人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラでプッチーニ「蝶々夫人」初日公演を観る ~ 中村恵理、村上公太、アンドレア・ボルギーニ、但馬由香、下野竜也 ✕ 東京フィルにブラボー!

2021年12月06日 06時37分54秒 | 日記

6日(月)。わが家に来てから今日で2522日目を迎え、米国が日欧などを招いて開くサミットを前に、中国共産党政権が「民主主義は一部の国の専売特許ではない。中国には自国の実情に根差した民主主義がある」と大々的な宣伝キャンペーンを始めた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     共産党の一党独裁による言論封殺・監視社会の政治は 決して民主主義とは言えない  

 

         

 

昨日、新国立劇場「オペラパレス」でプッチーニの歌劇「蝶々夫人」のプルミエ(初日)公演を観ました 出演は、蝶々夫人=中村恵理、ピンカートン=村上公太(ルチアーノ・ガンチの代演)、シャープレス=アンドレア・ボルギーニ、スズキ=但馬由香、ゴロー=糸賀修平、ボンゾ=島村武男、神宮=上野裕之、ヤマドリ=吉川健一、ケート=佐藤路子。合唱=新国立劇場合唱団、管弦楽=東京フィル、指揮=下野竜也、演出=栗山民也です

 

     

 

歌劇「蝶々夫人」はジャコモ・プッチーニ(1858-1924)が1900年から1903年にかけて作曲、1904年にミラノ・スカラ座で初演されました

物語の舞台は明治初期の長崎の海を臨む丘。アメリカ海軍士官のピンカートンは、結婚斡旋人ゴローの仲介で15歳の芸者・蝶々さんを身請けし、アメリカ領事シャープレスの忠告をよそに軽い気持ちで結婚式を挙げる。やがてピンカートンはアメリカに帰国する。愛を信じて疑わない蝶々さんは音信不通の夫の便りを3歳になった息子と女中のスズキとともに待っている。やがてアメリカで正式に結婚したピンカートンが妻ケートを連れて長崎にやってくる。すべてを知った蝶々さんは、わが子をピンカートンに託すと決め、父親の形見の短刀で命を絶つ

 

     

 

私が新国立オペラで栗山演出による「蝶々夫人」を観るのは2005年、2007年、2009年、2011年、2014年、2017年、2019年に次いで今回が8度目です 人気プログラムの初日公演とあってか会場はほぼ満席です

このオペラは物語の舞台が日本の長崎ということもあって、日本人中心のキャストにまったく違和感がありません 外国人女性が日本髪のかつらを被って蝶々さんを歌うのを何度か観たことがありますが、とても直視できませんでした また、音楽的にも「さくらさくら」「お江戸日本橋」「君が代」「宮さん宮さん」などの音楽が随所で使われていて親しみを感じます

日本人を中心とする歌手陣は充実していました

ヒロインの蝶々夫人を歌った中村恵理は新国立劇場オペラ研修所第5期修了生で、2008年から英国ロイヤルオペラに在籍し、2009年にはアンナ・ネトレプコの代役として「カプレーティ家とモンテッキ家」ジュリエッタに出演して成功を収めました 新国立劇場では「フィガロの結婚」スザンナ、バルバリーナ、「トゥーランドット」リューなどに出演しています 第2幕冒頭の「ある晴れた日に」をはじめ 最高音から最低音まで完璧なコントロールによる歌唱力と、蝶々夫人に成りきった演技力で聴衆を魅了しました

今回大健闘だったのはピンカートンを歌った村上公太です 新型コロナ禍に伴う入国制限により出演できなったルチアーノ・ガンチに代わり出演しました 新国立劇場オペラ研修所第6期修了生で、文化庁派遣芸術家研修員としてボローニャに留学しました。新国立劇場では「こうもり」アルフレード、「パルジファル」第1の聖杯騎士などに出演しています 無理のない歌唱力で高音も良く出ていました

シャープレスを歌ったアンドレア・ボルギーニはイタリア・シエナ出身のバリトンですが、魅力のある声質で聴衆を魅了しました

スズキを歌った但馬由香も大健闘でした 第50回日伊声楽コンコルソ入選、藤原歌劇団では「椿姫」アンニーナ、「ランスへの旅」モデスティーナなど多くのオペラに出演しており、新国立劇場では「夏の夜の夢」ハーミアに出演しました 感心したのは美しいメゾで遠くまでよく声が通ることです スズキに成りきった演技力も印象に残りました

ヤマドリを歌った吉川健一は、こういうコミカルな役をやらせたら右に出る者はいないほどの適役です

ゴローを歌った糸賀修平は動きの多い役柄ですが、狡猾な仲介人を身軽に演じ歌いました

今回とくに際立っていたのは下野竜也指揮東京フィルの演奏です それぞれの歌手に寄り添いつつ、蝶々さんの悲劇をドラマティックに歌い上げていました とくに、第1幕終盤で突然ボンゾが乱入してきて蝶々さんの改宗を非難するシーン、第2幕終盤で蝶々さんが自害しようとする時、スズキに促されて子どもが駆けつけるシーンなどの演奏は、まさに「音によるドラマ」そのものでした また、第2幕第2部冒頭の「間奏曲」は蝶々さんの不安に満ちた心模様を雄弁に語っていました

 

     

 

栗山民也による演出は15年以上も続いているわけですが、それには理由があります 舞台上は 中央に配された床だけの部屋と、下手にある外階段と、上手にあるスロープだけの極めてシンプルな作りです 飽きさせないためにはシンプルが一番です そして、一番重要なのは、多くの場面でピンカートンの国の国旗が舞台の奥で風にはためいていることです 栗山氏は2005年5月のインタビューで「観客にアピールしたいことは何でしょう?」という問いに、次のように答えています

「歴史ですね。ちょっと驚いたのは、対訳を読んでいて、今とまったく変わらない世界の構造に強い印象を受けました この舞台では星条旗が舞台の奥ではためいていますが、僕らの頭の上には今も星条旗があって、これなしにはなにも成り立たない そういう現代を鏡に映し出している風景を感じていただけたらと思っています

その当時からすでに16年が経過しましたが、その”風景”は変わったでしょうか? 相変わらず、日本は日米安全保障条約のもと、アメリカの顔色を伺いながら態度を決めています その頂点がトランプ ✕ 安倍政権であり、現在に続いています その意味では、日本は16年前とまったく変わっていないのです

第2幕第2部で領事シャープレスに子どもの名前を訊かれた蝶々さんは、息子に「今は”悲しみ”だけど、パパが帰ってきたら”喜び”に変わるんですと領事さんに教えてあげなさい」と語ります 栗山演出によるラストシーンでは、急に舞台が明るくなり、後ろ向きの蝶々さんの正面に息子が現れて彼女が首を切って自害する瞬間を目撃し、管弦楽の大音響とともに舞台が暗転して幕が下ります 蝶々さんは、ピンカートンとケイト夫妻に子どもの将来を託して死んでいったわけですが、その子はどういう名前を付けられるのでしょうか?  悲しみ? 喜び? 「トゥーランドット」ならば”希望”と名付けるところでしょう

 

     


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