最近の日本のニュースを読んでいると、大人達。。。どうしてしまったの!?と思う事件が目立ちますね。
世間に注目されているから多く感じるだけで、今までも同じような事件は日常的にはあったけれど、ニュースになっていなかっただけなのか、それとも 実際にニュースになるような事件数が増えているのか、最近になって発生してきたニュースなのか その辺りも気になります。
どうして、そういう心理になってしまうんだろう。。と、つい考えてしまうのだけど、相手の気持ちを想像できない、自分の感情の憂さ晴らしができればそれでよい。 世界は自分が中心だと思っている。 自分はすごいのに、その能力を誰からも認めてもらうことができず、暴力や暴言によって制する形でしか、存在価値をアピールできない。 その人自身が親などの身近な存在から強いプレッシャーを与え続けられたり、否定され続けてきたのだろうか。。だからその反動で!?
傲慢な気持ちって、相手を見下すような気持ちって、どういう心理から発生するのでしょうね。。。
世間に迷惑をかけることなく、穏やかな日常を送っていたのに、急に不運にも荒れた心の持ち主と遭遇してしまい、おそらく大半が加害者の思い込みがきっかけのようにも思うんだけど、それで突然恐怖に見舞われる事件に家族が遭遇してしまったら。。。と思うと、本当に困るし、そういう場に遭遇しない事を祈ります。
教師のいじめのニュースもショックです。。。
ニュースに出ている事が事実だった場合、この状況を「悪気はなかった」「相手が嫌がっていると思っていなかった」と、教員免許を持っている大人が言うというのは。。。。この学校に子供達を通わせている親は不信感が出てくるだろうし、子供を通わせて大丈夫かと不安になりますよね。自分の子供が通ってる学校の担任は大丈夫なのか。。とか思ってしまう人もいるはず。
こんな事を想像できない人が、生徒達の気持ち、理解できるとは。。。。思えない。
最近の大人達による幼稚とも言える事件を見ていると、「自己肯定感の低さ」なんかも関係があるのではないかと。。感じてしまいます。 溜め込んでしまった心のしこりが、その人の人生のどこで発生してしまったのかわからないけれど、他人の良さや頑張りを認められない、受け入れられない、他人が嫌がっている気持ちを感じられない、受け入れられない。。。
もしかしたら、その人自身が、子供の頃から、自分が良いと思って頑張ってきた事を認めてもらったり、褒めてもらう機会がなかった。自分なりに一生懸命やってることを否定されてきた。話を聞いて欲しい時に聞いてくれる人がいなかった。もしくは、親からも関心を持ってもらえなかった。。。
もしそういった経験が積もり重なった事で、心にしこりができてしまったり、歪んでしまったのだとしたら、過去は変えられないのでどうにもできないんだけど、 気の毒にも思えてくる。。
そんな事を考えると、子育てで一番大切な事って、「自己肯定感を育むこと」なのかもしれないな。なんて思います。
多少の苦手があっても、個性を否定せずに自分を好きになれたら、認められたら、相手の良さも、自分との違いにも、理解を示す心が生まれないだろうか。 褒められて、優しくされて「嬉しい」という気持ちを育めたら、それを今度は他人に与えられる人になれるんじゃないだろうか。。
まだ上手に気持ちを表現できない2、3歳の子達でも、物の貸し借りで喧嘩になった時に、順番を待つ事を学び、自分が満足したらお友達に「はい」と渡せる。その時に待てた子には「待てた事を褒める」、譲れた子には、「譲れた事を褒める。そして、優しいね。ありがとう」と一言加えると、また次回もできるようになるんだよね。
子供達と接してて、その子がした行為が相手に喜ばれたり、優しいねと伝えると2、3歳の子でも、10歳くらいの子でも、嬉しいんだなって感じた事が見ててわかります。少しやんちゃだった子も、その後から小さい子に優しくしてくれるようになったり。逆に「今したことは相手が悲しいね」と伝えれば、そうか。。と考えてくれる。 ちょっとした一言だけど、それくらい当たり前、わかって当然と思わず、私は関わる子達に 自分がした事で 相手が悲しくなることもあれば、嬉しくなることもあることをきちんと伝えていきたいな。伝えることで、きちんと相手にも伝わるのではないかな。
ただ。。大人は子供と違って、経験によるプライドが邪魔をするから、ネガティブな指摘は素直に受け入れられなかったり、逆上する人もいると思うけど、ちょっとした日々の感謝の一言だけでも伝えられると、心が少し丸くなって、ギクシャクした社会も居心地よく変わらないかなあ。
大人の心は、子供と違って厄介だね。。。
心に溜まってしまった「負のエネルギー」を、もっと「ポジティブなエネルギー」に使えたらいいのにねえ。