守田です。(20191101 08:00 パスコ時間)
● ハンフォード、リッチランドで生まれ育って
ワシントン州パスコのホテルからです。
30日午後6時のフライトで日本を飛びだった僕は30日午前11時半にサンフランシスコ空港に降り立ちました。
日本からアメリカへの旅は「過去」への旅になります。
空港シャトルで今回の旅の同行者とお会いしました。コーディネートをしてくれている玉山ともよさん他2名です。
この日は滞在しているホテルに、ハンフォードのダウンウィンダーズのトリシャ・プリキティンさんをお招きしてお話を伺いました。
トリシャさんは1950年にハンフォード核施設のそばの街、リッチランドで生まれそこで育地、ハンフォードからの核汚染によって被曝してしまいました。
18歳までは元気に育ったもののその後、甲状腺被ばくから様々な病を発症。壮絶な苦しみの中で法律家の資格を獲得されています。
その彼女やハンフォードの人たちが自らの被曝を知ったのはなんと1986年のこと。ハンフォードから度々、放射性物質が放出されていたレポートが出てからでした。
彼女自身、初めてそれで自らの様々な病が甲状腺の問題から来ていることを知り、ようやく対処の道も見えたそうです。
しかしその後、甲状腺が見つかって摘出。生涯、薬を飲み続けなければならなくなっています。
トリシャさん 守田撮影
● アメリカにおけるヒバクシャへの補償の実態
その後、住民たちが訴訟を起こしました。1991年のことで24年間の裁判が闘われました。
それををお聞きしましたが、話は多岐にわたっています。加えて僕の英語力が高くなくて全部を聞き取れてはいない。
旅の最中の短い時間の報告でどこを切りとってお伝えするか悩むところですが、また帰ってからきちんとしたレポートを出すことを前提に簡潔に報告します。
今回の話の中で特に印象的だったのはアメリカのヒバクシャに対する法的補償の差異でした。
端的にいうと、ウラン鉱山や核施設の労働者には一定の補償もされているのですが、彼女たちのような風下住民たちは除外されています。
もちろん労働者への補償とて手厚いわけではありませんが、保守系の議員が「冷戦を支えた労働者をケアせよ」と叫んだこともあり補償の法律ができました。
この法律はRECAと呼ばれます。Radiation Exposure Compensation Act、放射線被曝補償法と訳したらよいでしょうか。
制定は1990年。核の被害が1940年代、発掘を含めればもっと前から発生していたことを考えると、かなり経ってからの制定でしかありません。
カバーされている地域の地図を持って来てくださいました。全米のウラン鉱山や核施設があった州が対象になっています。
補償を表す地図。青と緑だけ核実験の風下で補償されている。黄色は対象となる核施設労働者がる地域
● 無視された風下住民
しかし労働者ではなく、風下の民が対象となっているのはネバタ砂漠の核実験場のそばのネバタ州、ユタ州、アリゾナ州の一部のみ。
他の多くの地域があきらかに放射性物質がなんども降っているのにカバーされていません。
トリシャさんはその中で苦しい裁判闘争を人々とともに続けてきました。
困難はたくさんあります。アメリカはとても広く、各地の風下住民が連携を取るのもなかなか難しい。
それぞれが皆、被害者であり、医療費などにたくさんのお金を使っていて、その上、訴訟でもお金がかかるため、各地に旅ができないためでもあります。
このためトリシャさんたちの裁判も2015年に和解を見たものの、十分な補償は得られなかったそうです。
トリシャさんはこの裁判の記録を残すため、原告24人の証言を今、本にまとめているそうです。2020年出版だそうです。
これらのお話を聞いて、アメリカのヒバクシャ、特に風下住民たちが被ってきた苦しみが少し伝わってきました。少しだけでもとても痛い。悲しい。
もっと情報をきちんと得ることでこれらの人々の痛みを受け止め、力に変えたいと強く思いました。
続く
今日はワシントン大学の研究者からお話を聞き、汚染の激しかったコロンビア川周辺などを見学してきます・・・。
トリシャさんにインタビューした記事をご紹介しておきます。
(核の神話:8)「風下住民」被曝の実態、命がけで訴え
https://www.asahi.com/articles/ASHDC663WHDCPTIL01T.html
今回の核の終わりの可能性を探る旅へのご支援をお願いしています。
どうかお力をお貸しください。
よろしくお願いします!
*****
振込先 ゆうちょ銀行
なまえ モリタトシヤ
記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合
店名 四四八(ヨンヨンハチ)店番448
預金種目 普通預金 口座番号 2266615