融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

昆虫だって命がある

2014年09月19日 | 日記

 アサガオを見ていると、ツルにカメムシがいっぱいいました。カメムシを取ろうとすると、葉っぱやツルの裏側に移動して、逃れようとします。カメムシも、自分と同じように知恵があるし、命もあるんだなぁと思わされました。

 洗濯物を取り込もうとしていると、ハチと鉢合わせになり、威嚇されました。体を低くして後ずさりして、やり過ごした直後、ハチがクモの巣に引っかかりました。ハチは、あっという間にミイラのようにクモの糸で巻かれました。ハチは、おしりから針を出して、反撃しようとしていましたが、クモはハチを回転させ、糸を出し続けてぐるぐる巻きにして、やがて噛みつきました。ハチもクモも、自分と同じように知恵があるし、命もあるんだなぁと思わされました。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年09月17日 | 日記

 気がつけば、スズムシ、コオロギ、マツムシ等々の鳴き声が聞こえています。何だか寒いです。教会の前の土地も、だいぶ草が伸びてきました。そこは、虫たちの楽園です。また、虫を狙ってくるカエル、トカゲ、そのまたヘビ、そのまたトンビ、ここは自然のフィールドです。地に足を付けて、一人分を歩みたいと思います。平和と平安を祈ります。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合唱練習

2014年09月15日 | 日記

 昨日14日(日)午後2時から合唱の練習がありました。8月はお休みしていましたので、久しぶりの練習でした。これから、クリスマスの集いに向けて、子どもたちのベル演奏のことや、クリスマス・イヴ賛美の集いの内容のことなど、構想を練らないといけません。夏の余韻に浸っていましたが、今頃から準備をしないとたいへんです。次回、練習日までの宿題が与えられました。

 今日は、「連休」の最終日です。教会学校の子どもたちも、昨日は、教会学校が終わった後、それぞれお出かけがあったようです。お天気にも恵まれて何よりでした。今日は、全国的に曇りのお天気でしょうか。連休最後の日も、子どもたちが守られますようにお祈りいたします。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は礼拝です

2014年09月13日 | 日記

 明日9月14日(日)午前9時から教会学校、10時から讃美歌練習、10時15分から主日礼拝があります。メッセージは「大勢だけど一人だった」、讃美歌「気づかせてください」(今月のうた)、「主よ、終わりまで」、「主よ、いのちのパンをさき」です。礼拝後は、祈りの一時をもちます。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。それらが一段落して、9月の定例役員会を行います。

 午後2時からは、合唱の練習があります。地域の方々とご一緒に、歌声を合わしています。クリスマスには、聖歌隊として、色々な歌や讃美歌を合唱しています。こちらも、ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 今日は、地域の小学校で運動会が行われました。小さな町の小さな小学校ですが、子どもたちの歓声が運動場一杯に広がりました。途中、何度か雨が降りましたが、そのおかげで暑くもなく、ほこりもたたず、ちょうど良いあんばいでした。世の中は、連休ですが、子どもたちは、代休が入ってもう一日お休みが増えます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本気かどうか問われていた

2014年09月12日 | 聖書のお話

「本気かどうか問われていた」 ルカによる福音書 9章57~62節

 イエスさまの一行が、道を進んで行ったときのことが記されてます。イエスさまの歩まれた道は、弱い立場の人々、すなわち「罪人」と呼ばれ、神の国から遠い者とされている人々を見つけ出し、その罪を赦し、罪の無い者とし、神の国へと招くこと、そのような神の国の福音を宣べ伝える考えを持って歩むホドス(道)でした。

 その道すがらで、イエスさまの弟子になろうとしている人が「いとまごい」を願いました。しかし、イエスさまは、彼らの「いとまごい」を認めませんでした。あの預言者エリヤですら、エリシャを弟子に招いたとき、エリシャが願う「いとまごい」を快く認めました。人間的な情を考えたとき、両親や友人たちにお別れを言う時間は欲しいと思いますし、「いとまごい」の時間は一つのけじめとして意味があると思われます。けれども、イエスさまは、父親の葬儀に出席するという当時の慣習でさえ、それを認めませんでした。イエスさまは、「死人に死人を葬らせなさい」と言われました。この言葉は、あまりにも無情であるように思われます。

 イエスさまは、弟子になろうとしている人に対して、この世の慣習に囚われない、属さない、神の国の福音を宣べ伝える考えを持って歩みなさいと教えているのではないでしょうか。この世の慣習に囚われない、属さない、神の国の福音を宣べ伝える考えを持って歩み出す覚悟はあるのか、どうか、本気で弟子になろうとしているのかどか、そのことが問われているのではないでしょうか。人間の教えを捨て、イエスさまの教えに従って、生まれかわってホドス(道)を歩む決意があるのか、どうか、そのことが問われているのではないかと思います。 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする