旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

閑雲野鶴日記 2020年(令和2年)6月24日 水曜日 朝の散歩『名所・旧跡10kmコース』 『行在所』

2020-06-24 14:08:04 | 閑雲野鶴日記
 年齢が進むにつれて、筋肉痛も後からやってくると言いますが、腹筋痛は今日がピークかな?


 久しぶりに朝の散歩です。
①10日余りで、日の出時刻が1分40秒ほど遅くなりました。




②今日の「名所・旧跡案内」は、『行在所』。
 『行在所(あんざいしょ)』とは「天皇が行幸したときの仮の御所」を意味しますから、全国には沢山の『行在所』があります。
 当町の行在所の正式名称は『旧野村家住宅離れ』と言い、現在の野辺地町役場敷地内にあります。
 1876年(明治9年)の明治天皇東北御巡幸の情報を察知した、町の豪商であった野村治三郎が、数年の歳月を費やして建築し、行在所として指定されたものです。
 1881年(明治14年)の東北、北海道御巡幸の際にも利用されましたが、1890年(明治23年)の「野辺地大火」で焼失しました。現在の建物は、焼失後程なく同じ設計で建築されたものであると伝えられています。


 木造平屋建て切妻、妻入、外壁は下見板張り縦押縁押え、庭園側は全面開口部の数寄屋風の建物で内部は4部屋が田の字型に配され、庭園側に設けられた座敷(8帖)は精緻な彫刻が施されている欄間や床の間と脇床など格式のある意匠が採用されているそうです。


 庭園は、旧水戸藩の庭師梅翁の設計により築庭したもので、最初の御巡幸のおりには、夜になり庭園の石灯籠に火が燈されると、その風情を天皇はいたくお気に召されたそうです。


 建築と庭園とが一体化した和風近代建築の指標となる貴重な存在で「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から2008年(平成20年)に国登録有形文化財に登録されています。


 現在庭園に野村家を称える『頌徳碑』が建てられています。
 時の竹内俊吉青森県知事の揮毫。


 碑文は、「野村家頌徳碑」建設委員長を務めた、時の山根恒治郎町長によるものです。
   文化文政の頃千石船を
   繰り出し遠く大阪方面と
   交易し累代産を成して
   東北財界の雄となり
   惜しみなく町民に財貨を施し
   私財を投じて公共に尽くし
   恩徳万人に仰がる町民
   一同感謝して
   この碑を建つ



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