20年前の今日91年4月13日は福岡時代の師匠の命日。
ちょうど20年経つのだが、本当に月日の経つのは早いと思う。
以前も記したのだが91年の新年会に出席した時に同行した先輩から‘オイ、
師匠が入院しとうぞ’と聞かされ新年会で奥さんから正式に入院している旨の
話を聞いた時には まだ深刻な話と説明されなかった。
ところが1週間後の2月4日に家族で見舞いに行った時には そこまで酷くは
なかったのだが、病室を出て帰るときに奥さんから末期の肝臓ガンだという
話を聞いて驚いたのだった。
それから2週間後の第3日曜日に福岡に行ったついでに見舞うと面会謝絶に
なっていて、一応見舞えたのだが別人のようにやつれていて激しく吐血したと
いう話も聞いていたのだ。
そして4月12日の金曜日の昼過ぎに危篤の電話があり、仕事を中断して
車で福岡市内の入院先に訪ねたところ持ち直したので一旦帰宅したものの
夜になって再び危篤の電話がかかる。
そこで車を運転して病院に到着。
我々OBが集まって日付が替わった頃に とうとう亡くなったのだった。
相談の結果13日が土曜日という事で14日に通夜をして葬式が15日になった。
こうすれば通夜には営業終了後に行けるし、葬式も月曜日で参列する同業者に
迷惑がかからないという事で細かい心遣いをやかましく言っていた師匠らしいと
他の先輩方と口々に言っていたのだった。
ちなみに それまで礼服を持ってなかったので13日に礼服を買いに行き、最初
に着たのが師匠の通夜&葬式となったのである。
‘オレは太く短く生きる’と言っていたものの享年60歳だから やはり早過ぎるし、
せめて古希の70歳までは生きていて欲しかったと改めて思うのだった。