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{アルベルト・カーン氏の写真から}
太田節三の生涯を語るとき、
太田六郎の人物を外して、語ることはできない。
寡黙で失意の中にいた「節三」を多く知るのは、兄「太田六郎」である。
節三が唯一、心を許した兄弟であり、女性遍歴も似ている。
その人生は節三には無い思い切りの良さもある。
六郎の姪「太田てる」 (投稿者の伯母)は六郎について
「決死のアンデス越えをした六郎叔父は、ブエノスアイレスに落着き、
再び若い血がうごめき、女性遍歴もいろいろあったようだ。
特にびっくりしたのは、アルゼンチンの富豪で有名な、新聞社「エルオルデン」の
社長令嬢と恋仲になり、ブエノスアイレス市の一流ホテル「パラセホテル」で、
同棲し、六郎叔父が彼女の金で、「貧民窟」の子供らを相手に慈善事業に挺身していたことです。
この事実は長姉ウメに宛てた手紙と写真から知りました。
その後昭和5年ごろでしたか、連れ子のある「キト」さんと結婚したものの、
昭和10年彼女と離婚して里帰りし、この年の、九月一日、岸宇太郎(山形県出身)
という人の世話で、やはり山形県出身の「テイ」という農家の娘と結婚しました。
しかし、二人で小坂町から上京の途中、彼女を「お前は実家に帰れ」と置いてきぼりにし、
東京の親戚宅(笹谷靖一郎)に身を寄せていました。
二人は翌十月二十五日、正式に離婚しています。
六郎叔父が実弟「節三」と関係のあった、歌手の佐藤千夜子と何度かあったのは、
このころのことで、六郎叔父の長兄戍太郎(てるの夫昌男の実父)は
「六郎の奴、何をやらかすか、わからない」と
飽きれていました。
その後、アルゼンチンに戻った六郎叔父は隣国パラグアイに“遠征”し、
首都アスンシオンで地元の人々から、「女王」さんと呼ばれるたぶんドイツ系の
美人と深い中になったようです。
このことも、長姉「ウメ」に当てた手紙と写真でわかりました。
彼女と、どの位の期間、一緒だったのかはわかりませんが、いずれ、手が切れて、
最初の妻である、「キト」さんと“元のサヤ”に収まったようです。
長姉ウメに宛てた手紙には
「姉上の、不幸ものと呼ばれた弟六郎が只今、
アルゼンチン、ブエノスアイレス、パラセホテル、太田六郎」とある。
大正十年・・・・。