旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

普通列車で往復する東京の旅4~仙台駅から黒磯駅まで

2014-12-25 04:44:46 | 普通列車の旅
仙台からは、13時1分発5番線からの東北本線福島行き快速列車、仙台シティーラビット4号。719系4両編成。


ここで初めて、ロングシートではない電車になりました。先頭にはヘッドマークをつけて入ってきました。


 さてここで、一ノ関で買った想い出の「かにめし」を食べることにします。


 大学時代4年間で、名古屋と野辺地を30往復以上しましたが、そのほとんどは名古屋に向かう時は、授業の始まる前の日の昼の特急。野辺地に帰る時は最後の授業を受けて大学からまっすぐ帰るので、上野から夜行。というのが多かったような気がします。
 その中に上野発11時半頃の急行十和田5号というのがありました。これに乗ると翌朝7時頃に一ノ関に停まります。ちょうど朝ご飯にと当時の「三陸かにめし」を買いました。他のかにめしと違って味が濃くないので、人によっては味が薄くておいしくないと言う人もいますが、私は好きでよく買いました。余談、私は長万部のかにめしはあまり好みではありません。
 名古屋の友達と一緒に帰る時、偶然にもY.Hで知り合った「一夫ちゃん」(八戸の漁業無線局に勤めていた方)と一緒になり、ごちそうになったこともありました。そんなこんなで、想い出の「かにめし」なのです。
 当時との違いは、おかずが笹かまぼこがすり身の揚げ物に代わったのと、エビフライが無くなったぐらいだと思います。想い出に浸りながら食しました。 
 食べ終わり、白石を過ぎる頃になると車内は3分の1程度の着席乗車。ここで車内改札するとの放送。
 越河・貝田と通過しましたが、貝田から福島県に入りました。今回の旅で一番天気の良かったのが、藤田付近。ここだけでした。福島までは山の裾野を縫うように走ります。クロスシートなので、目は車内より車窓の方に行きます。


 藤田の次は桑折(こおり)です。このあたりは昔養蚕が盛んだったための地名だそうです。
 槻木から福島まではの東北本線の線路は今通っているところではなく、第三セクターになった阿武隈急行(国鉄時代の丸森線)の場所を通したかったそうですが、桑の木が蒸気機関車の煙で被害を受けると反対され、勾配のきつい今の所を通っているそうです。東北本線が開通してから80年ぐらいたってから、槻木から丸森を通って福島につながる丸森線が通ったそうです。
 この話は、Y.Hで知り合って一緒に旅をしたことがある、桑折町に住む吉川さんから教えてもらった話です。
きっかけは、学生時代に鶴岡のY.Hで一緒になり、「桑折」を「くわおり」と読んだことから、桑の話になって、その後いろいろと話をし意気投合し、鶴岡Y.Hから南蔵王Y.H、松島Y.Hと一緒に旅をしたのでした。
 昔のことを思い出しているうちに、14時16分。福島駅3番線に到着。


 次の電車は同じホームの2番線から3分後に発車する郡山行き普通列車。
 上野駅まであと、4時間51分。
 福島14時19分発東北本線郡山行き普通列車。一ノ関から乗ったのと同じロングシートの701系1500番台2両編成、ワンマン運転。
 発車3分前ということに加え、仙台からの電車から乗り継ぐ人も結構いて、満員状態。座ることが出来ませんでした。
 福島を出発して、南福島から二本松にかけては勾配がきつく、複線といっても上り下りが並行して走るのではなく、複線化にあたって上りの勾配を押さえるために、至る所で迂回しているため、単線区間のような車窓が続きます。吊革につかまっているため写真が撮れなかったのが残念です。
 金谷川からは雨が降りだしてきました。
 金谷川から次の松川の間には、占領下の鉄道事故下山事件、三鷹事件に並ぶ松川事件の場所がありますが、今ではその事件すら忘れ去られています。
 松川で一緒になった上下線も、再び離れたり一緒になったりと郡山まで続きます。車内の混雑も、降りたと思えば乗ってくる。の繰り返しで一向に空いてくる気配はありません。
 最近の中高齢者の登山やハイキングのブームのせいか、リュックを背負って旅をしている人が車内にも結構いますが、目の前の席が空けば隣に明らかに高齢者と分かる人が立っていても、席を譲ることなく座る人の多いこと。確かに、福島・郡山間は48分しかかからないのですが、なんか変だな。
 次は、郡山。ワンマン運転のための運賃表は、初めて見る液晶でした。東京に近いからかな。


 郡山15時7分4番線到着。
 次の列車は、郡山15時20分発東北本線黒磯行き普通列車。ロングシートの701系100番台2両編成、ワンマン運転。
同じホームの5番線からということですでに電車が入っていました。
福島からの電車同様に込んでいてここでも座れません。
私と同じ電車から乗り継いできた高齢者の方も座ることが出来ないようです。
 目の前に高齢者が立っても席を譲らない、高校生だけではありません。若い人も大人と言われる人もです。
 これって、福島県人の県民性。
白河、新白河で多くの人が降りてやっと座ることができました。
 座ってまもなく、白坂と豊原が、福島と栃木の県境。
 車内に目をやると、トイレの案内マーク、半自動ドアの開閉に関する注意ステッカーも、所変われば品代わるの感がありました。



 もっと驚いたことは、ワンマン運転なので無人駅で乗る場合は、1両目の後ろのドアから乗って整理券をとるのですが、15人ぐらい乗る駅では運転士さんがわざわざ電車から降りて、一番前の降りるドアから乗せていました。
 こうして乗った人は、整理券をとっていないのです。降りるとき困らないのかなと思いました。
 そうこうしているうちに、黒磯16時23分4番線到着。

 つづく

普通列車で往復する東京の旅3~盛岡駅から仙台駅まで

2014-12-24 03:41:01 | 普通列車の旅
 電車に乗って時計を見たら9時4分20秒。
 盛岡からは、9時6分発東北本線一ノ関行き普通列車。通勤電車と同じロングシートの701系1000番台2両編成、ワンマン運転。
荷物を網棚に載せ、腰を下ろしたら電車は出発。乗客はほぼ座席が埋まる程度で、立っている人はいません。
 仙北町の手前でとうとう雨が降り出しました。
仙北町を過ぎると、進行方向左側に新幹線の高架が日詰の手前までほぼ直線で平行しました。


 日詰を過ぎた頃には雨も上がり、乗客も半減しました。
 花巻空港駅といっても、空港と隣り合っているわけではありません。私が大学生で名古屋と野辺地をよく往復していた昭和の時代は、二枚橋という名前の駅でした。
 駅の手前にある空港に着陸しようとしていた飛行機を見つけて撮った写真ですが、飛行機は写っていませんでした。やっぱり飛行機は速い。


 花巻。乗ってきました「鉄ちゃん」。男です。一般的には、「鉄道マニア」「鉄道オタク」「鉄道ファン」と言われますが、「鉄道マニア」「鉄道オタク」は蔑称とされ、このように呼ばれることを好まないようです。漫画『鉄子の旅』の影響で、女性の鉄道ファンを「鉄子」と呼びます。
 「鉄ちゃん」は、荷物を置くと前の車両に行ってなにやら観察。戻ってくとるとなぜか「関東・中部自動車地図」を出して、それに挟んである紙を取り出し、今度はその紙になにやら書き始めました。 
真向かいに座っていたので、はっきりは見えないのですが、下のような図を書いていたようです。


 つまり、いろいろな列車に乗ってその編成を記録する趣味でしょうね。そういう人を「乗り鉄」とも呼びます。
 さて目の前の「鉄ちゃん」。一通り書いた後はスケジュールの確認をしていました。どこまで行くのかな。
 一ノ関到着2番線。10時33分。
 4番目となる今度の列車は、一ノ関発10時54分。乗り継ぎに時間があるので急ぐ必要はありません。
 1番線からの発車という案内を聞いて、ゆっくり跨線橋を渡っていきました。
 一ノ関は新幹線が停まる駅ですが、新幹線側でない在来線の改札口がある西口は、昔の面影が残っていました。


 まだ、次の電車は入っていません。
 そこで、今回のおめあての一つ。想い出の「三陸かにめし」を探しました。
 ありました。ホームのそば屋さんに。でも、名前は「かにめし」にかわっていました…。上野駅まであと、8時間37分。


 一ノ関10時54分発東北本線仙台行き普通列車。通勤電車と同じ系統のロングシートの701系1500番台2両編成、ワンマン運転。
 10時36分に着く仙台からの普通列車の折り返し運転。


 ロングシートの向かいに座ったのは男の人。八戸から乗った年齢不詳の青年でした。
 話を聞けば、千葉まで行くために昨夜10時札幌発の急行はまなすの自由席に乗って出発。早朝、青森で特急つがる2号に乗り換え、なんと、野辺地から同じ電車に乗っていたとのこと。
 花巻から乗ってきた「鉄ちゃん」は、同じ車両の半ばに座ってなにやらメモをしています。
 発車間際に、隣に「ギャル」という言葉がぴったり合いそうな女の子が座り、座ったと思ったら、おきまりの化粧を始めました。
 途中花泉から、友達と思われる女の子1人が乗ってきて、2人で化粧をする。結局、松島の手前まで約1時間。揺れる電車の中で化粧を続けました。あのまつ毛に塗るのもやっているのです。これはすごい集中力というか、根気強さだと思いました。仙台まで乗っていきましたが、残念ながら2人は隣に並んで座っているので、出来栄えというか完成度というか、仕上がりを見ることが出来なかったのが残念でした。
 さて電車は、清水原まで山越えをするため大きくカーブして進みます。そのため次の駅、有壁で一度宮城県に入りました。油島を過ぎた頃から青空がのぞき始めました。油島を出て、石越の手前でそんなに大きくはない夏川を渡りました。ここが岩手と宮城の県境です。
 石越を過ぎると、白鳥の飛来地としてよくテレビで紹介される伊豆沼を右手に見て、線路は右左にカーブしながら瀬峰を通って、小牛田に着きました。
 小牛田では前に2両増結するとのことで、ゆっくりホームに入り、いったん停まった後、ゆっくりそして、ゴッツン。増結した後、ドアが開きました。小牛田では7分間の停車です。
 ホームに降りてみると、端っこの線路には陸羽東線の気動車やいろいろな車両がとまっていました。小牛田は、石巻線と陸羽東線に分かれる駅。石巻からは小牛田で陸羽東線に乗り換え、新庄で陸羽西線に乗り換えることによって、日本海側の余目・酒田に行くことが出来ます。つまり、本州横断鉄道の交差点なのです。


 小牛田からは、車掌さんが2人乗ってきてワンマン運転ではなくなりました。
仙台まで45分。仙台の生活圏ということもあって、降りる人はなく、乗ってくる人ばかりで、松島では立っている人も見られるようになりました。 野辺地を出てから、奥羽山脈に沿うように南下してきて、初めてというか、一度だけ海が見えるのが松島を過ぎ、塩釜トンネルに入るまでの2分ほど。左手に松島湾が見えてきました。
塩釜の次の、国府多賀城駅は平成13年にできた比較的新しい駅。駅に隣接して東北歴史博物館がありました。


まもなく仙台。12時38分、4番線に到着。

 つづく

普通列車で往復する東京の旅2~野辺地駅から盛岡駅まで

2014-12-23 16:43:28 | 普通列車の旅
 7月28日。野辺地駅を6時20分に出発して、上野駅に19時10分に到着予定の12時間50分、691㎞の普通列車の旅の始まりです。
 6時20分、701系1000番台2両編成の八戸行き普通列車。


八戸には7時8分到着のいつも下田まで通勤に使っている電車で出発。
 出発時は、昨日の雨がうそのような青空の見える良い天気でしたが、乙供が近づくにつれ、一面真っ黒な雲に覆われ今にも雨が降りそうです。
 三沢からは夏休みというのに、部活や講習に行く高校生でいつものような混み具合です。
 この三沢駅、2008年の一日平均乗降客が1462人と野辺地・八戸間では、八戸に次ぐ多い駅ですが、駅の歴史から見ると、明治24年9月1日、東北本線が開通した当時はまだありませんでした。開通当時からある駅は、八戸(当時、尻内)、上北町(当時、沼崎)、野辺地、小湊、浅虫温泉(当時、浅虫)青森。次に出来た駅が下田。開通した年の12月20日に出来ています。下田は、歴史のある地域だということがうかがわれます。
 さて、いつもは降りる下田からも多くの高校生を乗せ10分ほどで八戸に着きますが、下田、陸奥市川からの乗客で車内は立錐の余地もないほど。
 八戸で次の青い森鉄道への乗り継ぎ時間は5分。以前、愚息が同じように東京に行ったときは、高校生に気後れし、まごついて乗り遅れたことがあるのでちょっと大丈夫かなと、心配になりました。
八戸は3番線に7時8分の到着。橋を渡って1番線へ行かなければなりません。
 高校生の動きも2通り、同じホームの隣に止まっている八戸線に乗り換える子と下車する子。


 下車する子がすさまじい動きをする。特に、バスに乗り換える子がかき分けるように進む。こちらも負けてはならぬと、進む…。
 しかし、その先にはエスカレーターが。そのスピードに任せるしかない。
さすがに、青い森鉄道に乗り換えたのは私一人。いや、もう一人。リュックを背負った青年?(年齢不詳)1名が私の後についてきました。
 八戸からは、7時13分発青い森鉄道・いわて銀河鉄道盛岡行き普通列車。いわて銀河鉄道の登記上及び鉄道事業許可上の社名は「アイジーアールいわて銀河鉄道株式会社」。これはすでに「いわて銀河鉄道」が商標登録されていたたため、「アイジーアール」を付け加えたとのこと。先頭の「アイジーアール」は「IGR」と略して記述しています。ただ一般的には「IGR」を略しても通用しているのが現状です。
 今日乗る車両は、いわて銀河鉄道の車両、7000系2両編成。ワンマン運転。


 車内に入って、ビックリ。ロングシートの電車と思いきや、片側はロングシートで、反対側がボックスシート。


 私が乗った車両には高校生5人、通勤客3人、そしてリュックを背負った青年。
 これだけ?という感じ。おかげで、進行方向に向かって右側のボックス一つを独り占めにして出発。
 出発してまもなく「この列車は、青い森鉄道・いわて銀河鉄道…」と、ワンマン運転の特徴である、顔の見えないお姉さんのきれいな声での、停車する主な駅とワンマンの降り方の案内の声。
 ここまではおきまりで良かったが、続いて聞こえてきた声は、なんと男の声。
 主な駅の到着時刻を案内し始めました。え!、バスみたいに運転士さんが放送するの?JRのワンマン運転では聞いたことがないぞ。
 実はこの列車、ワンマン運転なのだが、車掌さんが乗っていたのです。そして、案内放送の後、乗車券を拝見と車内を回ってきました。
 でもワンマン運転なのです。駅員のいない駅では、入口は一つだけ、降りるときも運賃箱にお金や切符を入れないといけないのです。
 乗客は、各駅で高校生を中心に乗ってきました。どういう訳か、南部工業高校の男子が多かったような気がします
 その乗客も三戸でほとんどが降りてしまいました。
ふと、ホームの駅名票を見たら、なんとJR東日本のコーポレーションカラー緑のものをそのまま使っているではありませんか。新緑をイメージした緑なんですが、色がさめていました。八戸のものと比べるとよく分かりますね。


 やはり第三セクターになると、経営が厳しいのですかね。
 八戸・青森間もあと一年ちょっとで、青い森鉄道になるのですが…。
 そういえば、このいわて銀河鉄道も鉄道事業だけでは厳しいのでしょうね、車両の広告に、「いわて銀河鉄道不動産部」という部署のものがありました。


 三戸を出て、馬淵川を左右に見ながら三つの鉄橋と二つのトンネルを過ぎると、目時に着きました。時刻は7時39分。


 駅名票の色は青ですが、青い森鉄道の青ではなく、いわて銀河鉄道の青が使われていました。 
ここまでが青い森鉄道で、次の金田一温泉からいわて銀河鉄道になります。
 つまり、ここまでが青森県。出発して1時間19分で青森県を後にすることになりました。
 上野駅まであと、11時間31分。 
 金田一温泉からは岩手県!いわて銀河鉄道に会社が代わりました。一般的には、会社が代われば乗務員も交代するのですが、代わらないようです。
 ここから乗ってきたのは、高校生。男子はほとんど見えません。女子高校生の制服から2つの高校のようです。高校生の他には、中年以上と思われるご婦人方が多く、私の隣にもご婦人が座りました。
 金田一温泉を出発すると、女性の声で「この電車には、アテンダントが乗車しております…」との車内アナウンス。
そういえば、以前新聞に載っていたことを思い出しました。
高齢化社会を迎え、盛岡市内の総合病院を受診する高齢者が今後増加することが見込まれるので、「通院」を通勤・通学に並ぶ輸送の柱として位置づけて、列車に乗りなれていない人や、体調に不安を感じる人が安心して利用してもらえるようにアテンダントが乗務すると。
 アナウンスを聞いていると、2両目の車両の全座席を通院者の優先席とするので、ご協力をお願いしますとのことでした。
 アナウンスの後、車内を回って通院のお客様はいませんかと、声をかけているアテンダントを見て、体調に不安を感じる人が安心して利用してもらうためのアテンダントにふさわしい方だなと、納得しました。
 光の加減か、黒に見えるネクタイとスカートの高校生は二戸で降り、リボンとチェックのスカートの高校生は一戸で降りました。
 どちらの女子高生にも共通していたのは、スカートの丈が膝上で、極端に短い子がいないということでした。
 高校生に代わって乗ってきたのが、通院や買い物で盛岡まで行くと思われる人たち。それでも、座席にはまだ余裕がありましたが、小鳥谷から2人のご婦人があいていた私の前の座席に座りました。
 「夏休みというのに大変ね。」「椅子が堅くていやなの。」「来年まででいいんでしょ。」「年も年だから、来年どうなっているか分からないから。」「あと10年もないのに。」等々。
 こんな会話から、教員免許更新講習のために盛岡の大学に行く、学校の先生方だと思われました。
 この後も、聞き耳を立てていたわけではないのですが、あと10年もない方々の声ですので、自然と聞こえてくるのでした。
 「やっぱり、帰るんだって。青森に。」「30日も31日も都合つかない人もいるって。」「だから、まだ決まっていないんだって。」
 どうも、青森県出身の講師が退職して帰るので、送別会をどうするかという話のようです。
 その間に電車は十三本木峠を越えて奥中山高原に到着。天気は今にも雨が降りそうです。
 ここから一気に下って、盛岡を目指します。
 途中、好摩・渋民・滝沢と乗客が増え、結構な混み具合。厨川・青山でさらに増え、八戸と同様に盛岡での乗り換えが心配になってきました。6分しかないのです。
 盛岡には定刻の9時に0番線に到着し、すべてのドアから乗客が「はき出された」の表現がふさわしいほど、ホームには人がたくさん。出口の改札口が2つなので人が流れない。
 やっとの思いで改札口を出たら、今度は階段を上って駅ビル2階へ、そして北改札口から入って5番線へ。それ急げ!

 つづく

普通列車で往復する東京の旅1~旅のきっかけ

2014-12-23 16:35:49 | 普通列車の旅
 平成21年7月29日(水)から31日(金)まで、東京で開かれる研修会に自費で参加する事になったのですが、ちょうどその頃は毎日電車通勤をしているため、自然と駅のポスターやパンフレットに目が向きます。その中で7月20日から9月30日までの期間限定で利用できる「北海道&東日本パス(普通列車限定)」というものが発売されていることを知りました。
 そしてもう一つ。JR北海道は、各支社で特色あるツアーを企画しているのですが、次の新聞記事を目にしたことも、今回の旅の引き金になりました。


 そこで、公務出張ではないので、28日は1日移動日に使っても良いし、帰りは週末なのでこれまた自由になることから、「北海道&東日本パス(普通列車限定)」を使って東京往復をすることにしました。

 稚拙な文章に加え、旅の記録をまとめるつもりで出かけたわけでもなかったので、写真も少なく、おもしろみのないものですが、
 これが、普通列車を乗り継ぐ旅を始めるきっかけ、旅の記録をまとめるきっかけになった、題して「普通列車で往復する東京の旅」の始まりです。