二時間近く話し込んだ後、後ろ髪を引かれる思いで、彼は貴子と別れた。その別れ際、彼は人目もはばからずに貴子を抱きしめた。このまま別れてしまうことが、どうしてもできなかった。胸の疼きを抑え切れなかった。
「貴子さんが、欲しい」
. . . 本文を読む
「いえ。僕は、別に‥‥」
「ありがとう、おじさん。違うのよ、彼は。私を責めているんじゃないの。彼は、とっても優しいひとなの。彼こそ、純真なの。その純真さにつけ込んだ私が悪いの。こんな私を見ると、放っておけなくなる人なのよ。さあ、私の話はもうお終い。今度は、たけしさんのおのろけ話を聞かせて」
. . . 本文を読む
奥まった席に座った貴子を見て、マスターの声がかかった。
「貴子ちゃん、ちょっと買い物してくるよ」
わざわざ準備中の札に変えて出て行くマスターを見て、やっと彼にも理解できた。
“町内の人は知っているんだ、貴子さんが戻った理由を。そして僕とのことも”
. . . 本文を読む
相変わらず、一人で話し続ける貴子だった。
彼に口を挟ませる余裕を与えない貴子が、眩しく見える彼だった。
ブラウスの上にカーディガンを羽織っただけの貴子は、少し震え気味だった。
「寒いんじゃない? 貸すよ、これ」
ファスナーを下ろしかけた彼に、
「良いわよ。相変わらず、優しいのね。ここ、ここに入りましょ」
と、彼の腕を引っ張るようにして、喫茶店に入った。
「こんにちわ!」
「おお、貴子ちゃん。い . . . 本文を読む
蜂くんたちの、定期報告です。
たわわに実った…なんてものじゃありません。
今にも落っこちそうですよ。
重量に耐えかねて、ドスン! なんて。
「ぼくのせいじゃないからね」
今から声をかけ続けていますよ。
この混み具合は何でしょう?
いよいよ、なんでしょうか?
にしても、台風11号の雨風にも耐え抜いた巣です。
大したものです、はい。
助かりました、ほんとに。
今日25日は、同人の例会です。
. . . 本文を読む
翌日目覚めた彼は、頭の芯に爆弾を抱えていた。
時計は既に、午後の三時近くを指している。
昨晩(と言えるかどうか)アパートに辿り着いた時、日付が変わっていた。
二時近かった記憶がありはするが、それにしても十二時間以上も眠り続けたことになる。
体のだるさを抱えながらベッドから下りた彼は、冷蔵庫から麦茶を取り出した。
一口飲む毎に、頭の重さが薄れていくような気がした。
コップ二杯を飲み終えて、やっと平 . . . 本文を読む
車は静かに本道に入り、猛スピードでインターチェンジを出た。麗子は、国道に下りてすぐのモーテルに、車を滑り込ませた。その間僅か十分程であったが、彼には長い時間に感じられた。麗子の思いとは裏腹に、彼は気まずさの中に居た。 . . . 本文を読む
麗子は、彼が泣いていることに気が付いた。彼の目からこぼれている涙を、麗子は優しく拭き取りながら「大丈夫よ、大丈夫。私が、導いてあげるから」と、彼の耳元に何度も囁いた。
“導くだって? 冗談じゃない!僕の何を知っていると言うんだ、麗子さんが”
. . . 本文を読む
「貴方はね、優しすぎるのよ。私がどんなに意地悪しても、どんなに邪慳にしても、いつも笑って許してる。残酷なことなのよ、それは。貴方の心の中に、私に対する畏怖の念といったものがあるのね。私、武士さんが好きですのよ。純真さが、眩しくもありました。 . . . 本文を読む
「どうして。どうして、麗子さんは僕を‥‥」
麗子の真意を掴みきれない彼は、意を決して訴えた。
「僕を、僕を一体どうしたいんですか?
その答えを、僕は麗子さんから聞かせて貰えない。地獄です、これは。
やっとの思いで、麗子さんから逃れ得たと思ったのに、また貴女の手の中だ。
どうして、僕なんかを…。
麗子さんとは、不釣り合いな僕です。いや、そうじゃない。
釣り合うとか、そんなことじゃない。
麗子さ . . . 本文を読む