カナダに来て、周りのカナディアンがチャリティにとても協力的な印象を受けました
私は、最初戸惑うくらい。
というのも、日本にいる時、街頭募金などで頑張っていらっしゃる方には申し訳ないのですが、せっくの善意がきちんとその目的に使われていないというニュースを多く耳にするので
その活動を信じたい反面、疑ってしまう自分もいて、あまり積極的に募金に協力する気持ちになれませんでした。
私が住んでいる所では、癌や難病患者へのリサーチやサポート、貧しい国への援助、災害への援助、本当に色々な所でチャリティー活動を見かけます。
そして多くの方がそこに迷う様子なく参加しています。今回日本の大地震、津波、原発に関しても、私が日本人だから強く感じるのかもしれませんが
本当に多くの方が日本の状況を心配して気にかけてくれるし、関心を持ち続けていて、地元の教会や学校、職場でも沢山の方が募金をされているのが現実です。
ポールの家族だけでもかなりの募金をしてくれていますが、それは我が家だけではないと感じます。
日本のニュースも自分自身でも時間がある限り確認していますが、周りのカナディアンから新情報が入る事もあるくらい、日本人じゃなくても関心を持ってくれているのを感じます。
逆にハイチ、ニュージーランド、インドネシア、中国などで大地震があって多くの助けが必要だった時、沢山の救助隊が日本からも行った話は耳にしました
でも救助に行けないどれだけの日本人が、その国に関心を持って、行動に移したのか(もちろん、そうされた方もいると思います)
ちょっと気になる部分でもあります。今チャリティ活動をしようとする日本人が周囲に求めるのと同じ気持ちを持って、他国の方達を応援した人、どれくらいいるのでしょうか。
私が住んでいる地域でも、それぞれの場所でチャリティ企画があります。きっと世界中に住む日本人や、日本に行った事がある人、家族がいる方などは、直接行けない離れた地でも『何かできる事をしたい』という気持ちがあるんだと思います。私もそれは持っているし、継続してできることはしたいなと思う気持ちもあります。
でも募金って、その事柄に関心を持って下さった方達の気持ちが集まった物であって『募金額』というのは、結果的についてくるものであり、『募金をどれだけ多く集めるか』は第一目的ではないと私は思います。売り上げ目標がある商売ではないのですから。
みなさん既に多くの所で継続的に募金をして下さっている上に(しかもそういう事は口外しないと思うし)、さらに関心を持ち続けてイベントに参加してくださるというその気持ち、そういった事に感謝の気持ちを持ちながら、主催者側は準備を進めないと、善意よりも傲慢さが目立ってしまってはせっかくの企画も台無しになるのではと感じています。(そう感じる出来事がありました)
私が勤める学校でも、学校や保護者の協力もあって、授業中にチャリティイベントをする事になりました。
その学校には、日本語以外にも沢山の外国語のクラスがあり、小さい子は4歳から中学生までが通っていますが、震災後、親御さんや先生方から
日本についての話を聞き、絵や手紙、折り紙アートなど日本に向けて沢山の応援メッセージを作ってくれて、毎週色々なクラスからそれを受け取っています。
年齢的には日本を知らない子もいたと思います。それでも沢山の子達が他にも勉強することがある中で、日本に関心を持ってくれて、そこに時間を使って気持ちを表現してくれているんです。お金にはならない物だけど、嬉しい事ですよね。
できることなら日本に届けたいです(でも残念ながらそいういった物は受け付けていないと聞きましたが)
学校イベントでは、他の外国語クラスの子達も招待する予定です。親が小さい子供にお金を持たせる事になるわけですから、募金額はそれほど期待できないと思うし、中にはその子の意思に関わらず、募金を持って来れない子もいるかもしれません。それでも、日本へ関心を持ってくれた子供達にせっかくの機会だから感謝の気持ちを伝えたいし、みんなに楽しんでもらえたらいいなと思っています。その中で最終的に集まった募金を多くの方の気持ちと一緒に日本へ送りたいなと思っています
チャリティ活動はお互いの思いやりや気持ちで成り立つ部分が大きいと思います。
その気持ちが傷つく事なく、気持ちよく関わりあえたらいいなと思います。
関わっていく人達に、日本で困っている人達を支援したいという気持ちが根底にあるのは同じだと思うから。
私は、最初戸惑うくらい。
というのも、日本にいる時、街頭募金などで頑張っていらっしゃる方には申し訳ないのですが、せっくの善意がきちんとその目的に使われていないというニュースを多く耳にするので
その活動を信じたい反面、疑ってしまう自分もいて、あまり積極的に募金に協力する気持ちになれませんでした。
私が住んでいる所では、癌や難病患者へのリサーチやサポート、貧しい国への援助、災害への援助、本当に色々な所でチャリティー活動を見かけます。
そして多くの方がそこに迷う様子なく参加しています。今回日本の大地震、津波、原発に関しても、私が日本人だから強く感じるのかもしれませんが
本当に多くの方が日本の状況を心配して気にかけてくれるし、関心を持ち続けていて、地元の教会や学校、職場でも沢山の方が募金をされているのが現実です。
ポールの家族だけでもかなりの募金をしてくれていますが、それは我が家だけではないと感じます。
日本のニュースも自分自身でも時間がある限り確認していますが、周りのカナディアンから新情報が入る事もあるくらい、日本人じゃなくても関心を持ってくれているのを感じます。
逆にハイチ、ニュージーランド、インドネシア、中国などで大地震があって多くの助けが必要だった時、沢山の救助隊が日本からも行った話は耳にしました
でも救助に行けないどれだけの日本人が、その国に関心を持って、行動に移したのか(もちろん、そうされた方もいると思います)
ちょっと気になる部分でもあります。今チャリティ活動をしようとする日本人が周囲に求めるのと同じ気持ちを持って、他国の方達を応援した人、どれくらいいるのでしょうか。
私が住んでいる地域でも、それぞれの場所でチャリティ企画があります。きっと世界中に住む日本人や、日本に行った事がある人、家族がいる方などは、直接行けない離れた地でも『何かできる事をしたい』という気持ちがあるんだと思います。私もそれは持っているし、継続してできることはしたいなと思う気持ちもあります。
でも募金って、その事柄に関心を持って下さった方達の気持ちが集まった物であって『募金額』というのは、結果的についてくるものであり、『募金をどれだけ多く集めるか』は第一目的ではないと私は思います。売り上げ目標がある商売ではないのですから。
みなさん既に多くの所で継続的に募金をして下さっている上に(しかもそういう事は口外しないと思うし)、さらに関心を持ち続けてイベントに参加してくださるというその気持ち、そういった事に感謝の気持ちを持ちながら、主催者側は準備を進めないと、善意よりも傲慢さが目立ってしまってはせっかくの企画も台無しになるのではと感じています。(そう感じる出来事がありました)
私が勤める学校でも、学校や保護者の協力もあって、授業中にチャリティイベントをする事になりました。
その学校には、日本語以外にも沢山の外国語のクラスがあり、小さい子は4歳から中学生までが通っていますが、震災後、親御さんや先生方から
日本についての話を聞き、絵や手紙、折り紙アートなど日本に向けて沢山の応援メッセージを作ってくれて、毎週色々なクラスからそれを受け取っています。
年齢的には日本を知らない子もいたと思います。それでも沢山の子達が他にも勉強することがある中で、日本に関心を持ってくれて、そこに時間を使って気持ちを表現してくれているんです。お金にはならない物だけど、嬉しい事ですよね。
できることなら日本に届けたいです(でも残念ながらそいういった物は受け付けていないと聞きましたが)
学校イベントでは、他の外国語クラスの子達も招待する予定です。親が小さい子供にお金を持たせる事になるわけですから、募金額はそれほど期待できないと思うし、中にはその子の意思に関わらず、募金を持って来れない子もいるかもしれません。それでも、日本へ関心を持ってくれた子供達にせっかくの機会だから感謝の気持ちを伝えたいし、みんなに楽しんでもらえたらいいなと思っています。その中で最終的に集まった募金を多くの方の気持ちと一緒に日本へ送りたいなと思っています
チャリティ活動はお互いの思いやりや気持ちで成り立つ部分が大きいと思います。
その気持ちが傷つく事なく、気持ちよく関わりあえたらいいなと思います。
関わっていく人達に、日本で困っている人達を支援したいという気持ちが根底にあるのは同じだと思うから。