ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印めぐり 鎌倉 佐助稲荷神社

2020年12月20日 08時56分33秒 | 旅行
銭洗辨財天から鎌倉駅に行く途中に佐助稲荷神社がある。住宅地の奥にある。



参道が狭い。丘の中腹にあるので階段を上がらなければならない。

佐助」と名が付いているので、人の名前に由来することは間違いない。源頼朝が「鎌倉殿」と呼ばれる以前は「佐殿(すけどの」と呼ばれていたことに由来するという説が分かりやすい。源頼朝が霊夢を見て、この地に稲荷を創建したという。

実際は、このあたりを支配する有力者が源頼朝を援助したのではないだろうか。

赤い鳥居が稲荷らしい。




拝殿。新しい。今年の2月に完成したばかりである。


本殿は拝殿からまた階段を上がる。去年の台風で周囲の樹木が倒れ、本殿も破壊されてしまった。今あるのは、仮本殿である。


狐の置物が多数。


拝殿の横に観音堂があるのが珍しい。十一面観音である。毎年5月18日に御開帳される。光明寺から僧侶が来て、読経するという。神仏習合の名残である。


十一面観音菩薩の御朱印もあったので求める。



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御朱印めぐり 鎌倉 銭洗辨財天(宇賀福神社)

2020年12月20日 08時55分39秒 | 旅行
葛原岡神社を参拝後、源氏山ハイキングコースを歩き、途中で下ると、銭洗辨財天に着く。鎌倉では鶴岡八幡宮についで有名な神社ではないだろうか。



隧道を通る。近道である。この隧道ができる以前は裏山から下りて参拝した。


谷間にある神社である。


これが拝殿。


銭洗弁天は正式には宇賀福神社という。頭は人間、胴体は蛇という神様だが、中世以降、福神として信仰されるようになった。これと辨財天信仰が融合した。辨財天の頭に宇賀福神が乗るようになった。

隧道ができる以前は、ここは山間の窪地だった。岩屋があり、水が湧き出ている。蛇が多く棲息していたのではないだろうか。

金運を願うなら、巳の日にお詣りすべきである。巳の日は霊験あらたかであるという。

2020年12月の残りは巳の日28日しかない。

2021年正月は、1月9日、21日。
2月は、2日、14日、26日。




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御朱印めぐり 鎌倉 葛原岡神社

2020年12月17日 04時56分17秒 | 旅行
鎌倉、源氏山公園一帯を歩く。12月16日、鎌倉は、ポカポカ陽気だった。源氏山公園はハイキングコースになっており、平日にもかかわらず、結構な人出だった。

まだ、黄葉が残っていた。

葛原岡神社の鳥居前には大イチョウがある。



葛原岡神社の祭神は、日野俊基である。後醍醐天皇方で、元弘の乱に加わり捕縛され、ここ葛原岡で処刑された。

明治期に南朝正統論が確立し、後醍醐天皇方だった日野俊基は改めて評価され、この葛原岡に神社を創建した。

参道は細長い。


社殿は小さい。



神社の近くに日野俊基の墓がある。大きなカエデで覆われていた。




神社付近はまだ紅葉が残っていた。





源氏山の展望台から鎌倉の海を見る。




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御朱印めぐり 津軽半島 高山稲荷神社 千本鳥居

2020年12月14日 09時39分44秒 | 旅行
五所川原のホテルに宿泊した翌朝、高山稲荷神社を参拝する。JR東日本のポスターで、鮮やかな千本鳥居に魅せられたからである。

しかし、行くのは大変だ。五所川原駅から45分ほどバスに乗り、高山神社入口で下りる。入口なのだから神社が近いと錯覚するが、バス停から40分ほど歩かなくてはならない。

やっと着いた気がした。


入口にある社務所に御朱印帳を預けてお詣りする。



社殿は丘の上にあった。


しかし、肝心の千本鳥居が見当たらない。地元の参拝者に丘を反対側に下りるとありますよと云われた。案内板もあった。

その人曰く、いつも参拝しているが、鳥居を見たことがない、一緒に行きましょうか。どうやら地元の人は鳥居に関心がないようである。

雑木林の中の階段を下りると、目の前に龍宮宮があった。地元の人は、これは昔からあったという。古いお社だったそうだが。今は朱塗りの橋が鮮やか。


丘の上に延びる千本鳥居。これが入口。両側は庭園である。


一番上に上がると、稲荷ではなく、神明社の祠があった。


ここから千本鳥居を見ると、ポスターの写真になる。



地元の人曰く、この辺は雑木林だったそうだ。その底辺を造成して、庭園に作り変え、道に鳥居を設置した。先代の宮司さんの時代に行われた。

それが目玉になって観光客が来るようになった。現に、ここでツアー客に出会った。

千本鳥居を下りる。





両側は庭園である。


最後に雑木林の写真を一枚。昔は、こんな感じの場所だったそうだ。


JR東日本の高山稲荷神社のポスターに魅せられる人は多いだろうが、辺鄙な土地で、行くには時間もかかり、金もかかる。バス便ではなくタクシーを利用すると楽だが、往復で1万4千円ほどかかるそうだ。よくよく考えて欲しい。



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五所川原市

2020年12月14日 08時31分08秒 | 旅行
東北旅行、弘前市内の熊野奥照神社、弘前八幡宮を参拝したあと、弘前駅から五所川原駅へ移動する。五所川原駅近にあるホテルに宿泊。翌日に高山稲荷神社を参拝する予定だったからである。

五所川原市は、津軽半島中部の市だが、他の地方都市と同じで、人口は減りつつある。1960年の人口が7万人、直近のデータがある2015年は5万5千人。2020年は国勢調査が行われたが、もっと人口は減少しているはずである。

年齢別の人口分布を見ると、20歳前後の人口が急減している。地元に仕事がなく、都市に出てしまうからである。

五所川原駅。


五所川原の名物は、夏に行われる立佞武多祭 である。高さ20メートルの立佞武多が街を動く。移動の邪魔になるので電信柱や電線がない。

かっては三つの百貨店があったが、郊外にショッピングセンターができたため、すべて閉鎖された。人影が見当たらないが、地方によくあることである。




立佞武多像がある。背後が市役所。


市役所前。


JR五所川原駅前。隣に津軽五所川原駅がある。津軽鉄道の始発駅である。太宰治の生家がある金木に行く場合に利用する。



津軽鉄道の待合室。





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御朱印めぐり 東京都 幡ヶ谷不動尊

2020年12月13日 19時06分30秒 | 旅行
幡ヶ谷不動尊を参詣する。御朱印目的に訪れたのではなく、新国立劇場にバレエを見に行く途中、ついでに立ち寄ったものだ。新国立劇場の近くにある。

幡ヶ谷不動尊は通称で、正式には荘厳寺という。





目の前にオペラシティの高層ビルが建っている。


通りに出ると、東京都庁のビルが見えた。


新宿の高層ビル群が近いが、この幡ヶ谷当たりの商店街は下町風である。


御朱印は3つの本尊「弘法大師」「薬師如来」「不動明王」を並べるという珍しいものだ。

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御朱印めぐり 鎌倉市 荏柄天神社

2020年12月12日 07時17分47秒 | 旅行
鎌倉宮を参拝後、荏柄天神社まで移動する。徒歩で5分ほど。近い。

お宮通りから大きなイチョウが見える。これが荏柄天神社のイチョウである。










イチョウの黄葉が素晴らしかった。



鎌倉の天神さんというと、ここしか思い浮かばない。


拝殿。


拝殿の左奥にカッパ筆塚がある。



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御朱印めぐり 鎌倉市 鎌倉宮

2020年12月11日 15時00分01秒 | 旅行
2020年12月10日、鎌倉を訪れる。天気が良く暖かい。平日だったが、観光客の姿はかなり見受けられた。

鎌倉駅から大塔宮行きのバスに乗り、終点でおりる。大塔宮とは後醍醐天皇の皇子・護良親王を云う。通称が大塔宮である。

鎌倉宮は、護良親王をご祭神とする。護良親王は、この地に幽閉され斬首された。鎌倉宮は、護良親王を追慕する明治天皇の勅願により創建された。

鎌倉宮は紅葉の名所としても知られているが、まだ紅葉が残っていた。





拝殿。


社務所の前の紅葉は鮮やかだった。




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御朱印めぐり 青森県弘前市 最勝院 五重塔

2020年12月11日 08時14分29秒 | 旅行
弘前八幡宮を参拝後、弘前の五重塔として有名な最勝院に向う。最勝院は、もともとは弘前八幡宮の別当寺だった。

明治期の神仏分離で現在地に移動した。ここには、もともと大円寺があったが、大円寺は大鰐温泉に移され、今でも「大鰐の大日様」として親しまれている。




真言宗の寺院である。



五重塔。


最勝院から弘前駅に戻り、五能線で五所川原駅に向う。

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御朱印めぐり 青森県弘前市 弘前八幡宮

2020年12月09日 08時42分11秒 | 旅行
弘前市に鎮座する熊野奥照神社を参拝したあと、弘前八幡宮に向う。両社は同じ通りにある。

熊野奥照神社の前から見ると、道の奥に鎮守の森が見える。ここに弘前八幡宮が鎮座する。


弘前八幡宮は弘前総鎮守である。地元の人にきくと、初詣は弘前八幡宮に出かけるという。1612年創建。明治以前は、道の両側に12の塔頭寺院があったが、神仏分離で廃寺になってしまった。





本殿は国の重要文化財に指定されている。



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御朱印めぐり 青森県弘前市 熊野奥照神社

2020年12月08日 08時54分59秒 | 旅行
青森駅から弘前駅へ移動する。臨時の観光列車・リゾートしらかみ号に乗車した。

車中で、金多豆蔵人形一座の出し物があった。



悪い女に男が金をだまし取られる話だったが、勧善懲悪ではなく、悪が勝つというのは風変わりだった。(欺される男がアホなのだ。)

熊野奥照神社は、弘前城の北東方向に位置する。

道路に赤い鳥居が見える。



本殿は、国の重要文化財に指定されている。



雪よけで覆われいるので見栄えはよろしくない。


弘前は雪が残っていた。

熊野奥照神社の御朱印は注意を要する。通常の御朱印だけというわけにはいかず、セットになっている。合わせて1500円である。

もう一つの御朱印は、幻の古代文字(アヒルクサ文字)で書かれたもので、木版で手刷りしてある。


「オホカミノミスルス」と読むのだそうだ。「大神の御印」の意味である。

西暦805年に、坂上田村麻呂により熊野奥照神社に奉納された御神印で、桓武天皇の直筆という。ウ~ン…年譜によれば、805年には、坂上田村麻呂は京都にいたということになっている。





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御朱印めぐり 青森県青森市 廣田神社

2020年12月07日 09時37分12秒 | 旅行
青森県の神社参り、善知鳥神社から廣田神社へ移動する。

廣田神社は、御朱印にも記されているとおり、病厄除けで信仰されている。現在のコロナ禍ではお参りしたくなる神社である。


手水場には青森らしくリンゴが浮いていた。もちろん、現在は、手を洗うことも水で口をすすぐこともできない。


社殿。耐火建築である。雪国は建物の維持が大変だから、これが多い。

祭神は、青森城代2代目・進藤庄兵衛正次である。他に、天照大神や大国主命などが祀られている。



拝殿の中はねぶたのお面が輝いていた。これも青森らしい。


ねぶたの御朱印も求める。


廣田神社から青森駅に戻る。駅の背後の青森ベイブリッジが目立つ。




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御朱印めぐり 青森県青森市 善知鳥神社

2020年12月06日 08時47分17秒 | 旅行
青森県青森市の総鎮守・善知鳥(うとう)神社を参拝する。この神社名は鳥の名前を知らないと読めない。

青森駅から徒歩で10分ぐらい。商店街を歩くが、駅に近い方の店はまぁまぁだが、遠くなると寂しくなる。





青森市は昔は善知鳥村と呼ばれていた。ここは青森市が開拓された時の神社である。

由緒によると、允恭天皇の時代に善知鳥中納言安方が創建したことになっている。允恭天皇は、仁徳天皇の皇子で、5世紀前半に実在したという。当時、皇室の勢力がこの地に及んでいたのかと疑問に思う。


祭神は、宗像三女神(多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命)である。場所柄から云っても航海の安全を祈る神社だった。




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御朱印めぐり 東京都世田谷区 九品仏(浄眞寺)

2020年12月05日 10時05分20秒 | 旅行
九品仏を参詣する。正式には「浄眞寺」だが、九品仏として知られている。大井町線の駅名も「九品仏」である。

この地域を代表する寺院で、東横線の「自由が丘駅」は、東横線が開業した当初は「九品仏駅」だった。大井町線ができ、駅名を変更したものである。

九品仏は、大井町線の九品仏駅前にある。自由が丘駅からだと徒歩で15分ほど。




まだ紅葉が残っていることを期待したが、焔魔堂周辺だけだった。


仁王門。


九品仏というのは、極楽に往生するときに9種類の往生の仕方があるという考えに基づく。

上品、中品、下品と3種類に分かれ、なおその中にも、上中下の3種類あるという。

最上ランクは、上品の上、次が上品の中、その次が上品の下、以下、中品、下品にも3種類あり、3×3=9種類である。

親鸞がこれを知ったら呆れただろうが、浄眞寺は浄土宗の寺院である。

阿弥陀堂は、上品堂、中品堂、下品堂と3つのお堂があり、それぞれの中に3つの阿弥陀仏像が置かれている。

本堂の正面にあるのが上品堂。


中品堂と下品堂は同じようなものなので省略する。

九品仏というと、京都の南山城、奈良県との県境に近い浄瑠璃寺を想起する。浄瑠璃寺では九躰仏と呼ばれている。発想は同じだが、横一線に並んでいて、どれが上の上だか、下の下なのか分からない。せめてそういう並べ方をしてもらいたいところだが。

本堂。本尊は、釈迦牟尼佛。なぜ本尊が釈迦牟尼仏なのかと考えると、頭の中が混乱してくる。


通常の御朱印の他に大勧進の金色の特別御朱印がある。「南無阿弥陀仏」と写経しないと貰えない。





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12月4日 日吉駅前 イチョウ並木

2020年12月05日 08時38分54秒 | 旅行
たまたま日吉駅でおりると、駅前にある慶大のイチョウ並木が見頃だった。
 






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