ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
高橋慶彦と角 富士夫の共通点は・・・・
1月17日にdhkの新年総会に出席し基調講演で中西太氏の話を聞いた
後に懇親会場に行くバスで中西氏と隣り合わせに座る事ができたのだが、その
中で話題になったのが角 富士夫。
スワローズ初優勝の時に2番サードで、94年に引退するまで20年間現役で
プレーしていた。
2010年からフロント入りしたという話を聞いていたのだが実は角 富士夫こそ
私が高校野球に興味を持って最初に注目した選手だった。
角 富士夫は74年夏に福岡第一の4番ピッチャーで甲子園出場を果たし、
初戦の長岡商戦では1回にライトへ2ランを放つと3回にも大飛球の犠牲フライ
で全打点を挙げ、投げては長岡商の反撃を8回裏の2点に抑え3-2で逃げ
切ったのだ。
当時プロでも殆ど見る事ができなかった甲子園で右打者がライトに打つHRを
金属バットを使用していたとはいえ、高校生の右打者がライトに打ち込むとは
‘コイツは凄い’と思ったものだ。
考えてみると75年卒の同期生で74年の春夏甲子園出場した選手の中で
大成したのは高橋慶彦と角 富士夫が双璧だろうが、面白いのが2人とも
エースで4番だったもののピッチャーとしてはパッとしなかった事。
74年といえば横浜:永川永殖、銚子商:土屋正勝、土浦日大:工藤一彦の
関東三羽烏に鹿児島実の定岡正二がビッグ4と言われていた。
永川は73年春に2年生で優勝しているし、土屋は2年夏に江川卓と投げ
合って勝ち74年夏には初戦のPL学園戦で2-0から押し出しで与えた1点のみ
の失点で優勝している。
また定岡正二は74年夏にQファイナルで1年生の原辰徳がいた東海大相模
相手に延長15回の死闘を演じて勝っているなどインパクトの強い活躍をして
いるのだ。
一方の角 富士夫は初戦で勝ったもののベスト16で準優勝する防府商に
終盤捕まって3-4から3-10と差を広げられて敗れているし、高橋慶彦の城西も
初戦では佐世保工を3-0で2安打完封したもののベスト16で郡山に2-2の同点
からボークで勝ち越されて2-5で敗れているのだ。
こうしてみると2人とも甲子園では勝っているものの土屋らビッグ4に比べ
ピッチャーとしての印象は希薄だが、プロ入り後は野手に転向しブレイク。
一方ビッグ4の中で優勝経験のある永川はプロでの登板は1試合のみだし、
土屋も肘や肩の故障が たたり11年で8勝。
工藤が13年で66勝、定岡は9年で51勝という成績を見れば高橋慶彦や角
富士夫が高校時代の評価よりも いかに大成したか分かるだろう。
高校時代にパッとしなかったからといって無視できないし、大活躍したからと
いってプロでも大成できるとは限らないという象徴的なケースだと思う。
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あの、西岡剛を育成したのも高橋コーチでしたね。
高校時代、エースで主軸打者→プロでは打者として成功した例はかなり多くて、言わずと知れたイチローを始め、柴田、岡崎、川相、王、川上(なんだか巨人勢が多いですね)西田、現ヤクルト監督の小川もそうですね。
「子供の頃からエースで4番」これがプロで通用する一つのキーワードかもしれませんね。ビートたけしの同級生でロッテの元エースであり、メジャーの大投手、スティーブ・カールトンのスライダーに影響を与えたと言う成田も、たけし曰く「エースで4番、凄かったんだぜ!」だったそうですから。
それは凄いですよ。
今ではプレミアものではないですか。
>吉法師様
日本はトーナメント至上主義の傾向が強いですからね。
昔は甲子園の優勝投手が必ずドラフトなどでは話題に上ってましたよね。
ただ最近の子供はエースで4番を嫌うそうです。
理由は責任を1人で背負うのは嫌という事らしく、
常総学院の木内氏も悔やんでました。