守田です(20201211 22:00)
連載「国際放射線防護委員会(ICRP)の考察」の4回目をお送りします。
● 最初に被曝の危険性を訴えたのは遺伝学者たちだった
前回、放射線防護が核兵器の製造・使用・大量虐殺の過程で、この核戦略を守るものへと変質していったことを述べました。今回はそれをもう少し詳しく見ていきます。そのためにここで中川保雄さんの『放射線被曝の歴史』に戻ります。
ICRPの前身である「国際X線およびラジウム防護委員会」は、当初は放射線はある線量以下であれば生物に影響を及ぼすことはないと考え、安全な値を「耐容線量」と捉えて、1931年に最初の値を決定しました。
委員会はその後1940年に「耐容線量」を大幅に引き下げました。遺伝学者たちからの強い批判があったからでした。とくに生物学者のマラーが1927年にショウジョウバエを用いた実験で放射線突然変異を発見したことに支えられていました。
しかし委員会は第二次世界大戦が激化するなかで活動が停滞しました。同時にアメリカが原爆を作り、広島・長崎での大量虐殺に使用されたことにより「放射線防護」の持つ意味が大きく変化しました。
それまでは一部の限られた職種の問題であった被曝防護の対象が大きく拡大したことも重要なポイントでした。
こうした中でマラーは被曝の拡大に強い危機感を持ち、各地で放射線の危険性を訴える講演を行いました。そのマラーが1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞したことで、被曝の危険性についての社会的関心が広がっていきました。
マラーとショウジョウバエ サイエンスジャーナル 2013年12月06日より
● 「許容線量」の名で被曝を人々に受け入れさせる
このころアメリカ政府は「国際X線およびラジウム防護委員会(IXRPC)」の母体「アメリカX線およびラジウム防護委員会」にマンハッタン計画の代表を加え「全米放射線防護委員会(NCRP)」に改組し、委員会を核戦略を守るものに変えました。
アメリカはマンハッタン計画に参加したイギリスやカナダとも三国協議を進め、さらにNCRPの主導のもと、フランス、スウェーデン、西ドイツをも加え「国際X線およびラジウム防護委員会」を「ICRP」に改組しました。
全米放射線防護委員会(NCRP)はさらに「耐容線量」という考え方を転換し、「許容線量」という考え方を導入してICRPに追認させました。
放射線が遺伝的障害を生むという批判を踏まえつつ「確かに被曝にはリスクがあるが重要な業務を著しく困難にするのも不利益。このためリスクを十分に低くする」と言い出したのです。遺伝的影響も自然発生率と変わらなくすると言われました。
その際、こんなことが打ち出されました。「放射線障害に対する感受性は、人によって大きく異なるが、誰が放射線に最も大きな感受性を有するかを前もって決めるわけにはいかないので、平均的な人間をもって考えることにする」(p37)
安全値はないがリスクを小さくすればいいと言い出し、その際、子どもをはじめ放射線に弱い人々もいることを知りつつ「平均的人間」を防護の対象として弱者を切り捨ててしまったのです。重要なのはこの考えが今もまかり通っていることです。
ICRP勧告における防護基準の変遷 ウキペディアより 核実験が頻繁になった1954年に初めて「一般公衆」が入ってきた
● 「社会の発展のため」と言って蛮行を飲み込ませる・・・
中川氏はこれを「被害が生じることがわかっていても、その被害者を”平均以下”の人間として切り捨て、社会の発展のためにはその蛮行も許容されるべきであると、多数の「平均的人間」に思い込ませる」(p40)ものと痛烈に批判しています。
ただしこの考えをリードしたのはアメリカのNCRPで、設立当初のICRPは一定の抵抗を示し、「1950年勧告」では「被曝を可能な最低レベルまで引き下げるあらゆる努力を払うべきである」と述べていたことを踏まえる必要があります。
とくに「遺伝的影響については、それが被曝線量に比例することが否定できないがゆえに、被曝量を可能な限り低くすべきであるとICRPは勧告せざるをえなかった」(p44)そうです。
ICRPも放射線被曝に安全値はないという立場を採っている。ATIMICAより
当時のICRPの立場に大きな影響を与えたのは、広島・長崎の惨劇を目にして心を痛めた世界中の人々の声でした。
さらに1950年に朝鮮戦争がはじまり、アメリカ・トルーマン大統領が原爆投下の可能性を示唆したことに対し、世界中で核兵器の禁止を求める「ストックホルム=アピール署名運動」が高揚、全世界で5億人もの署名が集まりました。
こうした世界の人々の声がICRPの抵抗を後押ししていたのでした。「被曝を最低レベルにせよ」という文言は、広島・長崎の痛みをシェアしようとする世界の人々の願いがこもった言葉だったのです。
ストックホルムアピールに署名する女優原節子さん 『図節国民の歴史』20巻より
続く
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