そんな大正文壇のせいか、芥川の師とした夏目漱石は、芸術的に低く評価された。
或いは又、専門の文士以外の何かであるとして敬遠もされた。
それには、少し漱石へのひがみもあると私は感じた。
しかし一面では、その批評も当たっている。大衆の味方として登場したことは明らか故に。
そして又、森鴎外の地位も低かった。
しかし鴎外は、その当時の大御所・坪内逍遙との論戦があり、その博学の程を示し漱石ほどではなかったと思われる。
又、医師としての社会的名声の高かったことも忘れてはなるまい。
芥川は、そんな二人を直接の文学の師としたのである。
芥川は、大学時代の仲間の林原耕三の紹介により、漱石と対面をした。
芥川はその時、感動の余り何もしゃべることができなかったということだ。
漱石との対座の際のことを、このように語っている。
「この頃久米と僕が夏目さんの所へ行くのは久米から聞いてゐるだろう。始めて行った時は僕はすっかり固くなってしまった。今でもまだ全くその精神硬化症から自由になっちゃゐない。それも唯の気づまりとは違ふ人だ。(中略)現に僕は二三度行って何だか夏目さんにヒプノタイズされそうな気がした。たとへばだ、僕が小説を発表した場合に、もし夏目さんが悪いと云ったら、それがどんな傑作でも悪いと自分でも信じさうな、物騒な気がしたから、この二三週間は行くのを見合わせてゐる。(略)」(原文のまま)
芥川の夏目漱石への敬慕の念は、文壇の悪評にまどわされることなく、次第に高まっていった。そして芥川は、文学上ではなく、漱石の人格に魅かれ、多大の感化を受けた。
「彼は大きい樫の木の下に先生の本を読んでゐた。樫の木は秋の日の光の中に一枚の葉さへ動かさなかった。どこか遠い空中に硝子の皿を垂れた秤が一つ、丁度平衡を保ってゐる。ー彼は先生の本を読みながら、かう云う光景を感じてゐた。…………」(或阿呆の一生『先生』より)
これは、芥川が師夏目漱石の作品の印象を、端的に表現した一章である。漱石のー次に述べることのー人格の中心たる核を持つことを暗示している。
或いは又、専門の文士以外の何かであるとして敬遠もされた。
それには、少し漱石へのひがみもあると私は感じた。
しかし一面では、その批評も当たっている。大衆の味方として登場したことは明らか故に。
そして又、森鴎外の地位も低かった。
しかし鴎外は、その当時の大御所・坪内逍遙との論戦があり、その博学の程を示し漱石ほどではなかったと思われる。
又、医師としての社会的名声の高かったことも忘れてはなるまい。
芥川は、そんな二人を直接の文学の師としたのである。
芥川は、大学時代の仲間の林原耕三の紹介により、漱石と対面をした。
芥川はその時、感動の余り何もしゃべることができなかったということだ。
漱石との対座の際のことを、このように語っている。
「この頃久米と僕が夏目さんの所へ行くのは久米から聞いてゐるだろう。始めて行った時は僕はすっかり固くなってしまった。今でもまだ全くその精神硬化症から自由になっちゃゐない。それも唯の気づまりとは違ふ人だ。(中略)現に僕は二三度行って何だか夏目さんにヒプノタイズされそうな気がした。たとへばだ、僕が小説を発表した場合に、もし夏目さんが悪いと云ったら、それがどんな傑作でも悪いと自分でも信じさうな、物騒な気がしたから、この二三週間は行くのを見合わせてゐる。(略)」(原文のまま)
芥川の夏目漱石への敬慕の念は、文壇の悪評にまどわされることなく、次第に高まっていった。そして芥川は、文学上ではなく、漱石の人格に魅かれ、多大の感化を受けた。
「彼は大きい樫の木の下に先生の本を読んでゐた。樫の木は秋の日の光の中に一枚の葉さへ動かさなかった。どこか遠い空中に硝子の皿を垂れた秤が一つ、丁度平衡を保ってゐる。ー彼は先生の本を読みながら、かう云う光景を感じてゐた。…………」(或阿呆の一生『先生』より)
これは、芥川が師夏目漱石の作品の印象を、端的に表現した一章である。漱石のー次に述べることのー人格の中心たる核を持つことを暗示している。
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