「寂しい」という気持ちを抑えつけた幼い私。
いつしかその感情は麻痺するようになっていきました。「寂しい」はずなのに、寂しいと感じなくなってしまったのです。テレビで悲しい物語をみても、なんだか遠いところの出来事のように感じ、私には関係ないことだと感じるようになり、まったく同情も同感もできませんでした。
両親が私に寂しい思いをさせていたからといって、両親は私を愛していないわけではありませんでした。私もそれは十分に分かっていました。しかし、忙しすぎる仕事は私から両親とふれあう時間をすべて奪っていきました。愛情を実感できる時間を作れませんでした。だけどその仕事は私のためでもあることを私は分かっていたので、「寂しい」「ずっと側にいて欲しい」「話を聞いて欲しい」「かまってほしい」という感情を全部我慢しました。
埼玉から茨城に出てきたのは、私が言った
「二階建てのお家に住みたい。」
ということからでした。
でも今思えば、こんなことを言うと何ですが、家なんていりませんでした。両親と話したり、抱きしめられる時間や友達と遊べる時間がもう少し欲しかったと思います。
でも、もう過ぎたことですから、いまさらどうにもならないし、当時はそうならざるを得なかったし、仕方がなかったと思っています。今は別に恨んだりはしていません。
こう考えると、私が「寂しさ」を麻痺させるほど感情をなくしていった原因を作ったのは両親自身になるのですが、私は両親が大好きだったので憎めるはずもなく、その代わりに、幼い頃の私を受け入れてくれない先生、友達、学校、社会である茨城という地域性を憎んだり、恨んだりするようになっていきました…。
私が受け入れてもらえなかったのは、そもそもは私の態度がいけなかったのだと思いますが、幼い子どもがそんな難しいことを自分で理解できるはずもなく、それを正してくれたり、根気よく最後まで付き合って直したり、教えてくれるような先生にも友達にも、私は残念ながらその頃には会えませんでした。もちろん両親は仕事で忙しいし、私は大好きな両親に心配をかけたくなかったので、懸命にいい子になろう、早く自立しようとしました。そして、そんな「寂しい」という感覚が麻痺したギリギリの自分を保つためにはもう「憎しみ」に逃げ込むしかなかったんだろうと思います。
私が保育園や小学校時代の思い出として覚えているのは、先生や友達や先輩のありとあらゆる否定的な言葉と態度ばかりです。私はみんなをよそに、窓の外ばかり見て、空想にふけっていました。現実の苦しみ、寂しさ、辛さから逃れる為に、ノートに落書きをし、色々な想像の世界に引きこもりました。幼少時代の大半、思い出すのはいつも心にぽっかりと穴の空いたままのひとりぼっちの私。仕方なく学校に行っている私。そんな光景ばかりです。だから、世間でよく言う、「子ども時代の楽しい思い出は色鮮やかに…。」なんていいますけど、私にはそういう苦しい思い出しかよみがえってきません。
私はそのとき、悪循環のスパイラルにはまり、どんどん落ちていきました。
唯一、私のそんな心をかろうじて救ってくれていたのは「マンガ」でした。
特に「ドラえもん」が私の力になってくれていました。
そんな思いをしていた小学3年生の時、自分のような思いをしている人をマンガで助けられたらいいなと思ったのが、漫画家になろうとした最初の動機でした。
先日、母親が抱きしめてくれました。母はちょっとふざけ半分でしたけど。
そうしたら、そんなことくらいで泣かなかった私が涙をいっぱい流してしまいました。幼い頃、たくさんそうして欲しかったなぁって言う、抱きしめられて嬉しいなって言う自分の本当の素直な感情が解放されてきたのかなぁって思いました。
いつしかその感情は麻痺するようになっていきました。「寂しい」はずなのに、寂しいと感じなくなってしまったのです。テレビで悲しい物語をみても、なんだか遠いところの出来事のように感じ、私には関係ないことだと感じるようになり、まったく同情も同感もできませんでした。
両親が私に寂しい思いをさせていたからといって、両親は私を愛していないわけではありませんでした。私もそれは十分に分かっていました。しかし、忙しすぎる仕事は私から両親とふれあう時間をすべて奪っていきました。愛情を実感できる時間を作れませんでした。だけどその仕事は私のためでもあることを私は分かっていたので、「寂しい」「ずっと側にいて欲しい」「話を聞いて欲しい」「かまってほしい」という感情を全部我慢しました。
埼玉から茨城に出てきたのは、私が言った
「二階建てのお家に住みたい。」
ということからでした。
でも今思えば、こんなことを言うと何ですが、家なんていりませんでした。両親と話したり、抱きしめられる時間や友達と遊べる時間がもう少し欲しかったと思います。
でも、もう過ぎたことですから、いまさらどうにもならないし、当時はそうならざるを得なかったし、仕方がなかったと思っています。今は別に恨んだりはしていません。
こう考えると、私が「寂しさ」を麻痺させるほど感情をなくしていった原因を作ったのは両親自身になるのですが、私は両親が大好きだったので憎めるはずもなく、その代わりに、幼い頃の私を受け入れてくれない先生、友達、学校、社会である茨城という地域性を憎んだり、恨んだりするようになっていきました…。
私が受け入れてもらえなかったのは、そもそもは私の態度がいけなかったのだと思いますが、幼い子どもがそんな難しいことを自分で理解できるはずもなく、それを正してくれたり、根気よく最後まで付き合って直したり、教えてくれるような先生にも友達にも、私は残念ながらその頃には会えませんでした。もちろん両親は仕事で忙しいし、私は大好きな両親に心配をかけたくなかったので、懸命にいい子になろう、早く自立しようとしました。そして、そんな「寂しい」という感覚が麻痺したギリギリの自分を保つためにはもう「憎しみ」に逃げ込むしかなかったんだろうと思います。
私が保育園や小学校時代の思い出として覚えているのは、先生や友達や先輩のありとあらゆる否定的な言葉と態度ばかりです。私はみんなをよそに、窓の外ばかり見て、空想にふけっていました。現実の苦しみ、寂しさ、辛さから逃れる為に、ノートに落書きをし、色々な想像の世界に引きこもりました。幼少時代の大半、思い出すのはいつも心にぽっかりと穴の空いたままのひとりぼっちの私。仕方なく学校に行っている私。そんな光景ばかりです。だから、世間でよく言う、「子ども時代の楽しい思い出は色鮮やかに…。」なんていいますけど、私にはそういう苦しい思い出しかよみがえってきません。
私はそのとき、悪循環のスパイラルにはまり、どんどん落ちていきました。
唯一、私のそんな心をかろうじて救ってくれていたのは「マンガ」でした。
特に「ドラえもん」が私の力になってくれていました。
そんな思いをしていた小学3年生の時、自分のような思いをしている人をマンガで助けられたらいいなと思ったのが、漫画家になろうとした最初の動機でした。
先日、母親が抱きしめてくれました。母はちょっとふざけ半分でしたけど。
そうしたら、そんなことくらいで泣かなかった私が涙をいっぱい流してしまいました。幼い頃、たくさんそうして欲しかったなぁって言う、抱きしめられて嬉しいなって言う自分の本当の素直な感情が解放されてきたのかなぁって思いました。
「え?出るの?」って感じを受けてしまいました。
被害者妄想かもしれないけどね。
どうか、お気になさらないで、と思います。
全部が全部ってことも、ないんでしょうけどね...
(というか、わたしが、彼らを嫌っているんだけどね...)
じつは一度だけ、小学校の同窓会に、誘われたことがありました。
(はたち前くらいだったかな...?)
電話がかかってきたんだけど、
わたしが、「都合が悪い」とお茶をにごしたら、
「びびっているんじゃあるまいな?」と言って、
しばらくあいだを開けたのち、「わかった、都合が悪いんだね。」
と言って、電話を切ったのでした。
たぶん、たんぽぽは、自分たちとは会いたくないと、
相手は察したんだろうと思います。
少し寂しい気がしますが、たんぽぽさんがそれでいいならいいと思います。
だけど、全員が全員、たんぽぽさんを嫌っていたとは思えないのですが…。余計なこと言って気分を悪くされたらごめんなさい。
そういう私はというと、同窓会ではなく、学年全体の同級会というのを、25歳の時、中学と高校のに参加しました。けど、あんまり面白くなかったですね。やっぱりいい思い出がないというのもあるし、私もそのころまだ25とはいえ精神的に中学・高校からほとんど成長していなかったので、面白く感じなかったのかなと思いました。
でも、帰り際、ある男性の同級生に「また同級会に来いよ。」と声をかけられたのはちょっと嬉しかったかも。その男性は他のクラスなので私は名前を覚えていないんですけどね。
せっかく声かけてくれたのにごめんね、ですね(汗)
案外、すごく年を取ってから会ってみるとそうでもないのかもしれないなぁなんて最近思っています。そう思えるようになるのは自分が成長した時なのかな。
お正月とか、お盆とかにも、実家へ帰ることって、ほとんどない。
それから、小学校のころの同窓会も、一度も出たことがない。
(たぶん定期的に、やってはいるんだろうけど...)
わたしは、何度か引っ越しているし、実家も1回引っ越したので、
彼らにとって、わたしは、行方不明になっているでしょう。
(嫌われ者は、じゃまにならないところへ、いなくなるのであった。)
こんばんは。コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、少しずつ解放していこうと思います。
自分自身で満足の得られるようになれたらいいなと思っています。
掲示板の書き込みありがとうございます。
あちらにななかなか行けず、ごめんなさい。
もう少し元気になったら、書き込みに行こうと思っています。
梅雨が明けたようですね。
いよいよ夏本番、高校野球の季節ですね。
それでは、また☆
☆rukaさん☆
コメントありがとうございます。
そうですね。
他のことはすっかり甘えさせてもらっているんですが、精神的に満たされていないところが少しあるので、自分自身でも少しずつ満たしていこうと思います。
甘えるのって意外と難しいですよね。
でも、うまく甘えられるように、自分の感情に気づけるようになれたらいいなと思います。
☆たんぽぽさん☆
コメントありがとうございます。
たんぽぽさんもあまり良い思い出がないんですね。
親って言うのは子ども自身に多大な影響を与えますよね。
でも、その後自分で気がつけば、きっとなりたい自分に変えられる気がします。
☆うっちーさん☆
コメントありがとうございます。
母はふざけ半分でした。いつもやるんですけどね^^
でも、それまでは感情があるようでなかったので、抱きしめられて嬉しいと感じなかったのですが、あの時はちゃんとそう感じました。
「愛されている」と自分自身が自覚できるように、失ってしまった感情を少しずつでも取り戻せたらいいなと思います。
どのようなきっかけでそうしてもらったのか、分かりませんが、一つ言えることは、
お母さんが娘の心の動きをちゃんと見てくれていたこと。
大丈夫、ちゃんと愛されていますよ。(^o^)
>私にはそういう苦しい思い出しかよみがえってきません。
わたしも、子どものころは、いじめられっ子で、親も抑圧的だったので、
「子ども時代の楽しい思い出」なんて、ちっともないです。
(学校を卒業したり、親元を離れたときの
「開放」のほうを、思い出すくらいです...)
自分の感情を抑えちゃうと なかなか素直に出せなくなるけど
今なら出来るのでは?d(^▽^*d)
もっと 甘えちゃいましょ! 私も出来てないけど(苦笑)
お母さんが抱きしめてくれたんですね^^
よかったですね^^
今まで、心の中に秘めて、言えなかったことがいろいろとあると思いますが、この機会に、少しづつ解放していけばいいと思いますよ^^
そうすることによって、管理人さんの仰るように、本当の素直な感情が解放されてくると思いますので。それも、自分を変える第一歩になると思いますよ^^
ファイト!(^o^)/
今回、掲示板にも初書き込みさせて頂きましたm(__)m
また、掲示板の方にもお邪魔させて頂きたいと思いますので、よろしくおねがいしますね^^
梅雨明けはまだのようですが、急に暑くなって来ましたので、体調にお気をつけ下さいね^^
それでは、また!^^