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交流

印旛郡市美術部展

2009-07-20 20:17:00 | 徒然なるままに
7月20日(月)海の日*(日本)*

今日は、佐倉市立美術館で今日から開催されている『印旛郡市美術部展』を見てきた。http://www16.ocn.ne.jp/~buten/

運動部には総合体育大会があり、吹奏楽部には音楽コンクールがあるなら、美術部にも『総体』のような合同展覧会を開こうと言う趣旨で立ち上がった『部展』も、13回目を迎える。

私は今年は美術部のない中学校に赴任したため、今回は観客として見に行った。
昨年以上の出品数から選りすぐられた作品たちはどれも力作で、見ているだけで、こちらが元気をもらったり、触発される作品があった。

昨年の教え子たちの作品もあり、去年のことを思い出しながら、その成長振りが嬉しかった。彼女たちの最後の部展に関わってあげられなかったことが今更ながら残念でならない。

今年から選択美術はなくなり、必修の美術の時間も少なくなって、教師も雑務に追われ、なかなか美術の基礎基本を指導できない状況下で、結構、生徒も顧問も頑張っていたと思う。
デッサン重視、油絵中心の『絵画』表現、コラージュや抽象表現が多い学校、漫画チックなイラスト表現、素材を生かし、インパクトや光を意識した立体表現など、おそらく、顧問の得意分野や趣向が影響していると思われる傾向が強い。それはイコール学校のカラーとなっている場合が多い。

中学生ぐらいになると、物の見方ができてきて、立体感や空間を感じさせる静物画、遠近法を使った風景画、内面やイメージの世界を描く心象風景を描ける様になってくる。
しかし、人物画はなかなか描けない。
描けても棒人間か、漫画チックなデフォルメされたような人物で、それも上半身だけという場合が多い。
今回は、棒人間こそなかったが、リアルな人物表現の作品がなかった。
風景にしても点景としての人物がなく、生活観が感じられない寂しい絵に感じられた。

以前、ユネスコの『私の町のたからもの展』の審査をした時もそれは感じた。
校舎を描いても、町並みを描いても、公園を描いても人っ子一人いないのだ。
人物ではなくても、さっきまで部活動をしていたようなことを感じさせる道具が置いてあるとか、生活感がある町並みや、子どもからお年寄りまでみんなが集い、小さい頃の思い出が詰まったような公園の描き方があるだろう。

昨年、北斎や広重の浮世絵の鑑賞授業をしたとき、彼らの絵には人物が配置してある場合が多かった。それによって、生活感やスケールの大きさ、構図の面白さが引き立つのだ。

3年生の授業で、頭身の描き方、男女の骨格・肉付きの違い、年齢や体型の特徴の表現の仕方、表情の描きかた、カメラアングル(あおり、ふかん、よこいち)の捕らえ方、顔の向き、動きのあるポーズの描き方などを教えた。
本当は時間があったら、クロッキーや自画像、友達の横顔のデッサンを描かせたいのだが、そんな時間はほとんど取れないか、それだけでその学年の授業は終わってしまう。
だから、描き方の『コツ』しか教えられないのだが、それなりに応用して、『脱・棒人間』的な人物をかけるようになる。
夏休み明けには、1,2年生にも同じ授業をやる。
1年生は読書感想画、2年生はアニメーションをやる上で人物表現は不可欠だから。
何より、生徒が美術の授業で一番苦手で、反面一番望んでいるのは、『人が描けるようになりたい』だから。

美術部展を見て、ちょっと残念だったのは、『部活動』という保障された制作時間があるのに、クロッキーやデッサンにあまり時間がかけられていないように感じたことだ。
漫画やアニメ画っぽいイラストも結構だけれど、来年はぜひ、人物画の力作も見てみたい。
もし、来年、美術部のある中学校に赴任できたら、ぜひ、挑戦してみたい。

何にしても、絵が好きな中学生が一生懸命自分の作品作りに努力して、たくさんの参加校が集まってお互いの絵を発表しあう場があるというのは素晴らしいことだと思う。
この展覧会がますます発展し、充実していくように、応援していきたいと思う。

アニメ映画『川の光』を見て

2009-07-20 10:08:30 | アニメ


NHKで放映されたアニメ映画『川の光』を見た。
http://www.nhk.or.jp/savethefuture/kawanohikari/

ストーリーもキャラクターも、音楽も良かったが、やはりなんといっても山本二三美術監督の背景の美しさに目も心も奪われてしまった。

ネズミたちの目線で描かれた背景、鳥の目線で描かれた鳥瞰の背景、見過ごしてしまいそうな自然の風物の美しさや繊細さを見事に描ききっていた。

環境問題などいろんな要素がもりこまれていても、けして説教くさくなくて、見た後、すごく心がポカポカして幸せな気持ち、<優しい気持ちになれた。

ぜひ、親子で、小さいお子さんがいるご家庭では家族揃ってみてほしい作品だ。


アニメ映画『川の光』を見て

2009-07-20 10:04:00 | 徒然なるままに
NHKで放映されたアニメ映画『川の光』を見た。
http://www.nhk.or.jp/savethefuture/kawanohikari/

ストーリーもキャラクターも、音楽も良かったが、やはりなんといっても山本二三美術監督の背景の美しさに目も心も奪われてしまった。

ネズミたちの目線で描かれた背景、鳥の目線で描かれた鳥瞰の背景、見過ごしてしまいそうな自然の風物の美しさや繊細さを見事に描ききっていた。

環境問題などいろんな要素がもりこまれていても、けして説教くさくなくて、見た後、すごく心がポカポカして幸せな気持ち、優しい気持ちになれた。

ぜひ、親子で、小さいお子さんがいるご家庭では家族揃ってみてほしい作品だ。

♪V・A・C・A・T・I・O・N!楽しいなぁ~!!

2009-07-19 08:19:00 | 徒然なるままに
7月19日(日)

待ちに待った夏休み!
1年の計は元旦にあり。夏休みの計は初日にあり!
と、小学校時代から、夏休みの計画を立てるのは楽しみの一つだった。(大抵、計画倒れで、後半は宿題に追われる羽目になったのだが・・・。)

夏休みといっても、40日も夏休みがあるのは生徒だけで、教員は授業こそないものの、連日の研修、出張、部活動があって、夏休み中でもばっちり8時間労働はある。
1学期中に溜まりに溜まった雑務を片付け、2学期から始まる体育祭、文化祭など行事の準備もある。教材研究や参考作品作りもやっておかないと。
何のかんのと夏休みの『動静表』はあっという間に埋め尽くされてしまった。
終業式の日の職員会議で、校長曰く
『休める時はしっかり休んで、心も身体もリフレッシュさせて、2学期に備えてほしい。休むことも仕事の一つです。』
そう、運動部の顧問達は、毎日の朝練習、日没までの部活動、土日の練習試合などで、ほとんど不眠不休状態で、目下総体の監督をやっているのだ。
総体終了直後からは、秋の新人戦に向けてまた忙しいハードな日々が始まる。
夏休み中に体調を整えておかないと、行事が目白押しの秋や、特に3学年の職員は冬の進路業務を乗り越えられない。

私も、3月31日の離任式を元気に達成感を持って迎えられるよう、夏休みを有意義に過ごそう!

【夏休み、Toliton補完計画】
・国立博物館、県立博物館の美術教員のためのガイダンス、美術教育フォーラム2009、印教研、市研修会、ピアサポート研修会、コーチング研修会などに参加し、スキルアップとネットワーク拡大を図る。
・参考作品制作を兼ね、生徒に呼びかけたポスターコンクールの一般部門出品作品を制作する。あわよくば入賞して賞金GET!
・来年の教員採用試験、秋の漢字検定2級受験、美術検定3級試験に向かって勉強する!
・積読で溜め込んだ本を読破!
・残業なしで早めに帰宅し、家を片付け、手作り料理を心がける!夏休みぐらい『主婦業』と『母親業』も頑張らねば。
・帰省し、金婚式の両親を祝う!
・『やきとりじいさん体操』で10kg減量と体力づくりを頑張る!
・2年後の『マチュピチュ行き』(予定)のために、スペイン語マスターとケーナの上達、旅行情報収集を頑張る!嗚呼、マチュピチュが私を呼んでいる~!待ってろよ~、マチュピチュウ~~~~!

読み返してみて、なんと欲張りな、でもなんてワクワクする『補完計画』だろう!
この半分でも達成できたら、結構充実した夏休みになりそう。
そのためにも、体調管理は大切。風邪で寝込んだり、怪我したり、事故って台無しにならないように気をつけよう。
それは、私だけでなく、家族全員にも言えること。誰かが具合悪かったり、入院なんてことになったら、すべてが狂ってしまうのだから。
家族の健康管理は、『主婦』であり『母親』である私の責任。
みんなが元気で楽しい夏休みを送れるように、お母さんは頑張るぞ!!!

エール、再会、そして約束

2009-07-18 19:48:00 | 徒然なるままに
7月18日(土)

今日は、中学校総合体育大会の応援に行った。
数ある運動部の中で、男子バスケット*(バスケ)*の応援に行ったのだが、惜敗というよりは惨敗に終わってしまった。
練習の時は面白いように入っていたシュートがなかなか入らない。
集中力が散漫になって、パスが出せない、外れる、受け取れない、相手ボールになってしまう・・・。
疲れてきて、声も手も足も前に出ない・・・。
思わぬ大差で敗れて、3年生の夏は終わった。
でも、それぞれに最後まで諦めずに戦い抜いた根性とファイトに拍手!!!
明日からは、受験モードに気持ちを切り替えて、今度こそ、勝利を手にするまで諦めないでがんばれ!!!

勤務校の試合の後、別会場で、私が1年生のときに担任した中学校の生徒達のチームが*(バスケ)*試合をしていたので駆けつけてみたら、こちらも、惜敗!
きっと勝ち上がって、2試合目なら間に合うか?と思っていたのだが・・・。
体育館の入り口で帰り支度の教え子たちに出会い、向こうから挨拶をしてきてくれた。
残念ながら、彼らの最後の試合は見ることができなかったけれど、私に気づいてくれた生徒が、体育館に残っていたメンバーを呼んできてくれて、しばし歓談。
さすがにバスケ部で、みんな大きくなっちゃって、1年生の面影が少しは残っているけれど、立派に3年生らしく見える!
「み~んな大きくなったねぇ~!」
いや、私が縮んだのか???
私の中ではみんなはいつまでもやんちゃ坊主の中1生なのに、後輩の前や保護者の方、監督に対しての態度が、なかなかしっかりしていて、その成長振りが嬉しい。なんといっても、私を覚えてくれていて、ちゃんと挨拶してくれるところがまた嬉しい。
たとえ、今は違う学校の先生と生徒でも、私の教え子には変わらない。それは彼らがきっとず~っと大人になっても。

帰り道、今度は、昨年度在籍していた学校に立ち寄った。
美術部は活動が終わって帰った後だったが、職員玄関の掲示板の7月の作品をみて、彼女らの頑張りがすごく伝わってきて嬉しくなった。
玄関先で、帰りがけの吹奏楽部*(ドラム)*の生徒達に声をかけられ、話しているうちに、次々と帰りがけの吹奏楽部の生徒達が集まってきてくれた。
みんな、悲鳴のような声を上げて、手を振りながら迎えてくれて、「嗚呼、やっぱり私はこの学校が好きだ」と思った。
「あなた達の音楽は、私のBGMで、あなた達の頑張りが、私の元気の素だったんだよ。それが聴かれなくなって、とっても寂しい。でも、みんなが頑張っているのは遠く離れていても分かっているから、きっと今年も金賞*(星)*をとってくれると信じているよ!」
そして、彼ら、彼女らは、予選、本線を勝ち抜いて、東関東大会出場を勝ち取ることを約束してくれた。
25日、彼らの鳥肌の立つような素晴らしい演奏を楽しみにしている。

私は1年契約の講師で、今まで小学校・中学校合わせて7校に赴任したが、どの学校も、生徒達も、皆思い出深い。
おそらく、1年しかいられないという思いもあって、自分では1年間で3年間分の勤務時間(残業・休日出勤を含む)を過ごし、授業の密度や生徒との関わりも作品やファイルを通して個人差はあるがコミュニケーションは取れていたと思う。
でも、悲しいかな、毎年何百人も教えて、やっと名前と顔が一致しだした頃に離任式を迎える。
そうすると半年も経つと半分以上の生徒と名前を忘れてしまうのだ。
街でばったり私服姿の卒業生に出逢っても、向こうから声をかけられても、とっさに名前が出てこなくて本当に申し訳ない。

街でばったり卒業生や前任校の生徒達に会うと、
「相変わらず元気で頑張ってますか?」
とよく言われる。
♪遠く、遠く離れていても、僕のことが分かるように、力いっぱい輝ける日をこの街で迎えたい。(by槇原敬之)
私はいつでもみんなの応援団長。
みんなの活躍や頑張りが私の元気の素であるように、私の元気と頑張りが、みんなの刺激になるように、頑張りつづけなくっちゃ!

HAPPY BIRTHDAY TO ME!!

2009-07-17 06:25:00 | 徒然なるままに
7月17日(金)

ついに、40代最後の日を迎えてしまった
10代最後の日も、20代最後に日も、30代最後の日も、それぞれに思うところはあったけれど、今日はまた格別な思いがある・・・。
来年で半世紀生きたことになるのだが、今までの半生を振り返ると、まあ、結構波乱万丈の人生をよくまあ、明るく元気にやってこれたなあと思う。
その渦中はもちろん、凹みもしたし、立ち直れないほど心身ともに支障をきたすまで自分で自分を追い込んだときもあった。
でも、どんなときでも、私は一人ではなかった。
家族やたくさんの友人たちが、私を支え、励ましてくれた。
49年間生きてこれたのは、そういう人たちのおかげだと心から感謝している。
だから、年をとって悲しい・・・というよりは、49年間、私は生かされてきたんだと思えるようになった。

2年前の夏、私はどう見ても、48歳で人生を終えてしまうような事故から生還した。
そのときに、みんなから
「あなたは、守られたんだね!」とか
「生かされているんだよ!」
「あの世に行くにはまだ早いって、戻されたんだよ!」
「死ぬ前に、やっておかなくてはならない仕事があるんだね、きっと」
なんてことをいろいろ言われた。

それらは、私が本当に肌身で感じたことでもあった。
誰に守られたか、
誰に生かされたのか、
誰に戻されたのか、
何のために生きるのか・・・。
私は宗教者でもなければ、無神論者でもない。
でも、
親より先に死ねない。
子ども達を残して死ねない。
夢を果たせずに死ねない。
やることやらないで死ねない・・・。
それは、誰でもそうなのだけれど。

『バガボンド』に出てくる沢庵和尚が言ったセリフが衝撃的だった。

『すべては予定されているのだ。』

以前、人生にすごく悩み、迷い、同じところをぐるぐる回って、出口が見つからなかったとき、妹の勧めで、ある占い師に出会った。
そのとき、
「お姉ちゃん、迷っているなら会わせない。自分の中では答えが出ていて、それでいいのか、踏み出せないでいると言うのなら、背中を押してもらいに行こう」
と言われた。
その占い師は、本当に当たった。
まるで、生まれてこの方、私をずっと観察してきたように、いろんな過去や生活を見抜いていた。
その上で、その時点の私の悩みや迷いに、的確にアドバイスをくれた。
未来についても、大きな希望が持てた。

今考えると、それは『ピグマリオン効果』として私に作用し、そのおかげでその後に起こったさまざまな逆境を乗り越えられる原動力になったのだと思う。
ある意味では、自分から、言われた『シナリオ』に沿って生きてきたところもある。
でも、自分がなりたいもの、自分がそうであってほしいと思う生活に近づけていったのかもしれない。

今、辛いことがあっても、困難な問題があっても、それは、過去に起因するものであって、現在を変えていけば、未来は明るい方に向かう。
たとえ、過酷な運命が未来に待ち受けていようとも、それを乗り越えるだけの力をつけるために、今の試練がある。
自分自身を生きる。
それが、子ども達にとっても、未来の自分自身にとっても必ずプラスに作用する。
今置かれている状況を悲観して、後悔ばかりして、未来を見据えようとしないのは、自分自身を生かしてはいない。
一度きりしかない人生、現世の自分の生を全うしないで来世に夢を託すなんて虫が良すぎる。

占い師が教えてくれた、ちょっとだけ希望が持てる私の未来の姿。
本当にそうなるかどうかは、私次第なのだ。
年をとるということは、そのなりたい自分に一歩近づくということ。
年を重ねるということは、そのなりたい自分になるための経験を重ねるということ。
だから、毎年、自分を補完するために必要な試練が用意されているんだ。

今年の試練は、結構きつい。
でも、本当に、自分で自分をほめたいくらい、よく頑張っている。
『逃げない、ぶれない、諦めない』
をモットーにずっと全力疾走で頑張ってきて、ぎりぎりで糸が切れそうになったときに、
『逃げてもいいんだよ、一旦退却して、体制を整えて、ころあいを見て打って出るのも兵法だよ』
と教えてくれる人が現れたり、。
『あなたは、呼ばれたのね、その人たちに。それがあなたがここにいる意味なのね。』
と勇気をくれる人が現れたり。
困難とともに、それを乗り越えられるだけの根性と応援してくれる人も同時に得ているのだと思う。

私はどうも、『必要とされている』という言葉に弱いらしい。
“I love you."より
“I need you."のほうが嬉しいのかも。

そういえば、小さい頃は
「ママ、大好き!」と言ってくれていた中2の娘に
「今のママは嫌い。前はどんなに忙しくても、夜遅く帰ってきても、土日仕事で出かけても、仕事が終わればママに戻ってくれていた。だからそれまで我慢して待っていられた。でも、今のママは早く帰ってきても、ため息ばかり、泣いてばかり愚痴ってばかり。私だって相談したいことや普通に聴いてほしいことがあるのに、話しかけたら崩れそうで、話しかけられない。そんなママなんか嫌い。私にはまだ『お母さん』が必要なんだよ。」
と言われた。
今年の4月頃、心身ともに疲れ果て、自信をなくし、身も心もボロボロになって、泣きながら帰宅し、家に着くなり気を失うように倒れこんでいた。
長男長女は、相談に乗ってくれたり、労わってくれたり、叱咤激励してくれた。
末娘は、疲れた私の代わりに家の手伝いを黙ってしてくれていたのだが、新学期、クラス替えもあって、彼女なりにいろいろあったのだろう、そのときに、さっきの言葉を言われた。

本当に、この言葉が、どんな言葉よりも私をシャキッとさせた。
私がなすべきことは、母親として、大人として、人としての生き様を子ども達に見せることなのだ。
こんな、子どもに依存して、言うべきことも、やるべきことからも逃げて自分に言い訳して泣いているようじゃダメだ!
思えば、そこからの立ち直りは早かったように思える。
あれから3ヶ月。本当によくがんばった。その成果は確実に現れている。

つくづく、『背負うた子に教えられ』だ。子どもたちのために頑張っている、生きていると思っていたら、子どもたちに生かされて自分がいる。
これは何よりもありがたく、大切なことなのだと思う。

この子達のためにも、自分自身の未来のためにも、心身ともに健康であらねばと思う。
どうしたって年々体は老化し、あちこち支障は出てきてはいるが、無理をしないよう自分の身体を労わり、メンテナンスをしつつ、心はいつも若々しく、むしろ若返って、頑張っていくしかない!

これからは、細く、長~く、しなやかに、したたかに残りの人生全うしていこう。
たとえ、その『予定されている日』がすぐそこまで来ていようとも、最後まで前向き、前のめりで生きていこう!

HAPPY BIRTHDAY TO ME!!*(ケーキ)*
生まれてきてくれてありがとう、私。*(ワイン)*
そして、この世に送り出してくれた両親に感謝!!! *(カーネーション)*
私を支えてくれている家族や友人たちに感謝!!!!!*(トロ)*

『タイムライン』

2009-07-12 10:10:00 | 徒然なるままに
コーチングの3回目。今回は、『タイムライン』というスキルを学んだ
『ゴール』(目標)に向かって、順序だてて計画を立ててさまざまな問題を解決していくと言う方法が一般的なのだが、今回の『タイムライン』は、逆行して行くやり方だ。
まず、最初にクライアント(相談者)を『ゴール』地点に立たせてみる。
「目標を達成できた今、あなたにはどんな光景が見えていますか?」
「そこでは、どんな音が聞こえていますか?」「今、あなたはどんな気持ちですか?」
というような質問をし、思う存分、『目標達成』の気分を味わってもらう。

次に、その『ゴール』に辿り着く直前はどこにいるか?何をしているか、そのときの気持ちは?というように、『時系列』を逆にたどっては、その地点とそのときにやっていること、その場の気持ちをシュミレーションする。
そのとき、実際に、ゴールとスタート地点の部屋の中での立ち位置を決め、見えない『タイムライン』上に立ち、『その時』が、そのライン上のどの位置にあるのか、確認しながら実際に立ってみることがポイントだ。

そうやって、ついに『現時点』に辿り着く。
実際にいろいろな『分岐点』に立ってシュミレーションしてみた後に、『現時点』に立ってみると、これからどんなことがあるのか、今からやらねばならないことがはっきりしてくる。
でも、『現時点』=『スタート地点』ではないのだ。
スタートはゴールに向かって走り出す場所。
その『ゴール』は、『いつか叶う夢』ではなく、『いついつまでに叶える夢』なのだ。
『ゴールの時』が決まっている以上、『スタートの時』は早い方がいい。自分のペースで確実に問題を解決しながら、必要な準備を整えていくためにも

その時、どう動くか。
いつから始めるのか。

先日、3年生の授業で早速実践してみた。
「来年の今頃、何処の高校の制服を着て、どんな教室で、どういう高校生活を送っているのか、想像してみよう」
「もうすぐ高校総体、まだ1年生だけど、憧れの甲子園に向かって、コンクールに向かって頑張っている?夏休みのアルバイトの計画を立てていたりする?」
「今は4月。志望校の入学式。どんな気持ち?新しい友達はできそう?どんな高校生活を送りたい?」
「今は3月。中学校の卒業式。高校合格も決まった。みんなと一緒にいられる日も今日だけ。どんな気持ちでこの日を迎えている?」
「今は2月。毎日のように入学願書提出、試験、面接、合格発表、手続きに追われ、月の半分も学校には来られない。特色選抜の合格発表。クラスの半分以上合格して私立高か公立高か行き先が決まっている。でも、クラスではインフルエンザが大流行。公立の一般入試は近い!今の気持ちは?」
「今は1月。新年が始まった。いよいよ私立前期試験と公立の願書提出が始まる。周りは一喜一憂。でも、『本番』はこれから。風邪が流行りだしてきた、今の気持ちは?」

その後は文化祭、体育祭、総体など、すべての行事に『最後』が付く3年生に、これからの日々をどんな気持ちで過ごし、最高の卒業式に向かって、これからやるべきこと、今しなければならないことを考えさせた。

美術の時間ではあるが、皆、真剣に聞いてくれ、この話の後に取り組ませたBOX ARTのテーマ決めと下書きは、なかなかの反応だった。

私も、
人生の目標、
80歳までの目標、
70歳までの目標、
60歳までの目標、
50歳までの目標、
今年度の目標、
今年の目標、
今月の目標、
今週の目標、
今日の目標に向かって、スタートを切らねば!

ちなみに今日の目標は、
夜の10時までにやることをやって、『天地人』を見る!
22:00採点を終えている
20:00夕飯の片づけを終えている。
19:00夕飯のしたくを終えている。
18:00衣替えと掃除を終えている。
15:00庭木の剪定を終えている。
12:00庭の草取りを終えている。

やることはいっぱいだ・・・*(汗)*
これをアップしたら、さあ、動くぞ~*(ダッシュ)*

PANDEMIC(パンデミック)~『感染列島』を見て~

2009-07-12 09:14:00 | 徒然なるままに
『感染列島』という映画を見た。(DVD)
今年のインフルエンザ騒ぎを予告するような映画だった。
http://kansen-rettou.jp/

新型ウィルスで恐ろしいのは、
感染源が特定できない、
感染経路が分からない、
予防策が分からない、
治療法が分からない。
ということだろう。

でも、それより恐ろしいのは、『流言飛語』だと思った。
憶測や根拠のないうわさが広まり、それによって、パニックが起こり、残酷な群集心理の犠牲となって、追い詰められて亡くなって行く人たち。
真実が解明されたときは時すでに遅く・・・。
まさに『人災』だ。

パニックを起こさないためには、何よりも、冷静な判断が大切なのだが、人の生き死にが関わってくると、その場にならなければ、誰も自分がどういう行動を取るのか分からないだろう。

群集心理は、誰かをターゲットにして、責任をその人に擦り付ける。
群集心理は、我先にと我が身を守ることを優先して、ルールもマナーも完全無視する。
そういう中で、小さい人や弱い人、老いた人が犠牲になっていく・・・。

シーンの中で、少しでも生存の可能性が高い人を助けるのが優先、との判断のもと、医師自ら小さい子どもの呼吸器の管をはずすシーンがある。
ところが、はずされた子どもの死亡が確認された後、取り付けたばかりの人も亡くなってしまう。
次々と同じ方法で、亡くなった人々の数を告げられた指示を下した医師が、泣き崩れるシーンが印象的だった。

最後にその医師が感染してしまった自分の身体を実験台として提供し、最後の望みの治療法にかけるシーンには涙が流れた。

その医師が、医者を目指した理由を語るシーンで、紹介した言葉が印象的だった。
『たとえ世界が明日滅ぼうとも、今日君はりんごの木を植える』


エンディングに流れるレミオロメンの『夢の蕾』も心に沁みた。


今年、5月に猛威を振るった新型インフルエンザ。
タミフルが効かないとの情報や、冬の風邪のシーズンには更にパワーアップして流行するらしいとのうわさも流れている。

とにかく、夏場のうちから予防(うがい・手洗い)を習慣化し、冬までに、病気に負けない気力と体力をつけておくことが大切だと思う。

去年の高校受験期、何人もの生徒がインフルエンザで大変な思いをした。ワクチンを打っていてもダメだった。
ウィルスだから、感染したら仕方がない。でも、罹らない人もいる、罹っても回復の早い人もいる。
『抵抗力』の差だと思う。充分な睡眠・栄養をとっているか、体力も関係している。
規則正しい生活、バランスのいい食事、基礎体力作りが、うがい、手洗い以上に予防となり、それでも入ってきたウィルスと戦い抜く力となる。

映画の中で、自分も癌を患っている身体で、ウィルスの源を探り当て、その分離法を発見いた医師が言うセリフに考えさせられた。
「ウィルスはそんなに悪いものなのかね?」
「ウィルスと共に生きる道はないのだろうか・」
「ウィルスも人間と同じだ。
宿主を殺したら自分も死ぬのに、それでも宿主を蝕もうとする。」
「消毒、抗生物質の使いすぎで生き物(微生物)もいないで死んでしまった土・・・。そこで養殖されている生物(海老)を我々は食べているんだ・・・」

人間は、文明、化学、医療が進んで、便利で快適、薬のおかげで長寿を得られる世界を獲得してきた。
でも、果たして、その分、人間は『強く』なったのだろうか?
電気がないと何もできない、生み出せない、体温調節することさえできない。
遠くのものを見たり、かすかな音を聴いたり、風の向き、匂い、湿り具合など肌で感じ取ることは?日の出とともに起き出して、日の入りとともにその日の仕事を終えたり、徒歩で目的地まで旅をする体力は?
五感が衰えた人間は『第六感』も働かない。
無気力、無感動、無表情な人間が多くなっているのでは?


日本人は、暑いときは暑いなりに、寒いときは寒い鳴りに、風土を生かした生活をしてきた。
米のとぎ汁や藁まで捨てずに使い切るエコロジーな民族だったはずだ。
今はどうだろう?資源を無駄遣いし、出したゴミの処分に困ってはいないか?
便利な生活と引き換えにに失くしてしまった物はなんだろう・・?


医学の発達で、原因不明の病気が判明し、治療法も見つかって、昔だったら助からない命も助かるようになった。
でも、それに頼りすぎて、人間は自分から、抵抗力も、体力も自然治癒力も、回復力も衰えさせてきてはいないだろうか・・・。
医師は、
『俺の身体に癌はいる。俺と一緒に生きている』
と言った。
昔から『一病息災』という言葉がある。
病気とともに生きると言う覚悟と許容力で、『気に病んで』ストレスを抱えて生きるより、ずっと人間らしく生きられるのではないだろうか・・・。

映画を見ながらそんなことをつらつら考えていた。
それにしても、『医師不足』が叫ばれている昨今、医療現場に携わる方々のご苦労と覚悟、志の高さには本当に頭が下がる。
教育現場も同様だが、自分の健康を害し、家族を犠牲にしてまで貢献する姿は素晴らしい。が、やはり、『医者の不養生』では、本当に力を発揮しなくてはならないときに、無念な結果になりかねない。
『体が資本』。暑い夏を元気に乗り切り、パワーアップするだろう新型ウィルスを迎え撃つべく、体力作りを頑張ろう!

津軽三味線って、魂を揺さぶられるよね~♪

2009-07-11 23:23:00 | 徒然なるままに
7月11日(土)

今日は、子どもネットの高学年例会(舞台鑑賞会)で、『あんみ通』という津軽三味線ユニットhttp://www.anmitsu.info/のコンサートを聴いてきた。

生で聞く津軽三味線の音色は迫力があり、魂を揺さぶられるようだった。たった3本の弦で奏でられる調べとは思えないほど、多彩な音色だった。
東北地方の民謡を中心に、沖縄民謡、日本古謡や、現代の歌謡曲、童謡やTVアニメの主題歌まで、小さい子どもから、お年寄りまでみんなで楽しめる選曲だった。

中盤、子どもたちに、津軽三味線と三味線(細棹)、沖縄のサンシンの重さを苦らべてもらったり、実際に津軽三味線を弾いてみる体験コーナーがあったりと、参加型のメニューも楽しかった。

海外でも大活躍の2人だが、これからも日本の民族楽器や民謡の良さをどんどん広めていってほしいと思う。
でも、本当に広めてほしいのは、普段、民謡になじみのない小さい子どもたちや、小中学生なのかも知れない

目から鱗の『一点透視図法』!

2009-07-09 05:56:00 | 徒然なるままに
3年生の授業で、一点透視図法を教えた。
まずは、正方形を立方体に見せる書き方をやり、応用編として、文字を立体的に見せる描き方を教えた。
『消失点』という点の打つ位置(目線の高さ)を帰るだけで、立方体があらゆる角度から見たように描ける。

次に、一点透視図法を使った風景画の描き方。
『水平線』(地平線)を引き、見ている人の目の高さ、見ている位置を決める。
画面に対して水平線の位置が上にあるほど高いところから見下ろした絵(俯瞰図)になる。水平線が低い位置にあるほど、地面に近い位置となり、見上げた絵(あおり)となる。

水平線の位置が決まったら、その線上に『消失点』を打つ。1箇所に打てば一点透視し、2箇所に打てば二点透視になる。
消失点に向かって『集中線』を引いていきそれを基にして作図していくのだが、消失点と集中線の関係が理解できていないと、ゆがんだパースになる。
理解できて作図できると、果てしなく続く道路や、並木道、家並み、ビル郡などが画面上に現れてくる。
それが、ビルの屋上から見える風景だったり、地下鉄から地上に出てきたとたんに見える風景のようだったり・・・。

3段階めは、室内パースの描きかた。
間取図から立面図にしていくのだが、家具のサイズが適当だと、ベビーベットのようなものになったりするので、ちゃんとおおよその家具のサイズ、尺貫法も教える。『一尺』『一間』、『一畳』、『一坪』なんて、およそ中学生には縁のない言葉でも、日本で暮らしていく以上、常識として知っていてほしい。

将来、自分で部屋を借りたり、家を建てるときに、人任せではなく、自分で間取りを考え、インテリアコーディネイトができるようになってほしい。

以前、1年生でこの授業をやったとき、ある男子生徒が授業のあと、自分の部屋のパースを描いてきた。いろいろアドバイスをしてあげると、翌日着彩してきた。
翌年、彼は職業体験の授業で、建築事務所を希望し、そこで本物の製図版で製図をさせてもらったのだという。
その後、彼は、1級建築士を目指して、大学の建築科に進むべく勉強しているという。現在高2。中1のときの夢は、パティシエを目指している姉の店を設計することだったけれど。それを教えてあげたときの姉(当時中3)の嬉しそうな顔が忘れられない。二人の夢がかないますように・・・。

一通りの授業を終えた後の3年生の感想が面白かった。
『今までどうやって描くのか分からなかったが、これを使っていろんな風景や建物を描いてみたい』
『文字が立ち上がったり、空中に浮かんだりしているように描けるのが面白い。』
『同じ間取の部屋でも、インテリアやカラーコーディネイトで印象が違って見える!面白い!!』
『恐るべし!美術!!』

美術といえば、見たものを見たとおりにスケッチしたり、デッサンできないとダメ、きれいに彩色できないとダメ、人物をうまくかけないとダメ、個性的な発想を絵にできないとダメ・・・・
そう思い込んでいるのは生徒自身なのだが、そう思うようにしか教えられなかった教える側にも責任があると思う。

『美術は生活に役立つ教科である。』
色の勉強をするのは、彩色が上手になるためだけではない。色の組み合わせや、補色の効果を知っていると知っていないとでは、料理の盛り付けやファッションコーディネートだって違ってくる。好きな色やきれいな色を集めてみても、ぱっとしない。でも、その色を生かすための色の組み合わせを工夫すれば、お互いの色を引き立て合って、美しい調和が生まれる。
それを生活に応用する場面はいくらでもある。
それはまた、命を救うこともある。手術着が白衣ではないのは、血の色の補色を着ることで、手術に集中できるからだ。

生徒は面白い。
新しいことを学ぶと、黙っていられなくなる。人に教えたくなる。
本当かどうか確かめたくなる。
もっと知りたくなる。
できるようになると、もっと上手になりたいと思う。
他のこともできるようになりたいと思う。
友達の作品に対して興味を持つ。
ほめる。まねる。
自分の作品と比較する。
有名な作品に対しても興味を持って、批評までする。

教え込まなくても、生徒は勝手に成長しようと伸びてくる。
迷ったとき、躓いたとき、集中できないとき、ちょっと手助けしてあげる。
できたときはとにかくほめる!そして、次にちょっとだけハードルの高い課題を与えてあげる。頑張ってできたらまたほめる。
そのうち、生徒のほうから、『次は何やるの?』『私たちはこれまだ教えてもらっていない!』と要求してくるようになる。

だから。
教える側は、常に生徒の先を行かなくてはならない。
教材研究は大切だ。下調べ、資料作り、参考作品作り・・。
でも、時として、生徒から教わることのほうが多いときもある。
そういう時はとても新鮮だ。ワクワクする。
教える側も教えられる側も、お互いにスキルアップできる、そんな生きた授業が私の目標だ。

3年生はBOX ARTを制作する。遠近法を生かしてどんな作品が生まれてくるのか楽しみだ。

その前に。背景が描けたら、次は人物だ。
次回は、脱・棒人間をめざすぞ!