27日(火).昨夕,地下の串焼きRの看板娘Mさんが一時職場復帰したのでE部長,T君と飲みに行きました 例によって”30分だけ”というのが”1時間30分”を超えてしまいました.月曜日からこんなことしてていいのか と,いつものように自問しますが,有効な解決策が見出せないまま年の暮れを迎えてしまいました 要するに飲みに行かなければいいのよね でも,意志が弱いからなあ
閑話休題
最近観た映画から.銀座シネパトスで園子温監督・脚本の「恋の罪」を観ました.90年代終わりに,渋谷区円山町で起きた猟奇殺人事件に感化されて作られた作品です.この事件は,容疑者のネパール人のDNA判定に疑問が出されて,”冤罪”ではないかと,最近マスコミを賑わせた事件です
園子温監督の作品では,「冷たい熱帯魚」を観て,”強烈な印象を残す凄い作品だなあ”と思ったことから,次はどんな映画を撮るのかと気になっていました ひと言で言えば狂気に満ちた3人の女性の壮絶な生き様を描いた映画です 過酷な仕事の中で愛人を作り葛藤する女刑事・吉田和子役を水野美紀,昼は大学のエリート助教授,夜は渋谷の街で身体を売る女・尾沢美津子役を富樫真,作家の平凡な妻・菊池いずみ役を神楽坂恵がそれぞれ演じていますが,3人とも体当たりの演技です
さて,映画を観ていつも関心があるのは音楽の使われ方です この映画では,あのイタリアの巨匠ヴィスコンティが「ヴェニスに死す」でテーマ・ミュージックのように使用したマーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」が流れます.すべて,作家の妻・菊池いずみが登場するシーンで流されます ヴィスコンティの映画では5つのシーンでしたが,この映画では3回使われています.彼女はごく普通の主婦から,尾沢美津子の影響で,どんどん堕ちてゆく役割を演じています.このアダージェットは聴きようによっては優しく甘美ですが,その本質は退廃的とも言えます.そういった特性を生かして使ったのかもしれません
もう一つ,マーラーは1860年に生まれ1911年に没しました.まさに19世紀が終わり20世紀が始まった頃に活躍した作曲家です.一方,この映画の舞台となった渋谷の猟奇殺人事件(東電OL殺人事件)は1997年に起きています.まさに20世紀が終わり21世紀が始まろうとしている時期です.そして,今年2011年はマーラー没後100年の年です
園監督がなぜマーラーの「アダージェット」を使ったのか,本人に訊かなければ分かりませんが,”世紀末”をキーワードに,ある意味,必然性を感じます
話は変わりますが
マーラーといえば,昨日の朝日夕刊「アーツ&カルチャー」欄に,古楽界をリードする指揮者・延原武春氏が,インタビューの中で,マーラーについて次のように発言しています.
「ウィーンという大都市に迎えられ,自分を試したくて楽曲を巨大化していったのだと思う.でも,本質は実に素朴で優しく,無邪気な人だったんじゃないかなあ」
さらに,マーラーとバッハに「歌」という共通の本質を見出して次のように発言しています.
「どっちもオペラ,書いてないでしょ.人々の日常に寄り添う素朴な歌こそが,彼らの本領だったのだと思う」
古楽界の重鎮らしい鋭い分析だと思います.マーラーは自分の歌を交響曲に転用して巨大な”宇宙”を表現しています