29日(水).きのうの朝日「音楽展望」に吉田秀和氏が久しぶりに音楽
のことを書いていました.題して「フェリシティ・ロットの歌声~英国人のたまもの」.
「芸術家,文学者の場合,同じ大家といっても,広く大勢の人々に心から親しまれ,愛される人と,愛よりは尊敬の対象となる傾きの強い人がある.ロットは前者ではないか.彼女と,支えている聴衆のことを考えているうち,初めてロンドンに行ったときに出会った「英国人の知恵」を思い出した.LPレコード・プレーヤーを求めて店に行った時,店員が最新式プレーヤーの長所を説明してくれたが,「この機械は最も新しく,素晴らしい機能を持っている.しかし,最新のものは進歩した半面,どこか不具合になったことろができたかどうかはまだ誰もよく知らないものだ.だから私はこれをあまりお勧めしない.どうしても今ほしいというのなら,むしろこちらをお薦めする」と別のものを薦め,「少し待ってくれるなら,何年かして,今よりはよくわかったとなったら,お知らせしてもいいです
」と言った.
その時に彼は「これが有名なイギリスの保守精神の実例か
」と思ったそうです.そして,店員の言うとおり,最新最高の機械でなく,その一つ手前の機械を買うことにしたとのこと.
「ロットはこういう公衆に愛されてきた人である」として,「私はあの時,最新最良性能のものが最も望ましいものと受け取る習慣からは抜け出す手がかりを持ったと思っている
」と語っています.
「このことは機械に限らない」と彼は言いたいのでしょう.「新人が出てきた
」と飛びついて大騒ぎするのでなく,よく見極め,聴き分けて,本物を見抜くことが大切だ,ということでしょう.それを自分はイギリスでの経験で学んだのだと.
残念ながら私はフェリシティ・ロットを聴いたことがありません.CDも持っていないので彼女についてコメントすることはできません.かつて,カルロス・クライバーがウイーン国立歌劇場を引き連れて日本にやってきた時に,リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」で元帥夫人を歌った彼女の歌声を聴きたかった
と,今になってつくづく思います.
難だ菅だ(?)言っても吉田秀和氏はタダ者ではありません.だからこそ,彼には「音楽展望」ではやっぱり音楽のことを書いてほしいと思います

「芸術家,文学者の場合,同じ大家といっても,広く大勢の人々に心から親しまれ,愛される人と,愛よりは尊敬の対象となる傾きの強い人がある.ロットは前者ではないか.彼女と,支えている聴衆のことを考えているうち,初めてロンドンに行ったときに出会った「英国人の知恵」を思い出した.LPレコード・プレーヤーを求めて店に行った時,店員が最新式プレーヤーの長所を説明してくれたが,「この機械は最も新しく,素晴らしい機能を持っている.しかし,最新のものは進歩した半面,どこか不具合になったことろができたかどうかはまだ誰もよく知らないものだ.だから私はこれをあまりお勧めしない.どうしても今ほしいというのなら,むしろこちらをお薦めする」と別のものを薦め,「少し待ってくれるなら,何年かして,今よりはよくわかったとなったら,お知らせしてもいいです

その時に彼は「これが有名なイギリスの保守精神の実例か

「ロットはこういう公衆に愛されてきた人である」として,「私はあの時,最新最良性能のものが最も望ましいものと受け取る習慣からは抜け出す手がかりを持ったと思っている

「このことは機械に限らない」と彼は言いたいのでしょう.「新人が出てきた

残念ながら私はフェリシティ・ロットを聴いたことがありません.CDも持っていないので彼女についてコメントすることはできません.かつて,カルロス・クライバーがウイーン国立歌劇場を引き連れて日本にやってきた時に,リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」で元帥夫人を歌った彼女の歌声を聴きたかった

難だ菅だ(?)言っても吉田秀和氏はタダ者ではありません.だからこそ,彼には「音楽展望」ではやっぱり音楽のことを書いてほしいと思います

