ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印めぐり 東京大神宮 東京五社の一つ

2021年03月20日 09時34分57秒 | 旅行
日枝神社を参拝後、地下鉄線で溜池山王駅から飯田橋駅へと移動する。

溜池山王も飯田橋も東京の中心部だが、同じ中心部と云っても飯田橋駅付近の街相は異なる。ゴチャゴチャして下町的雰囲気がある。

飯田橋駅から東京大神宮へと歩く。東京大神宮は表通りに面していず、裏通りにある。探しにくい神社である。目白通りを歩き、飯田橋二丁目の信号を右に曲がり、二つ目の横道を右に入る。樹木のあるところが東京大神宮である。しかし、気付くにくく通り過ぎてしまう可能性がある。


東京大神宮は、もとは日比谷にあった。関東大震災で焼失し、現在地に移った。


当初は皇大神宮遙拝殿だった。つまり、伊勢神宮の遙拝殿だった。戦前は、神社に含まれず、氏子もいなかった。現在の東京大神宮がある地域も築土神社の氏子地域になっている。



東京大神宮は、一言でいえば、女性専科の神社である。神前結婚式が初めて行われたのが東京大神宮である。ということで、女性の熱烈なる支持を集めて、参拝客が絶えない。まだ寒さが残っているから冬服で地味だが、暖かくなると、原宿的様相を呈する。

私のような高齢男性はお参りしにくい。異邦人のような気になるからだ。


相変わらず、女性が多かった。


平日の午前だったのでまだ人出は少なかった。


桜が咲き始めていた。


東京大神宮をお参りして、東京五社めぐりを完結した。

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御朱印めぐり 東京都千代田区 日枝神社 東京五社の一つ

2021年03月19日 10時43分57秒 | 旅行
東京の大きな神社を5つ(明治神宮、靖国神社、大宮八幡宮、井草八幡宮、大国魂神社)まわったが、明治神宮、靖国神社、大国魂神社は東京五社に含まれている。東京五社の残りの二つ、日枝神社、東京大神宮をまわり、東京五社めぐりを完成させることにした。

まず、日枝神社をお参りする。御朱印に「皇城之鎮」とあるように、文字通り東京の中心に鎮座する。お隣に衆議院宿舎が建ち並び、その先は国会議事堂である。常に路上で警察官が警戒している地域である。

日吉様式の鳥居が目立つ。


台地の上に鎮座する。通常なら階段がきついところだが、ここはエスカレーターが設置されているのが嬉しい。


設置するにもメンテナンスするにも資金がいるが、ここは財政力が豊かなのだろう。神社界にも格差がある。

東京の中心地の風景。同じ東京でも地域によって印象は異なる。ここは一等地である。


日枝神社は、日吉大社を勧請して創建されたものだ。




日枝神社は、裏に回ると、稲荷神社がある。裏に稲荷らしい赤い鳥居の狭い階段がある。案外と気がつかないところだ。





昔は、社務所で御朱印を貰ったと記憶するが、昨今の御朱印ブームで専門の朱印所ができている。

貰った御朱印は、通常の御朱印である。この他に昔の御朱印も展示されていて貰うことができる。明治時代の御朱印など珍しいものだ。


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御朱印めぐり 東京都調布市 深大寺

2021年03月17日 17時43分13秒 | 旅行
調布駅からバスで深大寺へ行く。深大寺は境内はそれほど広くはないが、多摩の名刹である。東京都の寺院では浅草寺に次ぐ古刹である。背後が神代植物公園である。神代植物公園は広大だが、もともとは深大寺の寺領だった。

深大寺と云えば、門前の深大寺蕎麦が有名だ。お店が並んでいる。


山門。茅葺きで古さを感じさせる。


境内。


本堂。


深大寺周辺及び神代植物公園は桜の名所である。参拝するなら、桜の季節がいい。今年の桜の満開は都心では3月24日頃と云うが、調布は少し遅れるかもしれない。

深大寺の門前は風情がある。茶屋があって、京都のような雰囲気である。東京では珍しい。




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御朱印めぐり 東京都調布市 布多天神社

2021年03月16日 09時32分47秒 | 旅行
府中駅から調布駅へ移動する。府中といい、調布といい、律令制を感じさせる名称だ。府中は国府の存在したところ、調布は、租庸調の調にあたる布をあつらえたところだ。

布多天神社は、調布駅から徒歩で10分かからない。毎月15日は、限定朱印がもらえる。

朱印に菅原道真の歌が筆書されている。

「谷深み 春の光のおそければ 雪につつめる 鴬の声」 


老木が支えられて、なんとか倒壊を防いでいる。






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御朱印めぐり 東京BIG神社№5 大国魂神社

2021年03月15日 18時20分33秒 | 旅行
東京のBIGな神社めぐり、最後に5番目に大きい大国魂(おおくにたま)神社を参拝する。

京王線の府中駅か、南武線の府中本町駅で下りればいいが、府中本町駅を利用した。

府中本町駅の真前に武蔵国府址がある。ここが武蔵国の中心だった。建物の模型が展示されている。


柱のあるところに建物があった。左横を走っているのが府中街道である。武蔵国府と大国魂神社は府中街道を挟んで極近のところにあった。大国魂神社は、武蔵国総社である。


府中本町駅前に鳥居があるが、ここから入ると、社殿の前に出てしまう。遠回りして旧甲州街道に出る。こちらからお参りしないと、神社の大きさが分からない。



中雀門を通り、拝殿前に出る。名物のしだれ桜は咲き始めだった。


拝殿。重厚な造りである。こういう重量感のある社殿は江戸期のものである。1667年建造という。


お参りを済ませる。大国魂神社で東京五社めぐりの案内を貰う。東京五社とは、大国魂神社、明治神宮、靖国神社、日枝神社(赤坂)、東京大神宮をいう。

大国魂神社、明治神宮、靖国神社は既にお参りしたことになる。残りは、日枝神社と東京大神宮である。春の内にお参りに出かけようと思う。



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御朱印めぐり 東京BIG神社№4 井草八幡宮

2021年03月14日 10時06分00秒 | 旅行
東京の大きな神社である大宮八幡宮と井草八幡宮は杉並区に鎮座する。大宮八幡宮の北に井草八幡宮があるが、交通の便が悪い。

大宮八幡宮からバスで新高円寺駅まで移動する。大宮八幡前のバス停から乗車したが、このバス停は坂道の途中にあり、神社からは直接見えない。少しまごついた。

新高円寺駅から丸ノ内線で荻窪駅まで乗り、荻窪駅北口のバスターミナル0番乗り場からバスで井草八幡宮まで乗る。0番線乗り場というのは珍しいから間違えることはない。




鳥居を通ると、真っ直ぐな参道だが、ここは流鏑馬が行われるところである。大きさが分かる。


奥まで行き、右に曲がる。


また左に曲がると、朱塗りの楼門が見える。


井草八幡宮の創建は定かではない。平安末期に春日社があったようである。その後、源頼朝が奥州征伐の時にここに八幡神を勧請したらしい。





北参道から外に出る。参道の雰囲気はこちらの方が濃厚だ。


北参道の鳥居。大灯籠があり、こちらの方が表参道のように思える。青梅街道に面している。



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御朱印めぐり 東京BIG神社№3 大宮八幡宮

2021年03月13日 10時06分58秒 | 旅行
靖国神社参拝後、九段下駅から都営地下鉄で新宿駅まで乗車する。都営新宿駅から新宿西口バスターミナルまで歩く。17番乗り場から西永福行きのバスに乗り、大宮町でおりる。神社は目の前である。これが一番楽なルートである。

電車なら井の頭線の西永福駅から歩くことになるが、徒歩で10分ほどかかる。



参道は、駐車場を兼ねていて見栄えが良くない。


大宮八幡宮は1063年に、源頼義・義家により石清水八幡宮を勧請して創建された。

現在でも広大な境内を有するが、もともとは現在の3倍の境内だったという。和田堀公園が隣接し、その先は善福寺川緑地帯である。まだ昔の自然が残っている地域である。

茅の輪が置いてあった。疫病退散である。






御朱印にもあるように、広大な神域から「多摩の大宮」「武蔵國八幡一之宮」と称された。

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御朱印めぐり 東京BIG神社№2 靖国神社

2021年03月12日 10時01分39秒 | 旅行
東京最大の神社・明治神宮を参拝したあと、ナンバー2の靖国神社へ向う。明治神宮の社殿まで往復するだけで、散歩1回分になるぐらいだ。大きい、広い。

明治神宮駅から表参道駅経由で九段下駅まで乗る。九段下駅から地上に出ると、正面が靖国神社で、左側が千鳥ヶ淵である。桜のシーズンは賑わうはずだが、今年はどうか。コロナ感染者数は横這いで、減少する気配がない。

第一鳥居。



靖国神社は神社以外の話題が多い。自分の親戚には戦死者がいなかったので無縁だと思っていた。御朱印を貰うために訪れたのも遅かった。熱心にお参りするようになったのは、小泉政権の時で、靖国神社参拝の議論が盛んになったからである。中国、韓国に対する反発心があった。

中国、韓国が干渉しなければ、靖国神社も衰退していったかもしれない。遺族会も高齢化しているからだ。人の心の動きは当事者の思惑を外れるときがある。

大村益二郎像。


第二鳥居と神門。


神門を通ると、中門鳥居がある。


社殿。


東京の桜の開花は、靖国神社の桜が基準となる。まだ全然咲いていなかった。


靖国神社の境内に洒落たカフェがあったので休憩する。コーヒーの値段が出ていなかった。1000円はしないだろうと思った。600円だった。


一休憩の後、次の大宮八幡宮に向う。



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御朱印めぐり 東京BIG神社№1 明治神宮

2021年03月11日 11時45分33秒 | 旅行
外出自粛要請期間中ということもあり、東京の神社はお参りしにくかった。

ところが、東京の重症者用のベッド数がいきなり倍増になった。すっかり、都知事に騙されていた。こういうことを知ると、反発心が起きる。

東京の神社めぐりで、何を選ぼうかと迷ったが、大きな神社をお参りしようと決めた。BIG5をまわろうと考えついた。

東京のBIG名神社のベスト5は、以下の通り。

①明治神宮
②靖国神社
③大宮八幡宮
④井草八幡宮
⑤大国魂神社

江戸時代に庶民に親しまれた神社は含まれていない。

明治神宮、靖国神社は明治以降に創建されたものである。大宮八幡宮と井草八幡宮は杉並区にあり、昔は武蔵野と呼ばれた地域である。大国魂神社は武蔵国総社で府中市に鎮座する。

まずは、№1の明治神宮を参拝する。

明治神宮は初詣客が一番多い神社である。自分が子供の頃、祖父母、父母と一緒に初詣に出かけたものだ。しかも真夜中である。眠かっただろうと思うが、記憶が薄れた。

地下鉄の明治神宮前駅から歩く。拝殿に行くまでに15分ほどかかる。

駅前の鳥居。


途中、大鳥居がある。戦争中に焼けて、これは新たに建てられたものである。


神門。これは戦災にあわなかった。創建当時のものである。


社殿。戦災で焼失し、1958年に新たに建てられた。


明治神宮の創建については、今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一がかかわっていたが、ドラマの中で描かれるだろうか。

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筑波山梅林(再)

2021年03月10日 08時08分45秒 | 旅行
女体山神社を参拝後、ケーブルカーでおり、再び筑波山梅林に向う。まだ余力があったので梅林最上部の東屋まで行く。






東屋。コロナ禍で、定員は8人までということだった。




反対側の道を下りたが、岩だらけなのには驚いた。岩場に梅を植えたらしい。




これで筑波山観光は終わった。バス、つくばエクスプレス、地下鉄を利用し、横浜に戻るのに2時間半かかった。





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御朱印めぐり 筑波山神社 女体山本殿

2021年03月09日 10時46分45秒 | 旅行
男体山本殿から展望台まで戻り、一服休憩ののち、女体山本殿へ向う。

意外なことに、女体山は標高877メートルで、871メートルの男体山よりも6メートル高い。しかし、さほど高いとは感じられないのは、登りが緩やかだからである。



頂上に近づくにつれ、岩場になるが、男体山ほどはひどくない。




ガマ石を見る。実際、ガマに似ていた。筑波山と云えば、ガマが名物である。


頂上に近づく。


頂上。女体山本殿が見える。


本殿。祭神はイザナミである。お参りする人はいなかった。




頂上である。霞ヶ浦が見えた。絶景である。




古代、霞ヶ浦は筑波山の麓まで拡がっていた。海面が後退して現在の地形になった。地形は絶え間なく変化する。人類文明史はせいぜい数千年だが、地球の歴史では一瞬のことに過ぎない。

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御朱印めぐり 筑波山神社 男体山本殿

2021年03月08日 08時57分08秒 | 旅行
筑波山神社を参拝後、ケーブルカーで標高800メートルまで上る。


到着地点が標高800メートルとアナウンスされたときは、かなりショックを受けた。筑波山は標高が870メートルぐらいある。70メートル登るのはきつい。登れるかと不安な気持ちになった。

展望台の端から男体山を見る。若ければなんともない高さだが、今の自分ではどうだろうか?


頂上に神社の社殿が見えた。あそこまで登るのか…。


一応チャレンジしてみよう。登山道を上がる。休み休み上がった。


途中までは普通の登山道だったが、頂上に近づくにつれ、ひどい岩場になった。こんな道が頂上まで続くのだ。


明日は、動けなくなるかもしれないと、半ばヤケッパチの心境で登ったものである。社殿が見えたときはホッとした。


男体山本殿にお参りする。祭神は、筑波男命=イザナギである。


他にも登山者は多かったが、お参りする人はいなかった。無視されていた。こんなものかと、時代の違いを感じた。

この男体山頂上にあるお社が本殿である。とすると、中腹の筑波山神社は拝殿である。普通、中腹にあるのが本殿で、頂上にあるのは奥宮という所が多いが、ここは頂上にあるのが本殿で、昔の信仰のままである。

もともと男体山は禁足地だった。入山してはならない山だった。

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御朱印めぐり 茨城県 筑波山神社

2021年03月07日 10時05分38秒 | 旅行
筑波山梅林を見学したあと、大御堂まで歩きお詣りし、その後に筑波山神社へと移動する。徒歩5分もかからない近さである。

明治以前は、筑波山神社と大御堂は混合して分離されていなかった。

筑波山は霊峰で、西峯と東峰から成る。西峯を男体山、東峰を女体山とし、それぞれ筑波男大神、筑波女大神を祭神とした。ここに日本神話のイザナギ・イザナミの話が合体して、男体山=筑波男大神=イザナギ、女体山=筑波女大神=イザナミとして信仰されるようになった。

その後、一度、神社は荒廃したらしい。782年に徳一上人が筑波山山頂の神社を再建した。2神の本地仏を千手観音、十一面観音として、筑波山中腹に本尊を千手観音とした知足院中禅寺を創建した。これが現在の筑波山神社の境内である。

明治の神仏分離令で中禅寺は廃寺となり、堂宇も破壊された。本尊の千手観音のその後については、大御堂のところで述べた。

現在の筑波山神社の社殿は、その中禅寺のあとに建てられたものである。




正面に随神門が見える。


随神門。かっては知足院中禅寺の仁王門だった。仁王門は破壊されることなく、そのまま残った。仁王像は神像に置き換えられた。



社殿は重厚な造りである。圧倒された。徳川時代に建てられたものかと錯覚しそうだ。明治初期の建造であるから江戸時代の職人がまだ健在だったのだろう。


境内。


御朱印は、梅まつり期間中の限定版をもらった。他に男体山本殿と女体山本殿の御朱印があったので求める。

お参りに要する時間を聞くと、ケーブルカーを利用すると、それぞれ15分ずつ歩くという。東峰往復で30分、西峯往復で30分。それぞれに10分程度いたとして1時間20分程度だと計算した。

御朱印は、お参りした証である。先に御朱印を貰ったら、そのあと、必ずお参りしなくてはならない。

神社の背後にある展望台行きのケーブルカーに乗る。





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坂東三十三観音霊場 第25番札所 大御堂

2021年03月06日 10時55分00秒 | 旅行
筑波山梅林から徒歩で坂東三十三観音霊場第25番札所・大御堂へ移動する。新しいお堂になっているのに驚く。2020年2月に完成したお堂である。まだ1年しかたっていない。



右に鐘楼がある。


お堂の前は写真撮影禁止なので、ここまで。



大御堂は筑波山神社と切り離せない。かっては知足院中禅寺という寺院で、現在の筑波山神社本殿の場所にあった。筑波山神社と一体だった。明治の神仏分離令で廃寺となり、1872年に廃仏毀釈運動で、堂宇はことごとく破壊された。

当時の廃仏毀釈運動のイデオロギーの強烈さを知る。株式市場のバブルは分かるが、思想・イデオロギーもバブル化する。しかし、こちらの方は気がつきにくい。

知足院中禅寺の本尊は千手観音で、これはなんとか守られ、仮堂に移された。しかし、その仮堂も1938年の山津波で埋没した。本尊は難を逃れ、その後は信者の民家に安置された。

1961年にその民家を買い受けて大御堂に改修したが、新しく建て替えられ、2020年に現在の堂宇が完成した。

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筑波山梅林

2021年03月06日 09時22分42秒 | 旅行
2021年3月5日。筑波山へ行く。大御堂をお詣りするためだったが、筑波山梅林で梅まつりが開催されていた。咲き具合はどうだろうかと、大御堂へ行く前に立ち寄った。

今年は梅見に恵まれなかった。熱海梅林は早く行きすぎた。修善寺梅林は遅すぎた。筑波山梅林はどうか? これがピッタリと見頃だった。3度目の正直だ。







本来なら、3月6日、7日の土日が賑わうはずだ。観光バスは1台だけだった。










上方に東屋(あずまや)が見えたが、このあと、筑波山山頂を目指す予定を立てていたので、スタミナ温存のため諦めて引き返した。

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