4日(火)。わが家に来てから今日で3675日目を迎え、カナダの首都オタワや最大都市トロントを抱えるオンタリオ州政府は2日、米国による関税措置に対抗して米国産の酒を店頭から撤去する方針を発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
断酒してるトランプにとっては 痛くも痒くもない カナダドライは飲んでるかもね
昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜とモッツアレラチーズと生ハムのサラダ」を作りました ハッシュドビーフは久しぶりに作りましたが、美味しく出来ました
昨日の朝日新聞朝刊に「心のタクト 師・秋山和慶さんを悼む」というタイトルで、秋山さん所縁の2人の指揮者の追悼コメントが掲載されていました 吉田純子編集委員によるリード記事は次のように書かれています
「日本の音楽界を朗らかに照らし続けた指揮者の秋山和慶さんが1月26日に逝った。84歳だった 年末まで指揮台に立っていたが、年明けに転倒。頚髄に重傷を負い、引退を表明してからわずか3日後の旅立ちだった 若き日に指導を受けた井上道義さんと、長年の教え子である下野竜也さんが悼む」
昨年末に指揮活動から引退した井上道義氏のコメントは、「無駄のない動き 齋藤先生の作法実現」の見出しで、概要次のように語られています
「秋山さんは僕の6年上。10代の頃から指揮法を教えていただいた。僕の師匠は斎藤秀雄先生だが、先生は忙しかったから、秋山さんや飯守泰次郎さんが僕や尾高忠明君の面倒をみてくれていた 斎藤先生の一番弟子は小澤征爾さんだが、秋山さんこそが斎藤指揮法の最上の再現者だった 無駄な動きをどう削ぎ、意図を分かりやすく伝えるか。指揮法とは、つまりは『作法』なのだ 秋山さんは、指揮中に汗をかかない。脱力ができているから、体力的に楽なのだ よく褒めてくれる人だった。何を言っても、真正面から受け止めてくれた。アメリカですごく人気があったから、本人さえ望めば、ヨーロッパでもっと活躍するという道もあったのかもしれない でも、そういうギラギラした世渡りの世界は性に合わなかったのだろう。エゴとか野心とか、そういうものとは最後まで全く無縁のまま。手向ける言葉がいはは本当に見つからない」
一方、下野竜也氏のコメントは「被爆地に世界と対話するオケ育て」の見出しで、概要次のように語られています
「昨年末、55歳になった。出会った頃の秋山先生の年齢だ 比類のない深化を遂げてゆく先生の背中を30年間仰ぎ続けてきた。皆さんは『優しい』というイメージをお持ちだと思うが、こんなに厳しい先生はいなかったと思う 斎藤先生みたいに怒鳴ったり眼鏡を投げたりはしないが、勉強していない人には淡々と『はい、次』。一方、しっかり勉強してきた人には突っ込んだ議論を投げかけて来る 先生は2004年から16年まで広島交響楽団の音楽監督を務めたが、世界と対話できるオケを被爆地で育てることに格別の使命感を持っていた 僕が先生の後を引き継いだとき、『オーケストラをあずかるということは、独裁者になるのではなく、楽団の人たちのことをよく分かる人間になることなのだ』とよく言われた 指示を出す前に、相手の心を聞くのだと。奏者たちの心も、そのオーケストラがある地域に暮らす人たちの心も。完璧すぎてそつがないという声もあったが、実はさまざまな感情を熱く解き放つことができた 結構テンポを揺らすことも。心に触れる即興性があった 昨年お会いした時「あと10年はやるよ」と言われていた お別れの言葉はまだ言えない。たぶん、これからもずっと」
お二人のコメントを読んで、秋山さんが「(音楽監督をしている)東京交響楽団のコンサートを放り出して、海外のオーケストラを指揮しに行くわけにはいかない」として、ベルリン・フィルからの招請を3度も断ったことを思い出しました
それと関連して、「斎藤先生からは『音楽を利用して自分の名声を高めようとしてはならない』と強く戒められた。指揮者は目立たず、ひたすら良い音楽を求めるべきであるというのが私の信念です」という言葉を思い出しました
ところで、秋山さんの下で東京交響楽団の副指揮者も務めた堀俊輔氏による「こんな僕でも指揮者になれた」(ヤマハミュージックメディア)に、「挨拶は東響の優れた伝統」というエピソードが書かれています
内容を超略すると次の通りです
「始業時の礼儀正しさは全国のオーケストラの中で東響がピカ一である 東響に客演する指揮者達が、口を揃えて『東響さん、練習を始める時、起立するだろう、あれ感激するんだよな」と嬉しそうに語る。確かに始業時に起立するオーケストラは、僕の経験でも世界中で東響だけだ 楽団長の金山茂人氏によると、氏が入団した昭和30年代後半にはすでにこの『起立、礼!』の習慣が確立していたそうだ 当時は戦後のオーケストラ運動の中核となった海軍軍楽隊の猛者が何人もいて、彼らが楽団の強力なイニシアチティブをとっていたから、海軍式の規律が持ち込まれたのだろう」
私も、数年前の「フェスタサマーミューザ」の際、東響の公開リハーサルを見学したのですが、指揮者が指揮台に上がるとコンマスが「起立!」「礼!」と声を掛け、楽団員全員が起立して指揮者に一礼するのを目撃しました
秋山さんが東京交響楽団の専属指揮者としてデビューしたのは1963年(昭和38年)なので、その頃には『起立、礼!』の習慣はすでに確立していたと思われますが、その後も 現在に至るまで途切れることなく「良き伝統」が続いているのは、楽団員の初代指揮者(その後、音楽監督)秋山さんに対するリスペクトがあったからこそだと思います
日本のクラシック音楽界は、本当に素晴らしい音楽家を失いました
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