旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

閑雲野鶴日記 2020年(令和2年)6月13日 土曜日 朝の散歩『名所・旧跡10kmコース』 『(赤間)稲荷神社』『御同心丁(御組丁)』

2020-06-13 12:26:01 | 閑雲野鶴日記


 日の出時刻が早く、日の入り時刻が遅い日は、日長時間が長い夏至の日かと思ったら、違うそうです。その仕組みを聞いたのですが、難しい・・。小生にとっては。
 日の出時刻が一番早いのは、6月13・14日の4時3分7秒。
 今年の夏至は6月21日。日の出時刻4時3分57秒、日の入り時刻19時10分43秒、日長時間15時間6分46秒。なお、日長時間に関しては前日も同じ時間です。
 日の入り時刻の一番遅いのは6月27日の19時11分23秒。
 それぞれ夏至と一週間ほど前後するようです。
①今朝は4時35分出発!




②今日の「名所・旧跡案内」は、『(赤間)稲荷神社』。
 大祐堂の向かいにあるお社です。


 一般的に稲荷神社に祀られている稲荷神は、神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼天(だきにてん)と習合しているといいます。
 江戸時代になると荼枳尼天は、憑き物落としや病気平癒、開運出世の福徳神として信仰され、俗に荼枳尼天は人を選ばないといわれ、誰でも願望を成就させると信じられたため、博徒や遊女、被差別階級等にも広く信仰を集めたと伝えられています。
 この稲荷神社に関しては、個人で祀っているものとは思えないのですが、資料を見つけることが出来ませんでした。
 近所の方のお話から、稲荷神社であること。金沢町の娼妓もお参りしていた。ということだけが分かりました。『赤間稲荷神社』の名称も確認できませんでした。


③もう一つの「名所・旧跡案内」は『御同心丁(御組丁)』。
 江戸時代、この一帯は盛岡藩の同心の屋敷15軒が道の両側に続いていたことから、御同心丁あるいは御組丁と呼ばれていました。


 時代劇に出てくる「同心」と言えば、今で言う中間管理職のようにも思えますが、ここでいう「同心」は、はじめは「足軽」といい、後に「同心」と改称されたそうです。職務は、代官所の役人に従って雑務に当たっていたようです
 盛岡藩には藩境警護の御境奉行という職制があり、その下に代官所には御境役、御境古人、御山見など実際に巡視や警備に当たる役人が数人置かれていました。
 野辺地代官所には、盛岡藩御境奉行直属の御境役2人、その下に御境吟味役2名、御山見2人の役人が置かれ、30人の同心が居て、ここ金沢町と新町に15人(軒)ずつ住んでいたという記録が残っています。


④新町。こちらにも同心15人(軒)が住んでいたそうです。









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