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国語

2007-04-09 20:18:02 | 2F
ゆうべ見た夢でなにがしかの認可がおりたので早速授業をはじめます

国語は言語能力でありコミュニケーション能力でありますね
この能力を子供が乳幼児の時期におかあさんがあますことなく発揮しなければならないということで婦女子教育の重要性を力説します
育児をする上で子供と大部分の時間を接しているおかあさんのコミュニケーション能力次第で義務教育が始まる時点での子供が集団生活を通してあらゆる能力を身につけていく上での吸収力の差が生じます。
なにも乳幼児期から知識を豊富にたくわえないといけないといっているわけではありません。
集団生活を送る上で疑問や理解できないことが生じた時に集団生活を送る上での最低限の決まりごとを守った上でコミュニケーションを通して少しずつ疑問を解決していくという手順をみにつけているのが望まれるということです。
おかあさん本人が育ってきた過程に基礎的な素養が欠落していた場合(今日は国語に限定しますが)、もっともコミュニケーションのエネルギーを必要とする乳幼児期に文化の継承(おおげさではありますけど)が行われないということです。
おかあさんのポテンシャルがそのまますなわち義務教育が始まる時点での子供のポテンシャルとしてはねかえってきて、児童の集団でみるとあらゆる生徒もスタート地点において可能性の高さにばらつきが生じた状態での学校生活がスタートするのです。
そのため在学中の基礎的な素養が熟成されていないうちはもとより、社会に出てしばらくの間ひととおり常識を吸収するまでは出産を迎えるのは控えるのが好ましいといっているのです。

公教育を行う上で障害となりやすいものに両親がこだわりとしてもつ人生観・人生哲学・社会観といったものが児童に反映された結果として、集団行動時に統率(意識の統一)がとれずに個別対応しなければならなくなることがあげられるのではないかと思います。
これは乳幼児期の母親の素養が反映されてしまった結果として受け取らざるを得ないものだと思います。
やはりある程度婦女子の基礎的な素養の習得を目標とした理想的な指針が用意されているべきで、好ましくないふるまいというものをしっかり定義しておく必要があるのではないかと思います。

本日もお忙しい中ありがとうございました
さすがに追記なしではもの足りなさが残る感が否めません。愛がたりなさすぎー。

おかあさんの負担が少しでも軽くなることもよいこととして幼稚園・保育所に対する期待は大きなものがあるということです。
これから先もっとわくわくすることがあると信じ続け、あふれ出すような期待を胸にふくらませ続けた状態で送り出すことができたらよいなあと思います。この時期にこそ幼児の可能性の芽生えを信じ子供が楽しんでいるのがほんとにうれしいということを子供に伝えることができたらしあわせだと思います。