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朗読会「実篤を聴く」

2004-02-12 05:04:00 | 徒然なるままに
2月8日(日)

今日は調布の文化会館で行われた「実篤を聴く」という朗読会に行った。
主催は、調布市武者小路実篤記念館で、文化会館での「武者小路実篤の世界」展とのタイアップ企画だ。

演出は、テアトル・エコー時代の恩師、川和孝先生。年頭にわざわざ封書でご案内を頂いた。
私は「朗読会」というのは初めての経験だった。

今回聴きに行く動機としては、それだけでなく、もうひとつ理由があった。
調布市武者小路実篤記念館は、私の主人のプランナーとしての初仕事であった。
当時、実篤の三女の辰子さんが、実篤の念願の美術館の建設と、収蔵品の保管を兼ねた記念館の企画を調布市と進めていた。
そこで、主人が依頼を受け、辰子さんと頻繁に打ち合わせをして昭和60年の開館にこぎつけるのである。
その頃、私も中学時代に読んだ実篤の本を読み返し、記念館のオープンにも出かけて行った。
その時は時間がなくて、「仙川の家」まで行きながら、庭を見て歩けなかったのはいまだに心残りだ。

今回の朗読を聞き、改めて実篤の生き方や、思想にとても共感した。
「人生論・愛について」(新潮文庫)や、「人生論・健康について」(岩波書店)は、90歳まで生きた実篤の人生観がにじみ出てくるようなとても説得力のある内容だった。
「本当の画」(『美術論集』実業之日本社)と「素人と玄人」(『画をかく喜び』創現社)は、美術教師のみならず、創造活動・自己表現を目指す私にとっては、何よりものエールだった。

読み手の方は皆さん役者さんだったが、芝居とは違った『朗読』という表現方法は、私にとってはとても新鮮で貴重な体験だった。
開演時間に遅れたために1回目の最初の部分を聞き逃したので、2回目も最初から最後まで聞いた。
2回目はより内容が理解できて、ラッキーだった。
私の愛読書に『声に出して読む日本語』という本があるが、声に出してこそ、人の声を通してこそより伝わるものもあるのだと思う。
『朗読』とは単なる『音読』ではなく、内容を深く読み込んだ読み手が、自分の『声』を通して、作者・筆者のメッセージと伝えるという表現活動なのだと思う。

『朗読』という表現方法と、『武者小路実篤』という人物像と作品に『再会』出来て、実に充実した1日だった。


桜咲く

2004-02-11 01:24:00 | 徒然なるままに
2月9日(月)

今日は公立高校の特色選抜の合格発表。
早起きをして自分で発表を見に行った息子の電話を待つこと2時間。
9時を過ぎてもなかなか電話がかかってこない。

出掛けに、
「自分だけ落ちたらいやだな・・・。」
と、珍しく弱気になっていた息子。
私が、
「やるだけの事をやって出た結果だったらしょうがないじゃない。
次の本番(一般入試)、頑張るっきゃないよ。
逆に、自分は受かって、一緒に受けた友達が駄目だった時は、よく考えて行動するんだよ。そのときの一言で、友達を一生失うことにも、生涯の友達になることにもなるんだから。
自分がその人の立場に立って言葉を言うようにね。」

9:20、電話が鳴った。
受話器の向うの息子の声は、ちょっと低いトーンだったが、嬉しい知らせを告げていた。
「良かったね~!おめでとう!!がんばったね!!!それで、他の皆は?」
「それが・・・、オレだけ受かっちゃったんだ」
「そうなんだ・・・。じゃ、皆で気をつけて帰っておいでね」
「うん」

私としては、正直言って、嬉しいというよりは、ほっとしたと言うところだ。
本当の喜びは、入学式の時なのだろう。
息子も、これから本試験に望む友達と一緒に喜びを分かち合いたいのに違いない。
実際、第一志望校に決まった友達はほんのわずかで、ほとんどの子たちが、26・27日の一般入試に向かってラストスパートをかけなければならない。
親の立場としては、胃の痛い毎日が続くのだ。
友達のお母さんにスーパーで会っても、おおっぴらに報告できないのが現状だ。
3月4日、皆志望校に受かって、皆でお祝いをしたいよ~!

息子は、帰宅後、内定通知をしげしげと見つめ、一言
「いいねえ・・・」
と言った。
「結果」を出した息子は、達成感でいっぱいのいい笑顔だった。
気持ちはもう、高校生活のほうに行っているのか、
「Z会に申し込んで、早く高校の勉強がしたい」
と意欲を見せた。

その前に来週は学年末テストだ。
最後の締めくくり。
卒業まであとわずか。何事もなく、晴れて明るい卒業式が迎えられますように・・・。

夕食は、皆でステーキでお祝いをした。

志望校合格、本当におめでとう!

小中学生のためのオーケストラコンサート

2004-02-10 21:40:00 | 徒然なるままに
2月7日(土)

午後から、千葉市管弦楽団による小中学生のためのオーケストラコンサートを聴きに行った。
毎年恒例で開催されるのだが、なかなか日程が合わず毎年見送っていたのだが、今年は念願かなって、長女と末娘と一緒に聴きに来ることができた。

ところが、末娘は、午前中・お昼の疲れが出てか、第一部の前半の楽器紹介の途中で眠気に勝てずに寝てしまった。
曲目は、聴き覚えのある親しみやすい選曲だったが、ムソルグスキーの「はげ山の一夜」とレスピーギの「アッピア街道の松」は、フルオーケストラならではの迫力があって良かった。
中盤で、市内の小学校の子ども達の合唱と一緒に歌うコーナーがあった。
「気球にのってどこまでも」と「ビリーブ」。
子ども達の元気な歌声に元気をたくさんもらった。
長女は、皆でいっしょに歌うコーナーでも、舞台をじっと見詰めたままだった。

去年の今頃は、小学校の卒業を控えていた。
あの頃の長女は、
「中学校の部活は、バトミントン部か吹奏楽部に入りたいな~」
と中学校生活の夢を語っていたっけ・・・。
卒業式の前に、担任の先生が長女の歌声のことをとてもほめてくださり、卒業式を楽しみにしていて下さいと言われた。
式の終了後にも、ご挨拶に行ったら、
「お母さん、お聞きになりましたか?本当に心に響くきれいな歌声でしたね」
と言われた。
実際、歌での在校生との掛け合いは、みんなの心がこもったいい歌声だった。
長女は大きな口を開けてとても通る声で、一生懸命歌っていた。
その歌声に6年間のさまざまな思いが込み上げ、卒業生の母はぐっときてしまったのだった・・・。

「気球にのってどこまでも」は、幼稚園の年長の時に、何度も聞いた歌だ。
「ビリーブ」は、息子が中1のときの合唱コンクールの課題曲で、彼は最高伴奏者唱を受賞した。また、長女の入学式には在校生歓迎の歌としてこの歌を歌うときの伴奏も担当した。
ところが残念なことに、長女は式の最中に貧血を起こし、兄の伴奏も歌も聞いていない。

子ども達と一緒に歌いながら、そんなこんなを思い出し、長女がいつか、自分から一緒に大きな声で歌い、吹奏楽部に参加できるようになって欲しいと願わずにはいられなかった。

それにしても、やはり「生の音楽」はいい!
また来年、皆で聴きに来よう。

ヤクルト工場見学!

2004-02-09 08:21:00 | 徒然なるままに
2月7日(土)

午前中は、子どもネットのサークル活動で、四街道市にあるヤクルト工場の見学に行った。

会員それぞれお友達を誘って、総勢48名の親子連れでの参加になった。
入り口で一人一人ヤクルトをもらって飲み、案内のお姉さんの一通りの説明を聞いた後、ヤクルトの容器の作り方から出荷までの各行程を見学。
説明会場に戻って、ヤクルト菌のヤッ君とビフィズス菌のビッフィー君が活躍するアニメ映画を見た。
お姉さんの説明も上手だったし、アニメもよく出来ていたせいか、子ども達は結構集中して内容を理解していたように思う。
臭いオナラや、ポロポロしたウンチは、おなかの中の善玉菌の元気がないから。
年とともに、善玉菌も元気がなくなって、十二指腸や大腸の働きが悪くなって、栄養がちゃんと取れなくなったり、悪いものが体の中に溜まって病気になりやすくなっていく。
食物繊維をとったりして、おなかの掃除をしてあげるのも、病気を予防するのなとても大切なこと。
などなど、小2の末娘はすっかり理解して、夕食の買い物の時には、自分から苦手な野菜をカートに入れて、
「今日は私がサラダを作るね」
なんて張り切って、本当に作ってくれただけでなく、バリバリ食べていた。

会場にはヤクルトスワローズのグッズやサインなどが展示してあり、選手が実際に来たユニフォームなどを自由に着たりできて、男の子達は大興奮だった。
見学が終わってから、みんなで工場前で記念写真を撮った。
お土産に一人一人、「ヤクルト400」の5本パックをもらった。うれし~!
皆で、今度は牛乳工場や醤油工場、ビール工場、海苔工場、ラーメン工場、パン工場、イシイのハンバーグ工場もいいねえ!なんて盛り上がりながら帰ってきた。

解散後、残れるメンバーで、隣の総合公園でお弁当を食べた。
風はまだちょっと冷たいが、日差しはだいぶ柔らかくなってきている。
母たちが、
「ズボンの下にはタイツよね~」
なんて言いながら押しくら饅頭のように肩寄せ合って甘いものを食べでいると、
芝生だらけ、どろだらけになってほっぺを真っ赤に上気させた子どもたちが、上着を脱ぎに帰ってきた。
本当に「子どもは風の子、元気な子」だ。

今日、この企画の言い出しっぺで、一番張り切っていた母子が、お子さんの急な発熱で欠席だった。本当に残念。
夏休みには、ヤクルトの容器を使ったおもちゃ作りの講習会があるとか。
公園でデイキャンプも出来そうだし。
そのときは一緒に来ようね!

講習会の効果バッチリ!魅せるソーランを目指して!

2004-02-09 08:20:00 | 徒然なるままに
2月6日(金)

9日後に迫った本番を控えて、今日のソーランの練習は、子どもの部も、大人の部もかなり気合の入った練習だった。

当日のスケジュールを確認し、フォーメーションの練習に入ると、先日の講習会の効果がバッチリ出ている。
「鳴子」の握り方、鳴らし方、目線、指先まで神経を届かせたメリハリのある踊り、そして笑顔。
一人一人、練習量も本番の場数もまちまちだ。
年末から入ってきた子は、まだ全部を自信持って踊れてはいない。
でも、みんなで楽しく踊りたい、本番に出てみたいという気持ちは一緒だ。
私は、その気持ちが上達するエネルギーになると思っている。
だから、下手でもいい。間違ってもいい。大勢のお客さんの前で、得意なところだけでも思いっきり踊って欲しい。
最後がバッチリ決まれば、大きな拍手がもらえる。その時、今度はもっと上手に、かっこよく踊りたいと誰もが必ず思う。
皆そうやって本番を重ねる度に上手くなっていったのだ。
出てきただけで可愛くてみんなの視線を釘付けにする幼児たちも、このところ、リズムに乗って一ちょ前の踊りが踊れるようになって来た。
踊りの流れを体で覚えているので、ちょっとの手直しで見違えるようにかっこよくなる。

小学生は、男の子も女の子も指示一つで、自分達で決めのポーズや隊形移動が出来るようになってきた。習い事の関係で常に全員揃うのは難しいが、そのときのメンバーで臨機応変に動けるようになってきた。本当にみんな成長したなあと思う。

この季節、大変なのはヤングママたちだ。
練習はしたいが、子ども達が兄弟入れ替わり立ち代り風邪やら溶連菌やら水疱瘡やらで、具合の悪い子を家に置いてきたり、連れて練習には出られない。
15日の本番も予定は未定なのである。
頑張れヤンママ、めげるなヤンママたち!

その点、元気炸裂なのが50代のマダム達。
疲れを知らない、向上心ムキ出しの熱心な練習の成果が現れ、回を重ねるごとに、着実に踊りがまとまってきて、上手になってきている。
講習会で下村さんの「本物の踊り」を見てからは、曲がらなかった足も曲がるようになり、上がらなかった腕も上がるようになって、バッチリポーズが決まるようになって来た。
気合いだけなら子ども達に負けないぞ~!だったのが、踊りだって負けていないぞ~!になって来た。
15日は知り合いをたくさん呼んでいるとかで、気合い充分のマダムたちだった。

具合の悪い子たちが早く良くなって、15日は全員で今年最初のイベントを成功させられますように!

ポプラの木

2004-02-09 08:16:00 | 徒然なるままに
2月6日(金)

昼頃、人形劇に顔を出し、荷物運びを手伝いに幼稚園に寄った。

作業が終わって、正門から園庭を覗いてみた。
ちょうど降園時間で、園庭は帰り支度の子どもたちや迎えに来たお母さんたちで賑やかだった。
園庭の真ん中では、園長先生が子ども達を一人一人抱き上げている。

ついこの間まで、これが日常だった毎日があった。
三人の子ども達はここから巣立っていったのだ。
「虹の門」の手前に高くそびえるポプラの木がある。このポプラの木は創立以来、園の様子を見守りながら、すくすくと天を目指して伸びていったのだ。
卒園の時、園長先生が決まって子ども達に送る言葉。
「道に迷ったら、ポプラの木を目指して園に帰っておいで。園長先生はいつでも園で皆を待っているよ。」
卒園児達には、「道に迷う」という本当の意味はそのときには分からないだろう。初めての子を卒園させる若いお母さんたちも同様だ。
でも、やがてその意味が嫌でもわかる日が必ず訪れる。
今まで何人の親子が、ポプラの木を目指して帰ってきたことだろう。
かく言う私も、息子が反抗期になってから、長女が不登校になってから、そして私自身を見失いそうになった時にも、このポプラの木を何度見上げて泣いたことだろう。
声を失したあの夏には、夏休みで誰もいない園庭で、ポプラの木にすがって初めて声をあげて泣いたっけ・・・。

冬晴れの真っ青な空に真っ直ぐに伸びたポプラの木は、あの時の優しい木陰を作ってくれた緑の葉はついてはいない。
でも、その枝先には小さなかたい芽をたくさんつけて、春の準備を進めているのだ。

「きっと大丈夫。だって、この園を巣立っていった子ども達だもの。心配いらないよ。子どもはおとなが思っているより強いんだよ。」

何人もの親子連れが、私が人形劇のメンバーだと知ってっているのか、挨拶をしてくれた。
3月公演、いい舞台になるよう、頑張らなくっちゃ!

自分の意思で誕生日を選んで生まれてきた娘

2004-02-08 08:15:00 | 徒然なるままに
2月5日(木)

午前中は、学校カウンセリングを受けた。
先日、長女が、
「6年生の同級会を開きたいんだけど、同級会って、どんな風にやればいいの?」
と聞いてきた。
この言葉は、彼女にとって、すごい成長の言葉である。
娘にとっては、楽しいこともあったが気まずい思いで卒業し、2つの中学に分かれていったクラスだった。
その頃のことが、娘の「不登校」になる背景に大きく影響している。
どんなに今の中学校の教室に行きたくても、娘にとってはあの頃をきちんと清算できなければ、気持ちがついていかないと言うか、自分に自信が持てないのだろう。
娘を心配してくれる友達や恩師の力を借りて、ぜひとも願いをかなえさせてやりたいと思う。これは、娘だけではなく、当時のクラス全体の問題でもあると思うから。

このことを、カウンセラーの先生にお話したところ、
「大きな進歩ですね。ぜひ、かなえさせてあげたいが、たとえ実現できなかったとしても、娘さんが、こういう気持ちになれたことと、実現に向けてのプロセスは、きっと、これからの彼女の心の支え・自信に繋がっていくと思いますよ。
ここまで来れば条件はすべて揃っています。出口はもうすぐです。焦らずに、しっかり前に進んで行きましょう。」
とおっしゃっていただいた。

以前、娘に、冬の間の種まきの話をした。
「春に咲く花は、冬の間に球根を植えておく。
枯れ木のように見える枝の先で、霜柱の地面の下で、植物達は、じっと春になるのを待っている。
そして、自分が芽を出すその時まで、着々と準備をし、その時を待っている。
あなたはどんな花を咲かせるのかな?
そのためにどんな種まきをするのかな?」

2月19日は長女の13歳の誕生日。
そう言えば、予定日は9日だった。でも、全然子宮口が固くて、次は14日と言われた。
それでも駄目で、17日にやっと陣痛がきた。
入院して、すっかり準備万端整い、翌朝には生まれるはずだったのに、朝になったら、陣痛が消えていた。
一両日中には再入院になるだろうと言うことで、荷物を置いて、いったん帰宅。
その夜中になって、ドカンと突然の激しい陣痛がきて、朝、6時の時報とともに産声を上げた娘だった。
彼女は、お医者さんの決めた予定日でもなく、自分の意志で生まれる日時を決めて生まれてきたのだ。
周りは期待し、心配し、緊張と待ちくたびれと、振り回されてばかりだったが、娘の誕生を誰もが皆待ち望み、喜んでくれた。

なんだか、今の状況とよく似ている。
今度もやっぱり、「さなぎ」から出てくるその「時」は彼女の意志でしか決められないのだろう。
私はその時の激しい「陣痛」に備えて気力・体力を温存していなくては・・・!

立春

2004-02-07 23:46:00 | 徒然なるままに
2月4日(水)

今日は、千葉市教育委員会と千葉県庁千葉出張所に講師登録の更新に行った。

一昨年の9月に登録して、1年半、全く採用のお呼びがかからない。
それだけ「美術教師」の空きがないのである。
週5日制の導入で美術の授業は1週間に1コマ、年間で49コマに減らされた上、少子化で教室数も減っている。
1校に1人の美術の先生で充分足りているだけでなく、その先生は美術以外にも教えられる教科が無くては採用できないのだそうだ。
今の学力低下問題が進めば、「美術」や「音楽」などの芸術系教科は、必修科目ではなく選択科目となり、美術に関心のある生徒だけしか履修しない科目になっていくのだろうか・・・。

この1年、玉川の通信教育で小学校教員免許取得のためにいろいろなことを学び、県立美術館で親子向けのダイナミックな創作活動をサポートし、千葉市の美術教育研究会に参加させていただきながら、自分にとっての「美術教育」というものを見つめ直してきた。

新学習指導要領には、必ず、「生きる力」と「ゆとりある教育」という言葉が出てくる。
「美術」や「音楽」などの芸術系教科の授業は、教科内容的にも、学校生活の中でも、有効な上に大きな役割を持つ教科だと思う。これらの実技教科こそ、生活や人生を豊かにしてくれ、密接な関係を持ち、大きな影響を与えるものだと思う。
にもかかわらず、生徒たちは学年が進むに連れて「美術離れ」をし、必修科目からもはずされようとしている。
「入試科目」には関係無いからなのか、にもかかわらず、「評価」されてしまうからなのか・・・。

自己表現力をつけ、生涯芸術を愛好する情操を育てることの重要性を、こういうご時世であり、これからの未来を背負う子ども達の育成のためにも真剣に見直して欲しいと切に願うばかりである。

立春。季節と同様、まだまだ寒さは厳しいが、来るべきそのときのために、心の準備と現場に立つための勉強を着実に進めていこうと思う。

やればやっただけの結果はついてくる。

2004-02-07 23:41:00 | 徒然なるままに
2月3日(火)

今日は、公立高校の「特色ある選抜試験」日である。
日ごろ寝ぼすけの息子も、さすがに今日ばかりは早起きをし、珍しくハンガーにつるした制服をパリっときて、しっかり朝食を食べ、忘れ物のチェックをして時間に余裕を持って試験に臨んでいった。(いつもこうなら、私ももっと物静かな母親でいられるのだが・・・)

初めての子どものはじめての高校受験。
頑張るのは子ども自身、と分かってはいても、親でも緊張する。

息子の場合、今回の試験は「度胸試し」であり、26・27日の本試験に向けての「模擬試験」である。
同じ会場で、入試の本番を経験する。
その高校の「独自問題」に挑戦してみる。
と言うのが今回の目的だ。
9日の合格発表の結果次第では、長い春休みに入るか、一般入試に向けて気持ちを立て直してラストスパートをかけなければならない。

「自分の未来は自分で掴み取る。
やらなければやらなかっただけの結果しか出ない。
やればやっただけの結果はついてくる。
たとえそれがすぐに成果として現れなくても、万一、失敗や挫折と言う形であらわれても、必ずそれが生かせる未来が待っていることを信じよう。
悔いのないよう、やるだけやってきな。
あんたは、風邪ひかないで遅刻しないで、忘れ物しないで名前を書き忘れなかったら、きっと試験には合格できるから。」

昨晩、息子を塾に送りながら私が言った言葉だ。

夕方帰ってきた息子は、部屋に入るなり、
「難しかった~!」
と言って、カバンを塾のリュックに取り替えると、そのまま塾に向かって行った。

その晩、息子が解けなかったという数学の問題を解いてみた。

解けなかった・・・。

やればやっただけの結果はついてくる。
頑張れ!受験生!

「踊る方も見ている方も元気になるソーラン」

2004-02-07 23:40:00 | 徒然なるままに
2月3日(火)

今日は、ワンズモールの本番についての打ち合わせ兼お茶会。
メンバーそれぞれの、思いやアイディアが飛び交い、3時過ぎまで盛り上がった。

ソーラン隊を結成して3年、元祖のメンバーの当時6年生は、只今受験真っ最中!
彼らのソーランに憧れ、彼らに続けと踊り続け、メンバーも入れ替わり立ち代り、いまや、2歳からおばあちゃん達まで3世代で踊る80名を越す大きなソーラン隊になった。

メンバーそれぞれ「温度差」はあっても「ソーランが好き」と言う気持ちは共通している。
また、ソーランに対する「思い」や「夢」も人それぞれだ。
「いい物を創ろう」「いい団体にして行こう」と言う時、意見のぶつかり合いや方針の違いは起きて当然のことである。
また、そういう意見が出てこなければ、いつまでも成長しない。

そこで問われるのがリーダーの資質だ。
どうもその点、私はリーダーとしてはかなり役不足だと思う。
でも、そういう頼りないリーダーだからか、周りには、私の手となり、足とナリ、頭脳となり、また、矢面になってくれたり、癒してくれたり、ストッパーやご意見番、辛口の批評家になってくれる人たちがいる。
そういう人たちに支えられて、何とかここまでやってこれたのだと思う。

これからの私の仕事は、何から何までひとりで背負い込んで、体も頭も気も回らなくているのではなく、「司令塔」になることなのだ。
「適材適所」。みんなの持ち味をそれぞれの力を存分に発揮できるような場を作り、任せる。
常に全体を見渡し、時期を見極め、必要な指示が出せるよう、常にアンテナを張り巡らし、先を読めるようにならなくては。

私は、つくづく人に恵まれていると思う。
でも、ついついそれに甘えてしまうところがある。
「感謝の気持ち」を忘れずに、これからもみんなに甘えさせてもらいながらも、みんなのために、自分自身のためにもへこたれないで頑張るぞ~!
「踊る方も見ている方も元気になるソーラン」を目指して!