18日(土)。昨日ゆうちょ銀行から、N響10月定期Aプログラム(ブロムシュテット指揮)の公演中止に伴う代金払い戻しのための「払出通知票」が 届きました 「振替払出証書」に署名・押印のうえ来年5月15日までに郵便局で払い戻し手続きをするよう促しています
忘れないうちに手続きを済ませて、別のコンサートのチケット代に充てたいと思います
東京シティ・フィルの公式サイトで「2024年度定期演奏会プログラム」が発表されました 定期演奏会(東京オペラシティコンサートホール:全9回)とティアラこうとう定期演奏会(全4回)の内容は下の通りです
シティ・フィルはこれまで、コスト高となる海外からの指揮者を招聘せず、高関健、藤岡幸夫、飯守泰次郎の3本柱を中心にプログラムを組んできましたが、飯守氏の死去により再考を余儀なくされました 「定期演奏会」では高関氏が5公演、藤岡氏が2公演振ります
残る2公演は鈴木秀美、小林研一郎の両名が指揮を務めますが、コバケンは初登場だと思います
高関氏はブルックナー「交響曲第8番」、スメタナ「わが祖国」(全曲)、マーラー「交響曲第7番」、ヴェルディ「レクイエム」といった大曲に挑みます
藤岡氏がディーリアスと伊福部昭を取り上げるのは嬉しい限りです
「ティアラこうとう定期」では高関氏がオルフ「カルミナ・ブラーナ」と、阪田知樹を迎えてベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番」を演奏します 出口大地が指揮するチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」では、東京フィル10月定期でサン=サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」を演奏し好評を博した 中野りな がソリストを務めます
また藤岡幸夫が指揮するプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」ではロシアものに定評のある上原彩子がソリストを務めます
いずれもソリストが充実しています
私の場合は、4月19日(金)の定期が新日本フィル定期とダブり、10月3日(木)の定期が読響名曲とダブりますが、振り替えでしのごうと思います また、7月20日(土)と9月21日(土)のティアラこうとう定期が東響定期と同日開催となりますが、時間がずれているのでハシゴするしかないと思っています
ということで、現在のところ「定期演奏会」「ティアラこうとう定期演奏会」とも定期会員を継続しようと思っています
ミューザ川崎シンフォニーホールの公式サイトで東京交響楽団による「モーツアルト・マチネ 2024/2025シーズン プログラム」(年4回)が発表されました
このシリーズのプログラムは毎年充実しています 5月度は沼尻竜典の指揮、大西宇宙のバリトンでモーツアルトの歌劇のアリアと「交響曲第36番」が演奏されます
6月度は出口大地の指揮、前田妃奈のヴァイオリンでモーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第4番」と大好きな「交響曲第39番」が演奏されます
11月度はジョナサン・ノットの指揮、伊藤文嗣のチェロでハイドン「チェロ協奏曲第1番」と務川慧悟のピアノでモーツアルト「ピアノ協奏曲第9番」が演奏されます
3月度は佐藤俊介のヴァイオリン弾きぶりでヨゼフ・ミスリヴェチェク「ヴァイオリン協奏曲」とモーツアルト「交響曲第38番」が演奏されます
ちょっと心配なのは、「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2024」が5月3日から5日まで開かれるので、3日の公演内容次第で迷いが生じる可能性があるということです しかし、今から心配しても仕方ないので、取り合えずモーツアルト・マチネ優先でチケットを手配しようと思います
4回セット券(12,800円)のミューザ川崎友の会優先販売は12月11日(月)です
以上によって、来年4月から始まる各オーケストラの年間日程が確定しました 各公演の日時のダブりをチェックし、日時がダブるケースは振り替え措置を講じることになります
オーケストラ&オペラの2024/2025シーズンの定期会員登録は次のようになります
①NHK交響楽団「Aプログラム」2日目(NHKホール:全9回)※来年9月以降は未定。
②NHK交響楽団「Bプログラム」2日目(サントリーホール:全9回)※来年9月以降は未定。
③読売日本交響楽団「定期演奏会」(サントリーホール:全10回)
④読売日本交響楽団「名曲シリーズ」(サントリーホール:全10回)
⑤新日本フィルハーモニー交響楽団「サントリーホールシリーズ」(サントリーホール:全7回)
⑥新日本フィルハーモニー交響楽団「クラシックへの扉シリーズ」(トリフォニーホール:全8回)
⑦東京都交響楽団「定期演奏会Bシリーズ」(サントリーホール:全8回)
⑧東京交響楽団「定期演奏会」(サントリーホール:全10回)
⑨東京フィルハーモニー交響楽団「サントリー定期シリーズ」(サントリーホール:全8回)
⑩東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団「定期演奏会」(東京オペラシティコンサートホール:全9回)
⑪東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団「ティアラこうとう定期演奏会」(ティアラこうとう:全4回)
⑫新国立劇場・オペラ(オペラパレス:全9回)※来年10月以降は未定。
⑬モーツアルト・マチネ(東京交響楽団:ミューザ川崎シンフォニーホール:全4回)
⑭響きの森クラシック・シリーズ(東京フィル:文京シビックホール:全4回)
以上の定期公演を合計すると109公演になります
ということで、わが家に来てから今日で3231日目を迎え、タス通信は、ロシア・サンクトペテルブルクの裁判所が16日、ロシア軍に関する虚偽の情報を広めたとして、芸術家のアレクサンドラ・スコチレンコさんに禁錮7年の判決を言い渡したと伝えた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
プーチン政権は 芸術家だろうが 誰だろうが 立てつく者は 容赦なく刑務所に送る
昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました 鶏肉は1人前が320グラムだったので、これだけで満腹になってしまいました
昨日、早稲田松竹でオタール・イオセリアーニ監督「月の寵児たち」と「そして光ありき」の2本立てを観ました
「月の寵児たち」はオタール・イオセリアーニ監督による1984年製作フランス・イタリア合作映画(モノクロ&カラー・101分)です
舞台は18世紀のフランス。給仕が床に落ちて割れた皿を拾い集める 同じ絵柄を、職人が絵付けし模様を描きこみ、出来上がった絵皿は馬車で運ばれていく
19世紀。画家が貴婦人の裸体を描いている。やがて時代は現代へと移り、絵皿と裸体画はパリの骨董品売り場に並び、絵皿は女画廊主が、裸体画は警視がそれぞれ手に入れる
一方、美容師のパートナーの技術者は、爆弾を製造してテロリストに売って生活している
空き巣狙いの親子は警視の家に忍び込んで裸体画を盗み出す
この映画は18世紀末の絵皿と貴婦人の裸婦画を巡る群像劇です パリで画廊を営む女性とその愛人、鉄砲店の店主、美容師、警視、空き巣狙いの父子、過激派の音楽教師、娼婦、暗殺者のアラブ人、ホームレスなど、様々な登場人物が繰り広げる行動を、主役・脇役の関係なく重層的に描いています
旧ソ連ジョージア出身のオタール・イオセリアーニが、1979年に活動の拠点をフランスのパリに移してから初めての長編作品です
この映画は過去の時代をモノクロで、現代をカラーで映し出しています 登場人物が多く、誰と誰がどういう関係なのかを把握するのが非常に困難です
終わりになる頃、やっとおぼろげに関係性が解ってくるというのが正直なところです
トビリシ音楽院作曲科を優秀な成績で卒業したというイオセリアーニ監督らしく、クラシック音楽や、それらしき音楽がふんだんに使われています 冒頭近くのシーンで弦楽四重奏によりハイドンらしき音楽が演奏されたかと思えば、モーツアルトのピアノ連弾曲らしき音楽が流れます
別のシーンではヴェルディの「椿姫」のヴィオレッタのアリアが、また別のシーンではモーツアルトの「フィガロの結婚」のケルビーノのアリアが流れます
明確に作曲者名が解る以外の音楽は、イオセリアーニ監督自身が作曲したのかもしれないと思ったりしました
「そして光ありき」はオタール・イオセリアーニ監督による1989年製作フランス・イタリア・西ドイツ合作映画(106分)です
アフリカのセネガルの森に住むディオラ族では、男たちは川で洗濯し、女たちは弓矢で鹿を狩って暮らしている 女祈祷師のバディニャは生首を再び胴体に戻し、狩人の女ゼズヴェはワニに乗って川を下り、怠け者の夫ストゥラと別れたオコノロは3人の子どもを連れて村を去り別の男と再婚するなど、それぞれの日常が繰り広げられている
しかしその一方で、白人たちによる森林伐採が進み、彼らの暮らす村にも危機が迫っていた
この映画は西アフリカのセネガルで暮らす部族ディオラ族の牧歌的な生活と、産業によって文化が侵される様を、全編アフリカロケで寓話的に描いたもので、ドキュメンタリーではありません 冒頭の、直径1メートルを軽く超える大木が伐採されて倒れるシーンは迫力があり、環境破壊の象徴のようです
部族の言葉は字幕スーパーで出ますが、極めて限られています。それは言葉を使わなくても登場人物の態度や雰囲気で何を言おうとしているかが分かるからです
面白かったのは遠くにいる人への伝達手段として、大木をくり抜いて作った太鼓を木のバチで叩いてコミュニケーションを図っていたところです
3人の子どもを引き連れて村を去っていったオコノロは、別の村で2人目の男と再婚しますが、やはり夫が気に入らず、またどこかへ去っていきます
2人目の夫は彼女と子供を探す旅に出ますが、その時、彼は木の太鼓で「女房に逃げられた
」と打つと、最初の夫が「お前は2人目だ
」と打ち返します
これには笑ってしまいました
大木が次々と伐採されていくなか、部族の半数が「こんなところには住めない」と怒り、村を捨てて出ていきます
そして、その後も残りの半数が出ていきます
誰もいなくなった村の茅葺の家々が燃え上がるラストシーンは衝撃的です
燃える家々を白人の男女が双眼鏡で観ています
あの火は村人が点けて去ったのか、白人の開発業者が火を放ったのか、映画は説明しません
それはこの映画を観る人の判断だ、とイオセリアーニ監督が宿題を出しているように思います
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