人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

メンデルスゾーン「ピアノ協奏曲第1番」、コルンゴルト「交響曲嬰へ調」を聴く~都響定期

2014年05月28日 07時01分03秒 | 日記

28日(水)。昨夕、サントリーホールで東京都交響楽団の第771回定期演奏会を聴きました プログラムは①メンデルスゾーン「ピアノ協奏曲第1番ト短調」、②コルンゴルト「交響曲嬰へ調」です。指揮はネザーランド・オペラ主席指揮者のマルク・アルブレヒト、①のピアノ独奏はイスラエル出身のサリーム・アブード・アシュカールです 大好きな作曲家の理想的なカップリングの曲によるコンサートです

 

          

 

自席は1階22列19番、センターブロックの最後列から2列目の左端から4つ入った席、ほぼソリストの真正面の延長線上の席です 会場は8~9割埋まっている感じです 

座席に着いてから気になったことがあります。隣に座った中年女性の香水がちょっときついのです ヨーロッパの歌劇場などでは「オペラハウスは社交場」などと言って、綺麗に着飾って香水をつけてワインを飲んで・・・・といった習慣が当たり前なのかも知れませんが、ここは日本です。しかもオーケストラの定期演奏会です 休憩時間にワインは良いでしょう。しかし、香水の匂いは音楽を鑑賞するうえで妨げになります 香水などつけなくても十分に魅力的でございますよ ご遠慮いただくか、もう少し軽くおつけ遊ばせられないでございましょうか

さて、コンマスは四方恭子さん、第2ヴァイオリン首席にはエンカナ(遠藤香奈子)さん、チェロ首席には古川展生さんがスタンバイします

メンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲第1番ト短調」を生で聴くのをどんなに待ち望んだことか 

メンデルスゾーン一家は1830年からベルリンの自宅を離れ、欧州各地を旅しましたが、この曲は1831年の秋に滞在していたミュンヘンで作曲され、バイエルン国王の主催する慈善演奏会で初演されました 作曲者22歳の若さでした。作品全体の下書きはわずか3日間で終えたという天才ぶりです。モーツアルトの再来と言われる所以です

指揮者アルブレヒトとともに長身のアシュカールが登場します。第1楽章冒頭の導入部は、ただならぬ雰囲気を漂わせる曲想です そこに独奏ピアノが入ってきますが、疾風怒濤のピアノが延々と続きます ピアニストは第1楽章のほとんどを絶え間なく弾きまくります。相当なスピードで駆け抜けていくといった印象です メンデルスゾーンの音楽の良さは”推進力”だと思いますが、まさにその典型のような曲想です 楽章間を空けることなく第2楽章のアンダンテが奏でられ、第3楽章へも休みなく続きます。明るく快活なテーマを展開しながらフィナーレを迎えます

何度もステージに呼び戻されたアシュカールは、アンコールにメンデルスゾーンの”無言歌”でも弾くかと思いきや、シューマンの「トロイメライ」をゆったりと静かに演奏し拍手を浴びました

 

          

 

休憩後は、これもまた待望のコルンゴルト「交響曲嬰へ調」です。コルンゴルトもメンデルスゾーンと同様、モーツアルトの再来と騒がれましたが、それもそのはず、彼の父親は、わが子にウォルフガング・アマデウス・モーツアルトのセカンド・ネームを採って、エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトと名付けました メンデルスゾーンとの共通点はユダヤ系の血を引いていることです。かのグスタフ・マーラー(彼もユダヤ人)がコルンゴルトの才能を認め、ツェムリンスキーに推薦したことから、彼の弟子となり、11歳でバレエー=パントマイム「雪だるま」がウィーン宮廷歌劇場で皇帝の隣席のもと初演されました。それ程の早熟ぶりを示していました

ナチスによる迫害から逃れアメリカに亡命し、映画音楽で大成功を納め、その後ウィーンに戻りクラシックの音楽家として再出発しようとしましたが、”時代遅れの作風”や”映画音楽に魂を売った”というレッテルを貼られ、失意のうち1957年にアメリカで死去しました その後ほとんど忘れられた音楽家として鳴りを潜めていましたが、この交響曲に再び光が当てられたのは1972年のルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルによる録音です。私もCD化されたこの演奏で予習しました

 

          

 

「交響曲嬰へ調」はヨーロッパを戦禍から解放した象徴的な人物、フランクリン・ルーズベルト大統領の想い出に捧げられています

アルブレヒトのタクトで第1楽章が開始されます。目先がクルクルと変わり先が読めない曲想が続きます 時にバルトークのような響きも響かせますが、彼を認めたマーラーの響きはありません

第2楽章は、まさに映画「スター・ウォーズ」のテーマ音楽のルーツと言うべきスケールの大きな音楽が展開します コルンゴルトは1934年、演出家マックス・ラインハルトからの依頼でハリウッド映画「真夏の夜の夢」のためにメンデルスゾーンの作品の編曲を手がけたところ大評判となり、映画配給会社ワーナー・ブラザーズとの関係が始まりました 彼は1936年の「風雲児アドヴァース」と1938年の「ロビン・フッドの冒険」でアカデミー賞(作曲部門)を受賞しています

第3楽章「アダージョ」を経て第4楽章「フィナーレ」に移ります。ここでは第1楽章冒頭部をはじめ、これまでの主題が再び現れ、過去を振り返りながら曲を閉じます

全4楽章、約1時間弱の演奏ですが、アルブレヒトは精力的な指揮によって、世紀末ウィーンの雰囲気をオーケストラから引き出していました

会場一杯の拍手 と、主に2階席からのブラボーの嵐に何度もステージに呼び戻され、その都度、主要な演奏者を立たせていましたが、最後には譜面台上の黄色い表紙の分厚いスコアを閉じて上に掲げ、「拍手を受けるのはこの交響曲です」と言わんばかりのジェスチャーを示し、聴衆に別れを告げました

この日は、以前から是非生で聴きたいと思っていた曲を2曲聴けたので大満足でした。いずれも名曲です ほかのオーケストラも是非取り上げて欲しいと思います

 

          

 

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