日一日と、光子への周りの視線が変わってきた。
子をうしなった母親という憐憫の視線がしだいに、子を産まぬ女という蔑視さえ感じるようになった。
そもそもが清子を産んだあとに、二子、三子を産もうとする気配のないことに疑念が持たれていた。
そして清子の死という事態をむかえて、導火線に火がついた。
光子の年齢からしてためらう必要などなにもないはずなのだから、もうそろそろおめでたの話が出ても……と、口の端にのりはじめた。
折に触れてかばってくれた珠恵からも、ことばには出さないが「もうそろそろ」という声が聞こえてくる気がしている光子だった。
合原家という家系を考えたとき、光子は言わずもがなで、清二もまた妾の息子ということで他所者として扱われている。
ふたりの間にまた娘が産まれたとして、女将を継ぐだろう事は想像にかたくない。
しかしそれが果たしてその娘に良いことなのか、考えてしまう光子だった。
よそ者同士のむすめということで、冷たい視線のなかで過ごさねばならないのではないか。
どうしてもその疑念がとりされない。
いっそのこと合原家の親戚すじから見込みのありそうな娘を養子として迎えようかとも考えないではない。
かつて珠恵が悩んだことが、いままた光子に襲いかかっている。
正直のところ、もう清二の子どもを産む気にはならない。
もっとも、清二に光子のこころ内がわかっているのか、求めようとしてこないということもありはする。
生理的に受けつけなくなってしまったことも大きな要因のひとつだが、より大きな問題に清二の性根がある。
なにごとにも諦めがはやく集中力がつづかない。
トラブルを嫌い、すぐに逃げ出してしまう。決断力のなさも気になる。
光子に頼ってみたり、仲居頭の豊子に投げてしまったりする。
明水館に来てからというもの、栄三でもなくましてや珠恵でもなく、なにかと豊子に世話を焼かれたことから全幅の信頼をおいている。
そのことが危うく感じられてならない。
そしてそんな遺伝子を持つ娘で良いのか、光子の性格ではなく清二のそれを受け継いでしまったら……。
怖さというより、より強い恐怖感を感じてしまう。
教育すれば、とも思う。しかしそれに耐えうるものか、光子自身もなんど逃げだそうとしたことか。
それを我が子に押しつけるのか、押しつけて良いのか、迷いが止まらぬ光子だった。
その悩みの答えを決めさせたのは、清二の口からでた思いもかけぬことばだった。
「ぼくは望まれての子どもじゃなかった。
父は娘が欲しかったらしくて、清子という名前を用意していたらしい。
産まれた赤児が男だと知って、がっくりと肩を落としていたらしい。
だから、あんまり父親との思い出がないんだ。
そのくせ、『板前になれ!』って強制されて、上の学校に行きたかったのに、尋常小学校も途中でやめさせられて。
そんなことってあるかい。でも、父親には逆らえないし……」。
(情けない。男じゃないわ、この人は。
家出をしてでも、という気概もなかったのね。
その前に、やりたいことを見つけられずにいた自分を責めないのね。
なんでも他人のせいにしてしまう。
ああ、いやだいやだ)。
とうてい納得できない、哀れみと共に蔑みの思いが湧いてきた。
そんなおりの客だった。顔立ちの整った好青年は、仲居たちの間でもすぐに話題に上がった。
しかし、大女将や若女将はもちろん、番頭の前ではおくびにも出さない。
休憩所やら布団部屋に少人数が集まったときに、「クスクス」とわらいあうだけのことだ。
声は出ない。ただ笑うだけだ。しかしそれですべてが通じあう。
しつけの厳しい明水館の仲居たちの間だけでの、言語だ。
近江三郎だと、なまえが知れわたったとき、「三郎、きっと三男坊よ」とはじめて声が出た。
三男坊、それは跡取りではない――舅と姑に仕えないで済むということだ。
ふたりだけの家庭を持てるということだ。あとは、多少の財産さえあれば……。
あっという間に、若い仲居たちの目をギラつかせることになった。
そんな三郎が、翌日には発ってしまった。
「また寄せてもらいます」。そんなことはばもなく、ただ光子だけの見送りという、早朝の出発だった。
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