年末、押し迫った中、父が他界しました。
葬儀は近親者で済ませ、来月には納骨です。
春ごろから入退院を繰り返し、秋ごろから食事をとれなくなっていましたから、来るべき日が来たという印象ではありました。
幼少期に出社する父を見送った記憶がありますが、高度成長期のサラリーマンだったこともあり、基本的に子どもが寝ている時間に出社し、寝てから帰宅するのが常でした。土日も接待などで出かけていることが多かったのか、ほとんど家にいなかったように思います。
遊んだ記憶は、父の兄弟の家族も一緒に軽井沢にでかけたこと、やはり正月に親戚が集まったときに、従妹などと一緒にトランプなどをしたこと、くらいでしょうか。
父の遺品を整理していて気が付いたことがあります。カメラが趣味だったため、たくさんの写真がありました。しかし、僕の幼少期に家族と父が映っている写真がありません。まともに会話するようになったのも、成人してからのような気がします。
父は幸せだったのかな? 幸せってなんだろう?
年が明けてからも周囲でいくつかの訃報がありました。
時は流れて時と知り
作詞家の阿久悠の言葉の一節です。
実は父の誕生日と西子の命日は同じ2月1日。生きていれば米寿を迎えるはずでした。西子は……わかりません。生きていれば化け猫です。それもいいかも?
写真は久々の西子。以前の携帯で撮影したので小さくなっています。ご了承ください。