小樽駅の駅舎は、上野駅に似ていていました。
小樽には、石原裕次郎が3歳から9歳まで過ごした縁で、映画「黒部の太陽」のセットの再現、映画「栄光への5000キロ」で使用した自動車の展示、ハワイの別荘・成城の裕次郎邸の再現などのある、「石原裕次郎記念館」がありますが、小樽駅の中にも、石原裕次郎にちなんだものがあります。
4番線ホームは「裕次郎ホーム」と愛称がついています。かつてNHKの番組のロケで訪れた際に、このホームに降り立ったのが由来だそうです。ホームには等身大パネルが設置されています。また、ホームの番号表示灯の数字の「4」がヨットに見立てたデザインになっています。
小樽からは、函館本線長万部行き普通列車に乗ります。
○小樽 08:07発
・塩谷 08:17着 08:17発
・蘭島 08:24 08:25
・余市 08:30 08:31
・仁木 08:36 08:36
・然別 08:41 08:42
・銀山 08:54 08:55
・小沢 09:05 09:06
・倶知安 09:19 09:28
・比羅夫 09:35 09:36
・ニセコ 09:44 09:45
・昆布 09:56 09:57
・蘭越 10:06 10:16
・目名 10:25 10:25
・熱郛 10:42 10:42
・黒松内 10:50 10:51
・蕨岱 10:57 10:58
・二股 11:04 11:05
○長万部 11:13着
函館本線とは、函館から長万部・小樽・札幌を通って旭川までを言います。
長らく基幹路線で特急列車も走っていましたが、小樽駅までが単線な上、急勾配・急曲線が連続する地形なのに対し、長万部から室蘭本線・千歳線を経て札幌方面に向かう区間は、距離的に若干遠回りですが、地形的に時間短縮できるうえに、比較的沿線の人口も多く、徐々に函館・札幌間のメインルートとしての役割が室蘭本線・千歳線経由になり、現在、特急列車・貨物列車は長万部駅から先札幌までは区間は室蘭本線・千歳線経由となっています。そのため、長万部・小樽駅間は古くから開通しているのですがローカル線化しています。
長万部駅から室蘭本線・千歳線を経て札幌方面に向かう区間を通称「海線」と言い、函館本線のこの区間を「山線」と言い、今日はこの「山線」を通ります。
小樽発の列車はキハ150+キハ40の2両編成。
キハ150系はエンジンの出力を高め、冬の排雪性を向上させ1両での運転を可能にするとともに、北海道の一般型気動車では初めて冷房がつき、合わせて固定窓となっている車両です。
キハ40系は国鉄時代からよく見る車両で、車体の大きさの割にはエンジン出力が弱く、除雪性能が弱く、冬は1両での運転が出来ないと言われています。
平日は1両ですが、休日は2両ということで、それぞれ半分ぐらいの乗車で、定刻発車しました。
小樽を出て峠越えをすると塩谷。
塩谷では、ワンマン運転のため運賃の精算に時間がかかったのか、4分遅れての発車となりました。
塩谷を出て、更に下って蘭島に向かう途中余市湾が見えます。
蘭島から更に下って、国道5号線と平行して日本海が見えてくると、まもなく余市。
余市町出身の有名人は、どういう理由か空を飛ぶことに関係があります。
余市と言えば、札幌冬季オリンピックのジャンプ金メダリストの笠谷幸生選手は余市高校出身。長野冬季オリンピックのジャンプで活躍した舟木・斉藤も余市出身。また、宇宙飛行士の毛利さんも余市町出身。
しかし、「余市」と言えばなんと言っても駅前にある、「ニッカウヰスキ-北海道原酒工場」。
ホームにも「歓迎 ようこそ!果実・ウイスキーの里 よいちへ」と、ウィスキーの樽が飾られていました。
仁木までは、水田の他にリンゴやブドウの木があちらこちらに見えます。
仁木の手前で、「北海道貿易会社仁木営業所」の古びた建物を見ました。
仁木は、かつては果物狩りで賑わったところだそうですが、港があるわけでもなく、どのような事業をしていたのか知りたいところです。
仁木でも4分の遅れのまま発車しました。次は然別です。
然別とは、アイヌ語のシカリ・ペツ(曲流する川)が語源だそうで、そばを流れる余市川の姿からこの地名になったようです。観光地として有名な然別湖・然別温泉・然別川は、大雪山系の麓、十勝地方にあります。
然別を過ぎると、両側に針葉樹の防雪林が続き「山線」らしくなってきました。
銀山の名はかつて銀鉱石が採れたところから付いた名前だそうです。
函館本線では函館駅に次いで標高の低い駅余市から銀山までは20分。気がつけば、かなりの高さまで登ってきましたが、この登りで4分の遅れを取り戻しました。キハ150系をつないでいる関係で、登りでもスピードが出るようです。
(銀山駅から望む山々)
銀山を過ぎると、難所と言われる稲穂峠をトンネルで越えると小沢まではセトセ川の谷に沿って下っていきます。小沢駅
小沢では、何人かの人が降りていきました。ここは、昭和60年に廃止された、積丹半島の付け根にある岩内までの岩内線の分岐駅だったところです。駅は小さくなりましが、現在でも岩内方面へのバスが出ており,列車とバスを乗り継いで利用する人も少なくないとのことです。
小沢から再び登って、倶知安トンネルをくぐり下ると、倶知安に着きました。
倶知安の由来は、倶知安は「クッチャン」にあてた漢字で、クッチャンはアイヌ語の「クッシャニ」から名付けられたそうです。
クッシャニは尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名で、クッシャニは「クッ・シャン・イ」で「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意味だそうで、このクッ・シャン・イがクッシャニとなり、さらにクドサニと変わって倶登山川となったそうです。
同じクッシャニがクッチャンとなって、倶知安という漢字を当てて地名したそうです。
ニセコアンヌプリ山麓にはたくさんのスキー場があり、近年は外国から訪れる人も多いというのをニュースで知っていましたが、そのせいかこの普通列車の案内放送は、小樽を出て以来英語と2カ国語の案内です。
倶知安はかつては伊達紋別とを結ぶ胆振線の分岐駅でした。
倶知安では9分の停車。ここで、小樽で見つけた「おおなごの蒲焼き弁当」を開きました。
オオナゴとは、標準名をイカナゴといい日本各地で水揚げがある魚で、利尻産と銘打っているとおり、稚内市が、水揚げ量日本一ですが、その90%以上が養殖ハマチなどの餌として本州に出荷されており、地元の反応も「ハマチの餌だべや。」、「うちの父ちゃん、オオナゴ漁師だけど食べたことねえよ。」といった具合だったそうです。
そこで、オオナゴの価値を見直すべく、地元有志が立ち上がり、「稚内オオナゴ研究会」が発足し、地元で、オオナゴ料理の試食会などを積極的に実施した結果、「稚内地域食材付加価値向上協議会」が発足。「稚内おおなごブランド化」の取組がなされるようになったそうです。
現在では、札幌の「きたキッチン」で取り扱われたり、全道の学校給食に採用されようになったそうです。
なお、オオナゴは稚内での呼び名で、稚内以外ではコオナゴ、メロウド、カナギなどと呼ばれていて、見た目は、サンマに似ています。
つづく
小樽には、石原裕次郎が3歳から9歳まで過ごした縁で、映画「黒部の太陽」のセットの再現、映画「栄光への5000キロ」で使用した自動車の展示、ハワイの別荘・成城の裕次郎邸の再現などのある、「石原裕次郎記念館」がありますが、小樽駅の中にも、石原裕次郎にちなんだものがあります。
4番線ホームは「裕次郎ホーム」と愛称がついています。かつてNHKの番組のロケで訪れた際に、このホームに降り立ったのが由来だそうです。ホームには等身大パネルが設置されています。また、ホームの番号表示灯の数字の「4」がヨットに見立てたデザインになっています。
小樽からは、函館本線長万部行き普通列車に乗ります。
○小樽 08:07発
・塩谷 08:17着 08:17発
・蘭島 08:24 08:25
・余市 08:30 08:31
・仁木 08:36 08:36
・然別 08:41 08:42
・銀山 08:54 08:55
・小沢 09:05 09:06
・倶知安 09:19 09:28
・比羅夫 09:35 09:36
・ニセコ 09:44 09:45
・昆布 09:56 09:57
・蘭越 10:06 10:16
・目名 10:25 10:25
・熱郛 10:42 10:42
・黒松内 10:50 10:51
・蕨岱 10:57 10:58
・二股 11:04 11:05
○長万部 11:13着
函館本線とは、函館から長万部・小樽・札幌を通って旭川までを言います。
長らく基幹路線で特急列車も走っていましたが、小樽駅までが単線な上、急勾配・急曲線が連続する地形なのに対し、長万部から室蘭本線・千歳線を経て札幌方面に向かう区間は、距離的に若干遠回りですが、地形的に時間短縮できるうえに、比較的沿線の人口も多く、徐々に函館・札幌間のメインルートとしての役割が室蘭本線・千歳線経由になり、現在、特急列車・貨物列車は長万部駅から先札幌までは区間は室蘭本線・千歳線経由となっています。そのため、長万部・小樽駅間は古くから開通しているのですがローカル線化しています。
長万部駅から室蘭本線・千歳線を経て札幌方面に向かう区間を通称「海線」と言い、函館本線のこの区間を「山線」と言い、今日はこの「山線」を通ります。
小樽発の列車はキハ150+キハ40の2両編成。
キハ150系はエンジンの出力を高め、冬の排雪性を向上させ1両での運転を可能にするとともに、北海道の一般型気動車では初めて冷房がつき、合わせて固定窓となっている車両です。
キハ40系は国鉄時代からよく見る車両で、車体の大きさの割にはエンジン出力が弱く、除雪性能が弱く、冬は1両での運転が出来ないと言われています。
平日は1両ですが、休日は2両ということで、それぞれ半分ぐらいの乗車で、定刻発車しました。
小樽を出て峠越えをすると塩谷。
塩谷では、ワンマン運転のため運賃の精算に時間がかかったのか、4分遅れての発車となりました。
塩谷を出て、更に下って蘭島に向かう途中余市湾が見えます。
蘭島から更に下って、国道5号線と平行して日本海が見えてくると、まもなく余市。
余市町出身の有名人は、どういう理由か空を飛ぶことに関係があります。
余市と言えば、札幌冬季オリンピックのジャンプ金メダリストの笠谷幸生選手は余市高校出身。長野冬季オリンピックのジャンプで活躍した舟木・斉藤も余市出身。また、宇宙飛行士の毛利さんも余市町出身。
しかし、「余市」と言えばなんと言っても駅前にある、「ニッカウヰスキ-北海道原酒工場」。
ホームにも「歓迎 ようこそ!果実・ウイスキーの里 よいちへ」と、ウィスキーの樽が飾られていました。
仁木までは、水田の他にリンゴやブドウの木があちらこちらに見えます。
仁木の手前で、「北海道貿易会社仁木営業所」の古びた建物を見ました。
仁木は、かつては果物狩りで賑わったところだそうですが、港があるわけでもなく、どのような事業をしていたのか知りたいところです。
仁木でも4分の遅れのまま発車しました。次は然別です。
然別とは、アイヌ語のシカリ・ペツ(曲流する川)が語源だそうで、そばを流れる余市川の姿からこの地名になったようです。観光地として有名な然別湖・然別温泉・然別川は、大雪山系の麓、十勝地方にあります。
然別を過ぎると、両側に針葉樹の防雪林が続き「山線」らしくなってきました。
銀山の名はかつて銀鉱石が採れたところから付いた名前だそうです。
函館本線では函館駅に次いで標高の低い駅余市から銀山までは20分。気がつけば、かなりの高さまで登ってきましたが、この登りで4分の遅れを取り戻しました。キハ150系をつないでいる関係で、登りでもスピードが出るようです。
(銀山駅から望む山々)
銀山を過ぎると、難所と言われる稲穂峠をトンネルで越えると小沢まではセトセ川の谷に沿って下っていきます。小沢駅
小沢では、何人かの人が降りていきました。ここは、昭和60年に廃止された、積丹半島の付け根にある岩内までの岩内線の分岐駅だったところです。駅は小さくなりましが、現在でも岩内方面へのバスが出ており,列車とバスを乗り継いで利用する人も少なくないとのことです。
小沢から再び登って、倶知安トンネルをくぐり下ると、倶知安に着きました。
倶知安の由来は、倶知安は「クッチャン」にあてた漢字で、クッチャンはアイヌ語の「クッシャニ」から名付けられたそうです。
クッシャニは尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名で、クッシャニは「クッ・シャン・イ」で「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意味だそうで、このクッ・シャン・イがクッシャニとなり、さらにクドサニと変わって倶登山川となったそうです。
同じクッシャニがクッチャンとなって、倶知安という漢字を当てて地名したそうです。
ニセコアンヌプリ山麓にはたくさんのスキー場があり、近年は外国から訪れる人も多いというのをニュースで知っていましたが、そのせいかこの普通列車の案内放送は、小樽を出て以来英語と2カ国語の案内です。
倶知安はかつては伊達紋別とを結ぶ胆振線の分岐駅でした。
倶知安では9分の停車。ここで、小樽で見つけた「おおなごの蒲焼き弁当」を開きました。
オオナゴとは、標準名をイカナゴといい日本各地で水揚げがある魚で、利尻産と銘打っているとおり、稚内市が、水揚げ量日本一ですが、その90%以上が養殖ハマチなどの餌として本州に出荷されており、地元の反応も「ハマチの餌だべや。」、「うちの父ちゃん、オオナゴ漁師だけど食べたことねえよ。」といった具合だったそうです。
そこで、オオナゴの価値を見直すべく、地元有志が立ち上がり、「稚内オオナゴ研究会」が発足し、地元で、オオナゴ料理の試食会などを積極的に実施した結果、「稚内地域食材付加価値向上協議会」が発足。「稚内おおなごブランド化」の取組がなされるようになったそうです。
現在では、札幌の「きたキッチン」で取り扱われたり、全道の学校給食に採用されようになったそうです。
なお、オオナゴは稚内での呼び名で、稚内以外ではコオナゴ、メロウド、カナギなどと呼ばれていて、見た目は、サンマに似ています。
つづく
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