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新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

黒壁スクエア

2013-03-05 20:35:58 | 旅行

長浜鉄道スクエアのあとは黒壁スクエアへと足を向けます。

旧長浜駅の前の道をゆき、北国街道を北へ向かえば黒壁スクエアに着くのですが、その交差点の風景が何とも言えない光景でした。明治の人はこの道を通って陸蒸気に乗ったのでしょうか。

北国街道を歩いてゆくと、長浜タワーなる建物が。出かける前にネットで長浜のことを調べているうちに「長浜タワー」に行き当たりました。ふーん。長浜にもタワーがあるんだ…と思っていたらこの建物でした。タワーとはおよそかけ離れたものですが、東京タワーのようなものを長浜にも…という思いで地元資産家が1964年に建設したものだそうです。建物の表記の「NAGAHAMA TOWER BILL」と微妙に間違っているのもご愛嬌といったところでしょうか。このものすごい昭和を感じる建物の裏手に黒壁スクエアがあります。

長浜旧市街に存在している江戸から明治にかけて和風建築物が連続する町並みを整備・保存し、その建築物を活用した美術館や物販店が集積しており、特にガラス工芸品のお店が多く、日本でも有数のガラス工芸品展示エリアとなっています。1991年に新快速電車が長浜まで運転されるようになると京阪神地区からの観光客が増え、今では湖北地方随一の観光スポットとなり、町おこしの成功例として紹介されることも多いです。 

黒壁スクエアの中心的な建物の黒壁ガラス館。旧第百三十銀行長浜支店だった建物で、1899年竣工の建造物です。黒壁銀行として親しまれてきた建物です。この建物の取り壊し危機が、黒壁スクエア誕生のきっかけとなっています。この時には雪がかなり降っていておまけに風も強く吹雪のようになっていました。 


長浜鉄道スクエア

2013-03-05 20:08:13 | 旅行

彦根城をあとにして、彦根でお昼を食べてから新快速に乗り長浜へ。

長浜に着くと雪はやんでいました。折り返し網干へ向かう新快速電車を撮って、長浜鉄道スクエアに行きます。

長浜鉄道スクエアは鉄道記念物の旧長浜駅舎、長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館の3施設の総称で、旧長浜駅舎は現存する日本最古の駅舎でもあります。1882年に東海道線の支線として長浜ー柳ヶ瀬・洞道口ー金ヶ崎間が開業した際に設置された長浜駅は新橋ー横浜間、京都ー神戸間鉄道に次ぐ3番目の路線として整備されました。当初はここ長浜ー大津間を琵琶湖連絡船で結んでいました。1889年に米原周りの路線が開通すると、一中間駅となってしまいました。旧駅舎は1903年に現在地に駅舎が移転したあともそのまま残され日本最古の駅舎として鉄道記念物に指定されています。しかし、駅舎は残っているものの現役の駅舎として使われた期間が短いためホーム構造や配置などの資料が少なく、研究家の間でも謎の残る駅でもあります。

北陸線電化記念館の方には2両の車両が保存されています。こちらはED70型交流電気機関車で、1957年に北陸本線田村ー敦賀間が交流電化された際に投入された量産型交流電気機関車です。本機は1957年に三菱電機・新三菱重工により製造され、敦賀第二機関区に配置されて田村ー糸魚川間の交流区間で客車・貨車牽引に従事していました。しかし坂田ー田村間に存在するデットセクションと、その区間を越えて走行する列車に対する機関車交換の煩わしさ、さらにデットセクションを通過できるEF81型交直両用電気機関車の量産により1972年に廃車となりました。廃車後は松任工場(現金沢総合車両所松任本所)→敦賀第二機関区(現敦賀地域鉄道部敦賀運転派出)を経て2003年から当地で保存されています。

もう一両はデゴイチの愛称でおなじみのD51型蒸気機関車です。D51は1115両も製造された蒸気機関車でこの両数は機関車では最多を誇っており、全国にその足跡を記しています。北陸本線では電化前にも使われていた機関車で、柳ヶ瀬越えや杉津越えなどの勾配区間での苦闘の歴史が語り継がれています。本機も北陸の地で列車牽引に従事していました。廃車後は長浜市で保存されていましたが、2000年に長浜鉄道スクエアに移設され、2003年にこの北陸線電化記念館に収容されました。
いずれの車両もきれいな状態で保存されており、運転室にも自由に出入りできるようになっています。