長編恋愛小説 ～水たまりの中の青空・第一部～ （六） 武士への無理強いは、だめ

一瞬の事とはいえ、彼の心に過ぎった気持ちだ。
すぐにも打ち消しはしたが、そんな己が忌まわしく思えた。
これから茂作と顔を合わせる度に、居たたまれない思いを抱いてしまうのだ。
せめてもの罪滅ぼしにと、昨夜は介護の真似ごとをしてはみたものの、二日三日と続けられるようなものではなかった。
“ごめんなさい、お母さん”
心の中で呟きながら、彼は小夜子の視線をまともに見ることが出来なかった。
終始下を向いて、小夜子の言葉を聞いていた。

小夜子は、彼のそんな気持ちを察していた。
茂作の介護など、耐えられる筈もないことは重々わかっていた。
都会での暮らしを覚えてしまった彼に、こんな田舎町の生活ではすぐにも退屈するであろうことも。
「高木くん、三日後に武士が帰ってくるのよ。でね、同窓会でも開いたらどうかしらと思うんだけど…
高木に対し声を掛けた。
ギクシャクとした学校生活を送った彼に対し、田舎に対する好感度を上げたいと考えた。
卒業後に田舎に戻ることはないにしても、気持ちよく帰郷してもらいたいと思った。

しかし一夜を共にする女性が現れる事までは、思いも寄らぬ事ではあったが。
早苗のことは、”あわよくば”という計算が働きはしていた。
小夜子から見ても、早苗の成長ぶりは目を見張るものがあった。
“この娘なら、武士のお嫁さんに”と、思わないわけでもなかった。
“そうすれば、この町に戻ってきてくれる”とも、考えたりもした。
しかし彼の態度から、すでに恋人らしき女性が居ることに気付いた。
“武士への無理強いは、だめ”と、自分を戒めた。
己からがして、彼の父親との結婚生活で都会暮らしの味を覚えてからは、この町に戻ることなど考えられなかった。
絶えず周囲の目を気にしなければならない田舎暮らしは、とにかく窮屈なものだった。