守田です(20171029 20:30)
インチョンのホテルからです。パリに向かう途中にトランジットしています。
出国の前日、京都被爆2世3世の会のお仲間の石田信己さんの告別式に参加してきました。
準備でドタバタしていましたがこれを外すわけにはいかないと駆けつけてきました。
石田さんは68歳でした。26日の午前1時27分に京大病院でお亡くなりになられました。
長い長いガンとの闘病を経てのことでしたが、最後はあまりに突然でもありました。
石田さんは日本共産党の党員として終世を生きられた方で、1970年代初頭に京都府学連委員長も務められました。
コアなマルクス主義者でしたが、一方で「教条」が大嫌いな方で、とても柔軟な思考をもたれていました。
あらゆることに造詣が深く、とくに朝鮮については古代史から現代史まで精通しておられました。
僕は2世3世の会で出会い、月一度の例会でお会いしていました。
その例会と、例会後のお酒の入った歓談のたびにぐいぐいと惹かれていきました。
たくさんの、コアでマニアックな討論をしました。
石田さんとは共産党の現状への批判なども交わしました。
石田さんのそれは共産党を愛する立場からでしたがいつも深いところで一致できました。
「そうや。その通りや、そこがあかんねん。そこが変わらなあかんねん」
いつもとても力強く語っておられました。
ちなみに我が家の僕の机の上に、空き缶のプルタップが袋に入ってジャラジャラしています。
石田さんが集めて、お金に換えて車椅子の援助に使っていると聞いてから、空き缶をみるとほっておけなくなり、集めていました。
そうして例会のときに渡していました。なんということもないものなのですが、今回もそこそこたまっています・・・。
石田さんのニヤッとする顔がみたくてだったのですが、今回の袋は受取手がいなくなってしまいました。
にもかかわらず、今日も大韓航空機の中で飲んだビールのプルタップをまたいつの間にかポケットに忍ばせてもってきてしまいました。
石田さん。これからは自分でどこかに送ることにしますね。
告別式で光栄にも友人の一人としてお別れの言葉を述べさせていただくことができました。
嗚咽がこみあげてきて難儀しましたが、なんとか懸命になっておさえこんで最後まで感謝の言葉を述べさせていただくことができました。
ここに掲載させていただきます。
石田さん。
安らかにお眠りください。
バトンはしっかりと受け継ぎましたから!
合掌
*****
お別れの辞
守田敏也
石田さん
これまで本当にありがとうございました。
石田さんの生き方はものすごくかっこ良かったです。
かっこ良く生きるということは
こういうことなのだということを目の前で示してくれました。
世のため、人のため、石田さんは生涯、駆け抜けられたのだと思います。
階級闘争のため、人民のため、闘い抜かれたのだと思います。
しっかりと石田さんが歩んだ道を受け継いで
僕も石田さんのようにかっこよく生き抜きたいと思います。
石田さんはエンゲルスが好きでしたね。
僕が「石田さんはエンゲルスボーイなのでしょう?」と言ったら
「ほうか?その意味が分かるか?ほんなら言うてみ?」
そんな風に石田さんは言われました。
それで僕は、いま石田さんのこの棺の上に『資本論』が乗っていますけれども
その『資本論』をマルクスが書く時に
経済的にも疲弊してどうしようも立ち行かなくなったことに対し
エンゲルスが本当は自分の研究をしたかっただろうに
家業を継いでマルクスを支え抜いたことを語りました。
すると石田さんは「おお、分かってるやないか」と言ってくれました。
実はその『資本論』を書く時にマルクスはいろんな不祥事も起こしているのですね。
いまここで言うのは場に合わないかも知れませんけれども
石田さんはその1つ1つをとりあげて
「マルクスはなあ、こんなんしよったんや。でもエンゲルスはそれを全部支えてなあ」
とおっしゃってました。
石田さんはイギリスに行って、エンゲルスのお墓に詣でて来たのですよね。
そのこともとても嬉しそうに話してくれました。
いまちょうどこの遺影で笑われているようなこの顔で
そのときのことを話してくれました。
エンゲルスは晩年になってマルクス主義が有名になったときに
「これはマルクス主義ではなくて、マルクス・エンゲルス主義ですよね」と言われて
「いや違います。これはマルクス主義です。自分は第二バイオリンを弾いたに過ぎません」
そう言いました。
そのことも石田さん。本当に嬉しそうに僕に話してましたよね。
僕が知っているのは石田さんは単に日陰で支えるというのではなくて
エンゲルスの生き方の方が絶対にかっこいいんだと思っていたことです。
その時にもとてもよくそれが伝わってきました。
石田さんはそしてその思いの通りに
仲間に対して、人々に対して、本当に下支えするように生きながら
しかし心の中で「この俺の生き方が一番かっこいいんだ」と
確信を持って歩まれたのだと思います。
そんな石田さんに本当にたくさんのことを教わりました。
同時に石田さんとはマルクスや『資本論』や価値論をめぐって
ずいぶんマニアックな会話をしましたね。
もうそれができないなんてとても悲しいです。
でも石田さん。僕も石田さんの背中を追いかけて
終世、石田さんの笑っている遺影のこの顔を僕の心の中に留め置いて
石田さんとともに生き抜きます。
そして僕が最後に倒れて
石田さんのところに行った時に
石田さんに「おお、あんたもよう頑張ったなあ」
と言ってもらえるように生き抜きます。
石田さん
本当にどうもありがとうございました。