
その渦中はもちろん、凹みもしたし、立ち直れないほど心身ともに支障をきたすまで自分で自分を追い込んだときもあった。
でも、どんなときでも、私は一人ではなかった。
家族やたくさんの友人たちが、私を支え、励ましてくれた。
49年間生きてこれたのは、そういう人たちのおかげだと心から感謝している。
だから、年をとって悲しい・・・というよりは、49年間、私は生かされてきたんだと思えるようになった。
2年前の夏、私はどう見ても、48歳で人生を終えてしまうような事故から生還した。
そのときに、みんなから
「あなたは、守られたんだね!」とか
「生かされているんだよ!」
「あの世に行くにはまだ早いって、戻されたんだよ!」
「死ぬ前に、やっておかなくてはならない仕事があるんだね、きっと」
なんてことをいろいろ言われた。
それらは、私が本当に肌身で感じたことでもあった。
誰に守られたか、
誰に生かされたのか、
誰に戻されたのか、
何のために生きるのか・・・。
私は宗教者でもなければ、無神論者でもない。
でも、
親より先に死ねない。
子ども達を残して死ねない。
夢を果たせずに死ねない。
やることやらないで死ねない・・・。
それは、誰でもそうなのだけれど。
『バガボンド』に出てくる沢庵和尚が言ったセリフが衝撃的だった。
『すべては予定されているのだ。』
以前、人生にすごく悩み、迷い、同じところをぐるぐる回って、出口が見つからなかったとき、妹の勧めで、ある占い師に出会った。
そのとき、
「お姉ちゃん、迷っているなら会わせない。自分の中では答えが出ていて、それでいいのか、踏み出せないでいると言うのなら、背中を押してもらいに行こう」
と言われた。
その占い師は、本当に当たった。
まるで、生まれてこの方、私をずっと観察してきたように、いろんな過去や生活を見抜いていた。
その上で、その時点の私の悩みや迷いに、的確にアドバイスをくれた。
未来についても、大きな希望が持てた。
今考えると、それは『ピグマリオン効果』として私に作用し、そのおかげでその後に起こったさまざまな逆境を乗り越えられる原動力になったのだと思う。
ある意味では、自分から、言われた『シナリオ』に沿って生きてきたところもある。
でも、自分がなりたいもの、自分がそうであってほしいと思う生活に近づけていったのかもしれない。
今、辛いことがあっても、困難な問題があっても、それは、過去に起因するものであって、現在を変えていけば、未来は明るい方に向かう。
たとえ、過酷な運命が未来に待ち受けていようとも、それを乗り越えるだけの力をつけるために、今の試練がある。
自分自身を生きる。
それが、子ども達にとっても、未来の自分自身にとっても必ずプラスに作用する。
今置かれている状況を悲観して、後悔ばかりして、未来を見据えようとしないのは、自分自身を生かしてはいない。
一度きりしかない人生、現世の自分の生を全うしないで来世に夢を託すなんて虫が良すぎる。
占い師が教えてくれた、ちょっとだけ希望が持てる私の未来の姿。
本当にそうなるかどうかは、私次第なのだ。
年をとるということは、そのなりたい自分に一歩近づくということ。
年を重ねるということは、そのなりたい自分になるための経験を重ねるということ。
だから、毎年、自分を補完するために必要な試練が用意されているんだ。
今年の試練は、結構きつい。
でも、本当に、自分で自分をほめたいくらい、よく頑張っている。
『逃げない、ぶれない、諦めない』
をモットーにずっと全力疾走で頑張ってきて、ぎりぎりで糸が切れそうになったときに、
『逃げてもいいんだよ、一旦退却して、体制を整えて、ころあいを見て打って出るのも兵法だよ』
と教えてくれる人が現れたり、。
『あなたは、呼ばれたのね、その人たちに。それがあなたがここにいる意味なのね。』
と勇気をくれる人が現れたり。
困難とともに、それを乗り越えられるだけの根性と応援してくれる人も同時に得ているのだと思う。
私はどうも、『必要とされている』という言葉に弱いらしい。
“I love you."より
“I need you."のほうが嬉しいのかも。
そういえば、小さい頃は
「ママ、大好き!」と言ってくれていた中2の娘に
「今のママは嫌い。前はどんなに忙しくても、夜遅く帰ってきても、土日仕事で出かけても、仕事が終わればママに戻ってくれていた。だからそれまで我慢して待っていられた。でも、今のママは早く帰ってきても、ため息ばかり、泣いてばかり愚痴ってばかり。私だって相談したいことや普通に聴いてほしいことがあるのに、話しかけたら崩れそうで、話しかけられない。そんなママなんか嫌い。私にはまだ『お母さん』が必要なんだよ。」
と言われた。
今年の4月頃、心身ともに疲れ果て、自信をなくし、身も心もボロボロになって、泣きながら帰宅し、家に着くなり気を失うように倒れこんでいた。
長男長女は、相談に乗ってくれたり、労わってくれたり、叱咤激励してくれた。
末娘は、疲れた私の代わりに家の手伝いを黙ってしてくれていたのだが、新学期、クラス替えもあって、彼女なりにいろいろあったのだろう、そのときに、さっきの言葉を言われた。
本当に、この言葉が、どんな言葉よりも私をシャキッとさせた。
私がなすべきことは、母親として、大人として、人としての生き様を子ども達に見せることなのだ。
こんな、子どもに依存して、言うべきことも、やるべきことからも逃げて自分に言い訳して泣いているようじゃダメだ!
思えば、そこからの立ち直りは早かったように思える。
あれから3ヶ月。本当によくがんばった。その成果は確実に現れている。
つくづく、『背負うた子に教えられ』だ。子どもたちのために頑張っている、生きていると思っていたら、子どもたちに生かされて自分がいる。
これは何よりもありがたく、大切なことなのだと思う。
この子達のためにも、自分自身の未来のためにも、心身ともに健康であらねばと思う。
どうしたって年々体は老化し、あちこち支障は出てきてはいるが、無理をしないよう自分の身体を労わり、メンテナンスをしつつ、心はいつも若々しく、むしろ若返って、頑張っていくしかない!
これからは、細く、長~く、しなやかに、したたかに残りの人生全うしていこう。
たとえ、その『予定されている日』がすぐそこまで来ていようとも、最後まで前向き、前のめりで生きていこう!
HAPPY BIRTHDAY TO ME!!*(ケーキ)*
生まれてきてくれてありがとう、私。*(ワイン)*
そして、この世に送り出してくれた両親に感謝!!! *(カーネーション)*
私を支えてくれている家族や友人たちに感謝!!!!!*(トロ)*
ついに、40代最後の日を迎えてしまった
10代最後の日も、20代最後に日も、30代最後の日も、それぞれに思うところはあったけれど、今日はまた格別な思いがある・・・。
来年で半世紀生きたことになるのだが、今までの半生を振り返ると、まあ、結構波乱万丈の人生をよくまあ、明るく元気にやってこれたなあと思う。
その渦中はもちろん、凹みもしたし、立ち直れないほど心身ともに支障をきたすまで自分で自分を追い込んだときもあった。
でも、どんなときでも、私は一人ではなかった。
家族やたくさんの友人たちが、私を支え、励ましてくれた。
49年間生きてこれたのは、そういう人たちのおかげだと心から感謝している。
だから、年をとって悲しい・・・というよりは、49年間、私は生かされてきたんだと思えるようになった。
2年前の夏、私はどう見ても、48歳で人生を終えてしまうような事故から生還した。
そのときに、みんなから
「あなたは、守られたんだね!」とか
「生かされているんだよ!」
「あの世に行くにはまだ早いって、戻されたんだよ!」
「死ぬ前に、やっておかなくてはならない仕事があるんだね、きっと」
なんてことをいろいろ言われた。
それらは、私が本当に肌身で感じたことでもあった。
誰に守られたか、
誰に生かされたのか、
誰に戻されたのか、
何のために生きるのか・・・。
私は宗教者でもなければ、無神論者でもない。
でも、
親より先に死ねない。
子ども達を残して死ねない。
夢を果たせずに死ねない。
やることやらないで死ねない・・・。
それは、誰でもそうなのだけれど。
『バガボンド』に出てくる沢庵和尚が言ったセリフが衝撃的だった。
『すべては予定されているのだ。』
以前、人生にすごく悩み、迷い、同じところをぐるぐる回って、出口が見つからなかったとき、妹の勧めで、ある占い師に出会った。
そのとき、
「お姉ちゃん、迷っているなら会わせない。自分の中では答えが出ていて、それでいいのか、踏み出せないでいると言うのなら、背中を押してもらいに行こう」
と言われた。
その占い師は、本当に当たった。
まるで、生まれてこの方、私をずっと観察してきたように、いろんな過去や生活を見抜いていた。
その上で、その時点の私の悩みや迷いに、的確にアドバイスをくれた。
未来についても、大きな希望が持てた。
今考えると、それは『ピグマリオン効果』として私に作用し、そのおかげでその後に起こったさまざまな逆境を乗り越えられる原動力になったのだと思う。
ある意味では、自分から、言われた『シナリオ』に沿って生きてきたところもある。
でも、自分がなりたいもの、自分がそうであってほしいと思う生活に近づけていったのかもしれない。
今、辛いことがあっても、困難な問題があっても、それは、過去に起因するものであって、現在を変えていけば、未来は明るい方に向かう。
たとえ、過酷な運命が未来に待ち受けていようとも、それを乗り越えるだけの力をつけるために、今の試練がある。
自分自身を生きる。
それが、子ども達にとっても、未来の自分自身にとっても必ずプラスに作用する。
今置かれている状況を悲観して、後悔ばかりして、未来を見据えようとしないのは、自分自身を生かしてはいない。
一度きりしかない人生、現世の自分の生を全うしないで来世に夢を託すなんて虫が良すぎる。
占い師が教えてくれた、ちょっとだけ希望が持てる私の未来の姿。
本当にそうなるかどうかは、私次第なのだ。
年をとるということは、そのなりたい自分に一歩近づくということ。
年を重ねるということは、そのなりたい自分になるための経験を重ねるということ。
だから、毎年、自分を補完するために必要な試練が用意されているんだ。
今年の試練は、結構きつい。
でも、本当に、自分で自分をほめたいくらい、よく頑張っている。
『逃げない、ぶれない、諦めない』
をモットーにずっと全力疾走で頑張ってきて、ぎりぎりで糸が切れそうになったときに、
『逃げてもいいんだよ、一旦退却して、体制を整えて、ころあいを見て打って出るのも兵法だよ』
と教えてくれる人が現れたり、。
『あなたは、呼ばれたのね、その人たちに。それがあなたがここにいる意味なのね。』
と勇気をくれる人が現れたり。
困難とともに、それを乗り越えられるだけの根性と応援してくれる人も同時に得ているのだと思う。
私はどうも、『必要とされている』という言葉に弱いらしい。
“I love you."より
“I need you."のほうが嬉しいのかも。
そういえば、小さい頃は
「ママ、大好き!」と言ってくれていた中2の娘に
「今のママは嫌い。前はどんなに忙しくても、夜遅く帰ってきても、土日仕事で出かけても、仕事が終わればママに戻ってくれていた。だからそれまで我慢して待っていられた。でも、今のママは早く帰ってきても、ため息ばかり、泣いてばかり愚痴ってばかり。私だって相談したいことや普通に聴いてほしいことがあるのに、話しかけたら崩れそうで、話しかけられない。そんなママなんか嫌い。私にはまだ『お母さん』が必要なんだよ。」
と言われた。
今年の4月頃、心身ともに疲れ果て、自信をなくし、身も心もボロボロになって、泣きながら帰宅し、家に着くなり気を失うように倒れこんでいた。
長男長女は、相談に乗ってくれたり、労わってくれたり、叱咤激励してくれた。
末娘は、疲れた私の代わりに家の手伝いを黙ってしてくれていたのだが、新学期、クラス替えもあって、彼女なりにいろいろあったのだろう、そのときに、さっきの言葉を言われた。
本当に、この言葉が、どんな言葉よりも私をシャキッとさせた。
私がなすべきことは、母親として、大人として、人としての生き様を子ども達に見せることなのだ。
こんな、子どもに依存して、言うべきことも、やるべきことからも逃げて自分に言い訳して泣いているようじゃダメだ!
思えば、そこからの立ち直りは早かったように思える。
あれから3ヶ月。本当によくがんばった。その成果は確実に現れている。
つくづく、『背負うた子に教えられ』だ。子どもたちのために頑張っている、生きていると思っていたら、子どもたちに生かされて自分がいる。
これは何よりもありがたく、大切なことなのだと思う。
この子達のためにも、自分自身の未来のためにも、心身ともに健康であらねばと思う。
どうしたって年々体は老化し、あちこち支障は出てきてはいるが、無理をしないよう自分の身体を労わり、メンテナンスをしつつ、心はいつも若々しく、むしろ若返って、頑張っていくしかない!
これからは、細く、長~く、しなやかに、したたかに残りの人生全うしていこう。
たとえ、その『予定されている日』がすぐそこまで来ていようとも、最後まで前向き、前のめりで生きていこう!
HAPPY BIRTHDAY TO ME!!*(ケーキ)*
生まれてきてくれてありがとう、私。*(ワイン)*
そして、この世に送り出してくれた両親に感謝!!! *(カーネーション)*
私を支えてくれている家族や友人たちに感謝!!!!!*(トロ)*