守田です(20220806 23:30)
● 広島平和宣言ーリアルな被爆被害について触れられなかった
広島のホテルからです。4日から連泊しています。今日は平和式典が行われましたが、なんとこれまでまったくなかったような厳重警備が施されていました。
公園にも申請をしなければ入れない。正確には170パーセントの申し込みがあって抽選になったので、申請をしても入れない方もいたらしい。
僕は森川聖詩さんと一緒に行動していましたが、やむを得ず僕のホテルの部屋でテレビで式典を見ました。
松井市長の平和宣言、僕にはなんとも中身が薄く感じられました。
あの日の広島のことに少し触れたのち、ロシアのウクライナ侵攻の話になり、核兵器の問題に移り、平和首長会議や核兵器禁止条約の話へと移っていきました。
それはそれで間違いでもないけれど、現に起きてしまい、かつ今も続いている被爆被害への言及があまりに少ない。
もちろん被爆二世、三世のことも何も出てこないし、核実験で被爆したグルーバルヒバクシャのことも出てこない。
黒い雨被爆者のことも出てこないし、まだまだたくさんいるはずで、見つけ出す必要があるのに。そもそも放射線被爆の影響そのものが、まだちっとも解明されてないのにそれも出てこない。
つまりリアルな被爆被害のことに何ら触ふれられていないのです。それがとても残念でした。
子どもたちの発言は、核の被害、戦争の被害を失くしていこうというピュアな気持ちに溢れていて胸を打たれましたが、だからこそ大人が、もっと被爆被害に切り込んでいかなくてはならない。
そうでないと、子どもたちに、さまざまな角度からの被爆を強いることになるからです!被爆と向き合うのは大人の責務です。
~なおいろいろ考えて、僕は今回の旅では、被爆、被曝、被ばく、などとかき分けられる言葉をすべて「被爆」で貫くことにしました。理由はおいおい書きます。
8月6日の広島 原爆ドームを元安川の対岸に見て 守田撮影
● 平和公園の中を歩いて
その後、森川さんとNHK広島支局前での慰霊祭に参加しました。あの日、NHKは34人の方が殉職されています。
そんな中で「電波を出せ」を合言葉に生き残られた方たちが奮闘され、北方にあった電波の発信所に向かわれた。その一人が森川聖詩さんのお父様、定實さんでした。
集まられたNHKの職員のみなさんは、そんな思いを受け継がれようとしておられるのだと思います。この日、あちこちでこうした慰霊祭が行なわれていました。
なお、このNHK前での追悼の場に、森川さんに挨拶したいと、共同通信の太田昌克さんが駆けつけて下さいました。
素敵な場でした。この点についてもまた後日詳しくご報告します。
太田昌克さん、森川聖詩さんと NHK広島支局前にて 守田撮影
さてその後、家路についた森川さんと別れ、警備の解かれた平和公園内に戻ってLIVE配信しながら歩きました。
たくさんの方たちが、原爆慰霊碑に、そしてまたいろいろな慰霊碑に祈りをささげていました。ボランティアガイドの方たちがたくさんおられて、そこここで説明もされていました。
思い思いのグループで集った人たちが、討論会をしていたり、合唱を行っていたり、さまざまな活動をされていました。
式典のあと2時間過ぎても慰霊碑に祈りを捧げる方たちが方たちが列をなしていた 守田撮影
僕には平和式典よりもこちらの方がよほど、充実しているように思え、このシーンを伝えたいと思いました。
ただある友人から「この点のこの撮り方はよくない!」などとありがたい助言をいただいたので、いったんアーカイブを取り下げ、京都に戻ってから編集してお届けすることにしました。
ともあれ8月6日の広島平和公園は、平和宣言は大したことなかったけれども、子どもたち、また公園を訪れたたくさん人々の平和への思いが幾重にも重なって、とても大事な場になっていました。
なお京都でも京都「被爆二世・三世の会」の仲間を中心にキャンドルビジルが行われたので写真で紹介しておきます。9日も行われます。
京都三条大橋でのビジルの様子
ともあれ、私たちが手にしている「平和力」の源がここにあります!
取材を続けます。
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