近年、メールやLINEなどを活用する人が多くなり、私のところにもクリスマスの挨拶などが来るようになりました。近況をお伝えいただき、お気遣いやねぎらいの言葉をいただき、ありがとうございます。
クリスマスは、私が生まれる前からずっと世の中で広まっていますので、私がとやかく言っても仕方がないくらいです。振り返ると、商業的で娯楽的な世のクリスマスにあって、「本来の意味はこんなんですよ」みたいなことを伝えて来たように思います。時に「本当の意味は」などと粋がってしまったこともあり、お恥ずかしい限りです。
クリスマスの物語は物語として、そこに込められている願いや意味をなるべくたくさん吸収したいと思うのは人情というものです。宗教的なものとしても、人間的な物語としても味わい深いと考えています。要は、自分がどのように受け止めるかが大切です。
これまで職業牧師としてがむしゃらに突っ走って来たつもりなのですが、イベントを実行する忙しさもあり、わが身を見つめ直す時間もなく、口内炎をいくつも作りながら、ただクリスマスを苦しみマスとか疲れマスとか感じながら、終わったらバタンキューしていました。ところが、ここ数年、コロナや教会学校の休止、その他の事情により、イベントクリスマスではないクリスマスを重ねて来ました。そうすると、不思議なことに、これまで感じていたのと違うクリスマスを経験することができました。
クリスマスは、人と人との関わりを深める行事でもあります。人と人との関わりは大切です。その関わりが薄くなった分、私の場合はイエスさんに思いを寄せる時間がたくさん作れたように思います。クリスマスなのに、不思議な経験です。なので、昨年と今年のクリスマスでは、ガザでの虐殺に心が痛み、クリスマスをお祝いする気分になれないのが正直な気持ちです。同時に、イスラエルがパレスチナを占拠した時からずっと殺戮が繰り広げられていたのに、そのことにどれだけ思いを寄せていたのかを問われたようで、穴があったら入りたい気分でいます。
とは言え、人の考え方は人それぞれでもあり、何が正しいのか間違っているとかは、立場にもよるので一概には言えません。いずれにしても、その人の生き方次第なのだろうと思う今日この頃です。